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ビリー・ハーグローブ(演:デイカー・モンゴメリー)

ビリー・ハーグローブ

部屋に貼られているポスターは“メタリカ”『Kill’ Em All』(1983)“Tank”『Filth Hounds of Hades』(1982)

Tank1980年メタリカ1981年結成されたヘヴィメタルバンド

メタル好きが伺える。

ビリー髪型LAメタル

まずは顔の面からみると、ビリーの容姿はロブ・ロウにそっくりだ。

ロブ・ロウは先述した1980年代を代表する“ブラット・パック”の一人。

上下ジーンズのファッションスタイル『アウトサイダー』(1983)の頃、ヘアスタイル『セント・エルモス・ファイアー』(1985)の彼をモデルにしているのだろう。

カリフォルニアから越してきた彼の特徴的なロングヘアーは、80年代に一大ブームとなったグラムメタル(ヘアメタルやポップメタルとも呼ばれ、日本ではLAメタルと呼ばれている)からの影響である。

グラムメタルとはヘヴィメタルよりもポップでパンクな要素を取り入れたハードロックとヘヴィメタルのサブジャンルである。

アリス・クーパー、チープ・トリック、キッス、ヴァン・ヘイレンらに影響を受け、ロサンゼルスのサンセット大通りに立ち並ぶクラブに全米各地からミュージシャンが集まり、それぞれがロックバンドを結成し連日演奏をし始めたことが発端。

そしてそこで人気を集めたバンドは次々にレコード会社と契約を結んでいった。

デヴィッド・ボウイを代表するグラムロック(70年代前半に流行したUKロック)から影響を受けた派手なメイクと長く伸ばした髪や煌びやかな衣装は女性に受け、キャッチーでシンプルな曲は男性にもファンを増やしていき、愛やドラッグ、セックスに酒、そして“反抗”をテーマにした歌詞は特に若者に支持された。

『デトロイト・ロック・シティ』(1999)は、1978年を舞台にロックバンド『KISS』の大ファンである少年4人のうちの1人が、母親に「こんな悪魔みたいな音楽聴いてけしからん!」とレコードとコンサートチケットを“破壊”されてしてしまう。

“どっちが悪魔だこの野郎!”といいたくなるような時代が70年代後半からこの80年代にかけて到来した。

“悪魔”からしたら福音派キリスト教の方がよっぽど“悪魔的”だぜ全く…。

シーズン3最終話の終盤ではニュースが放送されているが、その中でホーキンスの一連の事件“悪魔の仕業”と推測している場面もある。

70年代にはオカルトブームもあり、そのようなことを言う人々もいたのだろう。

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ローリングストーン誌が選ぶ偉大なヘアメタルアルバムトップ10

10位

Cinderella

『Long Cold Winter』(1988)

9位

Mötley Crüe

『Too Fast for Love』(1981)

8位

Kix

『Blow My Fuse』(1988)

7位

Faster Pussycat

『Faster Pussycat』(1987)

6位

Ratt

『Out of the Cellar』(1984)

5位

Skid Row

『Skid Row』(1989)

4位

Mötley Crüe

『Shout at the Devil』(1983)

3位

Bon Jovi

『Slippery When Wet』(1986)

2位

Poison

『Look What the Cat Dragged in』(1986)

1位

Def Leppard

『Hysteria』(1987)

参照:Rolling Stone

MTVの影響とMTV感覚映画

MTVとは1981年8月1日に創設された24時間ミュージック・ビデオを流し続けるチャンネルである。

ハードロックカフェに行くと流れているやつだ。

12時10分最初に放送されたMVはバグルス『ラジオ・スターの悲劇』

原題は『Video Killed The Radio Star』。

グループメンバーのトレヴァー・ホーンはJ・G・バラードの短編「音響清掃」に影響を受けた曲だと語る。この短編は、世界中の音楽を吸い取る音響清掃人が、下水道でオペラ歌手と出会う話である。彼は「時代は過ぎようとしている」とも感じた。このように曲の主題はノスタルジーであり、曲の雰囲気にも反映されている。歌詞では1960年代の技術革新過去を忘れたくないという願望と、現代の子供達に過去の良さがわからないことへの落胆に触れる。1950年代、そして1960年代初めにはラジオは貴重なメディアであり、そこから「スター」が生み出されていた。
引用:Wikipedia

まさに『ストレンジャー・シングス』1980年代へのノスタルジーが詰まった作品であり、あの時代から様々な文化が生まれ“スター”が生まれた。

“時代は繰り返す”

