- 70年代&80年代映画へのノスタルジー
- エクソシスト(1973)
- ジョーズ(1975)
- マラソンマン(1976)
- スターウォーズ・シリーズ(1977〜)
- 未知との遭遇(1977)
- エイリアン・シリーズ(1979〜)
- ウォリアーズ(1979)
- マッドマックス・シリーズ(1979~)
- ザ・フォッグ(1980)
- シャイニング(1980)
- アルタード・ステーツ/未知への挑戦(1980)
- インディ・ジョーンズ・シリーズ(1981~)
- 死霊のはらわた(1981)
- E.T.(1982)
- ポルターガイスト(1982)
- ビデオドローム(1983)
- ウォー・ゲーム(1983)
- 初体験/リッジモンドハイ(1983)
- クリスティーン(1983)
- ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(1984)
- エルム街の悪夢(1984)
- ゴーストバスターズ(1984)
- グレムリン(1984)
- 若き勇者たち(1984)
- ターミネーター(1984)
- ベスト・キッド(1984)
- 刑事ジョン・ブック 目撃者(1985)
- バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)
- 死霊のえじき(1985)
- グーニーズ(1985)
- エクスプローラーズ(1985)
- コマンドー(1985)/ランボー(1982)
- マンハッタン・プロジェクト(1986)
- スタンド・バイ・ミー(1986)
- ザ・ゲート(1987)
- ミッドナイト・ラン(1988)
- ダイ・ハード(1988)
- ゼイリブ(1988)
- ヘザース/ベロニカの熱い日(1989)
- その他のオマージュ
70年代&80年代映画へのノスタルジー
シーズン1は1983年、2は翌年1984年、そして3は1985年が舞台。
映画史的に70年と80年代には数多くの名作が生まれ、現代映画の基盤を作ったとても重要な年代。
このドラマシリーズにはそんな時代の映画のオマージュがいくつもあります。
その中でも特にスティーブン・キング原作のもの、スピルバーグ監督、ジョン・カーペンター監督作品が多い。
映画に出てくる映画やテレビドラマ、CM、もちろん音楽などには全て制作者の何かしらの意図がある。
それを知っていれば尚更このドラマシリーズを楽しめるに違いない。
インタビューで明かされていることもあるが全て公にはなっていない。
だからあくまで推測も含んでいることを理解していただきたい。
とにかくこの年代の洋画を小さい頃からたくさん見てきた人にはたまらないノスタルジーが感じられるわけです。
それではデロリアンにご乗車お願いします。
エクソシスト(1973)
1973年12月26日全米公開
シーズン2第5話でマインド・フレイヤーに取り憑かれて病院に運ばれた際の一連の流れは、本作で悪魔に取り憑かれた少女の時の展開と同じ。
シーズン2第8話でウィルがベッドに縛り付けられている様、暴力を振るう様は本作を彷彿とさせる。
ウィルを演じたノア・シュナップの好演のおかげもあったが、不気味に光り輝く照明が、彼の綺麗で純粋な目を照らす演出も空虚さを増し印象的なシーンとなった。
また、マインドフレイヤーは寒い場所を好むが、これは『エクソシスト』の中で明確な理由は語られないが、悪魔に取り憑かれたリーガンのいる部屋の温度が下がり吐息が白くなるほど寒く見える演出がなされている。
悪魔は寒さを好むということなのだろうか。
ジョーズ(1975)
1975年6月20日全米公開
血の臭いを嗅ぎ付けたら襲ってくるという点で、
デモゴルゴンとジョーズは共通している。
バーバラがプールという名の水辺に血を垂らすと襲われるシーンは見事なオマージュだ。
なぜなら水から襲うと思わせてまさかの上から登場。
ウィルの部屋にはポスターも貼られていた。
これだけ映画が好きならば、彼らキッズも被害者になって少しはワクワクしているんじゃないかな。
そりゃ怖いけれどもアップサイドダウンは“映画オタク”には最高に居心地がいいよ。
脚本を盛り上げるために利用されたバーバラには申し訳ない限りであるが。
シーズン3でもオマージュがある。
ホーキンス市長のラリー・クラインと本作のアミティ市長ラリー・ボーンは共にファーストネームが“ラリー”。
