夢に挑戦する者たちへ捧げる映画です
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
ほのぼの感想&解説
まず始めに、チャールズ・マンソンおよびマンソンファミリーについては別の記事に書くのでここではそれほど触れません。
タランティーノが言っていた通り、『アメリカン・グラフィティ』(1973)のように当時の音楽、ラジオが鳴り渡り、全体を通して明るくポップな印象が残っている。
いつものタランティーノ作品より駄話も少なく、60年代を生きる人々の日常が淡々と進んでいく。
リックとクリフの俳優とスタントマンの関係性は、当時のハリウッドでよくあったコンビ。
バート・レイノルズとハル・ニーダムのコンビを参考にしているようだ。
残念ながら、本作に盲目の牧場主のジョージ・スパーン役で出演が決まっていたバート・レイノルズが亡くなったため、ブルース・ダーンが演じていた。
ハル・ニーダムはカーチェイスをテーマにしたレイノルズ主演作『トランザム7000』(1977)で、スタントの他に、原案、そしてレイノルズの勧めで監督も務めた。
続く『グレートスタントマン』(1978)ではレイノルズがスタントマン役で主演を務め、ニーダムが監督とスタント。
『キャノンボール』(1981)でもニーダムが監督とスタントを務めた。
ジャッキー・チェンが日本人役で出てたなぁ。
ニーダムはレイノルズの所有するゲストハウスに住んでいたこともあるほど私生活でも仲良しだった。
まさにリックとクリフだ。
また、ハル・ニーダムは朝鮮戦争で空挺歩兵として戦場に赴いていた。
これはクリフが第2次世界大戦の帰還兵という設定に影響を与えている。
リック・ダルトンのことを語ろう。
彼がセリフを忘れてしまい、子役の前で泣き出してしまう場面や、自暴自棄になる場面、そしてその後必死にセリフを覚えて、本番でアドリブもうまくいき納得の演技を監督にも褒められ、子役にも感心されて思わずグッときてしまう場面など、リックの人間味溢れる可愛らしいキャラクターに特に好感を持てた。
休憩中にウォルト・ディズニーの自伝を読みながら、リックに役者魂を熱く語るその子役なのだが、将来有望で前しか向いていないその子を見て、そして彼の読む西部劇の小説の内容が今の自分と重なり、不安と老いを感じたのだろう。
そして野心と希望で溢れた若い自分を見ているようで悲しくなったのだろう。
どんな可能性も秘めた前途洋洋な若者と、これから下り坂を歩む老いぼれ。さぞかしつらい。
子役が熱心に自分は“アクトレス(女優)”ではなく“アクター(俳優)”だとリックに語っていたのが、ハリウッドのギャラや、身分などの女性差別問題をタラちゃんなりにさりげなく食い込ませたのかなと思う。
ウォルト・ディズニーといえば、劇中にも登場し、タラちゃんの監督作『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)、『ヘイトフル・エイト』で主演を務めたカート・ラッセルと関わりが物凄く深い。
彼は子役時代にディズニーと10年間もの大型契約を結び、ディズニー作品にいくつも出演していた。
子供の頃から60年代のハリウッドの映画産業を知る俳優の1人なのだ。
1969年の時、彼は18歳。
劇中ではランディというスタントマンを演じている。
そんなランディの妻でスタントコーディネートを務めるジャネットを演じているのは、『デス・プルーフ in グラインドハウス』で自称スタントマンを名乗るマイク役を演じたカート・ラッセルをラストでボコボコにしていたゾーイ・ベルである。
また、彼女自身スタントマンであり、ニュージーランドで撮影されたアメリカテレビドラマ『ジーナ』(1995~2001)で主人公ジーナ役のスタントマンとしてキャリアをスタートした。
その後アメリカに渡り、『キル・ビル』(2003)と『キル・ビル Vol.2』(2004)でタランティーノ作品に抜擢され、主演のユマ・サーマンのスタントを務めた。
『デス・プルーフ in グラインドハウス』で印象的なシーンである、車のボンネットにしがみつくアクションはもちろん彼女が自身でこなしている。