“今”を表すのなら『Internet killed The TV Star』かもしれない。

The Buggles – Video Killed The Radio Star (Official Music Video)

このチャンネルの革新的なところは何と言っても視覚でアーティストの音楽と個性や魅力を伝えられることだ。

そして彼らにとって新たなファンを獲得できる場でもあるため話題性のあるMVを制作することに力をいれた。

マイケル・ジャクソンが良い例だ。

音楽だけではなく、映画にもMTVは影響を及ぼした

ミュージックビデオを流し続けるMTVのように、その要素を取り入れた映画のことを“MTV感覚映画”と呼んでいた。

ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』(1973)でもバックに音楽がずっと流れているが、あちらは映画の舞台となる当時(本作なら60年代)のヒットソングを青春時代のエピソードと共に流す手法の映画である。

それらはこの映画の大ヒットにより“アメグラもの”と呼ばれている。

MTV感覚の先駆けとなった映画といえば1983年『フラッシュダンス』

派手な音楽が流れるシーンはまるでMVのような作品。

ジェニファー・ビール演じる主人公がプロダンサーになるという夢を実現するまでのサクセスストーリー。

内容よりも音楽とジャズダンスやハリウッド映画として初めてブレイクダンスを取り入れるなど派手な要素が受け、1983年アメリカ国内興収第3位となった。

Flashdance 1983 movie Breakdance scene "It's Just Begun" Jimmy Castor Bunch

また、サウンドトラックは世界中で2,000万枚以上を売り上げた。

本作をプロデュースしたドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーが翌年1984年に手がけた『ビバリーヒルズ・コップ』1987年の続編も大ヒットした。

そして1986年『トップガン』が世界中でメガヒットし、“MTV感覚映画”は80年代を象徴するものとなった。

『ビバリーヒルズ・コップ』のサントラは1985年『トップガン』1986年“USビルボード200”第1位を記録。

プロデューサーは違うが1984年『フットルース』もこの時代の代表的作品だ。

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デイカー・モンゴメリー

1994年11月22日オーストラリア、パース生まれ、現在24歳。

両親がオーストラリアの映画産業で働いていた。

9歳でスクリーンデビュー。

エディスコーワン大学に通い、西オーストラリア・パフォーミングアート・アカデミーの課程を終える。

彼の憧れるヒュー・ジャックマンも全く同じ課程を卒業している。

2010年『Betrand the Terrible』で長編映画デビュー。

その後2017年『パワーレンジャー』でレッドレンジャーを演じ知名度を上げた。

インタビュー

2019年7月4日インタビュー

Q:キャストの多くはシーズン1以来、よくスナップチャットやインスタグラムなどをしていますが、あなたはソーシャルメディアを同じような使い方をしていませんね。

A:僕は古いハリウッドスタイルが好きなんだ。誰かがいつ何をしているかは、あなたはわからないですよね、僕が映画館にいる時にあなたを見ていたらそのエスケープは破滅してしまいます。つまり、“あなたが昨晩この通りとかニューヨークとか、どこどこのレストランにいたことを私は知っているわ”とかね。僕は自分の少し不確実なところが好きなんだ。仕事に行く準備はできているし、それにとても熱があるんだけれど、僕の日常をみんなに知られたくはないんです。

2019年7月23日彼がInstagram(@dacremontgomery)に投稿した文章

When I was a kid, I was lost.

僕は子供の頃、負けた。

I had a really tough time in school.

学校では本当にキツイ時間を過ごした。

I was a big kid who loved drama.

ドラマが大好きな大きな子供だった。

I never got passing grades, I wasn’t popular or a gifted sports player.

一度も及第点をとらなかったし、人気でもなければ、スポーツの天才でもなかった。

Girls were never interested in me.

女の子は一度も僕に興味を持ったことはなかった。

I suffered from anxiety from a young age.

若い時から不安に苦しんだ。

I was distracted and I wasn’t focused.

気が散って、集中できなかった。

But I had a dream, I was lucky – I knew what I wanted to do. And every night I went home and I focused on THAT.

でも夢があり、ラッキーだった – 自分がしたいことをわかっていた。そして毎晩家に帰り“そのこと”に集中した。

I visualised a future where my dreams became a reality.

僕の夢が実現する未来を描いていた。

When I was 15 I failed my high school drama exams.

15歳の時、高校の演劇テストに落ちた。

When I was 16 I was told I needed to loose weight.