第2話でホーキンスの市長は、ショッピングモールができて昔からお店を営業する市民らが抗議を起こしていることに対して、利益を優先したいので警察署長ホッパーに彼らを鎮火するよう促した。
一方のアミティの市長は、海で遺体があがったことを警察署長ブロディがサメの仕業と考え海を閉鎖するよう主張するが、市長は夏の観光収入がなくなるため証拠のサメの歯がなくては閉鎖にできないと却下する。
また証拠をもってこいという場面は、第3話でネズミが凶暴になる事件を捜査中のナンシーが上司に報告するも、証拠がないから記事にはできないと却下されるシーンに通じる。
第2話、ジョイスにデートをすっぽかされたホッパーが“I can do anything I want, I’m the chief of police.”と言うセリフは、本作でブロディ署長が言うセリフと全く同じである。
なおホッパーが着ている制服は、ワッペンの形などブロディ署長のものと似ている。
ホーキンス市長とその俳優
まずはこの格好だが、これは『ウォール街』(1987)のマイケル・ダグラス演じる主人公ゴードン・ゲッコー風な格好である。
金融業界を描いた本作が大ヒットしたことで、彼のファッションを真似るビジネスマンが実際に増えたと、監督のオリバー・ストーンは述べている。
ワイシャツにサスペンダーと同じ柄模様のネクタイのセットは、まさに“できる男”の象徴的ファッションだ。
次にシーズン3でホーキンス市長を演じたケイリー・エルウィスの過去出演作品を振り返ると映画ファンにはたまらない。
なんと『アナザー・カントリー』(1983)で主人公が惚れる美青年ハーコートを演じ、
ロブ・ライナー監督の『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)では主人公を演じていたあの人だ。
南北戦争を描いた『グローリー』(1989)ではマシュー・ブロデリックとも共演している。
ウィノナ・ライダーも出演している『ドラキュラ』(1992)では、アーサー・ホルムウッド卿を演じた。
『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』(1993)では主人公ロビン・フッドを演じた。
そして『ライアーライアー』(1997)では、ジム・キャリー演じるフレッチャーの元妻の現在の夫ジェリーを演じ、結局ジム・キャリーのユーモアセンスには敵わなかったあの人だ。
『ソウ』(2004)ではシリーズにおいても重要なキャラクターとなるゴードンを演じた。
マラソンマン(1976)
1976年10月6日全米公開
とある事情で南米ウルグアイからニューヨークにやってきたナチス残党の博士と、彼の陰謀に巻き込まれた主人公との攻防戦を描く。
ダスティン・ホフマン演じる青年が、ローレンス・オリヴィエ演じる元ナチ党員に拷問を受ける本作で最も有名なシーンは、
シーズン3第6話で、スティーブとロビンがソ連に拷問を受けるシーンに影響を与えている。
スターウォーズ・シリーズ(1977〜)
1作目:1977年5月25日全米公開
2作目:1980年5月21日全米公開
3作目:1983年5月25日全米公開
シーズン1に登場するファルコン号やヨーダのフィギュアなど『スターウォーズ』のグッズを使用する許可を得るのは他に比べても最も大変だったという。
「僕らは『スターウォーズ/フォースの覚醒』(2015)が公開されるちょっと前に撮影していて、当然のことながら、ディズニーとルーカスフィルムはとてもガードが固かったから、大変な行程でした。当時の子供達はみんなそれらのおもちゃを持っていたのを知ってたから粘りました。ドラマの舞台は『ジェダイの帰還』が公開されてすぐだったから、それを登場させることはとても重要なんだ。幸運なことに製作と監督を務めたショーン・レヴィが、僕らとは違って高い身分の友達がいて、交渉することができ、承諾を得ることができたんだ。」とダファー兄弟は語る。
シーズン3第1話、サマーキャンプからの帰りの車中にて、ダスティンが仲間に無線で通信を試みるが応答がない。
その際に「こちらゴールド・リーダー。基地に帰還中。」と言っている。
ゴールド・リーダーとは、『スターウォーズ』においてゴールド中隊が使用するコールサインである。
『新たなる希望』(1977)でゴールドリーダーを務めたのはジョン・ヴァンダー。
『ジェダイの帰還』(1983)のエンドアの戦いではランドが務めた。
