特集!映画紀行
ストレンジャーシングス解説書』
7月4日にシーズン3が配信されたアメリカドラマ『ストレンジャー・シングス』。2016年にNetflixになんの予告宣伝もなく突如現れたこの奇妙なドラマを、私は怪しげでSFチックなビジュアルに惹かれ興味本位で第1話をみた。そこからのめり込み何周もしてしまった。私が小さい頃から見続けてきたジャンルのアメリカ映画のオマージュだらけで、“今まで頑張って映画観ましたね”と、まるでご褒美かのような作品。こんなの80年代に青春時代を過ごした人は両穴から鼻血出まくりなのではなかろうか。待ちに待ったシーズン3は控えめに言っても最高。そしてこの膨大な情報量の記事を書くにあたって再び細かいところまで何度も何度も見返しました。魅力に取り憑かれてしまった。作り込まれ過ぎなドラマ。普通に見流してるだけでは勿体ない。といった感じで一冊の本にしたいくらいの内容となっています。そこで今回の特大号では全シーズンを振り返りながら本作の魅力を思う存分語り尽くそうと思います。記事内で載せている絵はウィルに描いてもらいました。興味のある項目からご覧ください。3ページに分けてあります。ネタバレ含みますのでまだ未鑑賞の方はコードレッド!ドゥーユーコピー?オーバー。
- 2ページの目次
- 3ページの目次
- 登場人物&キャスト紹介
- イレブン(演:ミリー・ボビー・ブラウン)
- イレブンのキャラクター像
- “006”を描いた前日譚コミック
- ホーキンスに潜む“ナチズム”
- マイク・ウィーラー(演:フィン・ウルフハード)
- ウィル・バイヤーズ(演:ノア・シュナップ)
- ルーカス・シンクレア(演:ケイレブ・マクラフリン)
- ダスティン・ヘンダーソン(演:ゲイテン・マテラッツォ)
- マックス・メイフィールド(演:セイディー・シンク)
- ナンシー・ウィーラー(演:ナタリア・ダイアー)
- ジョナサン・バイヤーズ(演:チャーリー・ヒートン)
- スティーブ・ハリントン(演:ジョー・キーリー)
- ビリー・ハーグローブ(演:デイカー・モンゴメリー)
- ジョイス・バイヤーズ(演:ウィノナ・ライダー)
- ジム・ホッパー(演:デヴィッド・ハーバー)
- マレー・バウマン(演:ブルット・ゲルマン)
- バーバラ・ホランド(演:シャノン・パーサー)
- インタビュー
2ページの目次
※2ページ目に進みたい場合は下記をクリックしてください。
①70年代&80年代映画へのノスタルジー
・エクソシスト(1973)
・ジョーズ(1975)
→ホーキンス市長とその俳優
・マラソンマン(1976)
・スターウォーズ・シリーズ(1977〜)
→レーガンのスターウォーズ計画
・未知との遭遇(1977)
・エイリアン・シリーズ(1979〜)
→エリア51とホーキンス研究所
・ウォリアーズ(1979)
・マッドマックス・シリーズ(1979~)
・ザ・フォッグ(1980)
・シャイニング(1980)
・アルタード・ステーツ/未知への挑戦(1980)
→実在のMKウルトラ計画
→モントーク・プロジェクト
・インディ・ジョーンズ・シリーズ(1981~)
・死霊のはらわた(1981)
→アメリカ人にとっての地下室
・E.T.(1982)
→80年代とデリバリーピザ
・ポルターガイスト(1982)
→呪われた映画
・ビデオドローム(1983)
・ウォー・ゲーム(1983)
・初体験/リッジモンドハイ(1983)
→フィービー・ケイツとスージー
・クリスティーン(1983)
・ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(1984)
・エルム街の悪夢(1984)
・ゴーストバスターズ(1984)
→ウィノナとドラキュラの関係
→『ハロウィン』(1978)がもたらした恐怖
→80年代アメリカで人気のハロウィン仮装
・グレムリン(1984)
→ダートとアルフ
→80年代アメリカで人気のお菓子
→80年代アメリカで人気の飲み物
→80年代アメリカで人気のシリアル
・若き勇者たち(1984)
・ターミネーター(1984)
→ジェームズ・キャメロンが描く“闘う女像”
・ベスト・キッド(1984)
・刑事ジョン・ブック 目撃者(1985)
・バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)
→マーティとマックスの共通点
→エアロビ全盛期
・死霊のえじき(1985)
→ショッピングモールの役割
・グーニーズ(1985)
・エクスプローラーズ(1985)
→トランシーバーはどこのメーカー?
・コマンドー(1985)/ランボー(1982)
・マンハッタン・プロジェクト(1986)
・スタンド・バイ・ミー(1986)
・ザ・ゲート(1987)
・ミッドナイト・ラン(1988)
・ダイ・ハード(1988)
・ゼイリブ(1988)
・ヘザース/ベロニカの熱い日(1989)
②その他のオマージュ
・フランケンシュタイン(1931)
・トワイライト・ゾーン(1959)
・欲望(1966)
・IT(1990)
→実在凶悪殺人鬼ジョン・ゲイシー
・ジュラシックパーク(1993)
・レオン(1994)
・フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)
・ヒート(1995)
・トイ・ストーリー・シリーズ(1998~)
・マトリックス(1999)
・ハリー・ポッター・シリーズ(2001〜2011)
・指輪物語シリーズ
・サイン(2002)
・宇宙戦争(2005)
・チェンジリング(2008)
・SUPER8/スーパーエイト(2011)
→素晴らしき哉映画人生を送るJJ
・アンダー・ザ・スキン(2013)
・インターステラー(2014)
3ページの目次
①シーズン3を“寄生”した映画たち
②学園ドラマの帝王“ジョン・ヒューズ”
③スピルバーグイズムとアメリカの離婚率
④スティーヴン・キングについて
⑤NEWコークに秘めたリメイク映画の存在意義
⑥BMXに乗るキッズ
⑦あの頃の車
⑧80年代を彩る音楽とそれに隠された意味
⑨ゲームからのオマージュ
⑩あのころ夢中になったゲーム
①①80年代アメリカで最も人気のあったゲーム機
①②80年代のアーケード
①③アタリの『E.T.』が招いた崩壊
①④シーズン3の奇妙な事柄を大解剖
①⑤ホーキンスの歩き方
①⑥ようこそ『スターコート・モール』へ
①⑦私のお気に入りシーンベスト10
①⑧ストシン一人総選挙
①⑨シーズン4予想
②⓪『ツイン・ピークス』との“奇妙な繋がり”と25年後の映画版
②①あとがき
登場人物&キャスト紹介
個性的なキャラクターの面々。
シーズンを重ねるごとに魅力も増していく。
もはや彼らの虜。
みんなが愛しい。
そして彼らを演じるキャストも素晴らしい。
80年代顔なキッズ。
そして80年代に活躍した俳優陣の起用もある。
そんな彼らをインタビューも添えてご紹介。
イレブン(演:ミリー・ボビー・ブラウン)
イレブン
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
生まれてすぐに病院で母親から取り上げられ、人体実験の被験者としてホーキンス研究所に隔離される。
12歳の時に脱走してマイクたちに遭遇。
母親のテリー・アイヴスが妊娠中にホーキンス研究所の“MKウルトラ計画”に参加していたため、それが影響して潜在的にテレパシーやサイコキネシスの能力をもっていたと思われる。
本名はジェーン・アイヴス。
シーズン2第5話で母親が連呼するものの中に、“ヒマワリ”と“虹”があるが、第6話でルーカスが妹エリカの部屋に入った時にその2つの絵が貼られているのが見受けられる。
直接的繋がりはないが、“奇妙な事柄”として気にせずにはいられない。
ミリー・ボビー・ブラウン
2004年2月19日スペイン、マルベーリャ生まれ、現在15歳。
イギリス国籍。
2018年にTime誌の『世界で最も影響力のある100人』に最年少でリスト入り、2017年と2018年にも同誌の『世界で最も影響力のあるティーン』にリスト入りを果たす。
家族揃ってリヴァプールの大ファン。
また、ユニセフ親善大使にも最年少で任命されている。
ゲームソフト『シムズ4』の大使も務めている。
映画デビュー作は『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』(2019)。
なんとこのゴジラに関係するものの絵がシーズン3のエルの部屋には飾られている。
“鳥”と“蝶”と“恐竜”のポスターが。
ちなみに”鳥”のポスターはシーズン1&2でマイクの地下室に貼られていたもの。
マイクがあげたと推測できる。
“鳥”は“ラドン”。
“モスラ”は蛾ではあるが“蝶”と似たようなもの。
そして“恐竜”はもちろん“ゴジラ”。
恐竜は特に小さいのでわかりづらい。
きっとスタッフが彼女の映画デビューを祝してセットしたのだろう。
“キング・ギドラ”はいないのだろうか…いた。
シーズン1でホッパーがホーキンス研究所のイレブンの部屋を訪れた時に飾られていたエルが書いた絵。
“パパ”の足が3本…キング・ギドラだ。えっ?
茶色いのはモスラの幼虫としておこうか?
どっちにしろこの撮影時にはまだ映画の主演は決まっていなかった。
実に奇妙だ。
そしてなおさら奇妙なのは本作にクラーク先生も出演しているのだ。研究員役で。
冒頭で二人の共演シーンがあったから思わずニヤけてしまった。
さらにさらに奇妙なことにその冒頭シーンはシーズン3の冒頭のソ連の研究所でのクダリにそっくりなのだ。
これは全て偶然なのか?まさに“ストレンジャー・シングス”!!
そんな些細なことは他にもあり、
シーズン2第5話でエルが自分の部屋に入った時に映る壁にかかった“ウサギの絵”。
この絵はルイス・キャロル原作『不思議の国のアリス』の挿絵のウサギだ。
ウサギの後を追いかけたアリスは、地下世界に迷い込み奇妙な生物らと出会うという不思議な体験をする。
現在に至るまでのイレブンを暗示している。
イレブンが能力を使って相手の骨を折る時に首をひねる仕草は当時11歳のミリーが考えたもの。
私もマネしすぎて左首を痛めてしまったが癖になってやめられない。
そろそろ鼻血くらい出てくれてもいい頃なのになぁ。
ナタリー・ポートマン顔でもあり、
時折キャリー・フィッシャー感も覗かせる、
スターウォーズ顔なミリーにはぜひとも今後100年終わることのないシリーズのどれかに出演してほしい。
インタビュー
生まれつき片耳が全く聴こえないというハンディキャップも背負っているミリー。
2017年のインタビュー
「私は最近歌を歌い始めたところなんです。もしも悪く聞こえていても私は気にしません。だって私が大好きなことをしているだけだから。うまく歌う必要はありません。うまくダンスや演技をする必要はないんです。もしもあなたがそれを好きなら、もしも本当にそれが楽しいのなら、ただ実行するだけです。誰もあなたを止めるべきではありません。」
Q:ユニセフ親善大使になってどのように良い方向にファンに影響を与えていますか?そしてどのようにドラマがもたらした名声と向き合っていますか?
A:えっと、私はそれが大好きなの!(笑)真面目にいうと、“名声”という言葉は私が頼って生きているものでは全くありません。私は一つの仕事をしていて、それは演じることです。有名になることではありません。幸運なことか、不運なことか、名声は私の世界で最も大好きな演技をする事と共についてきます。名声はたくさんのネガティブなことと、ポジティブな面があります。でも良い面の一つはユニセフ親善大使になれたことでした。素晴らしいメッセージを拡大するために利用できるプラットフォームです。青少年に力を添えることができるので。今は子供達の権利をサポートしていて、男の子と女の子が彼らに値するものを得て、夢を果たせるように教育や綺麗な水、ワクチン、安全に家族と暮らすための家などの援助をしています。それが私が熱心に取り組んでいることで、幸運にもユニセフはそれを全て可能にしてくれます。
Q:あなたとイレブンはどのように結びつけられますか?
A:彼女のもつ強さです。とてもパワフルだけど、とても弱くもあるの。
Q:ウィノナ・ライダーから若いキャスト陣に演技のアドバイスはありましたか?もしくはハリウッドで成長するためにどうすればいいかなど。
A:私たちは間違いなく似たような経験をしています。それほど多くのアドバイスは受けていませんが、彼女はかつて子役でしたからね、私たち若いキャストを共感させてくれるような。同じことを経験していましたからね。
Q:このドラマが提唱する愛とは何ですか?
A:『ストレンジャー・シングス』ではマイクとイレブンが発展させるラブストーリーがあって、他のタイプの関係もたくさんあります。愛は求めれば何だって愛になります。
Q:あなたとキャストとの関係はどうですか?
A:あー、悪かったわ、彼らはとてもうるさかったの!(笑) 私は毎日この質問を受けるの。私が言えることは、親友たちと仕事ができてとても幸運ということ。シリーズの中だけでなく、彼らと一緒に経験したこと全てです。授賞式に出席した時でさえ安心させてくれました。一人では耐えられません。不安になった時に彼らを見て、“私と同じこと感じてるよね?”って言えますね。それが私たちがお互いに近い存在でいられる理由です。毎日はお互いに話さないんだけれど、時々数ヶ月間話さないことでさえあるけれど、会った時に話すとまたすぐに元に戻ります。例えば、(ウィル役)ノア・シュナップには5ヶ月会わなかった、それからある日会ったの。そしたら“ハーイハーイハーイ”って感じで、おかしな感じでした!(笑)
Q:セットで起こった最も奇妙なことは何ですか?
A:ノアが椅子にハマったの!えっと、どうやったら椅子にハマる?私にはとても奇妙でした。
Q:イレブンは能力を使って他の人が何をしているのか覗くことができます。もしあなたなら誰にその能力を使いますか?
A:私の妹が今何をしているか見たいです。彼女はしょっちゅう何か違うことをしているんです。ビデオゲームをしてたり、学校で新しいことを学んだり。それから私のペットもチェックしたいなぁ。亀を飼っていて、彼らが何をしているか見てみたいなぁ!(笑)
Q:マイクとのキスに備えて何をしていましたか?
A:準備は全くしてませんでした。つまり、私たちは役者です。私たちがしなければいけないことが台本には書かれています。はい、気まずいです、だって私たちはまだ15歳だから。だから、“わかった、しちゃおう”って感じではなく、“えっえぇ、わかった。今私たちは何をしているの?何してるのか分かんないや。”って感じなんです。それは現実のようでした。ほんとに誰も何をしてるのか分かってないような。1日の終わりになると、ただの仕事だったんだなってなります。でもそれには他の見方があります。ファーストキスをスクリーンで見せられるのはクールです。だから私は人々に見せつけました、“ヘイ、これが私のファーストキスよ!”って感じでね。
Q:ホッパー役のデヴィッド・ハーバーとの関係を話していただけますか?
A:デヴィッドは私のお気に入りの一人です。とても才能に溢れています。毎日彼から新しいことを学んでいました。だから彼はこの惑星の全ての賞に値します。私が信頼を寄せる人でもあります。今シーズン、ホッパーとイレブンの関係は私のお父さんとの関係に似ています。それはとてつもなくありのままで感情的なものです。ホッパーは前のシーズンで彼女を養女にします、だからイレブンの名前は今ではジェーン・ホッパー、それは最高にキュートなこと!もうじき、ジェーン・ウィーラーになるだろうけどね!(笑)
Q:シーズン3で最も挑戦的だったことは何ですか?
A:最新シーズンの8ヶ月の撮影を終えてから5回声が出なくなりました。ある日私はロンドンにいて、追加の録音のため私を現場に戻してシーンを撮り直しました。再び叫ぶ必要がありました。撮影中にもたくさん叫んだんですよ。
Q:あなたのキャラクターはシーズン1からシーズン3でどのように成長しましたか?最新シーズンでお気に入りのシーンがいくつかありますか?
