目次
マイク・ウィーラー(演:フィン・ウルフハード)
マイク・ウィーラー
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
エルとは恋人関係。
友達思い。誠実。勇敢。
ウィルとの出会い
幼稚園で初めて出会う。
入学初日、一人ぼっちでブランコに乗っていたウィルに声を掛け、
「友達にならない?」と聞くと、
ウィルは「うん」と答えた。
これがマイクにとって最高の瞬間となったことがシーズン2第8話で語られる。
好きな映画
マイクの地下室には『遊星からの物体X』(1982)の他に、『ダーク・クリスタル』(1982)のポスターが貼られている。
前者は後ほどたっぷりと語っているので、後者について説明しよう。
『ダーク・クリスタル』は1982年12月27日に全米公開された。
3つの太陽が1つになる前に、1000年前に砕けたクリスタルを元に戻さなければ世界が悪の手に支配さ
れてしまう。そこで選ばれし少年がそれを阻止しようとするファンタジー・アドベンチャー。
マペット(マリオネットとパペットを組み合わせた造語)の生みの親であり、『マペット・ショー』を創り、『セサミ・ストリート』にも参加したジム・ヘンソンと、『スターウォーズ』のヨーダの声優としても知られるフランク・オズが共同で監督を務め、マペットとアニマトロニクスが併用された。
本作とヘンソンが監督を務めた『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986)は、“2大マペット映画”として語り継がれている。
まさに『指輪物語』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』が大好きなマイクが夢中になって当然な作品なのである。
本作の前日譚になるドラマが2019年8月30日より全世界同時配信される。
電卓つき腕時計
マイクがつけている電卓つきの腕時計は“Alpha Calc Chrono”というものみたいだ。
しかし計算機なんかついていたらテスト中にカンニングを疑われてしまう。
私も小学生の時、無駄に赤いレーザーが出る腕時計を所持していたが、男の子はどうやらそういった特殊な機能のついたものが好きなようだ。
レーザーよりは計算機の方が断然利便性はあるが。
フィン・ウルフハード
2002年12月23日カナダ、バンクーバー生まれ、現在16歳。
シーズン1の時は幼い容姿だったが、あっという間にあどけなさがなくなった。
16歳にして身長は170cm超え。
俳優デビューは一般公募で役を得てゲスト出演した海外ドラマ『The 100』。
“Calpurnia”というロックバンドを組みボーカルとギターを担当している。
インタビュー
2019年6月25日のインタビュー
Q:『ジョーズ』のポスターが貼られていたけれど、ドラマ開始時点で『ジョーズ』を観たことはありましたか。
A:ありますよ。キャスティングされる前から映画オタクだったからね。
ダファー兄弟がドラマの参考にしてもらうよう勧めてきた映画は全て見てました。
『スタンド・バイ・ミー』に『ジョーズ』、ジョン・ヒューズの映画は全て観ました。
Q:何歳の時に『ジョーズ』を観ましたか?ドラマは数年前に撮られてますので、おそらくかろうじてティーンになったばかりですよね?
A:はい、(撮影は)13歳の時でした。
『ジョーズ』を観たのは10歳の時です。
Q:誰が10歳の時に見せたんですか!?
A:家族ですよ!みんなで『ジョーズ』を観て、最高だと思いました。今ではホラー映画と思わないくらい笑えるんだ。傑作だと思います。
Q:今まで経験した中で最も怖かったことは何ですか?
A:ちょっと考えさせてください。
Q:誰もこのこと聞かなかった?
A:いいえ!えっと、『ストレンジャー・シングス』シーズン1公開時に危険を感じました。13歳の時、『IT』をトロントで撮影していました。アパートに帰ろうとしていたとき、二人組みがついてきたんだ。これはまずいなと思いつつも僕は自分家のドアの前まで着いたんだ。すると彼らは「写真撮ってくれる?」と言ってきて、僕はこんな感じで言い返したのを覚えてる、「嫌です!あなたたちはただ僕の家に着いてきただけじゃないか。僕がどこに住んでいるかを知っているんですよ。」とね。
Q:あなたの最も怖いことは名声を得たことですね。
A:その通りですね。もし有名になることが快感であると感じている人がいるなら、彼らはサイコパスです。
Q:暗くてホラーな質問ばかり聞かれているかと思います。最近ポップカルチャーであなたを特に幸せにしたものはありますか。
A:『リトル・ミス・サンシャイン』を見直しました。完璧なインディー映画というか完璧な映画でした。あと『ハロルドとモード』という70年代の映画を観ました。最高にいい映画に感じました。とてもクレイジーだったけれど。
Q:『ハロルドとモード』をよく感じたの?私は多分ほろ苦いように思うかな。“死”について描いているしね。
A:そうですね、でもとても笑えました。誰かにオススメしたいです、死の恐怖から救ってくれるので。