シーズン3第2話、モール内でダスティンがスティーブにソ連のスパイ活動を調査する協力を依頼するシーンでダスティンはこう言う。
「英雄になれる。真のアメリカの英雄だ。考えてみて。欲しい女が手に入る、それ以上だ。」
この口説き落とすセリフは、『新たなる希望』でルークがハンにレイアの救出の協力を依頼するシーンのオマージュ。
ルークは彼に「彼女は金持ちだぞ。金持ちで権力者だ。もし彼女を助けたら、お礼は想像できないほどもらえるぞ。」
空虚な日々から抜け出して英雄になって女が欲しいスティーブと、とにかく女より金が欲しいハン・ソロの違いも面白い。
シーズン3第4話でスターコートモールの倉庫から出ようとしてダスティンが“開ける”ボタンを押しても開かない。
スティーブが何でもいいから押せと適当なボタンを押しまくる。
すると、部屋ごと動き出し急下降。
これはまるで『新たなる希望』でゴミ溜めに逃げこんだルークとレイアとソロとチューイだ。
壁が迫ってくるこちらの方が最悪だが。
シーズン3第5話、チーム・アイスクリームがソ連の通信室に入ると、ソ連人がいた。
彼にロシア語で解読した暗号を述べ仲間だとアピールするも怪しまれる。
彼が銃を手に取ろうとした瞬間…
交渉は面倒くせーといわんばかりにスティーブが彼に突進。
このシーンは『新たなる希望』のデス・スター内で、帝国軍とのやりとりが面倒になってハンソロが無線を壊すシーンのオマージュ。
シーズン3最終話でホッパーがロシアンターミネーターに対して抹殺直前に言うセリフは、『帝国の逆襲』の序盤の惑星ホスでハン・ソロが言うセリフと全く同じ。
“I’ll see you in hell”
正直、この直後道連れにして飛び込むのかと思った。
ハン・ソロといえばこの後帝国軍に冷凍保存され地獄を実際に見た。
ということは、ホッパーも!?
死んでいなく、ソ連の基地で冷凍保存かホルマリン漬けにでもされているかもしれない。
生きている可能性はある。
死体が映らなかったから生きているという人もいるだろうが、それなら『フォースの覚醒』で死んだはずのソロもライトセーバーで息子に刺されたが落っこちて死体は発見されていない。
あの高さからなら常人ならぐちゃぐちゃ、しかしパルパティーンもあの高さから落とされたのに最新作『スカイウォーカーの夜明け』の予告の最後では笑っていやがる。
まぁあいつは化け物か。
シーズン4はホッパー救出作戦からいきなり始まる?
それかソ連に人体実験をされ別の人格になって敵として登場する可能性もある。
『カッコーの巣の上で』(1975)のジャック・ニコルソンのようにならなきゃいいが。
シーズン2第3話でホッパーがエルに読み聞かせをしている。
その物語上で母親に関して読んでいると、
エルが「私もお母さんがいるの?」「どこにいるの?死んだの?」
と尋ねる。
ホッパーは「あぁ。」と一言。
これは『新たなる希望』で、オビワンが“お前の父親はダース・ベイダーに殺された”とルークに伝えるシーンを思い起こす。
ルークの父アナキンはダークサイドに堕ち、元の人格が消えたことからオビワンはそう伝えた。
エルの母に関しても、実際は生きているが脳にダメージを与えられ元の人格は消えてしまった。
ある意味“死んだ”という点で重なる。
シーズン2第7話、
カリ(008)がエルに列車を動かすように指示するシーン。
やってみるもできないエル。
カリが助言をする。
「車を持ち上げたんでしょ。連れ戻しに来た連中に怒ったのね。ならその怒りに集中して。列車でも重さでもなく。」
「人生を振り返って、腹の立つことは?」
まさにダークサイドにエルを陥れるシスであるかのように。
怒りは憎しみへと導く、そして憎しみは苦しみへと導くのだ。
これは完全に『帝国の逆襲』のヨーダとルークの修業のシーンのオマージュ。
ヨーダは沼に沈んだX-Wingをルークにフォースで引き上げさせるも失敗。
「ダメだ!大きすぎる!」とルーク。
「大きさは関係ないのじゃ。わしをみろ。わしを大きさで判断しているのかね。お前と違ってわしにはフォースがついておる。強力な味方じゃ、それはな。生命がそれを生み出し、育てるのじゃ。そのエネルギーはわしらを取り囲み、結びつけておる。わしらは輝ける存在じゃ。粗雑な物質ではない。周囲のフォースを感じるのじゃ。ここにも、お前とわしの間にも、あの木にも、岩にも、あらゆるところにある。そうじゃ、陸とあの宇宙船との間にもじゃ。」
生半可な気持ちや、怒りでパワーを操ることはできない。