A:イレブンは彼女のスタイルから様々な違う方向で成長しています。それは人としても。声やボキャブラリーも。私はまだシーズン3を見てません。私のお父さんは全部見たけどね。
イレブンのキャラクター像
超能力が使える子供といえば思い当たる映画がいくつかある。
ドラマの核となる“イレブン”というキャラクターはどのように出来上がったのだろうか。
キャリー(1976)
1976年11月3日全米公開
ブライアン・デ・パルマ監督が斬新な映像描写で奇妙さと恐怖を演出。
原作は“モダンホラーの帝王”スティーヴン・キングの同名処女作。
サイコキネシスを操れる孤独な少女が主人公。
シーズン1第5話でイレブンがマイクと喧嘩するルーカスを見て、叫んで怒りに任せてルーカスを吹っ飛ばすところはキャリーそのものだ。
終盤のプロムシーンでは、同級生が仕掛けた豚の血を全身に浴び怒り爆発。
そこでの無差別殺人シーンは中々の見応えである。
シーズン2でゲートを閉じるため全ての力を注ぐイレブンと重なる。
しかしスノーボウルでキャリーのような展開にならなくてよかった。
その他のオマージュとしては、シーズン1第6話にてナンシーの手が突然木から飛び出てくる演出は本作の有名なラストシーンを基にしている。
スキャナーズ(1981)
1981年1月14日全米公開
ある日スキャナーと呼ばれる能力者たちが博士により召集される。
その能力を利用し、世界征服を企む悪いスキャナーを倒すためチームを組まされる。
スイカが破裂するように血しぶきをあげて頭が爆発するシーンが本作のハイライトだ。
能力者ではなくスキャンされた人間が鼻血を出すというのもイレブンとは逆だが通ずるものはある。
また、スキャンした人に幻影や錯覚を見せることのできる能力はカリ(008)のものと重なる。
さらに、本作の主人公と世界制服を企む敵は実の兄弟であり、博士は彼らの実の父であることなど、血縁関係はないがイレブンとカリとの姉妹的関係性、そして“パパ”と呼ばせていた父親の存在にあたるブレナー博士への影響が見受けられる。
山賊のむすめローニャ(1981)
1981年に発売されたスウェーデンの児童文学作品。
山賊の娘ローニャと少年ビルクは、それぞれ敵対関係にある山賊の首領の子供であった。最初は嫌悪感を示していたが、次第に仲を深めていった2人が山賊間の対立を止めようとする物語。
1984年にはスウェーデンとノルウェーが製作した映画も公開されている。
2014年には宮崎駿の息子である宮崎吾朗によってテレビアニメ化された。
シーズン2でのイレブンの髪型はこの本の表紙のイラストを参考にセットされた。
とはいっても、イレブン役のミリー・ボビー・ブラウンはもともと癖毛ではあったという。
『ストレンジャー・シングス』でヘアスタイリストを務めるサラ・ハインズガリアが語る。
「それは森に住んでいる小さな女の子の話で、私が子供の時から刷り込まれたその本の表紙が素晴らしくて。(シーズン1撮影終了から)4ヶ月空いた時に、私は(イレブン役)ミリーにその本を送りました。」
シーズン2第7話でイレブンは“パンクエル”へと変貌を遂げてたくましくなるので、それまでは子供に見えるような髪型を心掛けたという。
炎の少女チャーリー(1984)
1984年5月11日全米公開
シーズン3の最後に登場するビデオレンタルショップのフロントガラスのところに貼られているポスターのうちの1つが本作。
この作品も原作はスティーヴン・キング。
少女が睨み付けるとその対象が熱を帯び燃え上がるという超能力をもった女の子の話。
チャーリー役を『E.T.』でデビューしたドリュー・バリモアが務めている。
シーズン1第8話でイレブンが研究所の職員を睨みつけると彼らの目や鼻から血が出るシーンは本作のオマージュ。炎の代わりに血が溢れ出す。
『炎の少女チャーリー』のチャーリーの父親は念力で人の心を操れる能力の持ち主。
彼がその能力を使うとイレブンと同じく鼻血が出る。
また、使いすぎると能力が薄まっていく。これはシーズン3の最後のイレブンと同様。
さらにこの父親は相手に幻覚を見せることもできる。これはシーズン2で登場した008ことカリと同じ。
チャーリーの両親は研究所の実験に参加して能力が芽生えた。イレブンらと同様に。
チャーリーには炎を生み出す能力以外に、母から受け継いだ透視能力もある。そのためイレブンのように離れた場所にいる人の行動が見える。
チャーリーの父親が念力でテレビのチャンネルを変えるシーンは、シーズン2第2話でイレブンが同じことをしている。ただし前者は鼻血を垂らすが、イレブンはこれくらいで鼻血は出ないようだ。
本作は、研究所での実験の一部始終を世間に暴露すべく「ニューヨーク・タイムズ」のビルに入るところで終わる。
これはシーズン2の最後で、マレーがナンシーとジョナサンから預かった研究所の極秘情報を喋った内容が録音されたテープを公表したことに通ずる。
AKIRA(1988)
1988年7月16日全国公開
1989年12月25日全米公開
日本の名作アニメも影響を与えている。
第3次世界大戦後の2019年の東京が舞台。翌年にはなんと東京オリンピックを控えているという今現在と重なる点もある。
超能力を持つ者たち、研究所の存在、超能力を持つ鉄雄との戦いなど『ストレンジャー・シングス』を彷彿とさせる場面が多々ある。
鉄雄は被験者として“28号”と呼ばれているが、これはイレブンが“11”と番号で呼ばれていることに影響を与えている。
鉄雄の膨張シーンはトラウマになるほどのインパクトがある。
ネオン輝く街並みは『ブレードランナー』とそっくりだ。
それぞれの連載開始と公開が1982年で舞台が2019年というのは偶然の一致なのか。
エルフェンリート(2004)
岡本倫が手がけたマンガで、
2002年から2005年まで『週刊ヤングジャンプ』にて連載されていた。
神奈川県鎌倉市が舞台。
2004年にアニメ化され世界中で人気を得ている。
同年の『AnimeReactor Community Awards』にて“最優秀オープニング/エンディングコンビネーション賞”、“最優秀ドラマ賞”、“最優秀スリラー賞”、“最優秀ファンサービス賞”を受賞し、主人公のルーシーは“最優秀女性キャラクター賞”を受賞。
2009年度フランスで開催された『Japan Expo』において、ファンのネット投票による日本の人気アニメ・漫画作品などを決める『JAPAN EXPO AWARDS 2009』の“最優秀オリジナルアニメ賞”を受賞した。
人間の遺伝子の突然変異によって生まれた2本の角と、サイコキネシスのような“ベクター”と呼ばれる特殊な能力を持つ女性型ミュータントのルーシーが主人公。
彼女が能力を使うと、対象者は爆破するかのように血が溢れ出し即死。
まさにアニメ版『スキャナーズ』。
能力を持つ彼女らは“ディクロニウス”と呼ばれ、国立生態科学研究所に国家レベルでの極秘機密として隔離され研究されている。
イレブンとルーシーは能力と境遇面で似ている。
イレブン同様に被験者のディクロニウスは番号で呼ばれている。
その中の“7番”は研究所の室長の蔵間のことを“パパ”として慕っている。
シーズン1第3話、実験でイレブンに猫を殺させようとするが彼女は殺せなかった。
これは人間は平気で殺すが、何があっても動物は傷つけない主人公ルーシーからの引用。
同じく第3話でナンシーの部屋に入ったイレブンがオルゴールを開けて音楽が流れるシーンがあるが、本作でもオルゴールが主役のルーシーとコウタを繋ぐ重要なアイテムとして登場する。
ドラマのオルゴールは“Johannes Brahms”の『Brahm’s Lullaby 』、アニメのオルゴールは主題歌にもなっている『LILIUM』。
後者はイタリアを始め世界中の教会で讃美歌として歌われている。
ぼくのエリ 200歳の少女(2008)/モールス(2010)
2008年に公開された名作スウェーデン映画も影響を与えている。
本作の女の子はヴァンパイア。
学校でいじめられる主人公の男の子が、隣の部屋に引っ越してきた彼女に惹かれていく。
いじめっ子に対して女の子が代わりに復讐してくれる姿は、シーズン1第6話でエルがいじめっ子からマイクとダスティンを救ってくれたシーンに取り入れられている。
ヴァンパイアなのでエルのように鼻血だけではすまない。
本作の二人はずっと側に感じていたいため、モールス信号を覚え壁をノックしてやりとりをする。
必要な時に備えて覚えておこう。
直接的にはホッパーとエルだが、シーズン2でトランシーバーを使ったマイクとエルのやりとりにも重なる。
何よりシーズン1でエルを家に迎え入れたマイクが、迎えられないと家に入れないヴァンパイアのしきたりを自然に躊躇なく行っている。
そして彼らの絆が愛へと変わっていくのは同様である。
シーズン1第6話ではマイクが地下室でルービックキューブを持っているシーンがあるが、ルービックキューブは本作で重要な役割を果たす。
オスカーとエリの初対面のシーンで、彼が家の前の公園でしていたルービックキューブに彼女が興味を持ち話しかけるきっかけになる。
それを彼女に貸し、明日ここで会おうと約束する。
優しいオスカーの性格がマイクに被り、社会を知らないエリがイレブンと被る。
ぜひともクロエ・グレース・モレッツ主演のハリウッドリメイク版と見比べてご堪能いただきたい。
個人的にはオリジナルが圧倒的に好き。特にラストのプールシーンは最高に美しく儚い。
Beyond the Black Rainbow(2010)
こちらは残念ながら国内版ソフトは製造されていない。
1983年を舞台に、暴虐的なナイル博士がエレナという若い女性のもつ念力とテレパシーの能力を研究する物語。
彼女が浴槽に浮かぶシーンもある。
そして彼女は研究所を逃げ出し博士に追われるという。
ダファー兄弟のうちロスは見ていないが、マットは本作を鑑賞し、ドラマを製作するにあたり彼が影響を受けた可能性が大いにあるとロスは述べている。
タイトルの“虹”繋がりでいうと、イレブンとカリが収監されていた“レインボールーム”がドラマには登場する。
虹が“多様性”を意味するのなら、それはエルやカリなど“特別な能力を持つ者たち”のことを意味している。
マッド・マックス 怒りのデス・ロード(2015)
ミリー・ボビー・ブラウン(イレブン役)はオーディションの時に髪の長さが肩くらいまであった。
しかしイレブンは坊主頭と書かれていたことに、彼女と両親はためらったという。
「醜くならないかしら?」「他の役を受けようか?」
と不安がよぎる。
そんな中、幸運なことに本作が公開しようとしていた。
そこでダファー兄弟は、雑誌に載っていたフュリオサ役のシャーリーズ・セロンの写真をミリーに見せた。
「シャーリーズはめっちゃイケてるだろ?君もイカしてるように見えるよ。」
それに同意したミリーは坊主にしたのであった。
サイボーグ009
原作は1971年に『仮面ライダー』を生み出す石ノ森章太郎。
1964年7月19日『週刊少年キング』にて連載開始。
1968年4月5日~9月27日 全26話のアニメシリーズ放送。
私も2001年にテレビ東京で放送されていたアニメはリアルタイムで鑑賞していた。
その後も大人になってからも見返したほど好きな作品だ。
あらすじと登場人物をみていただくだけで『ストレンジャー・シングス』との共通点もわかるだろう。
主人公の少年・島村ジョーは、少年鑑別所からの脱走中、謎の男たちに捕らえられサイボーグに改造された。世界の影で暗躍する死の商人「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」が、画期的な新商品・サイボーグ兵士の試作品にするため、素材集めの場に偶然居合わせたジョーを選んだのだった。しかし、彼よりも前に世界各国から強制的に集められ改造されていた8名のサイボーグや、そして自分たちを改造したギルモア博士からブラックゴースト団の真の野望を教えられたジョーは、彼らと共にブラックゴーストを脱走する。
引用:Wikipedia
登場人物
009 = 島村ジョー
日本出身。「加速装置」というスピード力を高める能力の持ち主。
001 = イワン・ウイスキー
ロシア出身。「天才」の頭脳を持ち、異能の力を使う。
002 = ジェット・リンク
アメリカ出身。「飛行能力」により大空を高速で飛ぶことができる。
003 = フランソワーズ・アルヌール
フランス出身。「超・視聴覚能力」の持ち主である女性。
004 = アルベルト・ハインリヒ
旧・東ドイツ出身。全身に武器を埋め込まれた「人間兵器」。
005 = ジェロニモ・ジュニア
ネイティブアメリカン。「怪力」を誇る。
006 = 張々湖
中国出身。口から「紅蓮の炎」を吐く。
007 = グレート・ブリテン
イギリス出身。体細胞の分子配列を自由に変化させる「変装能力」の持ち主。
008 = ピュンマ
アフリカ出身。「深海活動」に特化した改造を受けており、水中では無類の能力を発揮する。
アイザック・ギルモア博士
ゼロゼロナンバーサイボーグたちに改造手術を施した元「ブラック・ゴースト」の科学者。
イレブンも登場する。
0011
多脚機動兵器型のサイボーグ。円形の本体に6本の脚部という姿で、本体側面に多数のビーム砲、粘着弾発射装置を備える。脚部底面のジェット、もしくは脚部を収納して高速回転することによって飛行も可能である。
ブラックゴーストの野望やサイボーグ同士の争いに興味はないものの、化け物のような醜い姿を心底嫌がっており、自身の肉体を取り戻すことを条件に009たちに戦いを挑む。
“006”を描いた前日譚コミック
エルとカリ以外の実験台にされた能力者、フランシーヌという赤毛の女の子がいた。
彼女のナンバーは“006”。
能力は未来予知。
この公式コミックはダーク・ホース・コミックス社から今年2019年5月29日に1巻が出版されたばかり。
2巻は6月26日、3巻は7月31日、完結にあたる4巻は8月28日に発売予定。
作者はジョディ・ハウザー。
彼女はすでに同社から出版されたコミック版『ストレンジャー・シングス』を著している。
本作ではアップサイドダウンからのウィル視点が描かれている。
物語の舞台は1970年代。
1970年のある夜、フランシーヌと彼女の母は家に帰ろうとしていた。
フランシーヌは突然木が倒れてきて二人を襲うという悪い予感がした。
お母さんを止めるため彼女が叫んだ数秒後、木が倒れ始めた。
それからというものの、彼女の両親はその予知能力を利用し始めた。
1974年のある日、彼女の父は娘に宝くじの当選番号を推測するよう強要した。
しかし彼女は番号をあえて外した。
怒り狂った父親は彼女を叱り、無理矢理当てさせた。
その結果1976年に、新しい家を買い引っ越すことになった。
隣人の少年リッキーと恋人関係になるものの、1977年のある時突然にリッキーが消えていた。
1978年くらいに、彼女はホーキンス研究所にてマーティン・ブレナー博士の監督のもと、実験プログラムに参加。
この研究で予想外なことにリッキーと再会を果たす。
彼も被験者だったのだ。
彼はここが我々能力者にとって最も安全な場所だとフランシーヌに説得する。
というのが大まかなあらすじ。
フランシーヌの予知能力に関してだが、その能力を題材にした作品といえば『デッドゾーン』(1983)。
これまたまたスティーヴン・キングが原作、デヴィッド・クローネンバーグが監督を務めた、事故により未来予知能力が身についた男の物語。
主演の“苦悩顔俳優”ことクリストファー・ウォーケンがいい味出してる。
能力者は最低でも11人はいるのだ。
そして彼らは元からその素質を持ち合わせている、つまり『X-MEN』のような突然変異型ミュータント。
ゲートが開き研究所が崩壊したことにより、カリとエル以外にも脱走したに違いない。
006の運命がどうなるかは現在進行形の物語のため完結編を読まないとわからないが、
今後のシリーズに彼らミュータントが大きく関わってくるだろう。
『X-MEN』との関係性
イレブンの能力はプロフェッサーXとジーン・グレイに類似している。
シーズン1第1話でダスティンとウィルがマイクの家から自転車で帰宅途中に、
コミックを賭けて競争を始める。
一方的にダスティンの私物だけが賭けられウィルはフライング気味にスタート。
その際のコミックが“X-MEN 134巻”。
このコミックはいわゆる“ダーク・フェニックス”について書かれている。
今年映画化もされた話だ。
いや、2006年にもちょこっといじった同題材を映画化している『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』。
しかし何ともトホホな出来だったが、その後の『フューチャー&パスト』(2014)で仕切り直しに大成功し、“X-MEN映画シリーズ史上最高傑作”となった。
それなのにもかかわらず、再び蒸し返すような形で『X-MEN:ダーク・フェニックス』(2019)を公開。
そのうち観ます!!
ダーク・フェニックスサーガは、1980年に発売された129号から138号で構成される。
X-MENの一員であるジーン・グレイが、宇宙でのミッションからの帰路の途中に太陽フレア放射線にさらされたことによって、テレパシーとテレキネシス能力が最大限に強化された最強のミュータント“ダーク・フェニックス”となり地球を滅ぼしていく物語。
シーズン1最終話での学校でエルがデモゴルゴンを黒板に叩きつけるシーンは、
ダーク・フェニックスがマスター・マインドを処分するシーンに似ている。
他愛もない子供たちのやりとりが、
このあとホーキンスで起きる惨事を予兆しているシーンであったのだ。
なおウィルとダスティンが次に二人きりになるシーンはシーズン3第1話で電波塔をみんなで建てに行った時、最初にマイクとエルが帰り、次にルーカスとマックス、そして最後は二人きりになる。
といった面でもこの二人のシーンは新鮮で貴重だ。
シーズン3第1話でサマーキャンプから帰ってきたダスティンが発明品をみんなに見せる。
最後に見せたのが“セレブロ”という組み立て式の電波塔。
“セレブロ”とは『X-MEN』でプロフェッサーXが使用するテレパシー増幅装置のこと。
この冷凍ワッフルは現在コーンフレークで有名なケロッグが北米で販売している。
ワッフルの他にパンケーキ、フレンチトースト、ハム(ソーセージ)エッグ&チーズサンドウィッチなど様々なバリエーションがある。
それではイレブンの大好物誕生の歴史を振り返ろう。
1932年カリフォルニア州サンホセに、
フランク・ドルサとその兄弟アンソニーとサムが住んでいた。
彼らは家の地下室で熱心に料理の研究をしていたという。
そんなドルサ兄弟は当時普及して間もないマヨネーズを独自の方法で発明。
時代は大恐慌真っ只中、この“100%フレッシュな農場の卵”と“洗練された3つのサラダ油”を使った“EGGO マヨネーズ”の売れ行きは地元で絶好調で彼らの家庭を支えた。
その後ワッフル産業に目を付ける。
彼らは長い間、マヨネーズとバターを北カリフォルニアで販売し続けた。
しかしそんな時、配送エリアに規制がかかってしまい、
彼らの商品は自由にどこへでも送ることができなくなってしまった。
ならば別の商品を開発しようと牛乳と混ぜてワッフルを作ることができる粉末ミックスを製造した。
1938年には、ポテトチップ工場を買収。
そしてすぐさま市場に“EGGO チップス”を出荷。
チップス製造の効率化を図るためフランクは自動ポテト剥き機を発明した。
1950年前半、戦後のアメリカではもはやバターや粉末ミックスは求められていなかった。
簡単な調理で食べられる冷凍食品が当時のヒット商品だったため、
EGGOブランドも冷凍ワッフルを市場に出す必要があった。
しかしワッフルを大量生産するとなると、当時の技術では製造に時間もかかる。
そんな問題をフランクはまたもや自身の発明で乗り越える。
1953年、彼はメリーゴーランドのエンジンを使い、ワッフルを焼く鉄板をたくさん取り付けた巨大な回転式装置を作ったのだ。
それによってワッフルは1時間で1000個以上の製造が可能となり、従業員は決まった時間にワッフルをひっくり返すだけでよくなった。
そんな冷凍ワッフルがアメリカのスーパーマーケットに売りに出されヒットした1953年には、
まだ“EGGOワッフル”とは呼ばれていなく、“フロッフルズ(Froffles)”と呼ばれていた。
これは“フローズン(冷凍)”と“ワッフルズ”を融合させた言葉である。
冷凍ワッフルはその後2年ほどかけて西海岸の朝食のお供になっていった。
1955年、商品名称を“EGGOワッフル”として正式に変更。
1968年、EGGOブランドはケロッグに買収される。
1972年当時の宣伝文句は“Leggo My Eggo(私のエッゴーから手を離せ)”。
現在では“EGGO シリアル”も発売されている。
ワッフルの形をしたメープルシロップの味がするシリアルだ。
私もこれを食べたことがある。
知人からのカナダの土産だっただろうか。
そのまま食べても美味しかった。
ドラマによって販売地域以外でも広く世界で知られることになったEGGO。
イレブンが鼻血を出してまで食べたいEGGO。
お味が気になる方はそれ目当てで北米に行ってはいかが?
生クリームつけて食べたいですね。
ホーキンスに潜む“ナチズム”
ナチズムとは、1933年から1945年まで存在した国家社会主義ドイツ労働者党、すなわちナチスが掲げていたイデオロギー。
ナチスといえば今なお映画やテレビ、本などメディアで取り上げられることも多い。
なぜ卑劣極まりない集団がそんなにも話題にあがるのか。
それはナチスが行ってきた行為の数々があまりにも膨大な資料で残っているため、いくら調べようが題材にしようがキリがないのだ。
ネタの宝庫だ。
『独裁者』(1940)や『アイアン・スカイ』(2012)、『帰ってきたヒトラー』(2015)のようにコミカルに皮肉るもの、コメディチックだが悲惨な現実が待ち受ける『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998)、ナチスとレジスタンスを勧善懲悪には描かなかったヴァーホーベン監督作『ブラックブック』(2006)、子供目線で描く『縞模様のパジャマの少年』(2008)、収容所での様子を1人称視点で描いた『サウルの息子』(2015)、ユダヤ人がナチスに復讐するタランティーノ監督作『イングロリアス・バスターズ』(2009)、そして『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004)など様々なジャンルと視点で描かれてきたナチス。
今や滅びた“究極の悪”だからこそ多種多様に扱える。
ホーキンス研究所で人体実験を繰り返すブレナー博士を筆頭にした研究員はナチスとして、“00ナンバー”のタトゥーを掘られ隔離された被験者はユダヤ人のように描かれている。
それと対比するカタチでシーズン3に登場するのがソ連の研究員であるアレクセイ。
彼はゲートを開くという上からの命令のもと動いているだけだ。
話が展開するうちにアレクセイの人柄の良さがわかってくる。
なんてお茶目なんだ。
果たしてナチスで虐殺や人体実験を行なっていた人らを単純に“悪”と分類できるのか。
もちろんこのような考えをするとそんな気はさらさらないにしても、犠牲者を侮辱していることになるかもしれない。
しかし同じ人間が、家族や恋人を愛し真面目に働く人々が、そのような残虐行為をしていることに“恐怖”を感じる。
シーズン2第7話に登場する元研究員の太ったおじさんはホーキンス研究所で電気療法を担当していた。
現在はナチの残党のように捕まらないよう逃げているが、家に帰れば二人の娘の父親だ。
また、イレブンの人生にとってブレナー博士は“パパ”なのだ。
実験材料としてしか見ていない博士に対して、イレブンは博士に対してわずかかもしれないが愛情をもっている。
きっと本格的に実験に利用される年齢になるまでの間は、研究所でブレナー博士にお世話されていたのだろう。
彼はタダのクズかもしれないが、それは彼自身のバックグラウンドを我々が知らないだけで、見えている範囲でその判断を下しているだけにすぎない。
何も犯罪者に同情を抱けとかそういうことではなく、
“普通の人”こそいつ悪に転んでもおかしくないということ。
少なくとも『ハロウィン』のマイケル・マイヤーズのように小さい頃からイカれていたわけではなかろう。
だからこそナチスという“悪”は様々な見方ができる。
そして人間と“悪”との境界線はどこなのか、踏み込む要因となる要素は何なのだろうかと哲学的疑問を感じずにはいられない。
ブレナー博士を演じた俳優マシュー・モディーン
1959年3月22日カリフォルニア州ローマリンダ生まれ、現在60歳。
1983年7月29日全米公開の女子校の生徒と近くの男子校の生徒との恋愛を描いた『プライベートスクール』では、なんとシーズン3で話題にあがる主演のフィービー・ケイツの相手役を務めている。
奇妙なつながり…いやこれも全てダファー兄弟の計算通りなのか。
1984年の『バーディ』ではニコラス・ケイジと共演し、ベトナム戦争から帰ってきて精神に異常をきたしてしまう難役を好演。
そして1987年にはスタンリー・キューブリック監督作『フルメタル・ジャケット』でベトナム戦争に出向き戦争の狂気に翻弄されるアメリカ兵を演じた。
戦争によって人格が変化してしまうという印象的な役を演じてきた彼が、
ドラマでは人格を修正する側に立っていることは奇妙ながらも凄く興味深い。
マイク・ウィーラー(演:フィン・ウルフハード)
マイク・ウィーラー
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
エルとは恋人関係。
友達思い。誠実。勇敢。
ウィルとの出会い
幼稚園で初めて出会う。
入学初日、一人ぼっちでブランコに乗っていたウィルに声を掛け、
「友達にならない?」と聞くと、
ウィルは「うん」と答えた。
これがマイクにとって最高の瞬間となったことがシーズン2第8話で語られる。
好きな映画
マイクの地下室には『遊星からの物体X』(1982)の他に、『ダーク・クリスタル』(1982)のポスターが貼られている。
前者は後ほどたっぷりと語っているので、後者について説明しよう。
『ダーク・クリスタル』は1982年12月27日に全米公開された。
3つの太陽が1つになる前に、1000年前に砕けたクリスタルを元に戻さなければ世界が悪の手に支配さ
れてしまう。そこで選ばれし少年がそれを阻止しようとするファンタジー・アドベンチャー。
マペット(マリオネットとパペットを組み合わせた造語)の生みの親であり、『マペット・ショー』を創り、『セサミ・ストリート』にも参加したジム・ヘンソンと、『スターウォーズ』のヨーダの声優としても知られるフランク・オズが共同で監督を務め、マペットとアニマトロニクスが併用された。
本作とヘンソンが監督を務めた『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986)は、“2大マペット映画”として語り継がれている。
まさに『指輪物語』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』が大好きなマイクが夢中になって当然な作品なのである。
本作の前日譚になるドラマが2019年8月30日より全世界同時配信される。
電卓つき腕時計
マイクがつけている電卓つきの腕時計は“Alpha Calc Chrono”というものみたいだ。
しかし計算機なんかついていたらテスト中にカンニングを疑われてしまう。
私も小学生の時、無駄に赤いレーザーが出る腕時計を所持していたが、男の子はどうやらそういった特殊な機能のついたものが好きなようだ。
レーザーよりは計算機の方が断然利便性はあるが。
フィン・ウルフハード
2002年12月23日カナダ、バンクーバー生まれ、現在16歳。
シーズン1の時は幼い容姿だったが、あっという間にあどけなさがなくなった。
16歳にして身長は170cm超え。
俳優デビューは一般公募で役を得てゲスト出演した海外ドラマ『The 100』。
“Calpurnia”というロックバンドを組みボーカルとギターを担当している。
インタビュー
2019年6月25日のインタビュー
Q:『ジョーズ』のポスターが貼られていたけれど、ドラマ開始時点で『ジョーズ』を観たことはありましたか。
A:ありますよ。キャスティングされる前から映画オタクだったからね。
ダファー兄弟がドラマの参考にしてもらうよう勧めてきた映画は全て見てました。
『スタンド・バイ・ミー』に『ジョーズ』、ジョン・ヒューズの映画は全て観ました。
Q:何歳の時に『ジョーズ』を観ましたか?ドラマは数年前に撮られてますので、おそらくかろうじてティーンになったばかりですよね?
