特集!映画紀行
ダース・ベイダーの創り方
ダース・ベイダー、『スターウォーズ』を観たことが無くたってその存在と風貌は知っている。
シルエットだけでも彼だとわかる。
それくらいまでに20世紀を代表するキャラクターの1人。
そんな世紀の悪役はどのように誕生したのだろうか。
ダース・ベイダーの中の人
ダース・ベイダーの作りは細分化しなければならない。
まずは中に誰が入っているのか。
アナキン・スカイウォーカーである…。
という話はここでは必要ない。
実際にはデヴィッド・プラウズという俳優が中に入っている。
彼に焦点を当てたドキュメンタリー映画『アイ・アム・ユア・ファーザー』(2015)をもとに、彼の経歴から話を進めていこう。
198cmの体格を生かして英国で重量挙げ王者になった彼は、ボディビルダーの道を歩もうとしていた。
そんな中、デパート内のジムでトレーナーをしていた1969年、そこの常連だったハマー・フィルムの製作者が彼に会い、屈強な身体を見て新作への出演をオファーした。
『ホラー・オブ・フランケンシュタイン』である。
もちろん彼はフランケンシュタインの怪物を演じている。
その後は脇役で『吸血鬼サーカス団』(1971)に出演し、『フランケンシュタインと地獄の怪物』(1974)では再びフランケンシュタインの怪物を演じ、ハマー・フィルムを中心に活動していった。
面白いことに、後者の作品では後に『スターウォーズ/新たなる希望』(1977)で同じような役柄で共演することになるピーター・カッシングが出演している。
ダース・ベイダーよりも立場が上なターキン総督を演じ、プラウズ演じるベイダーと横並びになるシーンも多かった。
『フランケンシュタインと地獄の怪物』(1974)では主役のフランケンシュタイン博士を演じている。
力関係では怪物の方が強いが、権力では博士より劣っているという点が、ターキン総督とダース・ベイダーの関係と重なる。
というのもただの偶然ではなく、ジョージ・ルーカスが単にハマー・フィルムのファンであったことが主な要因である。
また、当時のSF映画は子供向けの娯楽作という位置づけだったため、新人俳優ばかりを主役に起用した『スターウォーズ/新たなる希望』に、アレック・ギネス(オビ=ワン役)らベテラン俳優を脇で固めることにより権威と説得力を生み出す意図もあった。
ちなみに『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002)で初登場したドゥークー伯爵を演じたクリストファー・リーもまた、ハマー・フィルムの『吸血鬼ドラキュラ』(1958)で初めてドラキュラ伯爵を演じて以来、計8度同役を演じているのだが、彼とピーター・カッシングはヴァン・ヘルシングとドラキュラの関係で共演することが多かったため、それを含めて計22回も共演している。
『スターウォーズ』で共演することはなかったものの、二人はプライベートでも仲の良い関係であった。
ダース・ベイダーの中の人、デヴィッド・プラウズはその後スタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』(1971)に出演する。怪物ではなく一人の人間として。
そしてCMでは屈強な男を代表するキャラクターことスーパーマンを演じることになる。
それから数年後に映画化が決定し、自ら立候補するも、監督のリチャード・ドナーにこう告げられた。
「クリストファー・リーヴを鍛えてくれ」
スーパーマン役に抜擢されたクリストファー・リーヴは当初痩せていたため、プラウズをトレーナーとして雇ったのだ。
1日中撮影した後でも毎晩2時間のトレーニングを欠かさず行い、地球をも救えるあの肉体が完成したのだ。
いよいよ今度こそデヴィッド・プラウズがスーパーマンになる時が来た。
1976年、ハマー・フィルムの撮影が行われていたエルストリー・スタジオにて、ジョージ・ルーカスからの“驚くほどの身体的存在感のある男を見つけてこい”という指令のもと、ダース・ベイダー探しが始まった。
私は思った…シュワは何してるんだ。
同じボディビルダーじゃないか!