ウィル・バイヤーズ(演:ノア・シュナップ)
ウィル・バイヤーズ
1971年生まれ。
シーズン3の時は14歳。
ホーキンス中学校に通う少年。
イライジャ・ウッドにそっくりだ。
ウィノナの小さい頃にも似ている。
ナイスなキャスティングです。
マインド・フレイヤーがウィルを選んだ理由
【ウィルの1回目のD&D症状】
シーズン3第1話、キッズが丘に電波塔を建てに行った時の事。
マイクとエルは先に帰ってしまう。
ウィルも行くのが面倒臭くなって「D&Dがしたい。」とつぶやく。
そう彼はD&Dに憑りつかれてしまったのだ。
そして憑りついたといえばシーズン2のマインド・フレイヤー。
ここからは推測でしかないが、奴は完全にはウィルから撤退していなく、彼の首に潜在意識を埋め込むことに成功。ウィルが時おり首を気にするのもその影響。
そして他のキッズは大人への道を歩もうとしている中、ウィルは童心を忘れていない。
むしろ恋なんて気持ち悪いと言うではないか。
これは完全にマインド・フレイヤーの仕業だ。
奴がわずかな力でウィルの純粋な心を抑圧し、コントロールしているのだ。
言い換えると、わずかな力でさえ操れるほどにウィルは“純粋”なのだ。
彼の髪型が中3だっていうのに変わらないのも辻褄が合う。
あれは変化を拒んでいる証だ。
後述の“シーズン3に寄生した映画”の項目でも述べているとおり、寄生する側にとって“純粋な心”の持ち主は、カビが繁殖しやすい湿気の多い場所のようなところ。
マインド・フレイヤーはその逆で、熱が弱点で冷え込んだところが好むのだが。
ウィル役に他のキッズの中でも最年少のノア・シュナップが抜擢されたのも納得できる。
ダファー兄弟とって他の子役が成長しようと構わない、むしろ成長してウィルと見た目で成長の違いの差を出したかったのだろう。
しかしやはり子供の成長など予測はできない。
シーズン3撮影時にダファー兄弟はノアに「もう少し声を低くできないかい?」とお願いしたそう。
これは一見ただの笑い話だが、彼らにとっては少し想定外で悩みの種だったのかもしれない。
【ウィルの2回目のD&D症状】
マイクの家の地下室で、マイクとルーカスが恋愛討論中に1人黙々とD&Dの準備をするが結局2人は参加せず。
「僕はここにいるよ~。」
これもまたマインド・フレイヤーの作戦。
仲間との関係を崩していき、ウィルを一人にして孤立無援にするのだ。
【ウィルの3回目のD&D症状】
そろそろ症状が出る時間かな?
はい出ました。
ショッピングモールでマイクのお買いものに付き添いつまらなさそうにしているウィル。
そりゃ症状でちゃう。
なおこの時はマイクに「無理」と言われる。
【ウィルの4回目のD&D症状】
もはや空気を読めないほどにD&Dがしたいウィル。
エルにマイクがフラれた場面の直後にだ。
なおこの時はルーカスに「無理」と言われる。
無視しないだけ優しい。
【賢者ウィルの5回目のD&D症状】
第3話では“賢者”となって早朝に現れたウィル。
ついに我慢の限界だ。
マイクとルーカスを大音量の音楽で目覚めさせる。
これは想定外!
マインド・フレイヤーですらもはやお手上げ。
ウィルは単にD&D中毒になってしまっただけなのだ。
ヤツの弱点に“D&D”が追加された瞬間であった。
そしてマインド・フレイヤーは諦めてビリーに寄生するのであった。
ダンジョンズ&ドラゴンズ
通称D&D。
ダスティン&ダートではないぞ。
さすがにプレイ方法を詳しく書き記すと、とんでもないことになるので『ストレンジャー・シングス』との関係性を述べていこう。
『ダンジョンズ&ドラゴン』は1974年に発売された世界初のテーブルトークRPG。
プレイヤーは、まず人間、エルフ、ドワーフ、戦士、魔法使い、僧侶、盗賊などの種族を選択する。
シーズン1第1話でキッズは10時間もプレイしていた。
設定の物語は2週間かけて作ったとマイクが述べている。
デモゴルゴンは“悪魔の王子”と呼ばれるほどにD&D史に残るモンスターである。
身長は5.5mもあり、爬虫類または水陸両用で雌雄同体である。
蛇のような首は2つに分かれ、マンドリルのような2つの顔をもち、腕は長くてタコのようである。
それぞれの頭は個々の精神をもっていて、互いに気が合わない。
ちなみにデモゴルゴンフィギュアは1984年に発売されたため、シーズン1の1983年には存在しない。
シーズン2第8話でダスティンがD&Dの解説書から引用。
“他種族の脳を超能力で乗っ取り奴隷にする”
“ヤツらは他の種族が劣っていると思っている”
その際、スティーブがナチスに例えている。
“倒し方はアンデッド軍団を召喚すること”
頭部がタコ、口はヤツメウナギに似ており4本の触手がある。
この触手と口を使い、獲物を捕らえ脳を摘出して食べる。
デモゴルゴン同様に雌雄同体であり、一生に2、3度ほど卵を産むことができる。
1983年から1985年までアニメ化され、全27話でシーズン3まで放送された。
まさに『ストレンジャー・シングス』と同時期である。
D&D中毒のウィル以外はシーズン2で離脱していそうだが。
シーズン1第5話で、劇中でアップサイドダウンのことを説明する時に、ダスティンがD&Dの“影の谷”から引用している。