イレブンにもヨーダのような師匠がいてほしいものである。
第7話の終わりにエルは仲間を助けにホーキンスに戻ることを決めたシーンも、『帝国の逆襲』でルークがレイアとハン達のいるベスピンに向かうことを決めるシーンと重なる。
同じく第7話でエルの母親を苦しめた太ったおじさんの家に行き、エルが能力で首を絞めるのは、
『新たなる希望』のダース・ベイダーがフォースを信じない太ったおじさんの首を絞めるシーンのオマージュ。
シーズン3第1話、冒頭にも同じオマージュがあり、ソ連のターミネーターがしくじった研究員の首を絞めるシーンだ。
ストシンのおじさんの方は、『海の上のピアニスト』(1998)で切ない印象的な演技を魅せたプルイット・テイラー・ヴィンス。
それ以外にも数多くの作品に出演する名脇役である。
思わずWikipediaに書いてある情報で笑ってしまったのが、
ルイジアナ州立大学に入学したが、出願した際にコンピューターの誤作動により、演劇専攻に進む事になった。
ありがとう誤作動。
劇中でこのおじさんが険しい表情で見ていたテレビ番組は、
1984年9月16日から1986年3月9日まで放送されていた『Punky Brewster』という30分番組。
両親に捨てられた女の子が、偶然出会ったおじさんに養女として迎えられ育てられるという内容のコメディ。
そんな番組をあのおじさんが見ているなんて何とも言い難い複雑さ。
レーガンのスターウォーズ計画
シーズン1第3話にてホッパーといつもの部下二人がウィルを捜索しにホーキンス研究所に向かった際に、部下のうちの一人が言及したのがこの計画だ。
レーガン大統領が1983年に提唱した“戦略防衛構想(SDI)”のことである。
敵国のミサイル攻撃に備えて、着弾する前にミサイルやレールガン、レーザーを搭載した人工衛星で破壊しようと計画で、“スターウォーズ計画”と呼ばれていた。
まさに『スターウォーズ』のデス・スターである。
しかし実現することはなく、予算、技術面においても現実的ではなかったため、元々作る気はなく、単なるソ連や敵国に対するプロパガンダや、自国の景気対策と技術興進の目的があったと推測されている。
1981年にコロンビア号の打ち上げを成功させ、80年代は宇宙開発に熱心に取り組んでいたことは事実である。
そしてベトナム戦争に敗れて打撃を受けた軍事と経済力を回復させようと“強いアメリカ”を目指していた。
ちなみにデス・スターを実際に建造するとなると、85京2000兆ドルかかることが2012年リーハイ大学の調査で見積もられている。
そして資材となる鋼鉄を生産するだけでも83万3315年かかるそう。
デス・スターの直径は120km、第2デス・スターは160km。
月が約3474kmの直径なので惑星と比べると意外と小さい。
それでも設備は15,000基のターボレーザー砲塔と768基のトラクタービーム(重力を発生させ対象物を引き寄せたり押し放したりできる)発生装置が並び、ハイパードライブシステムを内蔵し銀河系のあらゆる場所へ移動が可能であった。
何とこの“デス・スター建設計画”は約30年の月日を経た2012年11月14日にアメリカ国民が、
“国家防衛強化のため2016年までにデス・スターを建設すること”という名目で34,400人の署名がされた嘆願書をホワイトハウスに提出した。
先述の費用と時間が掛かるため無論却下された。
惑星を一発で粉砕してしまうデス・スターのスーパーレーザーといえば、『ローグ・ワン』(2016)にてカイバー・クリスタルを利用して作り上げたということが明らかになった。8つも使っているらしい。
このレーザーを『ストレンジャー・シングス』に当てはめると、シーズン3の冒頭で登場したソ連がゲートをこじ開けようとしていたキャノンに相当する。
アメリカがなし得なかった“スターウォーズ計画”への1歩を、ソ連は先に踏み出したのであった。
未知との遭遇(1977)
1977年11月16日全米公開
シーズン3第1話、サマーキャンプから帰ってきたダスティンにドッキリを仕掛けエルが能力でおもちゃを動かすが、本作にも超常現象でおもちゃが動き出す場面がある。
そして2つに共通するおもちゃが出てくる。
『トイ・ストーリー3』(2010)にも登場するうるさい猿だ。
シーズン2第1話で家のドアを開けると赤く燃え上がっていたオマージュシーン。
シーズン2でウィルがマインド・プレイヤーの絵を描くシーンは、
本作だと飛行物体と遭遇した人らが謎の閃光を浴びた後に山の絵を描くシーンだ。