A:はい、(撮影は)13歳の時でした。
『ジョーズ』を観たのは10歳の時です。
Q:誰が10歳の時に見せたんですか!?
A:家族ですよ!みんなで『ジョーズ』を観て、最高だと思いました。今ではホラー映画と思わないくらい笑えるんだ。傑作だと思います。
Q:今まで経験した中で最も怖かったことは何ですか?
A:ちょっと考えさせてください。
Q:誰もこのこと聞かなかった?
A:いいえ!えっと、『ストレンジャー・シングス』シーズン1公開時に危険を感じました。13歳の時、『IT』をトロントで撮影していました。アパートに帰ろうとしていたとき、二人組みがついてきたんだ。これはまずいなと思いつつも僕は自分家のドアの前まで着いたんだ。すると彼らは「写真撮ってくれる?」と言ってきて、僕はこんな感じで言い返したのを覚えてる、「嫌です!あなたたちはただ僕の家に着いてきただけじゃないか。僕がどこに住んでいるかを知っているんですよ。」とね。
Q:あなたの最も怖いことは名声を得たことですね。
A:その通りですね。もし有名になることが快感であると感じている人がいるなら、彼らはサイコパスです。
Q:暗くてホラーな質問ばかり聞かれているかと思います。最近ポップカルチャーであなたを特に幸せにしたものはありますか。
A:『リトル・ミス・サンシャイン』を見直しました。完璧なインディー映画というか完璧な映画でした。あと『ハロルドとモード』という70年代の映画を観ました。最高にいい映画に感じました。とてもクレイジーだったけれど。
Q:『ハロルドとモード』をよく感じたの?私は多分ほろ苦いように思うかな。“死”について描いているしね。
A:そうですね、でもとても笑えました。誰かにオススメしたいです、死の恐怖から救ってくれるので。
ウィル・バイヤーズ(演:ノア・シュナップ)
ウィル・バイヤーズ
1971年3月22日生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
イライジャ・ウッドにそっくりだ。
ウィノナの小さい頃にも似ている。
ナイスなキャスティングです。
マインド・フレイヤーがウィルを選んだ理由
【ウィルの1回目のD&D症状】
シーズン3第1話、キッズが丘に電波塔を建てに行った時の事。
マイクとエルは先に帰ってしまう。
ウィルも行くのが面倒臭くなって「D&Dがしたい。」とつぶやく。
そう彼はD&Dに憑りつかれてしまったのだ。
そして憑りついたといえばシーズン2のマインド・フレイヤー。
ここからは推測でしかないが、奴は完全にはウィルから撤退していなく、彼の首に潜在意識を埋め込むことに成功。ウィルが時おり首を気にするのもその影響。
そして他のキッズは大人への道を歩もうとしている中、ウィルは童心を忘れていない。
むしろ恋なんて気持ち悪いと言うではないか。
これは完全にマインド・フレイヤーの仕業だ。
奴がわずかな力でウィルの純粋な心を抑圧し、コントロールしているのだ。
言い換えると、わずかな力でさえ操れるほどにウィルは“純粋”なのだ。
彼の髪型が中3だっていうのに変わらないのも辻褄が合う。
あれは変化を拒んでいる証だ。
後述の“シーズン3に寄生した映画”の項目でも述べているとおり、寄生する側にとって“純粋な心”の持ち主は、カビが繁殖しやすい湿気の多い場所のようなところ。
マインド・フレイヤーはその逆で、熱が弱点で冷え込んだところが好むのだが。
ウィル役に他のキッズの中でも最年少のノア・シュナップが抜擢されたのも納得できる。
ダファー兄弟とって他の子役が成長しようと構わない、むしろ成長してウィルと見た目で成長の違いの差を出したかったのだろう。
しかしやはり子供の成長など予測はできない。
シーズン3撮影時にダファー兄弟はノアに「もう少し声を低くできないかい?」とお願いしたそう。
これは一見ただの笑い話だが、彼らにとっては少し想定外で悩みの種だったのかもしれない。
【ウィルの2回目のD&D症状】
マイクの家の地下室で、マイクとルーカスが恋愛討論中に1人黙々とD&Dの準備をするが結局2人は参加せず。
「僕はここにいるよ~。」
これもまたマインド・フレイヤーの作戦。
仲間との関係を崩していき、ウィルを一人にして孤立無援にするのだ。
【ウィルの3回目のD&D症状】
そろそろ症状が出る時間かな?
はい出ました。
ショッピングモールでマイクのお買いものに付き添いつまらなさそうにしているウィル。
そりゃ症状でちゃう。
なおこの時はマイクに「無理」と言われる。
【ウィルの4回目のD&D症状】
もはや空気を読めないほどにD&Dがしたいウィル。
エルにマイクがフラれた場面の直後にだ。
なおこの時はルーカスに「無理」と言われる。
無視しないだけ優しい。
【賢者ウィルの5回目のD&D症状】
第3話では“賢者”となって早朝に現れたウィル。
ついに我慢の限界だ。
マイクとルーカスを大音量の音楽で目覚めさせる。
これは想定外!
マインド・フレイヤーですらもはやお手上げ。
ウィルは単にD&D中毒になってしまっただけなのだ。
ヤツの弱点に“D&D”が追加された瞬間であった。
そしてマインド・フレイヤーは諦めてビリーに寄生するのであった。
ダンジョンズ&ドラゴンズ
通称D&D。
ダスティン&ダートではないぞ。
さすがにプレイ方法を詳しく書き記すと、とんでもないことになるので『ストレンジャー・シングス』との関係性を述べていこう。
『ダンジョンズ&ドラゴン』は1974年に発売された世界初のテーブルトークRPG。
プレイヤーは、まず人間、エルフ、ドワーフ、戦士、魔法使い、僧侶、盗賊などの種族を選択する。
シーズン1第1話でキッズは10時間もプレイしていた。
設定の物語は2週間かけて作ったとマイクが述べている。
デモゴルゴンは“悪魔の王子”と呼ばれるほどにD&D史に残るモンスターである。
身長は5.5mもあり、爬虫類または水陸両用で雌雄同体である。
蛇のような首は2つに分かれ、マンドリルのような2つの顔をもち、腕は長くてタコのようである。
それぞれの頭は個々の精神をもっていて、互いに気が合わない。
ちなみにデモゴルゴンフィギュアは1984年に発売されたため、シーズン1の1983年には存在しない。
シーズン2第8話でダスティンがD&Dの解説書から引用。
“他種族の脳を超能力で乗っ取り奴隷にする”
“ヤツらは他の種族が劣っていると思っている”
その際、スティーブがナチスに例えている。
“倒し方はアンデッド軍団を召喚すること”
頭部がタコ、口はヤツメウナギに似ており4本の触手がある。
この触手と口を使い、獲物を捕らえ脳を摘出して食べる。
デモゴルゴン同様に雌雄同体であり、一生に2、3度ほど卵を産むことができる。
1983年から1985年までアニメ化され、全27話でシーズン3まで放送された。
まさに『ストレンジャー・シングス』と同時期である。
D&D中毒のウィル以外はシーズン2で離脱していそうだが。
シーズン1第5話で、劇中でアップサイドダウンのことを説明する時に、ダスティンがD&Dの“影の谷”から引用している。
“現実世界の暗い影であり鏡像である。そこは死と腐敗の地。異次元の世界。怪物の住みか。そばにあるが見えない。”
シーズン5がもしも2000年が舞台なら、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(2000)の映画をウィルが観に行くシーンがあるかもしれない。
「D&D観に行かない?」
断られて一人で観に行くウィルが想像できる。
そしてこの映画のせいで彼はD&Dから正式に卒業するのであった。
ノア・シュナップ
2004年10月3日アメリカ、ニューヨーク生まれ、カナダ国籍、現在14歳。
『ストレンジャー・シングス』のキッズの中では最年少。
5歳の時にブロードウェイミュージカル『アニー』を観て役者を志す。
8歳の時に両親が彼を子供劇団に参加させる。
2015年、『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』でチャーリー・ブラウンの声を務める。
ちなみにミリー・ボビー・ブラウン(イレブン役)の兄の名前はチャーリー・ブラウン。
俳優デビューは同年のスティーヴン・スピルバーグ監督作『ブリッジ・オブ・スパイ』。
トム・ハンクス演じる役の息子役に抜擢。
2016年に出演した“Panic! at the Disco”のミュージックビデオ『LA Devotee』では、シーズン2の取り憑かれたウィルと似たような役柄を演じている。
ノアは女優のゼンデイヤ(『スパイダーマン・シリーズ』、『グレイテスト・ショーマン』)の大ファン。
2018年に『MTVムービー・アワード恐怖演技賞』を受賞した際、
登壇してすぐに会場にいた彼女に向かって“Hi Zendaya!”と挨拶をしたほど。
キャストやスタッフ、両親よりも先に彼女に挨拶したのだ。
彼女の横にはボーイフレンドもいるじゃないか。
とはいってもノアはまだ14歳、そしてゼンデイヤは22歳。
彼女にとっては可愛い弟のような存在か…みたいなゴシップ記事のような締め方をしてしまいました。
インタビュー
2017年のROW誌のインタビュー
Q:どのように俳優業界に入ったのですか。あなたはまだ12歳なんですね!
A:6歳から8歳まで演技クラスを受講してました。先生が「あなたはプロでやるべきです」っ言ってきました。でもそれが僕には理解できなくて、もっと難しいクラスとかのことかと思っていました。だからその時かな。初めてのオーディションはケンタッキー州とかで教育関連の音声本のためのものでした。それを続けることになって、凄く楽しかったです。
Q:と言うことはあなたは本のお仕事から始まったのね!
A:そうですね。1週間に4回チェイスバンクやマクドナルドのコマーシャルのために都市部に行ったのを覚えています。それから映画のオーディションを受け始めて、最初の映画はスピルバーグとトム・ハンクスの(ブリッジ・オブ・スパイ)で、それは最高にクールでした。彼らは僕に基礎を全て教えてくれて、僕はそれを繰り返しました。『ストレンジャー・シングス』のオーディションも覚えています。(当初の撮影地予定だった)モントークでしました。その時ものすごく頭が痛かったんだ。雨が降っていて、全身が濡れて足首は土まみれ。とても疲れていました。“あー、(頭痛を)治してください”って思いながら帰宅して、“あぁ、全然ダメだった、もっと上手くやるべきだった”って感じでした。それから電話をもらって、結局僕の最初のテレビドラマになりました。
Q:『ストレンジャー・シングス』の初めての原稿はどう思いましたか?今までで最高のテレビドラマになると思いましたか?
A:いいえ(笑) 僕はただ読んで、そんな感じの物語なんだくらいにしか思いませんでした。誰一人そんなことになるとは思ってませんでした。“オッケー。僕らはこれをするんだね。1シーズンで終わって、少数の人が見る程度なんだろうなぁ。”って感じでした。だって何の看板も広告もなかったから!
Q:そのような若い年でプレッシャーを感じることはありますか?圧倒されていますか?
A:間違いなく圧倒されています、でももし楽しくなかったら、やめていたと思います。それは僕が必要としている仕事ではなかったんだってね。僕はそれをただ楽しむためにやっていて、もしそうではなかったらやめます。
Q:あなたがこれまで学んだことをファンに教えてあげてください。
A:えっとこの俳優業界は、とても競争率が高くてチャンスも少ないです。僕はこんな大きなドラマに出れてラッキーです。99%の人が諦めたポイントで踏ん張ったら、チャンスを作ることができ、どこにでも進めます。踏ん張り続けて絶対に諦めないことです。“絶対に諦めない”っのはとてもありふれた言い方だけど、僕がいつも従っている偉大な言葉です。
Q:ドラマを通して出会った80年代カルチャーは何かありますか。
A:僕の両親はいつもVHSについて教えてくれました。あとみんな持ってたウォークマンとかね。僕は撮影に入るまで見たことさえありませんでした。
ルーカス・シンクレア(演:ケイレブ・マクラフリン)
ルーカス・シンクレア
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
『エクスペンダブルズ』の起源はルーカスが愛するヒーマン
ルーカスのお気に入りの『ヒーマン』について説明しよう。
ヒーマンは1982年にマテル社が発売したフィギュア。
シーズン2第5話で、ルーカスの妹エリカが勝手に兄の部屋に入り、
ベッドに置いてあったヒーマンを盗み出し、第6話でバービー人形とキスさせていたあのフィギュアだ。
アーノルド・シュワルツェネッガーが主演した『コナン・ザ・バーバリアン』(1982年5月14日全米公開)のキャラクターに似ているが、当時のデザイナー、ロジャー・スウィート氏は否定している。
企画は映画公開2年前の1980年後半に始め、制作は1981年に始まり、マーケティングは1982年からというのがマテル社の言い分。
しかしその後、(コナンの権利を持つ)コナン・プロパティーズ・インターナショナルに著作権違反で訴えられたがマテル社が勝訴した。
1983年9月5日からアニメシリーズ『ヒーマン・アンド・ザ・マスターズ・オブ・ジ・ユニバース』の放映がスタート(1985年11月21日終了)。
ちなみにルーカスのベッドの上でヒーマンの隣にいたフィギュアも、このアニメに登場するキャラクター、“マン・アット・アームズ”という御方。
シーズン1第3話でマイクの家でお留守番しているイレブンが、テレビをつけるとこの番組が放送されていたがすぐに変えられた。
ちなみに1987年の実写映画版『マスターズ/超空の覇者』で主演を務めたのは、1985年の『ロッキー4/炎の友情』の次の出演作品となり、これが映画初主演のドルフ・ラングレン。
スタローンと共演してから、“シュワルツェネッガーモドキ”をラングレンが演じるとは…この時代から『エクスペンダブルズ』への連鎖が始まっていたのですな。
ルーカスのキャップと“かぶれる”ことの重要性
シーズン3のルーカスが被っているキャップは、イタリアのサイクリングチームの“Ariostea”。
1984年から1993年まで実在したチーム。
チームAriosteaには、Ceramiche Ariosteaという企業のスポンサーがついていた。
この企業は大理石や石、磁器、木材、陶器製の床や壁などの建築資材を製造していた。
そして1984年から1993年までメインスポンサーを務めた。
自社のキャップが登場したことに驚いたAriostera社はFacebookにて、“奇妙なことが起きた。シーズン3第4話で会いましょう。”と投稿している。
なおこのチームが結果を出したのは1986年の『ジロ・デ・イタリア』という大会。
1909年から続き、毎年5月に行われる3週間かけてイタリアの全土を走るステージレース。
通常21のステージがあり、Ariosteraはそのうち2つを制覇した。
ここでも改めて思うが、ルーカスは何かと影響を受けやすい子だ。
彼がなぜそのチームのキャップを被っていたのかまでは観客にはわからないが、まぁ単にファンになる魅力的要素があったのだろう。
“ミリタリーグッズ”、“ベストキッド”、そして“自転車レース”。
この“自転車レース”と後述の“ダファー兄弟のインタビュー”により点と点が繋がった。
『ヤング・ゼネレーション』(1979)の主人公のイタリアかぶれの少年をルーカスに受け継がせたのか!
少年時代なんて様々なものに影響受けて“かぶれる”ことが重要だ。
そうして自己形成がなされていく。
良いものにも悪いものにも触れることが大事。
判断は自分ですればいい。
そして強制されるものではなく、結果的に自分から好きになれるものと出会えればラッキー。
人生は失敗の連続であり、成功したとしてもそれが嫌いなことだったり特にやりたくないことだってある。
元々大好きだったものが嫌いになる瞬間が最も切ない。
そうならないためにも色んな経験をして、常に心のドアを“3インチ”広げて風通しよく生きていこう。
『ヤング・ゼネレーション』とは、(ホーキンスのある)インディアナ州を舞台に、大学に進学せず将来が不透明な4人の少年が自転車レースに励む青春映画だ。
最後のレースシーンは何度見てもボルテージ“マックス”!
青春映画の良さは観ていると常に初心に戻れるところにあると感じる。
彼らも中学3年生。
そろそろ将来が気になりだしているころじゃないか。
“少年と自転車”一つにとってもこれだけのエピソードがあるのだから、噛んでも噛んでも美味しいスルメなドラマなのである。
ケイレブ・マクラフリン
2001年10月13日アメリカ、ニューヨーク生まれ、現在17歳。
2012年〜2014年までブロードウェイミュージカル『ライオン・キング』で幼い頃のシンバ役を務める。
バスケットボールとダンスが得意。
ストシンキッズの中で最も表情で演技をしてくるのがケイレブだ。
シーズン3では特に顔芸が多くて凄く楽しませてくれた。
インタビュー
2019年7月14日の『Entertainment』インタビュー
Q:ルーカスはシーズン2からどのように変化したと思いますか?
A:彼はとても変わりました、確実に。ルーカスはより成熟したと感じます。彼は以前とは異なる問題に直面します。成長してそれらにより落ち着いて対処しています、以前なら彼はその事に本当に苛立っていました。そして他の人を頼る必要があると感じていました。それか何もうまくいかないか。彼はほんの少しネガティブで現実的でした。でもシーズン3では彼は自分がどんな人なのかを分かっているように感じますし、何ができるかも分かっています。彼は自分を一人の男と考えており、それがシーズン3ではある種の見せ場になっています。彼はそこで一瞬一瞬を掴んでいます。彼の見た目も明らかに変わりました。自信があるということの反映かな?シーズン3で彼はちょうど思春期のど真ん中にいます。今では彼女がいて、もちろん容姿や服装のチョイスも良くなろうとしています。短すぎる短パンとか、腕を見せたり、色の異なる複数の帽子をもっていたり。マックスがラルフ・マッチオが大好きだと言及したら、ルーカスはラルフ・マッチオの着ていたカラテキッドシャツを着て、彼女が何を好きかを見ていて、それを取り入れて彼女を感心させようとしています。
Q:あなたのお気に入りのシーズン3のパートは何ですか?何のシーンが撮影していて楽しかったですか?