そんな彼女が今回は本職のまま登場し、さらにカート・ラッセルを尻に敷いているのだから、タランティーノは笑いのツボをしっかり押さえている。
落ち目の俳優リックのように、この頃のハリウッドで彼らがとった行動はテレビシリーズに出るか、海外の映画に出るかであった。
リックはテレビドラマのパイロット版ばかりに出まくっていた。
その中でも彼が悪役を務めた『対決ランサー牧場』は実在し、1968年~1970年までCBSにて放送されていた。
そして『FBIアメリカ連邦警察』(1965~1974)では、バート・レイノルズが演じていた役を完璧に再現している。
60年代のレイノルズは、映画よりもテレビドラマにちょこちょこ出演する機会の方が多かった。
それもリックのキャラクター像に影響している。
上記のドラマにも計2話しか出演していない。
そんなキャリアに伸び悩むリックはアル・パチーノ演じるマーヴィンの提案でイタリア製西部劇、つまり“マカロニ(スパゲッティ)・ウェスタン”に挑戦するためイタリアに向かう。
帰国する頃には脂肪を蓄え、髪型も変わり、イタリア系の妻まで手に入れるという、わかりやすいくらいの成功を手に入れて帰ってきた。
彼に似たルートで成功を収めた俳優がいる。
クリント・イーストウッドだ。
彼はキャリアはじめ、ハリウッドで何本もの映画の端役を務め、西部劇テレビドラマ『ローハイド』(1959~1965)で主演を務めたことにより知名度と人気を高めた。
そして1963年後半、彼のもとにセルジオ・レオーネ監督から『荒野の用心棒』(1964)のオファーが届く。
これは当時無名のレオーネが、黒澤明の『用心棒』(1961)を非公式で西部劇にリメイクしたものであったため東宝から訴えられている。
マカロニ・ウェスタンはこの映画のヒットにより、1965年ごろからスペインで主に撮影されイタリアで大量生産された。
このあと『夕陽のガンマン』(1965)、『続・夕陽のガンマン』(1966)でレオーネとイーストウッドはタッグを組み、これら3作は前2作の原題と大ヒットにより“ドル箱三部作”と呼ばれている。
なお三部作で音楽を担当したのはエンリコ・モリコーネ。
レオーネとは『荒野の用心棒』で初タッグを組み、彼の遺作でありタランティーノの今作のタイトルの由来となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)まで音楽を務めた。
なお、レオーネ監督作品で1968年公開の邦題は『ウェスタン』だが、原題の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』も影響を与えている。
そしてモリコーネはタラちゃんの『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)でオファーを受けたが断っていた。
しかし『ヘイトフル・エイト』(2015)で再度熱烈なオファーを引き受け、第88回アカデミー賞作曲賞を受賞した。
彼が西部劇のために作曲したのは実に35年ぶりの事だった。
話が逸れたが、以上の3部作でイーストウッドはイタリアでの知名度を上げたが、アメリカで公開されたのは1967年(3作同年公開)のため、『ローハイド』以降しばらく忘れられた存在であった。
そしてそれらがアメリカでも大ヒットして人気俳優となった。
その後イーストウッドはアメリカに戻り、ドン・シーゲル監督と『マンハッタン無宿』(1968)で初タッグを組み、『真昼の決闘』(1970)、『白い肌の異常な夜』(1971)と続き、『ダーティ・ハリー』(1971)で彼は“ハリウッドスター”となった。
出典:100BestMovie.com | ベストムービー100マカロニ・ウェスタンの特徴は、ハリウッド・ウェスタンが復讐もののヒーロー像を描いたのに対して、マカロニはアンチ・ヒーローを描き、とにかく殺しまくり無駄に暴力的で残酷描写を多く取り込んだことにより目新しさが生まれた。
ちなみにその時代のDVDが製造され販売されている本数が最も多い国は日本である。
目新しいものには必ず飽きられる時代が到来する。
マカロニ・ウェスタンは1970年代前半に廃れていった。