このシーンの意義は未知の生物側が彼らの存在と居場所を示しているということ。
ちなみに本作での山はワイオミング州にあるデビルズタワーと呼ばれる場所で、実際に存在するため映画公開後から毎年観光客が大勢訪れている。
エイリアン・シリーズ(1979〜)
1作目:1979年5月25日全米公開
2作目:1986年7月18日全米公開
3作目:1992年5月22日全米公開
4作目:1997年11月28日全米公開
マインド・フレイヤーの頭の形が、H.R.ギーガーが造形した“エイリアン”のまんまであり、此奴の立場はクイーン・エイリアンじゃないか。
ちなみにクイーン・エイリアンは『エイリアン2』の監督ジェームズ・キャメロンが自らデザインしている。
シーズン3最初の方で弱っていた時は、『エイリアンvsプレデター』(2004)で捕らわれていた時のクイーンを思い起こす。そして力を取り戻し暴れ始めてからも両者似たような動きをみせる。
デモゴルゴンは『AVP2 エイリアンズVS.プレデター』(2007)に登場したエイリアンとプレデターのハイブリッド、“プレデリアン”だな!
エイリアンがプレデターに寄生して誕生した最強種。
シーズン1第1話冒頭の研究所の職員が上から襲われる演出は『エイリアン3』で全く同じシーンから取り入れたものとダファー兄弟が明言している。
デヴィッド・フィンチャー監督を尊敬してやまないダファー兄弟だが、「それほどよくはなかった作品の中でもいいシーンだった」と皮肉ながら上記のシーンを気に入っている。
同じく『エイリアン3』からだとシーズン3第6話の最初の病院でナンシーがマインドフレイヤーに顔を近づけられるシーンは、
『エイリアン3』で最も印象に残るリプリーがエイリアンに顔を近づけられるシーンのオマージュ。
絶対口臭いよ。
シーズン3最終話でのエルの左足に寄生したマインドフレイヤーの幼虫を取り出すシーンは、『エイリアン』を象徴するお腹からチェストバスターが出てくるシーンのオマージュ。
シーズン2でスティーブが脱皮した抜け殻を見つけるシーン、
シーズン1第8話に登場するデモゴルゴンの卵のヴィジュアルや、アップサイドダウンに入る際の防具スーツも意識している。
シーズン2第9話で研究員がアップサイドダウンの蔓を火炎放射器で焼き払うシーンなどなどたくさんある。
『エイリアン4』(1997)にはジョイス役のウィノナ・ライダーも出演している。
当時はシガニー・ウィーバーに守られる弱い立場だったが、今では逆の立場になり子を守る母親だ。
シーズン2から登場するオーエンズ博士を演じたポール・ライザーは、『エイリアン2』(1986)にも出演している。
役柄は研究所の社員で、極秘任務の指令を受けエイリアンを持って帰ろうとする役。
結果的にエイリアンに殺されるのだが。
そんな彼を似たような配役にするとはたまらないなぁダファー兄弟。
また、ポール・ライザーは『ダイナー』(1982)というミッキー・ローク、ケビン・ベーコンらが主演し、ダイナーに溜まり他愛もない話をする若者たちを描いた青春ドラマにも出演している。
シーズン2最終話で、エルの出生証明書を“ダイナー”でホッパーに渡す場面があるが、その際にサンドイッチを食べて半分をホッパーに勧めるシーンがある。
あれは本作でライザー演じるモデルが、友人が食べているサンドイッチをくれないかと交渉する場面のオマージュである。
そんな小さいことでちょっとした論争になる若者たちなのだが、ホッパーには自ら勧めるという成長と余裕が伺えるニヤリとしてしまうシーン。
ちなみにシーズン1に登場するウィルの遺体の第1発見者のインディアナ州警察の名前がデヴィッド・オバノン。
『エイリアン』の脚本家ダン・オバノンを意識しての命名である。
この優秀な脚本家は、ジョン・カーペンター監督作『ダーク・スター』(1977)で脚本、出演、特殊効果、編集、制作デザインの5役を務めたのちに、『ゾンビ』(1978)の正式(?)な続編『バタリアン』(1985)の監督、脚本を務めるというとんでもない人なのだ。
そしてシュワの顔芸が炸裂する『トータル・リコール』(1990)でも脚本を務め、夢か現実かわからないオチは今だに議論を呼んでいる。
シーズン3第6話、ソ連の地下基地にダスティンとエリカが、緑の液体を床に撒き穴をあけて警報を鳴らして軍の目をそらした場面は、エイリアンの緑色の血がもつ溶解質を意識した描写になっている。
『エイリアン』なしにストシンは語れない!