A:最終話のスターコートモールでのバトルかな。あれは最高に楽しかったです。アクションの連続だったから。あとマイクとルーカスがイレブンのためにショッピングに行ったシーンも。あれからイレブンとマックスは男共を抜きにした自立した女性になったんだよね。あのシーンは最高に面白かったです。
Q:スターコートモールでのバトルについて言及しましたが、あなたは訓練を受けたのですか、それともルーカスがスリングショットの使い方を修正したのでしょうか?
A:いいえ、シーズンが続いていった中で、僕は徐々に撃ち方を学びました。そしてルーカスが撃てるように見せたかったんです。もちろんシーズン1では、彼は握力がなかったけど、デモゴルゴンやアップサイドダウンが再び襲ってくると感じたから練習したんだ。でも僕は特に練習はしてなかったです、簡単に覚えてコツを掴みました。
Q:シーズン3の大きな出来事の一つとしてダスティンとスージーが『ネバーエンディングストーリー』を歌うシーンがありますね。そして後にあなたと(マックス役)セイディーがからかって下手に歌う面白い場面がありましたが、あなたたちは実際に歌えるけれども下手に歌うのは難しかったですか?
A:ダスティンとスージーがそれを歌ってる時、僕は“うわぁ、彼らのサウンドはとても聴き心地がいい”って感じました。調和していて、スター性を発揮しています。とても上手く聴こえて、僕らはとても下手に聴こえます。知ってます。それが面白くなるって思ったんだ。どのように歌ったかというと、あの曲を歌っている歌手のモノマネをしようとしました。よくできたと思います。面白かったね。“よし、君らは今日歌うんだ”って言われたのはキツかったです。僕は“OK”って言ったけど。何度も僕らに歌わせました。そして彼らが使ったシーンは僕らが最後に歌った時のものだと思います。
Q:あなたはこれからのシーズンで、ルーカスが真のミュージカル場面を得るのを見たいですか?
A:いいえ、全く。ルーカスは歌手じゃないし、彼は歌えませんよ。僕は彼に歌手になって欲しくないし、彼はただダスティンとスージーを真似しただけだからね。
Q:ルーカスの家族について背景を聞いたことはありますか?
A:えっと、あまりないです。シーズン1の時にダファー兄弟とそのことについて話したのは覚えています。ルーカスは本当にミリタリーものが好きだと感じています。多分彼の家族の一員の1人が軍にいたんだと思います。両親が2人とも一緒にいることは分かっています。多分、彼の家族のことは今後のシーズンがあればそこで明らかになるんじゃないかな。でもシーズン2でちらっと見えて、エリカが初めて登場した時はみんな彼女を気に入りましたね、とても面白かったから。僕の両親との関係は悪くないことも見れましたね。僕らはみんなで座って一緒に朝食をとっていて、僕のママが“まぁあなたはとても可愛いね”的なことを言って、僕はそれが気に入ってるんだ。多くの子供たちが“ママ、やめてよ”って言うんだろうけど。
Q:兄のビリーに起きたことに深い悲しみを感じているマックスを助けることがルーカスの次の大きな責任だとみていますか?
A:間違いないです。彼は彼女のためにそこにいなければいけないでしょう。シーズン3で彼氏として無力のように見えます。だから彼は階級を一つ上げてより成長する必要があります。確実なことは、もしシーズン4があるのなら、僕らは結婚はしていないということ。まだ若いからね。僕はルーカスがその仕方もわからないように感じています。もしその時になっても何も知らなかったらマックスは怒るんでしょうね。だから僕はそれを見るのがとても面白いものになるんじゃないかなと思っています。
Q:シーズン4で何かルーカスで見たいことはありますか?
A:僕はシーズン3のルーカスが本当に大好きです。もっと彼の起点となる要素がみたいかな。ルーカスは計画性のある男のように感じます。彼のバトル、アクション、マックスとの関係をたくさん見たいです。
ダスティン・ヘンダーソン(演:ゲイテン・マテラッツォ)
ダスティン・ヘンダーソン
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
小学4年の時にホーキンスに引っ越してきた。
ヤートルという名のカメを飼っている。
チューバッカの声マネが得意。
恥ずかしながら便秘に悩まされていたことがある。(シーズン2第3話で母が明かす)
ゲイテン・マテラッツォ
2002年9月8日アメリカ、ニュージャージー生まれ、現在16歳。
2011年にブロードウェイで『プリシラ』、2014年に『レ・ミゼラブル』のミュージカル経験がある。
地元ニュージャージーで姉と弟と友人らと共に『Work in Progress』という7人組バンドを組んでいる。
インタビュー
2019年6月26日のインタビュー
Q:ドラマ以前は80年代カルチャーについてどんなことを知ってましたか。
A:僕の両親はそのことを知ってもらうように熱心に色々してくれました。父が『デュラン・デュラン』のCDを一度見せてくれて夢中になりました。弟もそうなってたんだけれど、彼は“Girls on Film”って曲だけにしか興味なくて1日にだいたい1400万回は聴いてたよ。気が狂いそうだった。
シーズン1でいじめっ子に歯がないことを馬鹿にされた時に彼は言った。
“何百万回言ったらわかるんだ、これから生えてくる!”
その後マイクが“Mr. ファンタスティック”みたいでかっこいいよと『ファンタスティック・フォー』の手足が伸びるキャラクターを引き合いに出していた。
ダスティンは先天性の難病『鎖骨頭蓋骨異形成症(cleidocranial dysplasia)』を患っている。
これは、演じているゲイテン・マテラッツォも実際に抱えている病気である。
「僕がこれまで役を得ることができなかった大きな理由の一つは、舌足らずで、歯の状態のこと、それから身長のせいです。」
彼の症状は骨や歯の発達を妨げる遺伝性のもの。
ゲイテンも歯が生え揃っていなくシーズン2では義歯をつけていた。
この病に共通の症状は鎖骨が無い場合や、未発達であること。
そのため、肩を前に動かすことができる。
ゲイテンがオーディション前にストレッチをしているところが制作者の目にとまったという。
「僕はそれがどんなものなのか(ダファー兄弟に)説明し始めていました。それから一度そのパートを得ました。彼らは現実的な方法を用いてそれを取り入れようと言いました。それが原因で、劇中で僕がいじめられるのを描いても君が良いのならと聞いてきました。それは最高にクールって言いましたよ。現実的ですから。」
ゲイテンは現在『CCD Smiles』という慈善団体に寄付をして、同じ病をもつ人々を助ける活動をしている。
ゲイテンは『Work in Progress』で姉のサブリナと共同ヴォーカルを務めている。
「私はただ自分の好きな異なるタイプの音楽をショーケースに飾りたくて、それをEPで表現したいんです。」とサブリナは述べる。
マテラッソ家は同じ音楽を聴いて育った。
サブリナの最初に夢中になったアーティストは“アヴリル・ラヴィーン”。
「私は3歳の時に“Complicated”の歌詞を全て言えました(笑)」
ゲイテンは姉が必要なくなったCDをよくくれたという。
「僕にくれた最初のアルバムは…それは『ジョナス・ブラザーズ』のアルバムさ。いつでも聴いてました。僕のお気に入りでした。だから、彼らがまた一緒に活動してくれて嬉しいんだ。とても幸せです。」
彼らは音楽センスが研ぎ澄まれていった時、一緒に『パラモア』や『グリーン・デイ』などのポップパンクを卒業したという。
「僕のお父さんはずっとそれを聴いてました。」
「僕らはカバーバンドを始めて、ただ楽しんでいました、でもライブをやった時にもっと真剣な物へとなりました。」
このごろ毎晩ファンからとある声援があるという。
“ネヴァー・エンディング・ストーリー”をパフォーマンスしてほしいと。
「(スージー役)ギャビーがライブに来てくれるまで待ちたいんだ。彼女は僕らのとても仲の良い友達ですよ。」
「私は彼女のパートを歌いたくはありません。」と姉サブリナ。
マックス・メイフィールド(演:セイディー・シンク)
マックス・メイフィールド
1971年生まれ。
シーズン2:13歳
シーズン3:14歳
1971年~1984年までカリフォルニア州に住んでおり、1984年からホーキンスに住んでいる。
マックスはチャッキーに似せてキャラクター造形されているんじゃないかな。
メイクといい、髪型といい、洒落たこと言うし、目を大きくする人形みたいな表情とか凄く似たものを感じる。
『チャイルド・プレイ』は1988年公開なので80年代だしね。
マックスも愛用するスケートボードの歴史
マックスといえばスケボー。
彼女がなぜスケボーに乗っているのか。
簡単に言えばカリフォルニアからやってきたからだ。
ホーキンスのあるインディアナ州は田舎で都市部の文化や流行には疎い。
そして1980年代のスケボー文化はアメリカの若者にとってイケてる象徴。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもカリフォルニア州に住むマーティが愛用していたのをご存知の通り。
スケートボードの歴史は1950年代前半にカリフォルニアから始まる。
何人かのサーファーらが波のない日にもサーフィンしてたいということで、道路を海に見立ててサーフィンしている感覚を味わえばいいじゃないかと思いつく。
彼らは当時“アスファルト・サーファー”と呼ばれた。
スケートボードはサーファーが集まるカリフォルニアとハワイで発展する。
彼らはベアリング(軸受)のない金属製のタイヤをつけた短めのサーフボードを使用した。
1950年代後期、スケートボードは第1ブームを迎える。
戦後、アメリカ経済は向上し、これはおもちゃ産業に大きな影響を与えた。
ウィール付きのボードに目をつけたのだ。
1959年、ローラーダービースケート社が最新技術を駆使して製造された世界初の公式スケートボードを発売。
それによって技のバリエーションが広がった。
スケートボードは1959年から1965年の間にアメリカ全土で大人気になっていった。
特に東と西海岸で流行った。
産業の発展によって、スケートボードはおもちゃからスポーツ用品へと変わっていった。
1962年、ハリウッドにあるサーフショップ“Valsuf”が世界初のセルフプロデューススケートボードを発売。
この商品は、典型的なシェイプなサーフボードの形とローラースケートの車で製造されていた。
同年、パターソン・フォーブス社が世界初のスケートボード産業に乗り込んだ開発会社として、より機能性のいいスケートボードを開発。
1963年、“サーフガイドマガジン”の出版社ラリー・スティーブンソンが、世界初のスケートボード広告を載せた。
この時期、ファッションブランドもスケートボードに影響されていった。
1966年にはスケートボードシューズで最も有名なブランドの一つ“ヴァンズ”が創業。
また、1963年には初のスケートボードの大会がカリフォルニアのエルモサビーチで開催された。
スケートボードはもはやただの乗り物ではなく、技やスキルを見せ合うスポーツへと発展していった。
企業もスポンサーとしてチームにつくようになった。
1964年には、世界初のスケートボード雑誌“The Quarterly Skateboarder”が出版される。
1969年ラリー・スティーブンソンがボードの形にこだわった“Kicktail”を開発。
これによってボーダーたちの技の可能性が大いに広がった。
スケートボードの歴史を変える最重要の出来事が起こる。
1972年に、フランク・ナズワーシーが開発したウレタン製の車輪によってスケートボードに革命が起きた。
よりスムーズに、速く、そして快適に走れるようになったのだ。
1975年、新しいスケートボード雑誌“Skateboarder Magazine”が出版され、次々と新しいイベントも開催され始めた。
翌年1976年には人工スケート場が作られた。
1978年には革命的な技が生まれた。
アラン・ゲルファントが発明した“オーリー”だ。
この技がストリートスケートボードの原点ともいえる。
ロドニー・ミューレンはオーリーをさらにスピードを伴った異なるフリースタイルへと変えていった。
BMXや屋内でのスケートボードスタイルと隣り合わせになり、さらなる人気を高めた時期でもある。
1981年、“スラッシャー・マガジン”が出版され、ストリートスケート、パンクロックなどが記事となり、“滑って、破壊せよ”というのがライフスローガンであった。
1983年には、さらなる新しい雑誌“トランスワールド・スケートボーディング・マガジン”が出版され、これらの雑誌に続いて他にもいくつか出版された。
さらにスケートボードショップもオープン。
それらのおかげもあって競技人口は増加していった。
そして新しいトリックや技の数々を記録したVHSが初めて発売される。
80年代にスケートボードは完全体となった。
『ロード・オブ・ドッグ・タウン』~スケボー界に革命を起こしたZ-Boys~
スケボー人気を語るのに欠かせないのが、2005年に『ロード・オブ・ドッグタウン』として映画化もされた“Z-Boys”の存在だ。
始まりは1971年にジェフ・ホウ、スキップ・イングロム、そしてクレッグ・ステシックがサンタモニカにオープンした“Zaphyr(ゼファー)”というサーフボードショップ。
“Z-Boys”の名前もそこから取られた。
Z-Boysは店の代表としてサーフィンの大会に出場した。
最初のメンバーは14歳のネイサン・プラット。
彼は店で働き、3人の下でサーフボード作りの弟子となった。
1974年には、アレン・サルロ、ジェイ・アダムス、トニー・アルヴァ、クリス・ケーヒル、そしてステイシー・ペラルタがサーフチームに加わった。
彼らがサーフィンの拠点としたのは、今では廃業しているサンタモニカのパシフィック・オーシャン・パークの入り江。
当時はピアの上に遊園地があり栄えていたため、地元民の間では“ドッグタウン”と呼ばれ親しまれていた。
しかしその入り江は、大勢がサーフィンするには狭すぎたのと、杭の出た木材なんかも水中から出ていてとても危険な場所であった。
そんな危険な海を自分でコントロールしながら、Z-Boysは波が高い朝早くにサーフィンをした。
その後はゼファーで働き、宿題をやり、スケートボードをして、女の子といちゃつくのが彼らの日常。
スケートボードは彼らにとってあくまでも“遊び”でしかなかった。
しかしそれは急速に“遊び”から“彼ら自身を表現する新しい手段”になっていくのであった。
1975年に、ケーヒル、プラット、アダムス、サルロ、ペラルタそしてアルヴァが、ジェフ・ホウとスキップ・イングロムにサ-フチームからスケートチームを切り離すよう頼んだ。
それからすぐに、地元のスケーターであるボブ・ビニアック、ポール・コンスタンティノウ、ジム・ミューア、ペギー・オキ、久保祥吾、そしてウェンツル・ラムルらがチームに加入し計12名にまで成長した。
チームはゼファーからまっすぐ行ったところにあるビッグネル・ヒルで日々長時間の練習に励んでいた。
彼らは低めの姿勢でコンクリートの道を手で地面に触りながらサーフィンのように走った。
彼らのスタイルは全て“サーフィン”から応用されたものであった。
1975年3月にスケートボードの大会がカリフォルニアで開催された。
それは1960年代から続く初の大きなスケートボードの大会“Del Mar Nationals”であった。
この大会がZ-Boysのデビュー戦となったとともに、カルフォルニアでスケートボードの人気がカルト化した日でもあった。
彼らの低く攻めたスタイルは誰も今までに見たことがないものであった。
フリースタイルは1960年代から人気だったが、古いスケボー体制は彼らの“サーフスタイル”に準備ができていなかった。
しかし群衆は彼らのことを大いに気に入った。
大会のファイナリストの半分はZ-Boysのメンバーであり、ペギー・オキ、ジェイ・アダムス、トニー・アルヴァ、そしてネイサン・プラットがそこに残った。
オールドスケーターはその結果に納得がいかなかったが、彼らは“スケートボードの革命”を目撃したのであった。
1960年代から続いたフリースタイルは廃れ、Z-Boyスタイルが時代を、そして文化を変えたのだ。
1970年代半ば、カリフォルニアに干ばつが襲い、ロサンゼルスはカラカラになってしまう。
この干ばつは深刻な水規制をもたらし、プールを家に備える人々がその水を抜いて空のままにした。
Z-Boysはその空になったボウル状プールでサーフスタイルを用いて練習した。
これが“垂直スケートボード”の誕生となり、現在ではエクストリームスポーツの間で自然な光景となっている。
1977年の秋、トニー・アルバが初めてプールで空中回転を行い、一つの革命を起こした。
この瞬間が後に登場する、スノーボード、水上スキー、ローラースケート、そしてBMXバイクなどの空中でパフォーマンスする多くのエクストリームスポーツに影響を与えた。
そしてZ-Boysのメンバーはさらに有名になり続けていった。
一方スポンサー提携を要求した多くの大手企業は、“ジェフ・ホウ・サーフボード&ゼファー・プロダクション”との間で交渉がうまくいかなかった。
ジェフ・ホウはチームを一緒にし続けようとしたが、チームメンバーがオファーを受けた金額には到底張り合うことができなかった。
Z-Boysのうち、実力が突出していてプロになったのはステイシー・ペラルタ、ジェイ・アダムス、トニー・アルヴァの3人。
彼らは雑誌の表紙も飾るなどアイドル的人気を誇り、それぞれの道を進んでいった。
そして1976年初頭、ホウとイングロムはバラバラになった。
同年の終わり、イングロムはハワイに引っ越しゼファーを閉店した。
その後Z-Boysのネイサン・プラットが店を引き継ぎ、1977年に再オープン。
2005年に公開された『ロード・オブ・ドッグタウン』ではステイシー・ペラルタが脚本を務め、トニー・アルヴァとジェイ・アダムスが演技指導を行った。
スキップ・イングロムをヒース・レジャーが演じ、ジェイ・アダムスをエミール・ハーシュが演じている。
インタビュー
2019年6月26日のインタビュー
Q:ドラマ以前に80年代カルチャーについてどんなことを存じていましたか。
A:母がいつも車の中でマドンナを聴いていたの。だから彼女が80年代に活躍した人だってことはよく知っていました。私自身は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の大ファンです。最近見直して、マックスとマーティの共通点をたくさん見つけたの。同じスケートボードに乗ってるし、同じリュックを背負ってるし。(この件はBTTF項目で詳しく記載)
Q:ドラマを通して出会った80年代カルチャーは何かありますか。
A:間違いなくビデオゲームね。“パックマン”は知っていたけれどやったことはありませんでした。シーズン2でアーケードセットにいたとき、全てのゲームが機能していたから、やりたいものを全てできたの。でも実は“ディグダグ”は一度もプレイできなかったの。機械が故障していたので。あの撮影の前日の夜、私は“ディグダグ”のプレイ方法を見てました。準備万端だったの。セットに入ったら、彼らは「OK。動かないから、君はこのボタンを押してプレイしているように見せてね。」って言われたの。私は準備万端だったわ。
ナンシー・ウィーラー(演:ナタリア・ダイアー)
ナンシー・ウィーラー
1967年生まれ。
シーズン1:16歳
シーズン2:17歳
シーズン3:18歳
射撃が得意。
今まで一度も撃ったことがないのに一発で缶に的中。(シーズン1第5話より)
これは『スターウォーズ』のレイア姫に通ずる。彼女は100発100中だ。
スカイウォーカー家である彼女はフォースが強かった。
どうやらナンシーも強いようだ。
となるとマイク、セクシー母ちゃん、楽ちんチェア、幼き妹も強いはず。
ナンシーの理想像
ナンシーの部屋には“ブロンディ”のポスターが貼られている。
ブロンディとは1974年から1982年(1997年に再結成して現在に至る)まで活躍したロックバンド。
トータルセールスは4000万枚以上。
1979年の『ハート・オブ・グラス』や1980年の『コール・ミー』がヒットするとともにボーカルのデボラ・ハリーはセックス・シンボルとなった。
ナンシーが憧れそうな女性だ。
他に貼られているポスターに写っているのは若き“トム・クルーズ”だ。
わかりやすい面食いナンシー。
ナタリア・ダイアー
1995年1月13日アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビル生まれ、現在24歳。
マイリー・サイラス主演『ハンナ・モンタナ:ザ・ムービー』(2009)でスクリーンデビュー。
ジョナサン・バイヤーズ(演:チャーリー・ヒートン)
ジョナサン・バイヤーズ
1967年生まれ。
シーズン1:16歳
シーズン2:17歳
シーズン3:18歳
6歳の頃からニューヨーク大学への進学に憧れている。(シーズン1第5話より)
カメラ
写真を仕事にしようと頑張っている彼が使用しているのは、1976年11月に発売された“ペンタックスのMX SLR”。
フルマニュアル操作方式のみの、趣味ではなく本格的に撮りたい人向けのカメラ。
現在ジョナサンが使用しているものは、シーズン1の最終話でクリスマスプレゼントとしてナンシーがジョナサンに贈ったものだ。
しかし実際は故意に壊したスティーブが自分で購入して(リッチな父親からのお小遣いだと思われる)、直接渡すのは気まずいためナンシーに渡してもらったのだろう。(ナンシーがジョナサンに渡した後のスティーブとの会話から推測)
ここまではいい。
ナンシーよ。私が君を好きになれない理由がそこにある。
なぜスティーブからだって一言添えないんだ!!