16歳の時、痩せるように言われた。

When I was 17 I was told I should go to drama school and train.

17歳の時、演劇学校に行ってトレーニングした方がいいと言われた。

When I was 18 I was fired from my job.

18歳の時、仕事をクビになった。

When I was in drama school I was told to leave.

演劇学校に行った時、辞めるように言われた。

When I had a DREAM – I was told it wasn’t achievable.

“夢”があった時、それは成し遂げられないと言われた。

Well, you know what….

ほら、ご存じのとおり…

I lost weight, I went to drama school and I never stopped wanting it, I never stopped being curious.

僕は体重を落とし、演劇学校に行き、それを求めることを決して止めなかった、好奇心をもつことを決して止めなかった。

I never let the failures get me down.

失敗が僕をつき落とすことは一度もなかった。

Because I believed in myself and I never let anyone tell me otherwise.

自分自身を信じたから、そして誰にも決して何も言わせなかった。

You can do anything you set your mind to.

心に思い描いたことは君は何でもできる。

So, go out there and get it!

だから、そこに向かってそれを掴むんだ!

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ジョイス・バイヤーズ(演:ウィノナ・ライダー)

ジョイス・バイヤーズ

登場シーンの9割は、心配、不安、焦り、怒り、悲しみのうちのいずれかの表情をしている。

ウィノナ・ライダー

1971年10月29日アメリカ合衆国ミネソタ州ウィノナ生まれ、現在47歳。

本名はウィノナ・ローラ・ホロウィッツ

名前は生まれた地名からつけられた。

12歳で芸能界入り。

高校では芸能活動をしていたことや華奢でボーイッシュな容姿を理由に酷いイジメを受けていた。

1986年16歳の時に『ルーカスの初恋メモリー』で映画デビュー。

1988年に公開されたティム・バートン監督の『ビートルジュース』ではゴシック風のウィノナが拝める。

黒髪ショートは私のタイプ!!

この頃のウィノナ大好きだなぁ。

しかし学校では「魔女!」と呼ばれいじめられたことを後に語っている。

同年『ヘザース/ベロニカの熱い日』ではクリスチャン・スレイターと共に美男美女共演、私生活で二人は交際していた。

続いて1990年には『シザーハンズ』彼女の人気は大絶頂に

共演したジョニー・デップと交際。

婚約もするが1993年に破局。

1990年公開の『ゴッドファーザーⅢ』にはアル・パチーノの娘役に抜擢されていたが、過労のため降板している。
同役はソフィア・コッポラが演じている。
そしてゴールデンラズベリー賞のワースト助演女優賞とワースト新人賞を受賞している。

1992年『ドラキュラ』で復活。

監督はフランシス・フォード・コッポラ

どれだけウィノナを起用したかったんだ。

そして1993年マーティン・スコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』

ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞
アカデミー助演女優賞ノミネート
英国アカデミー賞 助演女優賞ノミネート

を果たす。

そして共演のダニエル・デイ=ルイスと交際。

共演者キラー。

ホッパー役のデヴィッド・ハーバーと交際している可能性もありそうだ。

1994年『リアリティ・バイツ

1997年『エイリアン4』

製作にも携わった1999年『17歳のカルテ』。

2000年10月6日には、“ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム”に名前が刻まれる。

この時28歳。

そんなノリノリなウィノナが2001年になんと衝撃の逮捕

“2001年12月ロサンゼルスの高級百貨店サックス・フィフス・アベニューで万引したとして窃盗罪で逮捕、起訴。万引きする瞬間は防犯ビデオに収められており、世間の大きな衝撃を与えた。ウィノナは麻薬所持の疑いでも逮捕され、2002年11月に3年間の保護観察と480時間の社会奉仕という判決が下り、その後、女優の仕事は激減。しばらくハリウッドから姿を消した。”(引用:tvgroove.com)