“現実世界の暗い影であり鏡像である。そこは死と腐敗の地。異次元の世界。怪物の住みか。そばにあるが見えない。”
シーズン5がもしも2000年が舞台なら、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(2000)の映画をウィルが観に行くシーンがあるかもしれない。
「D&D観に行かない?」
断られて一人で観に行くウィルが想像できる。
そしてこの映画のせいで彼はD&Dから正式に卒業するのであった。
ノア・シュナップ
2004年10月3日アメリカ、ニューヨーク生まれ、カナダ国籍、現在14歳。
『ストレンジャー・シングス』のキッズの中では最年少。
5歳の時にブロードウェイミュージカル『アニー』を観て役者を志す。
8歳の時に両親が彼を子供劇団に参加させる。
2015年、『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』でチャーリー・ブラウンの声を務める。
ちなみにミリー・ボビー・ブラウン(イレブン役)の兄の名前はチャーリー・ブラウン。
俳優デビューは同年のスティーヴン・スピルバーグ監督作『ブリッジ・オブ・スパイ』。
トム・ハンクス演じる役の息子役に抜擢。
2016年に出演した“Panic! at the Disco”のミュージックビデオ『LA Devotee』では、シーズン2の取り憑かれたウィルと似たような役柄を演じている。
ノアは女優のゼンデイヤ(『スパイダーマン・シリーズ』、『グレイテスト・ショーマン』)の大ファン。
2018年に『MTVムービー・アワード恐怖演技賞』を受賞した際、
登壇してすぐに会場にいた彼女に向かって“Hi Zendaya!”と挨拶をしたほど。
キャストやスタッフ、両親よりも先に彼女に挨拶したのだ。
彼女の横にはボーイフレンドもいるじゃないか。
とはいってもノアはまだ14歳、そしてゼンデイヤは22歳。
彼女にとっては可愛い弟のような存在か…みたいなゴシップ記事のような締め方をしてしまったので、
俺の方がゼンデイヤ好きだし!とでも言っておこう。イェア!ゼンデイェア!
インタビュー
2017年のROW誌のインタビュー
Q:どのように俳優業界に入ったのですか。あなたはまだ12歳なんですね!
A:6歳から8歳まで演技クラスを受講してました。先生が「あなたはプロでやるべきです」っ言ってきました。でもそれが僕には理解できなくて、もっと難しいクラスとかのことかと思っていました。だからその時かな。初めてのオーディションはケンタッキー州とかで教育関連の音声本のためのものでした。それを続けることになって、凄く楽しかったです。
Q:と言うことはあなたは本のお仕事から始まったのね!
A:そうですね。1週間に4回チェイスバンクやマクドナルドのコマーシャルのために都市部に行ったのを覚えています。それから映画のオーディションを受け始めて、最初の映画はスピルバーグとトム・ハンクスの(ブリッジ・オブ・スパイ)で、それは最高にクールでした。彼らは僕に基礎を全て教えてくれて、僕はそれを繰り返しました。『ストレンジャー・シングス』のオーディションも覚えています。(当初の撮影地予定だった)モントークでしました。その時ものすごく頭が痛かったんだ。雨が降っていて、全身が濡れて足首は土まみれ。とても疲れていました。“あー、(頭痛を)治してください”って思いながら帰宅して、“あぁ、全然ダメだった、もっと上手くやるべきだった”って感じでした。それから電話をもらって、結局僕の最初のテレビドラマになりました。
Q:『ストレンジャー・シングス』の初めての原稿はどう思いましたか?今までで最高のテレビドラマになると思いましたか?
A:いいえ(笑) 僕はただ読んで、そんな感じの物語なんだくらいにしか思いませんでした。誰一人そんなことになるとは思ってませんでした。“オッケー。僕らはこれをするんだね。1シーズンで終わって、少数の人が見る程度なんだろうなぁ。”って感じでした。だって何の看板も広告もなかったから!
Q:そのような若い年でプレッシャーを感じることはありますか?圧倒されていますか?
A:間違いなく圧倒されています、でももし楽しくなかったら、やめていたと思います。それは僕が必要としている仕事ではなかったんだってね。僕はそれをただ楽しむためにやっていて、もしそうではなかったらやめます。
Q:あなたがこれまで学んだことをファンに教えてあげてください。
A:えっとこの俳優業界は、とても競争率が高くてチャンスも少ないです。僕はこんな大きなドラマに出れてラッキーです。99%の人が諦めたポイントで踏ん張ったら、チャンスを作ることができ、どこにでも進めます。踏ん張り続けて絶対に諦めないことです。“絶対に諦めない”っのはとてもありふれた言い方だけど、僕がいつも従っている偉大な言葉です。
Q:ドラマを通して出会った80年代カルチャーは何かありますか。
A:僕の両親はいつもVHSについて教えてくれました。あとみんな持ってたウォークマンとかね。僕は撮影に入るまで見たことさえありませんでした。