いかにも自分からのプレゼントのように渡しやがって!!
せっかくスティーブとジョナサンのブロマンスが始まったというのに!!
熱い友情が生まれる第一歩になったのに!!
ナンシーならスティーブに自分で渡しなさいと強く言いそうな気もするのに…。
心底がっかりだ。
ジョナサンが暗室で銀塩写真を現像する場面があるが、90年代からデジタルカメラが普及したため、あの光景を一般的に見れるのも80年代までだ。
音楽プレイヤー
ジョナサンの部屋にあるプレイヤーは“Fisher MC-4550”。
1981年に発売。
レコードチェンジャー、テープデッキ、5バンドイコライザーがついた優れもの。
8トラックはついていない。
ウィルの部屋にあるラジカセはおそらくジョナサンからのおさがりと思われる“パナソニック RX-5090 Boombox”。
1979年に発売。
ミックステープを作った際に使ったテープは60分録音可能の“Memorex MRX 1”。
音楽趣向
シーズン1では、弟のウィルに『ザ・クラッシュ』、『ザ・スミス』、『ジョン・ディヴィジョン』の入ったミックステープを渡している。(彼らについては【80年代を彩る音楽】にて説明)
シーズン3になると、『R.E.M.』のポスターが増えている。
1980年に結成され2011年に解散したオルタナティヴ・ロックバンドである。
ジョナサンが貼っていたのは、1983年4月12日に発売されたバンドの1枚目のアルバム『Murmur』である。
発売当初は絶賛されたにもかかわらず20万枚しか売れなかった。
しかし最終的に1991年までには50万枚を売上げ、アメリカでゴールドディスクに認定された。
1989年にローリングストーン誌が選定した『80年代で最も偉大なアルバム100枚』では、8位にランクインを果たした。
ジョナサンは『ザ・スミス』のような全体的に暗い曲と、『ザ・クラッシュ』のような怒りや反抗心を歌った曲を好み、外には出せない内なるストレスを抱えているのがわかる見た目通りの音楽趣向。
チャーリー・ヒートン
1994年2月6日イギリス、ヨークシャー州ブリドリントン生まれ、現在25歳。
2015年、クライムドラマシリーズ『主任警部アラン・バンクス』で俳優デビュー。
さらに推理ドラマシリーズ『ヴェラ~信念の女警部~』に出演。
その後、1986年以来世界で最も長く続いているBBCの医療ドラマシリーズ『カジュアリティ』に出演。
2016年にはナオミ・ワッツとオリヴァー・プラット主演のホラー映画『Shut In』に出演。
そして『ストレンジャー・シングス』で知名度と人気を高める。
本人は逮捕も起訴もされていないことをはっきりさせておきたいと述べている。
彼には現在5歳になるアーチーという名の息子がいる。
20歳の時に大阪出身の日本人マツウラ・アキコさんとの間にできた子。
彼らは『コマネチ』というバンドを組んでいた。
このバンドは2005年に結成されマツウラさんはヴォーカル兼ドラム。
ギターにサイモン・ペトロヴィッチという男性。
バンドの名前の由来は見当たらなかったが、おそらくあの“コマネチ”だろう。
サイモンさんがどこの出身かはわからないが、ペドロヴィッチはロシアの地名だ。
ロシアとコマネチといえば、1980年モスクワ五輪で2個の金メダルを獲ったルーマニアの体操選手ナディア・エレーナ・コマネチだ。
そして日本のコマネチといえばビートたけしの“コマネチ”。
よくわからないが2人に共通するものとしてバンド名になったのだろう。
だってコマネチってそれくらいしかないもの。
チャーリーがバンドに加わったのは2013年。
ドラムを募集していたこのバンドに彼の演奏はうまく合ったそう。感謝を述べている。(出典:The Quietus)
MVを見る限り、“ホワイト・ストライプス”に影響されているバンドなのかな。
いつまで彼がいたかは定かではないが、2014年5月に子供が誕生していて、現在は音楽性の違いから活動休止中。
今現在彼女は『Pre』というこちらも2005年結成のバンドのヴォーカルとして活躍中。
チャーリーとは現在も友好的な関係を続けており、子供のお世話を互いにしている。
そんなチャーリーは現在ナンシー役のナタリア・ダイアーと交際中。
2020年4月に全米上映予定のマーベル製作X-MENシリーズであり、シリーズ初のホラー映画となる『The New Mutants』で下半身全体からブラストを放出することのできる能力の持ち主キャノンボール役で出演している。
ジョナサンも超能力に目覚めたか。
予告見る限り、研究所が舞台の映画のテイストが完全に『ストレンジャー・シングス』。
インタビュー
2019年4月のインタビュー
『ストレンジャー・シングス』がこんなにも人気になるなんて誰も予測していなかったと思います。全くもって。シーズン1を撮影している時、誰もこのドラマを見なかったらどうしようかと疑問に思っていたのを覚えています。仕事をしている時には確実な意向があるけれど、反応が全くわからないんだ。ただ自分のしていることは正しいと信じなければなりません。でもそれは良いことに感じたんです、非常にそう感じながら撮影をしたのを覚えています。
ドラマが配信された時、僕は『マローボーン家の掟』(2017)の撮影で、スペインの西にある小さな町にいました。配信されてから2日間のうちに、もちろんオンラインでの誇大広告とたくさんのレビューを全て目にしてましたが、そこのマーケットで歩いていると誰かが僕の方に向かってきて「ストレンジャー・シングス!」と言ったんだ。僕は「え?すみません、何の事?」って感じで、そしたら彼らは「あなたはストレンジャー・シングスに出てる人!」って言ってきたんだ。その件があったことで、このドラマは世界中の人々に見られているんだって感じました。
シーズン3の撮影は最高でした。夏に配信されます。今回の撮影は物凄く懐かしかったです。僕らは同じスタジオで同じセットで撮影したんだ、全てが始まった場所に同じ人たちと戻ってきたんです。今回の撮影は僕のお気に入りのシーズンの一つで、本当に楽しかった。僕らは笑いもあって面白い環境を創りあげているんだ。それはダファー兄弟が作った部分でもあり、キッズがもっていた部分でもあります。
僕はみんなと一緒にいることが多くて、子供たちとも、ダファー兄弟とも、そしてウィノナと仕事をさせていただいてる時が大好きです。あの時間は素晴らしいです。彼女は僕が知っている人々の中でも最も素敵な人の一人です。撮影中もそれ以外でも。本当に彼女との仕事は最高です。ビクビクはしていたんだけれど、初日にそのような親密さを感じて、だからすぐに僕らはフィットしました。
『ストレンジャー・シングス』が始まった時、キッズは10から11歳でしたが、彼らは成長して今では青年期を迎えています。毎年戻ってくるたびに身長がものすごく伸びています。フィン(マイク役)は今では僕より高いんじゃないかな。彼らの成長を見ているのはクレイジーだし、成功に対処している彼らを見るのは素晴らしいことです。彼らは早く成長しているね。
個人的にジョナサンとは結びつくことができるんだ。僕はあそこまで内向的じゃないけれど、僕にも彼の個性を共有する要素はあります。彼はアウトサイダーですが、自分が何者であるか、好きなものが何かをわかっていて、それは僕にとって興味深いです。他には家族との関係です、特にシーズン1。僕はとても愛している思いやりのある家族と共に成長してきました、そして僕は家族がしてくれたように人とつながりをもっています。
それから音楽面での関係性は大きいです。ジョナサンが聴いているたくさんの音楽は僕が18か19歳の時に聴いていたものです。“The Cure”と“ジョイ・ディヴィジョン”のようなバンドです。彼の音楽センスは僕の生活でも似ていますね。ヘッドフォンをして下を見ながら歩いていますし、誰とも話さず音楽を聞いています、だからそれはとても関係性を持てますね。彼が交際を始めた時でさえ、僕に適した恋人ができるとは思いませんでした、彼はシャイでオドオドしていてネガティブな感じは僕が子供の時のようでした。ジョナサンと関連付けられる人々は多くいると思います。僕が言ったジョナサンのことはみんなはもうご存知かと思います。
僕がここ数年で学んだことは、朝ベッドから出て何か見つけ、あなたの見たいものやしたいことで全くなければ、あなたが自分自身の目標を作ればいいということです。あなたがそれに夢中になればいい。何かほかのことをしている自分自身を僕は見ていることはできません。
スティーブ・ハリントン(演:ジョー・キーリー)
スティーブ・ハリントン
1966年生まれ。
シーズン1:17歳
シーズン2:18歳
シーズン3:19歳
シーズン1ではジョナサンに負け、シーズン2ではビリーに負け、シーズン3ではソ連軍にボコボコにされ、唯一勝ったのは第5話で通信室にいたソ連兵。
思わず相棒のダスティンも「勝った」と喜びの声を漏らしてしまったほどだ。
視聴者も同じく。
この流れから関係ないが、きっとシーズン4ではレンタルビデオ店とベビーシッターを掛け持ちしてるに違いない。
憧れのトム・クルーズ
『卒業白書』(1983)のトム・クルーズに憧れたに違いないスティーブ。
そしてトム・クルーズが好きなナンシー。
スティーブにとってはナンシーを落とすことなど朝飯前か。
ハロウィンパーティーではサングラスをかけちゃっているところからわかるように本作のトム・クルーズの仮装だ。
そしてナンシーはヒロインの服装を真似している。
ナイスな“Bullshit”カップルだ。
シーズン1第5話では、スティーブがナンシーをトム・クルーズ主演の『栄光の彼方に』(1983年10月21日全米公開)を観に誘うが断られる。
そして『青春白書』のトム・クルーズが口パクで踊っていたボブ・シーガーの『Old Time Rock and Roll』を口ずさみながら一人帰っていく。
シーズン1の舞台は1983年。
トム・クルーズのキャリアは『エンドレス・ラブ』(1981)で始まった。
トム・クルーズといえば、すでに脱いでいるか、ベッドシーンで脱ぐか、意味もなく筋肉を見せつけるために脱ぐなど、脱ぐ脱ぐ俳優でお馴染みだ。
学生時代にレスリングをやっていたため体を鍛えておりたくましい体つきだったので、
監督に劇中でそれを見せることを求められていたのだろう。
同年『タップス』ではイカれて機関銃をぶっ放す陸軍生を好演。
そして1983年には『爆笑!?恋のABC体験』、『アウトサイダー』、
『卒業白書』、『栄光の彼方に』といった青春映画に出まくり、
1985年にリドリー・スコットの失敗作『レジェンド/光と闇の伝説』を挟み、
翌年1986年、リドリーの弟トニー・スコット監督作『トップ・ガン』で彼は大スターへと駆け上がった。
1983年の『アウトサイダー』は、フランシス・フォード・コッポラ監督が当時のノリに乗った若手俳優らを集結させ制作。
シーズン3でとある形で登場するラルフ・マッチオも出演している。
あらすじはいわゆるスティーブみたいな連中が喧嘩しあうやつの一言で済ませよう。
ちなみにトムは本作ではかなりの脇役。
彼ら1980年代のハリウッド青春映画に出演した若手俳優のことを“ブラット・パック”と呼んでいた。
日本では“YA(ヤングアダルト)スター”と呼ばれていた。
シーズン1第6話、夜中スティーブがいつものようにナンシーの部屋の窓から入ろうと登って覗くと、ジョナサンがナンシーと親しそうに部屋にいる様子を観て唖然とする。
その後スティーブはいつもの友人らとホーク・シアターに行き、トム・クルーズ主演の『栄光の彼方に』のタイトルが書かれた看板に“主演:ナンシー・尻軽・ウィーラー”と落書きをするのであった。
ジョニー・“クレイジー”・デップ事件簿
上記のスティーブの嫉妬からの落書きもオマージュなのだ。
そう、現実に起きたジョニー・デップの行動だ。
ジョニーの映画デビュー作『エルム街の悪夢』(1984)で彼は主人公ナンシー(名前も同じ)の恋人役を務め、習慣的に彼女の2階にある部屋の窓から面会を試みていた。
これはスティーブと全く同じだ。
違うところと言えばスティーブの場合、なんとかよじ登っている最中のダサイ姿をナンシーの弟マイクに見られてしまうところか。
1990年の『シザーハンズ』の共演をきっかけにウィノナ・ライダーと1993年まで交際していた。
その際、“Winona Forever”というタトゥーを入れていたが、破局後は“Vino Forever(ワインよ永遠に)”に変えたことは有名な話だ。
2015年2月にジョニー(当時52歳)と女優のアンバー・ハード(当時29歳)は結婚した。
そのわずか1か月後の3月、もともとキレやすいことで有名なジョニーは、アンバーと別荘のあるオーストラリアで口論になった。
アンバーによると、酔ってエクスタシーでハイになっていたという。
そして何本も瓶を叩き割り、窓を割り、壁に電話を叩きつけ、その際に自分の右手中指を切り落としてしまったという。
その後、彼女の所持していたダークブルーのペンキの中に血まみれの指を突っ込み鏡に文字を書いた。
“Starring Billy Bob and Easy Amber(主演ビリー・ボブと尻軽アンバー)”
ビリー・ボブ・トーソンとは誰かというと、『バッドサンタ』(2003)でお馴染みのやさぐれ俳優で、アンジェリーナ・ジョリーの元夫。
アンジーもビリーボブの名前のタトゥーをいれているが、離婚後に消去して全く別のタトゥーをいれた。
アンバー・ハードとは『ロンドン・フィールズ』(2018)で共演している。
彼らの関係を疑ったジョニーは他の男性との不貞行為も非難したという。
ジョニーは24時間近く医療処置を受けなかったため、その後医者は彼の指を接合できなかった。
結果的にジョニーの手の皮膚を指に移植したという。
アンバーは上記の事件以降の別日のジョニーの暴れる様子をメディアに晒した。
2016年に彼らは離婚したが、未だに互いに提訴し合って泥沼化している。
スティーブ・ハリントンの髪型
シーズン2第6話でダスティンに髪型のセット方法を明かしたスティーブ。
“ファベルジェのシャンプーを使用。リンスしてよく拭いた髪にファラ・フォーセットスプレーを4回。”
ファラ・フォーセットとは、1976年〜77年にテレビドラマシリーズ『チャーリーズ・エンジェル』に出演して人気絶頂となった女優、そしてモデルである。
彼女のヘアスタイルは“ファラ・カット”と呼ばれ、米国以外でも世界的に流行した。
ファベルジェの彼女の写真をラベルに使用したシャンプーは日本でも販売された。
劇中でスティーブが愛用している彼女の写真が載っているヘアスプレーも実在した。
1995年に発売されたプレイボーイ誌では初めてヌードを披露してなんと世界中で4000万部を売り上げた。
そんなセックス・シンボルの彼女は2009年6月25日に癌のため死去。
マイケル・ジャクソンと同じ日であった。
ジョー・キーリーの髪型
“Modern Mullet”と呼ばれる髪型。
襟足長めでそれ以外の箇所は短めの髪型。
ジョー・キーリーのヘアスタイリスト、マシュー・
①“Baxter カリフォルニアグルーミングクリーム”($20)
②サイドを“Baxter クレイエフェクトスタイルスプレー”($27)で固める。
ボリュームをコントロールするためブロウする。
ドライヤーは“ダイソンスーパーソニックヘアドライヤー”(
③セットするために、“Baxter’s クレイポマード”($
毛束をバラバラにするため指を髪の中で動かしながら使うこと。
④最後に、アクセントをつけるため“クレイエフェクトスタイルスプレー”をさらに噴きかけ固める。
NIKEシューズ
スティーヴが履いているシューズは、NIKEが1972年に発売した“ナイキ・ブルイン”シリーズのバスケットシューズ。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』の未来が現実になった2015年に復刻し発売された。
ここでNIKEの80年代を振り返ろう。
1964年に設立したNIKE。
この会社が世界的企業になったのは1980年代。
フィットネスブームもあり、その人達や流行に敏感な人らにNIKEのブランドは愛された。
1980年
アメリカのスポーツシューズ市場の50%を占めた。
1981年
海外を視野に入れた“ナイキ インターナショナル”が創られた。
1984年
マイケル・ジョーダンが広告契約を結び、“Air Jordan”を販売。
1986年
NIKEの売上が初めて10億ドルを突破。
1987年
さらなるエアクッションを使用した“NIKE Air Max”が発売される。
1988年
今日まで使用されているスローガン“Just Do It”を発表。
こうしてNIKEのアスレチックシューズは、アメリカで最も供給率の高いブランドになった。
1985年の夏、特別な商品を積み込んだ数台の輸送車両が、オレゴン州ビーバートンのNike本社から米国各地に向かって出発した。だが、目的地に到着する前にいくつかの荷物が紛失。行方不明となった車両は、どれも最後の目撃証拠としてインディアナ州ホーキンスを通過する様子が監視カメラ映像に残っていた。不安と混乱を抱えたNikeは、超自然的な何かが原因であることを恐れ、この紛失した荷物についてこれまで一切公言しなかった。
34年後、紛失した荷物の手がかりが1つ1つ浮き上がり、想像以上に深く、暗く、邪悪な何かが背後で動いていることが明るみになった。幸運にも、紛失した荷物のいくつかは所在地が判明。荷物の中からは、現在Nikeのアイコンとして知られるコルテッツ、ブレーザー、エア テイルウィンド ‘79が見つかった。おそろいのウェアと同日発売される3つのクラシックモデルは、当初ホーキンス高校体育局のために作られたデザイン。グリーンとオレンジのカラーコンビネーションにホーキンス高校のロゴをあしらっている。それぞれのシューズには、オリジナルバージョンをイメージしたNikeのパッケージと特別エディションのピンが付属する。
(引用:NIKE)
缶ジュースの飲み方
シーズン1第2話、スティーブが自宅のプールでしていた缶ジュースの飲み方は、あの時代の若者に流行った“ショットガン飲み”と呼ばれる豪快な飲み方。
缶の下側にナイフで穴をあけて一気に飲む、自分のことをイケていると思い込んでいる奴がする飲み方である。
この飲み方がバーバラの死を招くのであった…。
もしかするとスティーブとナンシーの計画殺人だったのかもしれない。
バーバラが開けようとした瞬間にナンシーとスティーブが目を合わせて一瞬ニヤッとする様子が見れるのだ。
缶にヌルヌルの液を塗って滑りやすくした可能性もある。
怖い怖い。
そもそもバーバラを殺す動機がないない。
私が見た映画の中で唯一このアホな飲み方が出てきた映画といえば、『シュア・シング』(1985)。
翌年『スタンド・バイ・ミー』を監督することになるロブ・ライナーが、同じく本作で主人公ゴーディの兄役を務めたジョン・キューザックを主演にした青春映画である。
ちなみに本作にはティム・ロビンスも出演している。
彼は『ショーシャンクの空に』の主人公アンディを演じている。
本作も『スタンド・バイ・ミー』も原作は同じスティーヴン・キング。
ショーシャンク刑務所に収監されたアンディだが、妻と娘を殺した真犯人は、『スタンド・バイ・ミー』で主人公ゴーディの親友クリスを殺した犯人と同一人物であることが原作のみで明らかになっている。
こういった繋がりがあるのもキングの特徴。
ジョー・キーリー
1992年4月24日アメリカ合衆国マサチューセッツ州ニューベリーポート生まれ、現在27歳。
『ストレンジャー・シングス』の監督ショーン・レヴィの最新作『Free Guy』が2020年に公開を控えている。
ライアン・レイノルズ主演で、自分がオープンワールドのゲームの世界の中で生きていることに気付いた銀行窓口係りの男が、ゲームメーカーが自分の世界を閉鎖しようとしているのを阻止しようとする物語。
2019年7月19日にデビューシングル『Robby』を“Djo”という名前で発売している。
そして8月9日には“Chateau(Feel Alright)”をリリースした。
インタビュー
キーリーは当初ジョナサン役でオーディションをしていた。
「3ヶ月間何も連絡がありませんでした。それから連絡があり、
2019年7月5日『Entertainment』
Q:スティーブはついに闘いに勝ちましたね。
A:アクションが本当に大好きです。やりがいがあり、
ビリー・ハーグローブ(演:デイカー・モンゴメリー)
ビリー・ハーグローブ
部屋に貼られているポスターは“メタリカ”の『Kill’ Em All』(1983)と“Tank”の『Filth Hounds of Hades』(1982)。
Tankは1980年、メタリカは1981年結成されたヘヴィメタルバンド。
メタル好きが伺える。
ビリーの髪型とLAメタル