アーノルド・シュワルツェネッガーは『SF超人ヘラクレス』(1970)で映画界デビューを果たし、『ロング・グッドバイ』(1973)で筋肉見せびらかしお笑い要員として出演し、ダース・ベイダー発掘調査が始まった1976年には『ステイ・ハングリー』でジェフ・ブリッジスと筋肉を弄んでいた頃だ。
もしもこの時点で『コナン・ザ・バーバリアン』(1982)が公開されていたら、間違いなくアーノルドがダース・ベイダーになっていただろう。
ジョージの指令である「驚くほどの身体的存在感のある男」にこれ以上当てはまる男はいない。
といいつつ彼の身長は188cm。プラウズは198cmなので比べてしまうとたしかに“驚くほど”ではないのかもしれない。
もしシュワが抜擢されていたとしても、案の定プラウズと同じように訛りが強いために声は吹替えされていたことだろう。(この件はあとに詳細を記載)
実際、『SF超人ヘラクレス』ではシュワのオーストリア訛りが強かったために、彼の声は別の人に吹き替えされてしまっている。
なお後にDVDが発売した際にはしっかりとシュワの声が収録されている。
もしもジェームズ・キャメロンが彼を『ターミネーター』(1984)に抜擢しなければ、彼もカリフォルニア州知事にはなっていなかったかもしれないし、変わらずなっていたかもしれない。
危ない危ない、隙あらばシュワちゃんの話をしてしまう幼少期からの癖を治したい、いやもう治らない。
エルストリートに派遣されたキャスティング担当は、プラウズを見た瞬間に「彼こそダース・ベイダーだ」と感じた。
その後、石膏師が彼の体の型を取り人形を作成し、それを基にベイダーのスーツを作った。
『スターウォーズ』に登場する巨大の男といえばもう一人存在する。
そう、ウォーウォッウォ(チューバッカ)である。
ルーカスはプラウズに2つの選択肢を与えた。
「主人公に味方する毛むくじゃらのゴリラのような男か、敵のボス、どちらがいいか」
もちろんプラウズは後者に即決した。
ちなみにチューバッカを演じたピーター・メイヒューはなんと218cmの巨体である。
ダース・ベイダーの声
1977年5月25日『スターウォーズ』が公開した。
大ヒットを記録し、この日からSF映画の歴史は変わった。
しかしデヴィッド・プラウズは険しい表情だった。
彼は撮影現場で共演者が演じやすいようにしっかりとセリフを喋ったが、当のダース・ベイダーの声は吹き替えられてしまったのだ。
ハリウッドでセリフを多く話す役柄を得るには、綺麗な英語を発音できることが必須である。
そうでなければアメリカ人は観てくれない。
プラウズは西の訛りの強い地域出身で、彼の話す英語はSF映画には合わないとされ、撮影段階で「機械的な音声にするので君の声は編集する」と伝えられていた。
『スターウォーズ』でサウンド・デザイナーを担当したベン・バートは、ベイダーの機械音を作成するためにスキューバダイビングの用品店に行き、マイクを酸素マスクの中に入れて実際に装着して呼吸音を録音した。
そして録音した呼吸音はセリフの呼吸に合うように編集でリズムを変えた。
重要となるダース・ベイダーの声はジェームズ・アール・ジョーンズが演じ、呼吸音はベン・バートが担当していることになる。
声は違うが、ジョーンズもルーカスもベイダー役はデヴィッド・プラウズだと公言している。
しかしプラウズは自身の声が変えられたことを公開するまで知らなかった。
I am your father
シリーズ2作目『スターウォーズ/帝国の逆襲』が公開された。
もはやこんなにも世界中で知られる当たり前の驚愕の事実はないだろう。
「私はお前の父だ」
観てない人でさえ知っているこのネタバレを知らない人がいるのかどうかを調査するだけで、2時間のドキュメンタリー映画を作れるのではなかろうか。
撮影当時、デヴィッド・プラウズは別の台本を渡されていた。
その台本にはこう書かれていた。
「オビ=ワンがお前の父を殺した」
こちらでも十分衝撃ではある。
しかし撮影当日に、脚本のローレンス・カスダンとルーカスと監督のアーヴィン・カーシュナーが話し合い、このセリフは変更された。
「ベイダーをルークの父にしよう」と。
発案はルーカスである。
この変更を絶対的な秘密にするため、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルにも誰にも一切伝えられなかった。
撮影後の編集で変更され、公開まで御三方とプロデューサーのゲイリー・カーツしか知ることはなかった。
そのセリフを言う本人であるプラウズも映画館で観てからその事実を知る。