エリア51とホーキンス研究所
内部で何が行われているのかわからないホーキンス研究所はエリア51を連想させる。
そして“奇妙なもの”を語るにあたってUFOや宇宙人は欠かせない。
タイトルの『ストレンジャー・シングス』は、どこか『X-ファイル』のように不気味な感じが漂っている。
スピルバーグ監督の『レイダース/失われたアーク』(1981)では、インディがナチスから取り返した“聖櫃(アーク)”をアメリカ政府が“エリア51”に保管した。
そして4作目『クリスタル・スカルの王国』(2008)ではアメリカに潜入していたソ連軍に捕まり、エリア51に連行されてしまう。
保管された1作目の聖櫃も一瞬映る。
エリア51とは一体なんなのか。
『クリスタル・スカルの王国』で描かれていたように核実験は実際に何度も行われていた。
1951年から1992年にかけて928回の核実験が行われた。
エリア51はアメリカ合衆国ネバダ州エミグラントバレー付近の広大な半砂漠地帯に位置し、公式には米空軍の試験飛行場ネリス空軍基地として使用されているとされているが、そんなはずはない。
ここからは写真家、佐藤健寿さんの著書『空飛ぶ円盤が墜落した町へ』を参照にさせていただきます。
彼は実際にエリア51に行き、政府の陰謀なのか車がスリップするという大事故に巻き込まれるも、彼の撮った奇妙な写真は海外Wikipediaに載っており世界的に有名な一枚となっている。
1950年代半ば冷戦時代の幕開け。
アメリカとソ連による諜報活動は勢いを増していた。
その切り札として両国は競い合うように偵察航空機の開発を進めていた。
そして1955年、CIAの要請によって開発されたU2偵察機をテストすべく、米政府は新たな航空試験場の設立を計画。
エリア51のあるグルームレイクは周囲を山岳に囲まれ、広大で平坦な乾燥地帯であったため、長い滑走路を必要とする航空軍事施設用地として最適だった。
そのような立地から新軍事施設の建設地に選定されたが、その存在を米政府は隠し続け否定してきた。
しかし70年代中頃、ソ連のスパイ人工衛星によって撮影されたエリア51の写真がリークされ、アメリカのメディアにスクープされてしまったのだ。
80年代には再び大規模な用地の整備と滑走路の拡張が始まった。
エリア51周辺で奇妙な発光物体が目撃されるようになり、付近の警備体制が急に厳重になったのもこの頃。
そのためそれまでエリア51内の活動を観察することができた地点のほとんどは、以降軍によって民間人の出入りが一切できないようになった。
現在も周辺の警備は厳重で、進入禁止区内での写真撮影は固く禁じられており、警備員には銃の使用も認められている。
周囲を巡回する警備員はみな一様にカモフラージュの軍服を着込みほとんど言葉を発しない。
彼らが軍人なのか、民間のセキュリティ企業から雇われている人間なのかすら明らかでない。
さらに、区域内には警備員の巡視ジープのみならず、常設された多数の侵入探知センサーに加え、時にブラックホークの姿も目撃され、調査者のまわりを低空で飛んで威嚇を行うといったことが報告されている。
1989年、エリア51の名が知れ渡る決定的出来事が起こった。
ラスベガスのローカルテレビKLAS-TVの番組『Channel8』に“デニス(後にロバート・ボブ・ラザーと判明)”と名乗る物理学者が出演し、驚くべき証言を行った。
彼は80年代前半、エリア51内にあるS-4という巨大な地下軍事施設で働き、UFOの動力源である反重力実験に携わっていたというのだ。さらにS-4施設内では、米政府が開発を進めるUFOはもちろん、別惑星から来た宇宙人がすでにそこで暮らしていたというのである。この発言は世界中で大きな反響を呼び、人類が未知の物体に対しての関心を再熱させた。