しかしリック・ダルトンはイーストウッドとは違うセルジオのもとで成功を収めた。
セルジオ・コルブッチ監督だ。
代表作は『続・荒野の用心棒』(1966)、『豹/ジャガー』(1968)。
この2つの作品で主演を務めたのがフランコ・ネロ。
彼はタランティーノ監督作『ジャンゴ 繋がれざる者』にゲスト出演している。
なぜなら『続・荒野の用心棒』は『荒野の用心棒』とは何ら関係なく、原題は『ジャンゴ』なのだから。
そしてこの作品のテーマ曲をタラちゃんはそのまま使用している。
タラちゃんは二人のセルジオが大好きだが、リックをコルブッチの方へ派遣したようだ。
ちなみにバート・レイノルズもハリウッドで西部劇『ガンスモーク』(1962~1965)や刑事もの『夜間捜査官ホーク』(1966)に出演してからイタリアに渡り、コルブッチ作品『さすらいのガンマン』(1966)に主演している。
そしてリックは1970年公開の『ネブラスカ・ジム』という架空の映画に主演。
終盤に彼の出演した映画のポスターが続々登場する。
コルブッチの『ミネソタ無頼(英題:Minnesota Clay)』(1965)のパロディ。
次に英題に訳すと『Kill Me Now Ringo, Said The Gringo』のポスター。
“Gringo”とはアメリカ人の男のこと。
コルブッチ監督作『リンゴ・キッド』(1966)のパロディ。
こちらの場合、イタリア語タイトルは『Johnny Oro』だが、英語タイトルが『Ringo and His Golden Pistol』と入り組んでいる。
主演のマーク・ダモンは1956年にハリウッドでキャリアをスタートしたアメリカ人俳優。
60年代にルキノ・ヴィスコンティ監督に招待され、拠点をイタリアに移した。
マカロニ・ウェスタンを含む40作品以上のイタリア製映画に主演。
なんと先述の『続・荒野の用心棒』で主演のジャンゴ役に考えられていた人でもある。
1970年代半ばにプロデューサーに転向して、1977年にハリウッドに戻り、現在まで活動している。
『モンスター』(2003)でプロデューサーを務め、ウルフギャング・ピーターセン監督の『ネバーエンディング・ストーリー』(1984)と『Uボート』(1981)や、『ショート・サーキット』(1986)、『ロスト・ボーイ』(1987)などでエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。
続いてスティーブ・マックイーンについて。
彼はシャロン・テートと、彼女の美容師であり元婚約者のジェイ・セブリングと交友関係があり、事件当日テートの家での夕食に招待を受けていたが、マックイーンの彼女が行くのを嫌がったため彼も行くことはなかった。
なお、マンソンファミリーの殺害者リストに彼は載っていたことも明らかになっている。
彼はまたブルース・リーとも交流があった。
当時リーはテレビドラマ『グリーン・ホーネット』でカトー役に抜擢されたことで、自身の武術をハリウッドの俳優やプロデューサーに指導していた。
その中にロマン・ポランスキーや妻のシャロン・テートもいたわけだ。
ブルース・リーと武術家として交友があったのが、“孤高のアクションスター”としてお馴染みのチャック・ノリス。
『ドラゴンへの道』(1972)では主演兼監督のリーから“敵役”での出演を依頼され終盤に直接対決をする。
そんなチャックの道場に息子のチャドとともに稽古に通っていたのがスティーブ・マックイーン。
映画冒頭でリックとクリフがインタビューを受けていた『Bounty Law』という西部劇は、彼の主演作『拳銃無宿(原題:Wanted Dead or Alive)』(1958~1961)のオマージュ。
マックイーンもまた、テレビドラマから映画への切り替えに成功した俳優の1人である。
初めて映画で端役を得たのが、ジェームズ・ディーンが亡くなったことにより主演を代わりに務めたポール・ニューマンの『傷だらけの栄光』(1956)。
その後、『マックイーンの絶対の危機(原題:The Blob)』(1958)で初主演を務めた。
この間に『拳銃無宿』が放送され知名度を上げた。