まずは顔の面からみると、ビリーの容姿はロブ・ロウにそっくりだ。
ロブ・ロウは先述した1980年代を代表する“ブラット・パック”の一人。
上下ジーンズのファッションスタイルは『アウトサイダー』(1983)の頃、ヘアスタイルは『セント・エルモス・ファイアー』(1985)の彼をモデルにしているのだろう。
カリフォルニアから越してきた彼の特徴的なロングヘアーは、80年代に一大ブームとなったグラムメタル(ヘアメタルやポップメタルとも呼ばれ、日本ではLAメタルと呼ばれている)からの影響である。
グラムメタルとはヘヴィメタルよりもポップでパンクな要素を取り入れたハードロックとヘヴィメタルのサブジャンルである。
アリス・クーパー、チープ・トリック、キッス、ヴァン・ヘイレンらに影響を受け、ロサンゼルスのサンセット大通りに立ち並ぶクラブに全米各地からミュージシャンが集まり、それぞれがロックバンドを結成し連日演奏をし始めたことが発端。
そしてそこで人気を集めたバンドは次々にレコード会社と契約を結んでいった。
デヴィッド・ボウイを代表するグラムロック(70年代前半に流行したUKロック)から影響を受けた派手なメイクと長く伸ばした髪や煌びやかな衣装は女性に受け、キャッチーでシンプルな曲は男性にもファンを増やしていき、愛やドラッグ、セックスに酒、そして“反抗”をテーマにした歌詞は特に若者に支持された。
『デトロイト・ロック・シティ』(1999)は、1978年を舞台にロックバンド『KISS』の大ファンである少年4人のうちの1人が、母親に「こんな悪魔みたいな音楽聴いてけしからん!」とレコードとコンサートチケットを“破壊”されてしてしまう。
“どっちが悪魔だこの野郎!”といいたくなるような時代が70年代後半からこの80年代にかけて到来した。
“悪魔”からしたら福音派キリスト教の方がよっぽど“悪魔的”だぜ全く…。
シーズン3最終話の終盤ではニュースが放送されているが、その中でホーキンスの一連の事件を“悪魔の仕業”と推測している場面もある。
70年代にはオカルトブームもあり、そのようなことを言う人々もいたのだろう。
ローリングストーン誌が選ぶ偉大なヘアメタルアルバムトップ10
10位
Cinderella
『Long Cold Winter』(1988)
9位
Mötley Crüe
『Too Fast for Love』(1981)
8位
Kix
『Blow My Fuse』(1988)
7位
Faster Pussycat
『Faster Pussycat』(1987)
6位
Ratt
『Out of the Cellar』(1984)
5位
Skid Row
『Skid Row』(1989)
4位
Mötley Crüe
『Shout at the Devil』(1983)
3位
Bon Jovi
『Slippery When Wet』(1986)
2位
Poison
『Look What the Cat Dragged in』(1986)
1位
Def Leppard
『Hysteria』(1987)
MTVの影響とMTV感覚映画
MTVとは1981年8月1日に創設された24時間ミュージック・ビデオを流し続けるチャンネルである。
ハードロックカフェに行くと流れているやつだ。
12時10分最初に放送されたMVはバグルスの『ラジオ・スターの悲劇』。
原題は『Video Killed The Radio Star』。
グループメンバーのトレヴァー・ホーンはJ・G・バラードの短編「音響清掃」に影響を受けた曲だと語る。この短編は、世界中の音楽を吸い取る音響清掃人が、下水道でオペラ歌手と出会う話である。彼は「時代は過ぎようとしている」とも感じた。このように曲の主題はノスタルジーであり、曲の雰囲気にも反映されている。歌詞では1960年代の技術革新、過去を忘れたくないという願望と、現代の子供達に過去の良さがわからないことへの落胆に触れる。1950年代、そして1960年代初めにはラジオは貴重なメディアであり、そこから「スター」が生み出されていた。
引用:Wikipedia
まさに『ストレンジャー・シングス』は1980年代へのノスタルジーが詰まった作品であり、あの時代から様々な文化が生まれ“スター”が生まれた。
“時代は繰り返す”
“今”を表すのなら『Internet killed The TV Star』かもしれない。
このチャンネルの革新的なところは何と言っても視覚でアーティストの音楽と個性や魅力を伝えられることだ。
そして彼らにとって新たなファンを獲得できる場でもあるため話題性のあるMVを制作することに力をいれた。
マイケル・ジャクソンが良い例だ。
音楽だけではなく、映画にもMTVは影響を及ぼした。
ミュージックビデオを流し続けるMTVのように、その要素を取り入れた映画のことを“MTV感覚映画”と呼んでいた。
ジョージ・ルーカス監督の『アメリカン・グラフィティ』(1973)でもバックに音楽がずっと流れているが、あちらは映画の舞台となる当時(本作なら60年代)のヒットソングを青春時代のエピソードと共に流す手法の映画である。
それらはこの映画の大ヒットにより“アメグラもの”と呼ばれている。
MTV感覚の先駆けとなった映画といえば1983年の『フラッシュダンス』。
派手な音楽が流れるシーンはまるでMVのような作品。
ジェニファー・ビール演じる主人公がプロダンサーになるという夢を実現するまでのサクセスストーリー。
内容よりも音楽とジャズダンスやハリウッド映画として初めてブレイクダンスを取り入れるなど派手な要素が受け、1983年のアメリカ国内興収第3位となった。
また、サウンドトラックは世界中で2,000万枚以上を売り上げた。
本作をプロデュースしたドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーが翌年1984年に手がけた『ビバリーヒルズ・コップ』と1987年の続編も大ヒットした。
そして1986年の『トップガン』が世界中でメガヒットし、“MTV感覚映画”は80年代を象徴するものとなった。
『ビバリーヒルズ・コップ』のサントラは1985年、『トップガン』は1986年の“USビルボード200”で第1位を記録。
プロデューサーは違うが1984年の『フットルース』もこの時代の代表的作品だ。
デイカー・モンゴメリー
1994年11月22日オーストラリア、パース生まれ、現在24歳。
両親がオーストラリアの映画産業で働いていた。
9歳でスクリーンデビュー。
エディスコーワン大学に通い、西オーストラリア・パフォーミングアート・アカデミーの課程を終える。
彼の憧れるヒュー・ジャックマンも全く同じ課程を卒業している。
2010年、『Betrand the Terrible』で長編映画デビュー。
その後2017年の『パワーレンジャー』でレッドレンジャーを演じ知名度を上げた。
インタビュー
Q:キャストの多くはシーズン1以来、よくスナップチャットやインスタグラムなどをしていますが、あなたはソーシャルメディアを同じような使い方をしていませんね。
A:僕は古いハリウッドスタイルが好きなんだ。誰かがいつ何をしているかは、あなたはわからないですよね、僕が映画館にいる時にあなたを見ていたらそのエスケープは破滅してしまいます。つまり、“あなたが昨晩この通りとかニューヨークとか、どこどこのレストランにいたことを私は知っているわ”とかね。僕は自分の少し不確実なところが好きなんだ。仕事に行く準備はできているし、それにとても熱があるんだけれど、僕の日常をみんなに知られたくはないんです。
2019年7月23日彼がInstagram(@dacremontgomery)に投稿した文章
When I was a kid, I was lost.
僕は子供の頃、負けた。
I had a really tough time in school.
学校では本当にキツイ時間を過ごした。
I was a big kid who loved drama.
ドラマが大好きな大きな子供だった。
I never got passing grades, I wasn’t popular or a gifted sports player.
一度も及第点をとらなかったし、人気でもなければ、スポーツの天才でもなかった。
Girls were never interested in me.
女の子は一度も僕に興味を持ったことはなかった。
I suffered from anxiety from a young age.
若い時から不安に苦しんだ。
I was distracted and I wasn’t focused.
気が散って、集中できなかった。
But I had a dream, I was lucky – I knew what I wanted to do. And every night I went home and I focused on THAT.
でも夢があり、ラッキーだった – 自分がしたいことをわかっていた。そして毎晩家に帰り“そのこと”に集中した。
I visualised a future where my dreams became a reality.
僕の夢が実現する未来を描いていた。
When I was 15 I failed my high school drama exams.
15歳の時、高校の演劇テストに落ちた。
When I was 16 I was told I needed to loose weight.
16歳の時、痩せるように言われた。
When I was 17 I was told I should go to drama school and train.
17歳の時、演劇学校に行ってトレーニングした方がいいと言われた。
When I was 18 I was fired from my job.
18歳の時、仕事をクビになった。
When I was in drama school I was told to leave.
演劇学校に行った時、辞めるように言われた。
When I had a DREAM – I was told it wasn’t achievable.
“夢”があった時、それは成し遂げられないと言われた。
Well, you know what….
ほら、ご存じのとおり…
I lost weight, I went to drama school and I never stopped wanting it, I never stopped being curious.
僕は体重を落とし、演劇学校に行き、それを求めることを決して止めなかった、好奇心をもつことを決して止めなかった。
I never let the failures get me down.
失敗が僕をつき落とすことは一度もなかった。
Because I believed in myself and I never let anyone tell me otherwise.
自分自身を信じたから、そして誰にも決して何も言わせなかった。
You can do anything you set your mind to.
心に思い描いたことは君は何でもできる。
So, go out there and get it!
だから、そこに向かってそれを掴むんだ!
ジョイス・バイヤーズ(演:ウィノナ・ライダー)
ジョイス・バイヤーズ
登場シーンの9割は、心配、不安、焦り、怒り、悲しみのうちのいずれかの表情をしている。
ウィノナ・ライダー
1971年10月29日アメリカ合衆国ミネソタ州ウィノナ生まれ、現在47歳。
本名はウィノナ・ローラ・ホロウィッツ。
名前は生まれた地名からつけられた。
12歳で芸能界入り。
高校では芸能活動をしていたことや華奢でボーイッシュな容姿を理由に酷いイジメを受けていた。
1986年、16歳の時に『ルーカスの初恋メモリー』で映画デビュー。
1988年に公開されたティム・バートン監督の『ビートルジュース』ではゴシック風のウィノナが拝める。
黒髪ショートは私のタイプ!!
この頃のウィノナ大好きだなぁ。
しかし学校では「魔女!」と呼ばれいじめられたことを後に語っている。
同年『ヘザース/ベロニカの熱い日』ではクリスチャン・スレイターと共に美男美女共演、私生活で二人は交際していた。
続いて1990年には『シザーハンズ』で彼女の人気は大絶頂に。
共演したジョニー・デップと交際。
婚約もするが1993年に破局。
1992年『ドラキュラ』で復活。
監督はフランシス・フォード・コッポラ。
どれだけウィノナを起用したかったんだ。
そして1993年、マーティン・スコセッシ監督の『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』で
ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞
アカデミー助演女優賞ノミネート
英国アカデミー賞 助演女優賞ノミネート
を果たす。
そして共演のダニエル・デイ=ルイスと交際。
共演者キラー。
ホッパー役のデヴィッド・ハーバーと交際している可能性もありそうだ。
1997年の『エイリアン4』。
製作にも携わった1999年の『17歳のカルテ』。
2000年10月6日には、“ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム”に名前が刻まれる。
この時28歳。
そんなノリノリなウィノナが2001年になんと衝撃の逮捕。
裁判時の写真ですら映画のワンシーンのようになるウィノナ。
2004年には保護観察中の良好な態度が評価され、「重罪」から「軽犯罪」へと減刑された。
その後、彼女はちょくちょく映画に出て…
2010年の『ブラック・スワン』で過去の遺物となった落ち目の演者を演じ自虐を好演。
そして2016年、『ストレンジャー・シングス』にて完全復活。
ゴールデングローブ賞ドラマ部門女優賞にノミネートされた。
子役出身のウィノナが子供たちを見守る姿は感慨深い。
80年代のアイドル人気のウィノナからは考えられないハマリ役であり熱演っぷりである。
インタビュー
キッズについて語る。
「彼らはただただ素晴らしい子供達で、本当に面白くて素晴らしかったわ。それほど共演シーンはなかったのにね。私はミリーと同じ歳にキャリアを始めたから彼女にとても繋がりをもっていたの。だって彼女は女の子で、ほら、子供達と仕事をするのはとても繊細です。特に今日ではみんなインターネットで非難を浴びやすい状況ですし、あなたがその歳だった時よりもたくさんのことを知ってより成熟できる全てがそこにはありますよね。でも私は本当に本当にあの子たちの仕事の向き合い方に感銘を受けました。私は保護的で本能的に成長する姿をみていたから、彼らは私にたくさんの意味をもたらしました。そこにいたくなかった子たちを過去にみてきたけれど、追い込まれていましたね。凄いことにこの子たちはみんなそれが大好きで本当にそこにいたがってたの。そこには本物の仲間意識と興奮が存在していました。そこには“ハァ〜…”がなかった。誰しも追い込まれたら心が折れそうになりますよね。私は本当に彼らの過ごし方に感動しました。私はこのジャンルを一度も経験したことがなかったから私も彼らと同じく凄いわね。本当に一度もこのジャンルを探検したことがなかったの。年上として、女優として、挑戦したことがないことに挑戦したくて、今までに経験したことがない世界で、今まで経験したことのないジャンルでした。全てがクールで魅力的で挑戦的でした。やりがいがありました。たくさんの重い事柄があって、ドラマの内容は幸いなことに小児愛のようなものではありませんでした。行方不明の子供についてですが、私は母親としてのジョイスにとても興味を抱きました。」
「彼女は何が起こったか分かっていません。私は全ての理論が物語っている時でさえ信じて諦めないというアイディア全体に興味をとても抱きました。私の母親にそのことを話しました。私は4人兄弟のうちの1人です。母は“絶対に諦めない”と言いました。続けて“もしライトが話しかけてきても、筋が通らなくても、みんなに狂っていると思われても?”と聞くと“それでも構わない。あなたが信じなきゃ。”、私はそのことに惹きつけられたわ。」
ジム・ホッパー(演:デヴィッド・ハーバー)
ジム・ホッパー
食べ過ぎなジャック・ニコルソン。
シーズン2第2話、警察署にてホッパーが、農家のおっちゃんからカボチャ畑が荒らされて困っている相談を受けている最中、ホッパーの付き人であるポンコツそうな部下二人が合いの手をいれる。
「カボチャ陰謀事件」ニヤッ。
「チャイナタウンだな。」ニンマリ。
『チャイナタウン』(1974)のニコルソンとホッパー
監督はロマン・ポランスキー。
そして主演がジャック・ニコルソンなのだ。
なんともセンスのあるジョークだ。
その後にホッパーが渋る表情があればなおさらよかったのだが、
おそらくポンコツ二人から裏では“食べすぎなニコルソン”呼ばわりされているんだろうな。
私がなぜ食べ過ぎを強調するかと申しますと、今でこそニコルソンは太っているが、この当時1980年代は痩せていたからだ。
映画は1930年を舞台にニコルソン演じる私立探偵が殺人事件に巻き込まれていくフィルムノワール。
『プレデター』のジム・ホッパー
アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』(1987年6月12日全米公開)に登場する、アメリカ陸軍特殊部隊群のリーダーの名前がジム・ホッパー。
なおプレデターに皮を剥ぎ取られた死体として登場している。
死体の首からドッグタグ(認識票)を外し、シュワちゃんが名前を音読している場面がある。
ちなみに部隊の中にはホーキンスという名前の隊員がいる。
しかし彼が町の名前の由来なのかは知りえない。
ちなみにプレデターが発する独特な音はデモゴルゴンのそれと酷似している。
デヴィッド・ハーバー
1975年4月10日アメリカ合衆国ニューヨーク州ホワイト・プレーンズ生まれ、現在44歳。
1999年、ブロードウェイミュージカル『The Rainmaker』に出演しキャリアを始める。
同年、『ロー&オーダー』に1話だけ出演しスクリーンデビュー。
2005年、スピルバーグ監督の『宇宙戦争』に港で働くスタッフとして出演したが、港のシーンを見る限り映っていないのでカットされたものと思われる。
同年、『ブロークバック・マウンテン』では、ジェイク・ギレンホール演じる妻のいるカウボーイと惹かれあう、同じく妻のいるカウボーイという難しい役柄を演じた。
なおこの時に監督のアン・リーから「もっとハンサムに、もっともっと」と求められたことが、俳優人生の中で最も難しかったと語っている。
2008年、主演のケイト・ウィンスレットとレオナルド・ディカプリオが『タイタニック』(1997)以来の共演と話題になり、夫婦役を務めた『レボリューショナリー・ロード』ではウィンスレットの役と不倫する隣人役を演じた。
2019年4月には身体を鍛え上げて主演した『ヘルボーイ』が公開されるも、残念ながら批評も興収もうまくいかなかった。
そして2020年にはマーベル作品『ブラック・ウィドウ』の公開を控えている。
なんと彼が演じるのは“アレクセイ”という名前のロシア兵。
ストシン要素をごちゃごちゃに詰め込み過ぎな気がする。
クーパー捜査官とホッパー署長の対談
2018年6月の『Variety』によるカイル・マクラクランとデヴィッド・ハーバーの対談から一部分を抜粋
『ツイン・ピークス』でお馴染みのクーパー捜査官と、『ストレンジャー・シングス』のホッパー署長の貴重な対談である。
この2つのドラマを視聴した人にはちょっとした事件であろう。
両者の“奇妙な共通点”については後述しているのでご覧あれ。
マクラクラン
『ストレンジャー・シングス』は並外れていますね。あなたは役にパワーと存在感を送り込んでます。ドラマの中心です。とても印象的ですね。
ハーバー
ありがとうございます。とても一生懸命やりました。みんな私が突然発掘された(俳優)と思っているけれど、私は長い間仕事をしています。この大きなドラマの助演をしたことでハリウッドのキャリアにおいて確実な居場所を手に入れたように思っています。6話か7話目に出演して、銃を持って走り回ってるだけのつもりでした。悪い警官とかになるんだろうなぁって。この役を得たときのことを覚えています。“これは今までやってきた時よりも違うやり方でやらなきゃならないぞ”って。役作りにはたくさん時間を費やしました。部屋で凄く静かに居心地の悪そうにずっと一人で座ってね。
マクラクラン
台本を読んで、躊躇のようなものはありました?キャラクターや世界観は不確かでしたか?彼らは何が起こるかあなたに説明しましたか?