裁判時の写真ですら映画のワンシーンのようになるウィノナ。

2004年には保護観察中の良好な態度が評価され、「重罪」から「軽犯罪」へと減刑された。

その後、彼女はちょくちょく映画に出て…

2010年『ブラック・スワン』で過去の遺物となった落ち目の演者を演じ自虐を好演。

そして2016年『ストレンジャー・シングス』にて完全復活

ゴールデングローブ賞ドラマ部門女優賞にノミネートされた。

子役出身のウィノナが子供たちを見守る姿は感慨深い。

80年代のアイドル人気のウィノナからは考えられないハマリ役であり熱演っぷりである。

息子が母を訪ねている。

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インタビュー

2016年7月『IGN』のインタビュー

キッズについて語る。

「彼らはただただ素晴らしい子供達で、本当に面白くて素晴らしかったわ。それほど共演シーンはなかったのにね。私はミリーと同じ歳にキャリアを始めたから彼女にとても繋がりをもっていたの。だって彼女は女の子で、ほら、子供達と仕事をするのはとても繊細です。特に今日ではみんなインターネットで非難を浴びやすい状況ですし、あなたがその歳だった時よりもたくさんのことを知ってより成熟できる全てがそこにはありますよね。でも私は本当に本当にあの子たちの仕事の向き合い方に感銘を受けました。私は保護的で本能的に成長する姿をみていたから、彼らは私にたくさんの意味をもたらしました。そこにいたくなかった子たちを過去にみてきたけれど、追い込まれていましたね。凄いことにこの子たちはみんなそれが大好きで本当にそこにいたがってたの。そこには本物の仲間意識と興奮が存在していました。そこには“ハァ〜…”がなかった。誰しも追い込まれたら心が折れそうになりますよね。私は本当に彼らの過ごし方に感動しました。私はこのジャンルを一度も経験したことがなかったから私も彼らと同じく凄いわね。本当に一度もこのジャンルを探検したことがなかったの。年上として、女優として、挑戦したことがないことに挑戦したくて、今までに経験したことがない世界で、今まで経験したことのないジャンルでした。全てがクールで魅力的で挑戦的でした。やりがいがありました。たくさんの重い事柄があって、ドラマの内容は幸いなことに小児愛のようなものではありませんでした。行方不明の子供についてですが、私は母親としてのジョイスにとても興味を抱きました。」

「彼女は何が起こったか分かっていません。私は全ての理論が物語っている時でさえ信じて諦めないというアイディア全体に興味をとても抱きました。私の母親にそのことを話しました。私は4人兄弟のうちの1人です。母は“絶対に諦めない”と言いました。続けて“もしライトが話しかけてきても、筋が通らなくても、みんなに狂っていると思われても?”と聞くと“それでも構わない。あなたが信じなきゃ。”、私はそのことに惹きつけられたわ。」

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ジム・ホッパー(演:デヴィッド・ハーバー)

ジム・ホッパー

食べ過ぎなジャック・ニコルソン。

シーズン2第2話、警察署にてホッパーが、農家のおっちゃんからカボチャ畑が荒らされて困っている相談を受けている最中、ホッパーの付き人であるポンコツそうな部下二人が合いの手をいれる。

「カボチャ陰謀事件」ニヤッ。

「チャイナタウンだな。」ニンマリ。

『チャイナタウン』(1974)のニコルソンホッパー

監督はロマン・ポランスキー

そして主演がジャック・ニコルソンなのだ。

なんともセンスのあるジョークだ。

その後にホッパーが渋る表情があればなおさらよかったのだが、

おそらくポンコツ二人から裏では“食べすぎなニコルソン”呼ばわりされているんだろうな。

私がなぜ食べ過ぎを強調するかと申しますと、今でこそニコルソンは太っているが、この当時1980年代は痩せていたからだ。

映画は1930年を舞台にニコルソン演じる私立探偵が殺人事件に巻き込まれていくフィルムノワール。

『プレデター』ジム・ホッパー

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』(1987年6月12日全米公開)に登場する、アメリカ陸軍特殊部隊群のリーダーの名前がジム・ホッパー

なおプレデターに皮を剥ぎ取られた死体として登場している。

死体の首からドッグタグ(認識票)を外し、シュワちゃんが名前を音読している場面がある。

ちなみに部隊の中にはホーキンスという名前の隊員がいる。

彼が町の名前の由来なのかは知りえない。

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デヴィッド・ハーバー

1975年4月10日アメリカ合衆国ニューヨーク州ホワイト・プレーンズ生まれ、現在44歳。

1999年、ブロードウェイミュージカル『The Rainmaker』に出演しキャリアを始める。

同年、『ロー&オーダー』に1話だけ出演しスクリーンデビュー。

2005年スピルバーグ監督の『宇宙戦争』に港で働くスタッフとして出演したが、港のシーンを見る限り映っていないのでカットされたものと思われる。

同年、『ブロークバック・マウンテン』では、ジェイク・ギレンホール演じる妻のいるカウボーイと惹かれあう、同じく妻のいるカウボーイという難しい役柄を演じた。

なおこの時に監督のアン・リーから「もっとハンサムに、もっともっと」と求められたことが、俳優人生の中で最も難しかったと語っている。

2008年主演のケイト・ウィンスレットレオナルド・ディカプリオ『タイタニック』(1997)以来の共演と話題になり、夫婦役を務めた『レボリューショナリー・ロード』ではウィンスレットの役と不倫する隣人役を演じた。