彼の転機になる映画が『荒野の七人』(1960)。
彼は自身でアクションをこなすこともあったが、怪我をされては撮影に支障が出るので保険や契約の関係上、『大脱走』(1963)の有名な鉄条網をバイクで越えるシーンはバド・エキンズが務めている。
この『大脱走』もまた、劇中でリックが主演をする可能性があったとして彼が当時のオーディションを振り返る場面と妄想が回想される。
実際の映像からマックイーンを消し、ディカプリオをCGで組み込んでいるのだが、かなり大変な作業だったらしく、2019年5月のカンヌ国際映画祭で上映された時点でこの映像は完成していなく、その際は回想の映像は入らず、ただ会話するシーンのみであった。
主演になれなかったのに自慢気に話しちゃうリックがまた可愛いのなんの。
彼の人生大きな成功を掴めていなくても、自分の俳優人生を楽しんでいるのが伝わるし、なによりやりたいことを全力でやっていることが素敵。
続くマックイーンの『ブリット』(1968)でもド迫力のあるカーチェイスのアクションはスタントマンのローレン・ジェーンが務めている。
しかし今の時代、スタントマンなしに自分で保険料を払うことで製作会社に口出しできないようにしている人物がいる。
その名もトム・クルーズ。
彼の自暴自棄な頂点を極めたアクションが『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(2018)。
次に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のスタントマンのクリフ・ブースについて。
まず、ヒッピーを車に乗せる場面だが、クリフを誘うヒッピーガールに対して年齢を確認し、未成年だとわかると相手にしない。
これはシャロン・テートの夫ロマン・ポランスキーが影響している。
彼が1974年に監督した『チャイナタウン』で主演を務めたジャック・ニコルソンの家で、13歳の子役少女モデルに性的行為をした容疑で逮捕され有罪判決を受けた。
その後42日間拘留され釈放された。
彼はアメリカから逃亡し、パリに移住。
以降アメリカには一度も訪れていない。
『戦場のピアニスト』(2002)でアカデミー監督賞を受賞したが、その際も授賞式には出席していない。
1978年にフランス市民権を取得。
本作でテートが本屋を訪れ『テス』の初版本を買うシーンがあるが、その後ポランスキーはこの小説を1979年に映画化することになる。
そんなポランスキーは『テス』で主演を務めた当時15歳のナスターシャ・キンスキーと性的関係を結んでいた。
また、『ポランスキーのパイレーツ』(1986)でデビューした女優シャーロット・ルイスが2010年に記者会見を開き、16歳の時にポランスキーから彼のアパートで性的虐待を受けたことを公表した。
なお、彼は2018年5月に性的行為を理由に映画芸術アカデミーから除名されている。
そんなロリコン性的虐待野郎にお咎めをなしたクリフの拒絶シーンであった。
それに加え、タランティーノは2003年にラジオ番組『ハワード・スターン・ショー』にてポランスキーの13歳の少女に対する性的虐待に対して、“彼女が望んでいたこと”と彼を擁護する発言をしている。
この発言は“Me too運動”の勢いが増した2018年に取り上げられ批判殺到。
タランティーノは被害者に謝罪し、自身の過ちを認めた。
そしてセクハラ問題のトップに君臨し、ハリウッドを長きに渡り牛耳っていたハーヴェイ・ワインスタインが次々に告発された際に、タランティーノはさらに批判を受けている。
彼の作品の多くは、ワインスタインが設立した映画会社ミラマックスとワインスタイン・カンパニーで配給や製作されており、ワインスタインとも良好な関係を結んでいた。
しかし彼のセクハラを知っていたにもかかわらず、一切口出しをしなかった。
出資されてきたのだから言えるわけがない。
また、タランティーノの過去の恋人である女優ミラ・ソルヴィノもワインスタインの被害者の1人であった。
当時ソルヴィノからそのことで相談を受けていたのに彼は何もできなかった。
しかしここでさらに面白いのが、タランティーノとは対照的にブラッド・ピットだけはワインスタインと当時から闘っていたのだ。