ハーバー
不安定でノイローゼにもなりました。克服するのに大きなハードルでした。台本を読んだ時、これは傑作だと思いました。その時は3、4ヶ月ほど時間が空いてました。あまりいい出来とは言えないシリーズのオファーが来たところでした。こう思ったのを覚えています、“やろうかな。少し仕事をするつもりだったけれど、ニューヨークに戻って演劇をやろうか”って。
そしたらマネージャーが言いました。“(キャスティング監督)カルメン・キューバがこのシリーズであなたにとても興味を持っていますよ”って。私は“何なりと”って返答しました。
それから彼らが台本を送ってきました。たくさんの人々がこう言うけれど、私が今まで読んだパイロット版の中で最も良かったんだ。そのとき思ったんだ。“あの役を得るのは無理だろうな”って。Netflixシリーズの主役級の男の役だし、“彼らはスターのところにいくに違いない”と思いました。だから冗談がてら読んでました。本当にこんなことが起こるなんて思ってもいませんでした。こうなった時は本当に怖かったです。シーズン2では彼が少し開けてきていたからより演じるのは簡単でした。シーズン1は私の人生で最も惨めな時間でしたし、最高の時間のようでもありましたが、ただただ一生懸命にやりたかった。
“君はここで一発当てた。なぜとても有意義な人生の6ヶ月の犠牲を怖がるんだ”って思ってました。私たちはアトランタに撮影しに行って、私は何人かとほんの少しだけ交流しました。ホッパーは家の中で座ってとても憂鬱な気分なんだろうなぁ。ほとんど外に出ないんだろうなぁ。キャラクターについてたくさん考えていました。私はウクレレをほんの少し習い始めてました。だからヘンテコな曲を座って弾いてましたよ。とても悲しくなったのを覚えています。撮影し終えた時のことも覚えています。アトランタからニューヨークまで友達と運転して戻ってました。それはとても奇妙なことでした。私は普段はとてつもなくお喋りで陽気な人間なのに。友達と車にいたのに、一切話そうともしませんでした。
マレー・バウマン(演:ブルット・ゲルマン)
マレー・バウマン
シカゴ・サンタイムズの元新聞記者。
現在は私立探偵。
バーバラの両親にバーバラの行方を捜査するため雇われた。
マレーの収集品
彼の家には政治オタクを感じさせる収集品がたくさんある。
その一つとして彼のソファーの後ろに貼ってあるポスターには、“Informed Opinion Courts”というスローガンが書かれている。
これは1935年から1943年のアメリカによって作られたプロパガンダポスター。
マレーの収集マニアっぷりが伺える。
ブルット・ゲルマン
1976年10月6日アメリカ合衆国イリノイ州ハイランド生まれ、現在42歳。
インタビュー
『ストレンジャー・シングス 大解剖』から引用
マレーは新聞記者だったころに、何かを暴こうとして家族を失っている。
娘に関する過去の過ちを正したかったからバーバラの行方を捜査しています。
彼のキャラクター像は70年代の被害妄想的な政治スリラーのようなんだ。
ダファー兄弟が例に挙げていたのは、『大統領の陰謀』(1976)、『パララックス・ビュー』(1974)、『マラソンマン』(1976)や、『ジョーズ』(1975)のマットのような人物。
彼は真実を見抜いて周囲の人の目を覚まそうとする。
バーバラ・ホランド(演:シャノン・パーサー)
バーバラ・ホランド
1967年9月13日生まれ。
1983年11月8日命日。
ナンシーとは親友関係。
親切で注意深く繊細な性格。
頭がいい。
赤毛でピンクが好きな女の子といえば『プリティ・イン・ピンク』(1986)の主人公を思い起こす。
また、今あるゾンビの原型を創り上げたジョージ・A・ロメロ監督作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)のリメイクで特殊メイクアーティストのトム・サヴィーニが監督した1990年版に登場するその名もバーバラは、『ストレンジャー・シングス』のバーバラとそっくりな容姿(赤毛、眼鏡、服装)なのでこちらを参考に創り上げたキャラクターだと思われる。
1968年版の時にもバーバラは登場していたが、その際にはただただ叫んでは怯えている女性であった、しかし90年版では戦いの中で次第に勇ましくなっていく女性へと変わっている。
また、68年版では終盤にゾンビの犠牲になってしまうが、90年版では最後まで生き残る。
つまりは、“ファイナル・ガール”。
ナンシーは『エルム街の悪夢』のヒロインであり、“ファイナル・ガール”。
しかし、『ストレンジャー・シングス』のバーバラは最初に犠牲となる“ファースト・ガール”。
この違いも面白い。
話変わってファッションにはうるさそうなバーブ。
ナンシーが車の中で着替えた時に着けていたブラジャーを見て、
「それ、新しいブラ?」と一言。
さすがはバーブ。
親友のブラジャーまでも把握している。
そんな彼女は16歳の若さでデモゴルゴンに殺される。
死因はナンシーの悪気のない誘い。
最期の言葉は“ナンシー!!!!!!!!!!!!”
“バーバラに正義を”運動
シーズン始め早々にデモゴルゴンに襲われ行方不明になったバーバラ。
その後、ウィルばかりでバーバラの行方をホーキンスの街全体がロクに捜査しないことに視聴者は憤りを感じた。
ナンシーがバーバラの母に電話してバーバラが帰宅しているか聞くも帰っていないと言われる。
そして、バーバラに連絡するよう伝えてと言われると、ナンシーは「あっ図書館にいたんでした。」とデマカセを言う。
いやデマカセではなく皮肉なことに、彼女の死体はアップサイドダウンの図書館にいるのだ。
バーバラの最期の言葉は
“ナンシー!!!!!!!!!”(2回目)
あれは親友への恨みと妬み嫉みがこもった怨念の叫びともとれる。
シーズン4の1話目のタイトルは『蘇るバーバラ』かもしれない。
実はすでにその予兆が感じられるシーンがあったのだ。
シーズン2第2話での図書館でのシーン。
ナンシーが鉛筆を削っている最中にバーブの後ろ姿が見える。
結局彼女が振り向くとただのそっくりさんだったのだが、これは図書館で死んだバーバラの生霊ではなかろうか…考えすぎか。
バーバラの扱いが雑になってから、SNSでは#JusticeForBarbや#WeAreAllBarbといったエールを送るハッシュタグが流行り、バーバラ支持がファンの間で高まっていった。
ジミー・ファロンが司会を務めた2017年ゴールデングローブ賞の『LA LA LAND』(2016)の音楽に合わせたオープニングパフォーマンスでは、エル、マイク、ダスティン、ルーカスらが登場しエルがラップを披露。
そのラップの最後で彼らはこう言った。
「Barb still alive!!(バーブはまだ生きている!!)」とネタバレをしたのだ。
そして次のカットでプールから浮かび上がり復活するバーバラ本人。
お分かりの通りこれは全て嘘だった。
「Bar’ve already died!!」
子供達にまでこんな扱いを受けるバーバラ。
しかしファンの声はシーズン2の脚本には少なからず影響を与えたようだ。
制作のダファー兄弟やショーン・レヴィ監督らは、シーズン1は6、7日間ほどの出来事のため、バーバラに主点を置いて描くほどの時間がなく、シーズン2で彼女について描く予定であると当時言及していた。
そしてシーズン2では彼女の死にスポットが浴び大きな役割が与えられる。
第2話でナンシーはこう言う。
「みんな忘れて気にもしてない。ご両親は家を売って、生涯を娘の捜索にかけるつもりよ。気の毒に。」
おいナンシー、お前が気にしなかったために彼女は死んだんだ。
彼女はお前の運転手じゃないんだ。
用が済んだら帰っていいよって…。
バーバラが地獄で彷徨っているときにお前はスティーブとゴートゥーヘヴンかよ!
シャノン・パーサー
1997年6月27日アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ生まれ、現在22歳。
女優デビュー作が『ストレンジャー・シングス』。
現在、テレビドラマ『リバーデイル』(2017~)に出演中。
2018年には初主演映画『シエラ・バージェスはルーザー』がNetflixで配信された。
インタビュー
2017年10月30日のインタビューから抜粋
Q:ドラマのセットから小道具をくすねるなら何が欲しいですか?
A:間違いなくバーブのメガネ。とてもアイコニックなものです。衣装を試着している時を覚えています。“ちゃんと使えるか、いくつかメガネを試着しておこう”と思ってつけて、私たちはあれが彼女にあうものだって分かったの。
Q:たくさんの人がハロウィンにバーブの仮装をしています。あなたは何を着るつもりですか?
A:私のお気に入りの映画の一つは『ザ・クラフト』(1996)なの。
魔女が大好きです。だから、フェアルザ・バルク演じる“ナンシー”になるつもりです。とても興奮しているわ。私はとげとげの首飾りと黒のアイライナーを手に入れました。きっと最高な感じになるわ。
相当ナンシーのことを恨んでいるようだ。
エリカ・シンクレア(演:プリア・ファーガソン)
エリカ・シンクレア
1975年生まれ。
シーズン2:9歳
シーズン3:10歳
ルーカスの妹。
口癖は“Nerd”。
オタクが“ナード”と呼ばれる理由
シーズン3第6話で計算が得意なことが判明するエリカ。
それをダスティンに「You are are nerd」といじられる。
「君は数学が得意だ。そして政治マニアだ。“マイリトルポニー”好き。アップルジャックはドラゴンに代わる。メーガンとポニーたちも魔法で自らを助ける。世界は真実を隠せない。ケンタウロスや城、魔法はオタク要素だ。だからオタク好みで、つまり、エリカ、君もオタクだ。」
「なぜ詳しいの?」
「なぜなら俺はオタクだから。」
「行こう、オタク。」
「You…」
と初めて言い返せなくなるオタクのエリカ。
彼女は純粋なる“オタク”だったのだ。
『マイ・リトル・ポーニー』とは、
エリカが背負っていたリュックに描かれていたキャラクター。
1981年に子供向け番組『ロンパールーム』向けキャラクターとして発表された。
1982年に商品化され、1984年4月14日から1987年9月23日までアニメが放送され人気を高めていった。
“オタク”といえばどんな人を思い浮かべる?
映画に登場する“オタク”も様々だ。
ハーマイオニー(『ハリー・ポッター』)
データ(『グーニーズ』)
ジョージ・マクフライ(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』)
ナポレオン・ダイナマイト(『ナポレオン・ダイナマイト』)
“Nerd”という言葉が初めて使われたのは、1950年に出版されたセオドア・ス-ス・ガイゼル(ペンネーム:Dr. スースー)が書いた児童向け絵本『If I Ran the Zoo』とされている。
しかし現在の“オタク”という意味はなかった。
それは単に空想上のクリーチャーの名前であった。
絵本の物語は、少年が動物園を訪れた時に自分だったらもっと奇妙で新しい動物を見せたいってことで、様々な架空の生物を連れてきてオリジナルの動物園を作るという妄想話。
その中の1匹が“Nerd”という名前の生物。
この絵のタッチを見てある人物を連想するだろう。そう…。
“グリンチ”だ!
そう、このDr.スースーはグリンチの原作絵本『How the Grinch Stole Christmas!』(1957)を手掛けた作者なのだ。
『グリンチ』は2000年にジム・キャリーが演じ実写化され、
2018年にはCGアニメ化もされている。
以上が“Nerd”の起源。
絵本が出版された翌年1951年に、デトロイト周辺でティーンのスラングとして“流行遅れのダサくてイケてない人”のことを指し、言い換えれば“まぬけ”で“やぼったい”というニュアンスの言葉である“Nerd”という新しい単語が広まった。
しかしこれがわずか1年前に出版された、ティーンが読むとは思えない“Dr. スースーの絵本”によって広まったのか、それよりも前から存在したのかは情報が無いが、ミシガン州の南東(デトロイト)から広がったことは間違いないようだ。
プリア・ファーガソン
2006年10月1日アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ生まれ、現在12歳。
インタビュー
Q:シーズン2の後に私はダファー兄弟と話して、エリカを次のシーズンに絡ませることをすでに考えていたように思います。いつ彼らの計画に気づきましたか?
A:その記事を見て、私のエージェントは私の母にメールを送りました。だから私は本当にわくわくしましたよ。
Q:彼らはシーズン3でのエリカの行動についてしっかりあなたに伝えてましたか?
A:いいえ。台本を受け取るまで待たなければいけませんでした。
Q:大きな役割を見たときどのように感じましたか?
A:驚きました。嬉しかったです。このシーズンが彼ら(ダファー兄弟)のおかげで素晴らしいものになることは分かっていました。光栄でした。信じられませんでした。
Q:シーズン2の後にオンライン上でエリカにたくさんのポジティブなリアクションがありましたね。どれくらい気づきましたか?
A:私はソーシャルメディア上にはいないんです。私のママがいくつかのリアクションを見せてくれました。本当に最高で驚きました。でも私はソーシャルメディア上にはいません。返信を読んで彼らのことを聞いてはいますが、いつもそこにいるわけではありません。活発的なユーザーではないので。
Q:あなたはアカウントをもっていますよね?あなたのママが管理しているのですか?
A:はい、そうです。母が管理していますが、母は私と一緒に投稿したい事柄を共有するつもりです、それか見せてきます。良いものも悪いものも。
Q:あら、良いものも悪いものも?
A:はい、私にとってそれを知るのはいいことです。傷つきたくはないけれど(笑)
Q:その手のことでどんなことを言われましたか?
A:えっと、私は無視しているの。そのようなことは。準備はできてました。全てが良いことばかりになるとは期待してませんでした。
Q:それはあなたについてじゃない。キャラクターについてですよね。
A:その通り。反応の大部分は、彼女は本当に最高ってものです。物凄く素敵で、ファンはとても私のキャラクターが大好きなの。
Q:今シーズン、エリカはいくらか辛口な言葉を使いますよね。そのことにあなたはどのように感じて、あなたの母はどう感じましたか?
A:私のママは、凄く前向きでしたよ。“まぁ、いいじゃない。家であんな嫌なやつにならなきゃね”って感じに言ってました。“大丈夫、これは仕事。だから私は理解してるわ”って。それを言われて安心しました。どの子もそう言われたら安心しますよね。私は“わーお私っていやなやつ?”って感じでしたよ。
Q:あなたは許可をもらったのね。あなたのママは、それが仕事のためならあなたを怒ることはできないのね。
A:そうなの!(笑)
Q:エリカの大きな仕事の一つは通気口を通り抜けることですね、それでスクープス・トループはロシア人が隠れていることを発見するわけですから。あれはどんな撮影でしたか?
A:通気口を這いつくばって進む撮影をしたとき、小さなアクション映画のように思えました。
Q:どれくらいあの空間で過ごしましたか?
A:1日から4日くらいだったかな。その中に長時間いることはありませんでしたよ。
Q:あなたが閉所恐怖症にならなかったかと不思議に思っています。
A:なりませんでしたよ。
Q:あなたがシーズン2のためにオーディションの準備をしていた時、1980年代について調べていたと読みました。どんなことを調べましたか?
A:“Computer Love”のような80年代ミュージックを聴いてました。それと『E.T.』とかも映画も見ました。私のママは80年代のファッションを教えてくれて、ママが80年代にしたこともいくつか教えてくれました。それから私のおばあちゃんのアルバムを見ました。
Q:あなたはドラマの前にそれらの音楽と映画を知りましたか?それとも『ストレンジャー・シングス』がイントロダクションになりましたか?
A:私は普段から80年代と90年代のファンでした、だからもともと少しは知っていたの。でもドラマはさらに学ばせてくれましたね。
Q:何があなたを80年代ファンにさせましたか?
A:私は古いものに熱をもっています。それが80年代に入り込んだ理由です。だからいつも私はその熱を持ってました。
Q:ご存知の通り、たくさんのストレンジャー・シングス製品がありますね。バスキンロビンス、ニューコーク、何か買ったり試したりしましたか?
A:アイスクリームは食べましたね。私たちはバスキンロビンス(サーティワン)にいて、そこにはストレンジャー・シングスのアイスクリームがあるのを知ってました。だから私は“Eleven’s Heaven”を選んで、他にもプラリネアイスを試しました。
Q:どうでした?
A:おいしかったです。
Q:あなたは中学生ですよね?
A:はい。
Q:レギュラースクールにまだ通ってますか?それとも演技コースに通っているのですか?
A:私は公立学校に通ってます。通常の学校ですね。最高ですよ。両立してる感じです。天狗にならないように。
Q:ドラマに出て以来、クラスメイトにちょっかい出されたり何か変わりましたか?
A:何人かは私を探すようになりましたが、みんな今までと同じように触れてくれます。何か変わったようにはしてきません。私は演劇部に入ってますが、何も変化はありません。先生も同じく接してきます。祝ってくれましたが。
Q:新シーズンが出て何日か経ちましたが、今回大きな役割があったことで、現在、人々の反応の変化に気づきましたか?
A:はい。間違いなく、たくさん気づいています。おそらく1日に1度は。クリーヴランドの空港にいたとき、私の元にファンが近づいてきたの。だいたい4人のファンが手荷物を受け取るところで待ってました。彼らは私を囲んで、最初の段階だったと思うけど、私に「違った」って言ったの。それから私のホテルの外にもファンがいました。彼らはFunkoのPopsをもって、サインを求めてきました、最高でしたよ。
Q:ダファー兄弟は計画があるにもかかわらず、シーズン4のアナウンスをしませんでした。エリカが次に演じる役柄を何か知っていますか?
A:私はシーズン3に興奮していて、ファンにも本当に興奮しています。シーズン4があるのなら、それはすばらしいものになると思いますが、今はシーズン3に本当に浸っています。
Q:最後の質問です。エリカのセリフであなたのお気に入りはありますか?
A:あります。
“あなたはエリカなしにアメェリカを書けない”
Q:あなたがそう言うと分かってました。
ロビン・バックリィ (演:マヤ・ホーク)
ロビン・バックリィ
1968年生まれ。
シーズン3:17歳
大学生。
演劇とバンドに励む。
テンションが高かったり、やる気がなかったり極端。
スペイン語、フランス語、イタリア語が話せる。(シーズン3第2話より)
映画と共に振り返る70年〜80年代の同性愛
ロビンはレズビアンであることをカミングアウトした。
スティーブの恋はいつ成就するのだろうか。
1924年、アメリカで最初の“同性愛者権利組織の人権協会”がシカゴでヘンリー・ガーバーによって創設される。
1969年6月28日から7月2日にかけて同性愛者の初の暴動となる『ストーンウォールの反乱』が発生。
ニューヨークのゲイバー『ストーンウォール・イン』に令状をもった8人の警察が訪れ大勢いた客の中から一部を逮捕した。
そのことに憤りを感じた同性愛者たちがその警察らに対して暴動を起こしたのが発端。
しかし今までも警察が訪れることは度々あり、その際に逮捕者が出ても傍観者でいるだけであったのに、なぜこの時だけ暴動になったのか明確な理由はわかっていないが、背景にはある1人の女優の存在があっ。
1969年6月22日、同性愛に理解を示していた数少ない著名人の1人であった女優ジュディ・ガーランドが、亡くなってからわずか6日後に“ストーンウォールの反乱”は起きた。
1939年に公開された『オズの魔法使い』で彼女は主演を務めた。
そして彼女が歌う“Somewhere Over the Rainbow”は今なお愛される名曲だ。
当時13歳のガーランドは肥満気味だったため、製作会社MGMは契約に“スリムでいること”と記載し強制的なダイエットを命じた。
体質的に太りやすかった彼女は、当時のハリウッドのスタジオでダイエット薬として使用されていた“覚醒剤(アンフェタミン)”を常用するようになる。
そのため劇中ではハイの状態で演技をしている。
その後、薬物中毒になった彼女は1969年6月22日に睡眠薬の過剰摂取により47歳で死去。
彼女自身バイセクシャルだといわれていて、元祖ゲイアイコンとして支持を集めていた。
映画と歌詞全体が何か妄想のようでひっかかる。
公開されたのは1939年8月25日。
そのわずか1週間後には第2次世界大戦が勃発。
世界事情が悪化を辿るばかり。
主人公ドロシーに“アメリカ国民の心情”を投影させ、虹の向こう側に“希望”を求めていたに違いない。
虹は“多様性”と“共存”を表している。
人は美しい虹に“平和で自分らしくいられる自由”を長らく投影してきたといえる。
1972年ハワイ州で同性愛が合法化。
1973年、メリーランド州がアメリカで初めて同性婚を認めた州となる。
1977年、ハーヴェイ・ミルクがカリフォルニア州サンフランシスコ市会議員に選ばれる。アメリカ史上初めてゲイであることを明かした上で立候補し選挙で当選した公職者となった。
映画化された『ミルク』(2008)で主演のショーン・ペンが“アカデミー主演男優賞”、そして“脚本賞”を受賞した。
1977年9月13日から1981年4月20日まで放送されたテレビドラマ『ソープ』にて(今までは隠していたため)初めてゲイであることを公にしている役をビリー・クリスタルが演じた。
1978年6月25日、サンフランシスコで行われた『ゲイ・フリーダム・デイ・パレード』で初めて使用された“レインボーフラッグ”は、1974年にミルクに出会い親しい関係になり影響を受けた、ギルバート・ベイカーが手染めで制作した。
「我々は自分たちを表現した何かを必要としていました。その虹はとてもフィットしています。我々は全ての色、ジェンダー、そして人種を兼ね備えています。それは自然の旗です。虹は空にあり、そして美しい。まるで自然の魔法の一部です。」
虹色のそれぞれの意味
濃いピンク:セクシャリティ
レッド:生命
オレンジ:癒し
イエロー:日光
グリーン:自然
ターコイズ:魔法と芸術
ブルー:静穏と調和
パープル:精神
30人ちょっとでひとつの旗を掲げた。
最初は8色バージョン。
“Somewhere Over the Rainbow”に着想を得て提案された。
そして第1次世界大戦の勝利メダルからもインスパイアされたという。
1978年11月27日にハーヴェイ・ミルクが暗殺されたことにより、追悼の意を表して、ベイカーの働いている“The Paramount Flag Company”のもとに発注が大量にかかった。
しかし濃いピンク色の布地が手に入らなかったため7色に変更を余儀なくされた。
その後1979年、サンフランシスコの街頭に垂直に旗を下げたところ中心の一色が隠れて見えなくなるため、ターコイズ色は外され現在の6色となった。
1979年10月14日、初めてワシントンでレズビアンとゲイの権利を求めたナショナルマーチが行われた。
参加者は75,000人から125,000人と言われている。
1982年3月2日に、ウィスコンシン州がアメリカで初めて同性愛者に対しての差別を禁止した州となる。
ざっと80年代まではこのような感じ。
70年代と80年代の同性愛を描いた映画を振り返ろう。
『ベニスに死す』(1971)
休暇でベニスを訪れたオジサンが、絵画のように美しい少年に一目惚れしたことで、心身ともに崩壊していく“老い”を少年のもつ“若さ”と対照的に見せた。ルキノ・ヴィスコンティ監督作。
『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)
ティム・カリーがあからさまな格好をして歌って踊りまくるミュージカル。
大手配給会社(20世紀FOX)が、映画の中で初めて大胆なゲイを登場させた作品だといわれている。
『クルージング』(1980)
被害者がゲイである連続殺人事件の捜査のためゲイの社会に潜入捜査したアル・パチーノ演じる刑事が、ゲイの世界にのめり込んでしまい、その葛藤と変貌を『エクソシスト』(1973)のウィリアム・フリードキン監督が描く。
『アナザー・カントリー』(1983)
全寮制のパブリックスクールを舞台に男子学生たちの同性愛を描く。
この作品がきっかけで“ゲイ”の見方が変わった人々も多いくらいに重要な1本。
『モーリス』(1987)
同性愛が犯罪とされていた20世紀初頭のイギリスを舞台に、惹かれあいながらも拒絶しあい、対照的な人生を歩んでいく二人の青年を儚く描く。
本格的に本作で映画俳優デビューとなったヒュー・グラントの登場で、英国俳優ブームが起こる火付け役になった映画。
人生縛られて生きる必要はない。
自分らしく生きましょう。
マヤ・ホーク
イーサン・ホークとユマ・サーマンの娘。
ぜひともシーズン4では日本刀を振り回してもらいたい。
『ガタカ』(1997)の共演を機に、1998年5月に結婚、しかし2005年にイーサン・ホークの浮気が原因で離婚。
ちなみにユマ・サーマンは1990年から1992年までゲイリー・オールドマンと結婚していた。
2017年にテレビ・ミニシリーズとして放送された『若草物語』では主演のジョー・マーチを演じていたが、同じ役を1994年版ではウィノナ・ライダーが演じている。
そんなウィノナは、ベン・スティラーが監督を務めた『リアリティ・バイツ』(1994)で父イーサン・ホークと共演している。
8月16日に『To Love a Boy』と『Stay Open』の2曲をリリースし歌手デビューした。
グラミー賞受賞ソングライターであるジェシー・ハリスの力も借りながら自身で作詞をしている。
透明感のある綺麗な歌声だ。
ミュージック・ビデオは、トム・ハンクス演じる青年と人魚の交流を描いた『スプラッシュ』(1984)を意識したのかな?