しかし奇妙なことに、プラウズは1作目公開直後のインタビューで、続編が作られた場合、内容がどのようになるか予想を聞かれこう答えている。
「ベイダーがルークの父なら面白いね」
当時この記事を読んだプロデューサーのゲイリー・カーツは、こういった発言で映画が台無しになってしまうため気を付けるようプラウズを注意したという。
この段階では続編の製作すら決まっていなかったのだから、プラウズはフォースを使ったとしか言いようがない。
ダース・ベイダーはスーパーヒーロー
プラウズは『スターウォーズ』の撮影の合間をぬって“グリーン・クロス・マン”を撮影した。
交通安全のCMキャラクターである。
同時期に善と悪のキャラクターを演じていたために、イメージを危惧して運輸省にCMを降板させられかけたという。
プラウズはこのCMキャンペーンに14年ほど関わり、計9回ほどCMに出演した。
功績は大きなもので、英国で年間4万件の交通事故を半分の2万件に減らしたのだ。
この長年に及ぶ功績が称えられ、2000年にプラウズは大英帝国勲章を授与された。
なお、帝国にもかかわらずダース・ベイダーが讃えられることはなかった。
現場でダークサイドに追いやられるベイダー卿
1982年1月11日『スターウォーズ/ジェダイの帰還』が公開。
デヴィッド・プラウズは撮影期間中ずっとリチャード・マーカンド監督に無視され続けた。
そしていつの間にかスタントマンのボブ・アンダーソンの方が声を掛けられることが多くなっていった。
我慢できなくなったプラウズは彼に何をしているのか聞いたところ、「ベイダーが皇帝を投げ落とすシーンを撮る」と答えた。
1週間何度もそのシーンの撮り直しが続き、ついにプラウズが監督のもとへ動き出した。
どうやらマーカンド監督はプラウズが皇帝を持ち上げられないと思っていたらしく、彼はこう言った。
「私は重量投げの王者だぞ」
こうしてスタントマンは腰を痛めていた一方で、プラウズはワンテイクでこのシーンを済ませた。
しかし安堵は出来ない。
なんと唯一顔を出して演じられるクライマックスの場面を別の俳優に取られたのだ。
その場面だけセバスチャン・ショウという俳優が演じている。
なぜこうなった。
プロデューサーのロバート・ワッツははっきりと理由を明言している。
「彼に筋書きを知られたくなかった。報道陣に口を滑らすクセがあったのでね。この手の作品ではあってはならないことだ。」
つまりはベイダーが死ぬ展開をバラしたくなかったということである。
ワッツはそのシーンを撮っている時にプラウズが現場に来ることを恐れ、全てのドアの前に警備員を配置した。
一方、全2作でプロデューサーを務めたゲイリー・カーツは、ルーカスがプラウズの年齢(当時48歳)を考慮して、演じるのにはまだ若すぎると判断したのではないかと述べている。
ダース・ベイダー散る
最後のシーンを撮影した後、デイリー・メ―ル紙(1982年7月29日版)がプラウズに取材した。
記事によればその際に彼が“ベイダーの死”を明かしたことになっている。
その記事を読んだルーカスがプラウズをスタジオに呼び出し憤った。
事の真相は、デイリー・メール紙がスタッフかエキストラかも分からないスタジオの誰かから電話を受け取った、つまりはプラウズ以外の誰かがマスコミに情報を流したということになる。
プラウズに事実を確かめるため、当時記者であったポール・ドノヴァンは彼と接触し、プラウズ本人から「何も知らない」という回答を受け取った。
撮影当時のプラウズ含めキャストは全員、情報管理のために、台本は各シーン撮影前夜にページごとに配られたという。
そして翌日スタジオに入ると台本を返却しなければならなかった。
ベイダーが死ぬ場面はセバスチャン・ショウが演じているため、プラウズはその展開を知るはずもないのだ。
しかし出まかせの記事を書かれたことにより、ルーカスフィルムに縁を切られる最悪のカタチになってしまった。
フォースと共にあらんことを
そんなダース・ベイダーの中の人であるデヴィッド・プラウズ氏が昨年2020年11月28日に亡くなられました。
キャリー・フィッシャー(レイア姫)、ケニー・ベイカー(R2D2)、クリストファー・リー(ドゥークー伯爵)、ピーター・メイヒュー(チューバッカ )、ジェレミー・ブロック(ボバ・フェット)、次々とキャストが旅立たれ寂しい思いです。
私の記憶に彼らの勇姿はいつまでも焼き付いております。
スターウォーズは私の人生そのものです。
何度も何度も救われました。
本当に本当に感謝しております。
これからもスターウォーズと共に人生を歩んでいきます。
フォースと共にあらんことを。