彼の元恋人グヴィネス・パルトロウ(1994年から交際、1996年11月に婚約、1997年に破局)はワインスタインからセクハラを受けており、それをピットに相談した。
ここまではタラちゃんと同じ展開。
そしてパルトロウは2018年にラジオ番組『ハワード・スターン・ショー』でそのことを公表した。
これまた同じ展開で驚き。
タランティーノがポランスキーを擁護した番組だ。
パルトロウは『Emma エマ』(1996)の出演契約後に、ワインスタインからホテルに連れ込まれ、マッサージを要求されたという。
彼女は2つの映画で彼と契約中だったため不安で拒否できず言いなりになってしまった。
この報告を受けた当時の恋人のブラピは、後日デートで『ハムレット』の舞台を見に行った際にワインスタインと遭遇。
その際、ブラピはワインスタインに警告した。
「もしまた彼女に不快な思いをさせたら殺すからな。」
大手プロデューサー相手に真っ向から直接対決した男気に溢れる発言。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のあの場面で面白いのは、タランティーノの反省も見られるところ、しかしポランスキーを皮肉れる立場なのかは怪しいところ、そして最強の男ブラッド・ピットとクリフ・ブースに託したところ。
なお、ブラッド・ピットはタランティーノ監督作『イングロリアス・バスターズ』(2009)で主演を務めているが、配給はユニバーサルとワインスタイン・カンパニーである。
彼はユダヤ人を救っただけではない。
映画界を救ったのだ。
まさに男の象徴!!
映画には必ず裏に隠された制作者のメッセージが存在する。
それを読み取ればさらに面白くなる。
彼がマンソンファミリーの拠点であるスパーン牧場に足を踏み入れた時に、緩かった映画の様子がガラリと変わる。
越えてはならない悪の支配する領域に入ってしまった、西部劇のならず者の主人公のように。
圧倒的アウェイ感にもかかわらず堂々として、タイヤをパンクさせる“悪魔の仕業”に対して制裁を加えた。
どうやら彼は怒らせない方が身のためだ。
しかしながらキャリア始めはヒッピー役が多かったブラッド・ピットにとっては面白い配役だ。
『テルマ&ルイーズ』(1991)、『カリフォルニア』(1993)、『トゥルー・ロマンス』(1993)、『12モンキーズ』(1996)、『スナッチ』(2000)。
ラリッてるか車に乗せられる側だったわけだ。
しかし『ファイト・クラブ』(1999)で圧倒的スター性を見せつけた。
クリフは、タイラー・ダーデン以来のかっこよさではなかろうか。
本作では無駄に脱ぐサービスショットもあるが、バキバキに仕上げてきて惚れ惚れする。
55歳とは思えない。
第2次世界大戦で兵役を経験したクリフは生きているだけで幸運だと思っているので、死の恐怖を感じなくなったのだろう。
フィジカル面の強さは牧場でタイヤをパンクさせた野郎をぶっ飛ばす場面、そしてブルース・リーとの対決場面でよくわかる。
ファンは納得いっていないようだが、本作のブルース・リーはネタキャラ的扱いでタラちゃん得意のB級感が出ていてよかった。
実践では飛び蹴りは使わなかったそうだが、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)では飛び蹴りを炸裂している。
このイメージが本作でも利用されたのだろう。
シャロン・テートにアクションを教えている回想映像を挿入してきたが、ものすごくアホっぽさが出ていて凄く素敵。まるでカラオケでモニターに流れる素人MVのように。
それにしても顔がロック・リーなんだよなぁ。
本人はもっと男前なのに。
クリフの話に戻すと、彼はいつ死んでもいいやくらいに思っており、その余裕がマンソンファミリーが襲ってきた際に表れている。
それにしてもあのワンちゃんしつけがなっている。
彼も映画に出演しているスタント犬なのかもしれない。
いや実質的にこの映画に俳優として出演しているのだから。
ちなみに犬がマンソンファミリーを噛み殺すシーンはきっと『ブラジルから来た少年』(1978)のラストのオマージュ。