2019年4月には身体を鍛え上げて主演した『ヘルボーイ』が公開されるも、残念ながら批評も興収もうまくいかなかった。

そして2020年にはマーベル作品『ブラック・ウィドウ』の公開を控えている。

なんと彼が演じるのは“アレクセイ”という名前のロシア兵

ストシン要素をごちゃごちゃに詰め込み過ぎな気がする。

そんなデヴィッドはなんと元々はイレブン役のオーディションを受けていたのだ。

その映像がこちら。

Stranger Things' David Harbour Originally Wanted the Role of Eleven

クーパー捜査官ホッパー署長の対談

2018年6月の『Variety』によるカイル・マクラクランとデヴィッド・ハーバーの対談から一部分を抜粋

『ツイン・ピークス』でお馴染みのクーパー捜査官と、『ストレンジャー・シングス』ホッパー署長の貴重な対談である。

この2つのドラマを視聴した人にはちょっとした事件であろう。

両者の“奇妙な共通点”については後述しているのでご覧あれ。

マクラクラン

『ストレンジャー・シングス』は並外れていますね。あなたは役にパワーと存在感を送り込んでます。ドラマの中心です。とても印象的ですね。

ハーバー

ありがとうございます。とても一生懸命やりました。みんな私が突然発掘された(俳優)と思っているけれど、私は長い間仕事をしています。私はこの大きなドラマの助演をしたことでハリウッドのキャリアにおいて確実な居場所を手に入れたように思っています。私は6話か7話目に出演して、銃を持って走り回ってるだけのつもりでした。悪い警官とかになるんだろうなぁって。この役を得たときのことを覚えています。“これは今までやってきた時よりも違うやり方でやらなきゃならないぞ”って。役作りにはたくさん時間を費やしました。部屋で、凄く静かに居心地の悪そうにずっと一人で座ってね。

マクラクラン

台本を読んで、躊躇のようなものはありました?キャラクターや世界観は不確かでしたか?彼らは何が起こるかあなたに説明しましたか?

ハーバー

不安定でノイローゼにもなりました。それは克服するのに大きなハードルでした。台本を読んだ時、これは傑作だと思いました。その時は3、4ヶ月時間が空いてました。私はあまりよくなかったシリーズのオファーが来たところでした。こう思ったのを覚えています、“やろうかな。少し仕事をするつもりだったけれど、ニューヨークに戻って演劇をやろうか”って。そしたらマネージャーが言いました。“(キャスティング監督)カルメン・キューバがこのシリーズであなたにとても興味を持っていますよ”って。私は“何なりと”って返答しました。それから彼らが台本を送ってきました。たくさんの人々がこう言うけれど、私が今まで読んだパイロット版の中で最も良かったんだ。そのとき思ったんだ。“あの役を得るのは無理だろうな”って。Netflixシリーズの主役級の男性の役だし、“彼らはスターのところにいくに違いない”と思いました。だから冗談がてら読んでました。本当にこんなことが起こるなんて思ってもいませんでした。こうなった時は本当に恐ろしかったです。シーズン2では彼が少し開けてきていたからより演じるのは簡単でした。シーズン1は私の人生で最も惨めな時間でしたし、最高の時間のようでもありましたが、ただただ一生懸命にやりたかった。“君はここで一発当てた。なぜとても有意義な人生の6ヶ月の犠牲を怖がるんだ”って思ってました。私たちはアトランタに撮影しに行って、私は何人かとほんの少しだけ交流しました。ホッパーは家の中で座ってとても憂鬱な気分なんだろうなぁ。ほとんど外に出ないんだろうなぁ。キャラクターについてたくさん考えていました。私はウクレレをほんの少し習い始めてました。だからヘンテコな曲を座って弾いてましたよ。とても悲しくなったのを覚えています。撮影し終えた時のことも覚えています。アトランタからニューヨークまで友達と運転して戻ってました。それはとても奇妙なことでした。私は普段はとてつもなくお喋りで陽気な人間なのに。友達と車にいたのに、一切話そうともしませんでした。

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