インタビュー
Q:シーズン3のキャストに加わってどうでしたか?
A:とてつもなく圧倒されましたが、そこにいた時間は、みんなが本当に優しくて歓迎してくれて、すぐにホームのように感じました。私は本当にビクビクになるかと予想していて怖かったんですが、みんなが私の緊張を取り除いてくれました。彼らはとても包み込んでくれて協力的でした。
Q:現場で誰に最も親近感を寄せましたか?
A:多分(エリカ役)プリアかな。スクープトループ(アイスクリームチーム)全体が私のホームです。彼らは素晴らしかった。とても才能があって、一緒に仕事をするのがとても楽しかったです。だから彼らは間違いなく私がセットで親近感を寄せた人々です。それからダファー兄弟も、撮影を通して個人的に最も近くにいた人たちです。
Q:『ストレンジャー・シングス』の現場で働いたことにより学んだ最も重要なことは何でしたか?
A:私はアクションは以前全くできませんでした。ロシア人から走って逃げながらアクションをする際の演技方法を学びました。攻撃を受けている時、役のままでいる方法もね。そこで学んだ経験はとても面白かったです。衣装から学んで、カメラから学んで、質問をして。大きな教室ですね。
Q:シーズン4が発表されたら、ロビンに何を望みますか?
A:私はダファー兄弟が正しいと思ったことは何でも従います。彼女がビデオストアを探っているといいなぁ。本当に贅沢な環境だと思います。それから彼女が人として成長し続けることを望みます。
Q:あなたの母のお気に入りの映画は何ですか?
A:とても面白くて楽しくて元気が出て母が歌って踊っているから、私は小さい頃からずっと『ザ・プロデューサーズ』がお気に入りです。あの映画は間違いなく私が小さい頃から最も見た回数の多い映画で大好きです。
Q:あなたには敬愛している俳優がいますか?
A:もちろん、いっぱいいますよ。ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジュリアン・ムーア、ダイアン・キートンなどです。私に影響を与えた女性や男性の名前を全員あげようと思ったら頭が爆発しちゃいそうです。私が畏敬の念を払っている若い女優も今現在います。マーゴット・ロビーには夢中になっていますし、シアーシャ・ローナンも。彼らがする仕事は信じらないものです。
Q:『ストレンジャー・シングス』はカルト人気を得ていますね。そのことを何か経験しましたか?シーズン1が配信された時の他のキャストのように、ソーシャルメディアのような何かから夜通し連絡を受けましたか?
A:私はソーシャルメディアや、あの世界にそんなに活発的ではないんです。アカウントはあるけれど、ドラマが配信された時に私はアプリを消したの、だって私は見たく…わからないわ。ドラマの影響力の大きさに神経質になっていて、みんながそのキャラクターを好きではなかったらと心配になりました。ただただ神経質になっていたから、ある種、隠れようと決意してレビューも読まないで、何も見ませんでした。世界中のみんなの意見を取り入れようとするにはたくさんありすぎます。
生みの親ダファー兄弟と製作裏話
マット・ダファー/ロス・ダファー
1984年2月15日アメリカ合衆国ノースカロライナ州ダラム生まれ、現在35歳の双子。
ダファー兄弟は小学校3年生の時に両親からもらった8mmビデオカメラで映画を撮影し始めた。
学生時代に毎日昼食を車のボンネットの上でとっていたことが『ストレンジャー・シングス 大解剖』で明かされた。
幼稚園で留年したことも(スティーブ役)ジョー・キーリーに明かされた。
Q:何人の子供達にオーディションしたのですか。
マット:1000人は見たね。ほとんどが会って5秒で違うってなって帰ってもらったよ。ダスティンを演じたゲイテンは、彼が送ってきた最初のテープを見てキャスティングしたんだけどね。
Q:今の子供達はドラマでのノスタルジーを感じさせるポイントを知らないと思いますが、何か課題を出しましたか。
ロス:『スタンド・バイ・ミー』は全員に見せたよ。あと他にも見てほしい映画をいくつか伝えた。
マイク役のフィンは映画ファンで、それらをすでに何度も見ていたよ。
マット:僕らはずっと“ピエロ”が怖かったね。僕はまだ克服していないけど。テレビ映画の『IT』(1990)を観たせいだな。思い出したくない、あれはダメだ。本も読んだよ。4年生か3年生の時に、だから幼すぎたんだな。
ロス:10歳の時だったか僕らは『死霊のはらわた』(1981)を観たんだ。その頃なんてまだ作品のユーモアがわからなかったし、ただただ怖かったんだ。『エルム街の悪夢』(1984)も同じだ。最高の映画だし、最高のコンセプトなんだけどね。
マット:フレディ・クルーガーは僕らを怖がらせたよ。
『ヘルレイザー』(1987)は本当にめちゃくちゃだったね。
ロス:でも僕らが『ストレンジャー・シングス』で描こうと思ったことは日常のことなんだ、『エルム街の悪夢』みたいに。若者や、あなたの周りにいる人々が巻き込まれるようなね、それから説明のできない恐怖要素をいれて。
それはフレディ・クルーガーだったりクライヴ・バーカー(ヘルレイザーの監督)がやってきたこと。
そのような固有理論があるけれど、それはただただ奇妙なんだ。
普通のアメリカ人の生活を送るあなたが説明不可能な恐ろしい出来事に巻き込まれた時、今までで一番の恐怖を感じるだろう。寝てる時に考えるんだ、「私はフレディに天井に引き上げられて掴まれるの?」って。
Q:今あなたの怖いものは何ですか。
マット:大規模なパーティーと、ピエロより怖がらせるこのインタビューかな。
マットはこのトラウマをシーズン2第3話で、ボブがウィルに恐怖と闘う方法を伝えるシーンで描いている。
Go away! Go away!
マット:(ホーキンスのある)インディアナ州は“典型的なアメリカ”だからこそ何かヤバいことが起こるところです。
元々『ストレンジャー・シングス』はニューヨークのモントークを舞台にしようとしてました。ロングアイランドの東側の先端のところにある町だね。スピルバーグの『ジョーズ』に影響されて沿岸部で考えていたんだけれども、コストが高くて計画を変えました。
僕らはスティーヴン・キングの(メイン州の)架空の町“キャッスルロック”についてたくさん話し合いました。
僕らも自分たちの架空の町を創ったら最高にクールじゃない?
現実世界に影響されなくて、やりたいことを何でもできるからね。
ロス・ダファーは『ストレンジャー・シングス』とインディアナ州について話している時、1970年代の2つの映画を調べたという。
ロス:僕らのお気に入りの映画でインディアナ州が舞台の『未知との遭遇』(1977)と『ヤング・ゼネレーション』(1979)だね。
これらの映画の美学を見て、インディアナ州に取り入れようと興奮しました。
『未知との遭遇』はマンシーが舞台でアラバマ州モビールで撮影されました。
ブルーミントンが舞台の『ヤング・ゼネレーション』は実際には大学都市で撮影されていました。
『ストレンジャー・シングス』はジョージア州で撮影しています。
ロスの言う“美学”とは、『未知との遭遇』では撮影地は違うがSF要素を加えオリジナルなインディアナ州を創り上げたこと、そして実際にインディアナ州で撮影され舞台も同じ『ヤング・ゼネレーション』は、インディアナ州で暮らす人々の様子と自然風景をありのままに見せたこと、それらが“何かが起きている”田舎町ホーキンスにも影響を与えたと捉えることができる。
彼らは『ダンジョンズ&ドラゴンズ』よりも、1993年に発売された世界初のトレーディングカードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング』を遊んで育った。
「僕らは、“くそっ、ドラマの子供達は『マジック:ザ・ギャザリング』を遊ぶことができないじゃないか、まだ発明されてなかった”って感じでした。」
とマットは笑いながら言う。
「僕らはD&Dで遊んだんだけど。全くうまくできなかった。」
「僕らは80年代にぼんやりとした記憶をもっていました。」とロスが言う。
「でも僕らの子供時代はまだインターネットと携帯電話の前の段階だった。友達と森に出かけたり、線路を歩いたりする最後の世代だった。両親が僕らに言ってくる事といえば、“夕食の時間ですよ”くらいだった…。僕らはさらに映画オタクで、何度も繰り返し見た80年代の名作映画のVHSを全て持っていました。そのことが70年代後半と80年代前半の映画を引用しているきっかけです。」
2人の新星はこのファンタジーシリーズを製作するために、どのようにNetflixに売り込んだのだろうか。
「僕らはこれまで一度もテレビドラマの製作について聞いたことがなくて、テレビドラマの関係者にも会ったことはありませんでした。」とロスは言う。
「それから(プロデューサーの)ドナルド・デ・ラインが僕らに『Hidden』(兄弟の監督作)の脚本を読んだことを伝えてきて、『ウェイランド・パインズ』(2015)について聞いてきました。あれは僕らのトレーニング場になって、M・ナイト・シャマランは僕らにとっての偉大な恩師になりました。ドラマが放送された時までに、僕らは“オッケー、ドラマのやり方はわかっている”って感じでした。そしてそれが『ストレンジャー・シングス』を書いた時でした。」
『シックス・センス』(1999)でお馴染みのM・ナイト・シャマラン監督は彼らが書いた『Hidden』の脚本を読んで、監督とエグゼクティブ・プロデューサーを務めた『ウェイランド・パインズ』の脚本とプロデューサーに彼らを雇った経緯がある。
兄弟は最初、ヒュー・ジャックマンが主演したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作『プリズナーズ』(2013)から影響を受けた。
ジャックマン演じる父親が行方不明になった娘を探すうちにモラルの壁を超えてしまう。
「僕らは“あの映画がHBOやNetflixで8時間やってもうまくいかなかったんじゃないかな?”って思ったんだ。」とマットは言う。
「だから僕らは行方不明者の物語について話し合い始めました。それは大きなスクリーンで、あの音で、あのキャラクターを見ることは最高だけれど、僕らはそれがより必要だと考えました。」とロスは要求した。
「行方不明になった子供のアイディアと僕らが持っているより純真な感覚を組み合わせるというアイディアにしました。そこに人々を食うモンスターをいれただろ?僕らはオタクで子供心をもっているから、それは今までで最高の事だと思ったよ。」
ロスが“冷戦時代に起きた奇妙な実験について”話し始めた。
特にCIAが50年代から70年代に行っていた“MKウルトラ計画”や“マインドコントロール計画”についてを。
それがドラマの舞台を『若き勇者たち』が公開される前の1983年に設定したきっかけであり、彼らが含みたかったその物語をファンタジー観点から描くことをもたらした。
「僕らはいくつかの方法で科学を描く超常現象の要素を求めてました。」とマットは言う。
「馬鹿げたことに、モンスターは神秘の領域からは来ないし、それは宗教的なものでもない。ただ怖がらせる。僕は幽霊を信じてないけれど、エイリアンや他次元は信じています。」
「一度僕らは80年代がそれには最高の時期だって決めたんだ。僕らが影響を受けたものが最も多い時期で、全ての事柄に対してのオマージュを捧げることができると気づきました。多分僕らはスティーヴン・キングの本とスピルバーグの映画での感覚に少しだけ共感することができたのだろう。ドラマのアイディアを一つにするためにこれら全ての影響を受け入れました。」
最初の『ストレンジャー・シングス』の脚本を書いた後、彼らはNetflixが制作してくれる機会を与えてくれるとは思っていなかった。
彼らの“メインキャラクターである4人の子供がドラマの中心なのに、子供向きのドラマではない”というアイディアに重役が躊躇して、15分か20分で様々なネットワークに断られるだろうとマットは見積もっていた。
“子供番組にしたらどうだ”とか、“ホッパーが町の超常現象を調査する話にしたらどうだ”とか、その中の一人はそのように彼らに言ってきた。
「それなら僕らはドラマに関する全ての面白みを失います。」とマットが返答した。
「“みんな理解しないから、これはうまくいかないだろうな”って感じの一週間がありましたね。」とマット。
しかしその後、一度ストリーミングサービスと契約を結ぶとキャスティングは容易かった。
彼らは男の子らにオーディションをして、キャスティング監督にカルメン・キューバ氏を迎え、ジョイス・バイヤーズ役の女優を探させた。
「彼女の最初のアイディアはウィノナ・ライダーで、僕らはそのアイディアにすぐに惚れました。」とマットは言う。
「彼女は10年ほど表舞台からほんの少しだけいなくなっていたけれど、『スター・トレック』や『ブラック・スワン』などの映画で活躍していましたから、“くそイカしてる!”って思いましたよ。どれくらい彼女を恋しく思っていたかすぐに思い出せる。加えて、ウィノナは僕らの子供時代にとても大きな役割を果たしたからね。僕らのVHSコレクションの中には彼女の映画がたくさんありました。」
彼らはウィノナに台本を送った。
「彼女は賭けに乗り、僕らを十分に信じてくれました。」とマットは言う。
このドラマはオンライン上で“イースターエッグ探し”が流行った。
ダファー兄弟はレーガン政権下の映画を見直す時間がなかったという。
「僕らは何度もそれらを見て記憶していました。」とマット。
「僕らはそれらの映画の感覚を捉えようとしました。数々の名作映画とこのドラマのシーンを比較した映像を作った人もいて面白かったなぁ。いくつかは狙ってやったのもあるし、いくつかは無意識なものもあります。」
本人も気付かずにオマージュシーンを取り入れているとは実に面白い。
彼らはさらにデジタル特殊効果を使うのを避けベストを尽くした。それは彼らが予測していたよりもさらに難しいことを証明した。
「最初に僕らは言いました、“昔のやり方でモンスターを作っていこう”ってな感じで、それからスケジュールと予算に気付いたんだ、僕らは実際の効果を試すのに6ヶ月もないということを。」とロスは言う。
「だから僕らは両方が持つベストを尽くしました。モンスターを作ったけれど、膜の壁を突き破ったり天井から出てこようとするモンスターは時間がなくて作れませんでした。僕らはデジタルを使ったね。実物と結合させました。J.J.エイブラムスは『スターウォーズ/フォースの覚醒』で本当にうまくやったなと思います。あれは全てがCGではなく、全てが実物でもなく、両方だったから。」
製作兼監督ショーン・レヴィ
1968年7月23日カナダ、ケベック州モントリオール生まれ、現在51歳。
インタビュー
2016年7月『Variety』のインタビューより抜粋
Q:どのように『ストレンジャー・シングス』に関わったのでしょうか?
A:1年とちょっとくらい前にダン・コーエン(レヴィの製作会社『21 Laps Entertainment』の副社長)が言ってきたんだ、“君はこの脚本を読まなきゃ。この子ら(ダファー兄弟)に会わなきゃ。”って。僕は『ストレンジャー・シングス』のパイロット版の脚本を読んで、ダファー兄弟をオフィスに招きました。ミーティングが終わる前に、僕がこれをスクリーンに導く役割をしなければいけないことをわかっていました。それはダンが発掘した最高のダイヤモンドの原石でした。僕はそれに惚れこみ、完全に彼らの虜になり、賭ける価値があると感じました。
1980年代の世界年表
1980年
9月22日 イラン・イラク戦争勃発。
12月8日 ジョン・レノンが殺害される。
1981年
1月20日 ロナルド・レーガン大統領就任。
4月12日 スペースシャトル コロンビアがスペースシャトルとして初めて宇宙に到達。
1982年
10月19日 デロリアン・モーター・カンパニーが倒産。
1983年
4月15日 東京ディズニーランド開園。
7月15日 任天堂がファミリーコンピュータを発売。
1984年
1月24日 アップルコンピュータがマッキントッシュを発売。
8月30日 スペースシャトル ディスカバリーが打ち上げに成功。
11月6日 レーガン大統領が再選。
1985年
9月1日 沈没したタイタニック号が大西洋で発見される。
1986年
1月28日 スペースシャトル・チャレンジャー号が爆発事故、乗組員全員死亡。
4月26日 チェルノブイリ原子力発電所で大規模な爆発事故が起きる。
1987年
7月11日 世界人口が50億を突破。
1988年
3月18日 東京ドーム開場。
4月14日 ソ連がアフガニスタンからの撤退に合意。(ジュネーヴ合意)
5月23日 レーガン大統領がソ連訪問、首脳会議。
9月29日 チャレンジャー号墜落以降初のスペースシャトル・ディスカバリーが打ち上げ成功。
11月15日 ソ連の宇宙シャトル「ブラン」が打ち上げ成功。無人で地球軌道を206分間周る。
1989年
1月20日 ジョージ・H・W・ブッシュが大統領就任。
4月21日 任天堂がゲームボーイを日本で発売開始。
6月4日 北京で天安門事件が起きる。
11月10日 ベルリンの壁崩壊。
12月17日 アメリカで『ザ・シンプソンズ』が放送開始。