彼の証言は日本でも全国放送で生中継された。
現在もボブ・ラザーは健在で、ドキュメンタリー映画『ボブ・ラザー エリア51と空飛ぶ円盤』(2018)に出演し改めて過去の証言を振り返っている。
彼はマサチューセッツ工科大学とカリフォルニア工科大学を卒業。
その後彼はニューメキシコ州の国立ロスアラモス研究所で勤務し、原爆の開発をはじめとする最先端の科学研究を行っていた。
そして米軍兵器開発研究所EG&G社から米軍の高度なテクノロジーに関するプロジェクトへの参加依頼を受けた。
面接を受け、EG&G社の飛行機に乗りエリア51に連れて行かれ、さらにバスに乗りS-4という研究施設に連れて行かれた。
以下は『Channel8』での証言後に脅迫を受けたことにより、証言を撤回せざる負えなくなり、その後政府の圧力が急になくなり当時のことを再び話し始めた時の証言である。
エリア51の研究施設が衛星写真に映らないのは、太陽の光を反射しない特別な塗装がしてあるからだという。
2日目、研究所で彼は宇宙船の構造や宇宙人の解剖写真を見せられた。
翌日9つある格納庫の1つに連れて行かれ、ついに彼はUFOを目視した。
高さ5m、直径10mで地球上には存在しない金属で覆われているように見えたという。
9つの格納庫にそれぞれ1機ずつ保管されているそうだ。
ラザーの役目はUFOの構造、燃料、動力の分析だった。
UFOは人間が開発したものではなく、宇宙人から与えられたものだという。そのため使い方はわからなかった。
UFOの内部は3層に分かれており、入口から入ると2階に立つことになる。
2階には中央にリアクターと呼ばれる反物質反応があり、UFOの動力を作りだしているという。
1階には3つの重力増幅器が均等につけられており、自由に動かすことでいろいろな飛び方が可能になるというもの。
ラザーが担当したのはリアクターの研究。
リアクターの中の燃料は“エレメント115”と呼ばれるとても重たい物体で、地球上にはない元素で出来ている。
223gで20年から30年UFOの飛行が可能になるという。
当時のラザーの証言によると、エリア51では毎週水曜日にUFOの飛行テストが行われていたとのこと。
ラザーは誰かに話したくて友人のジーン=ハフにエリア51でのUFO開発についての情報を提供してしまった。
しかしその翌日に情報を漏らたことで逮捕される。
そして『Channel8』での証言は彼によってその後撤回されることに。
さらに政府は彼の経歴までも否定した。
それを謎に思い、『Channel8』の番組を当時担当していたジョージ・ナップは調べで研究所の名簿にはっきりとラザーの名が記載されていることを明かした。
よってエリア51にある何かを隠すため政府が隠蔽したことになる。
そして私は独自の調べにより、ラザーの話し方がどことなくクラーク先生に似ているという結論に至った。
ボブがエリア51のことを公表した後、彼の家にはFBIが家宅捜査をしに来た。
そして現在も政府の監視下にあるという。
イレブンが脱走し、マイクの家に政府エージェントが家宅捜査に来た様子と重なる。
1947年6月24日、ワシントン州レイニア山付近を自家用機で飛んでいた実業家ケネス・アーノルドが高度3000m上空を“信じがたい速度”で飛び去る9つの飛行物体を目撃。アーノルドがこの事を管制塔に話すと、着陸したヤキマ空港にはすでに記者が到着していた。そして彼の話は『空飛ぶ円盤現る』といった見出しで報じられた。
彼はこの時、「物体は三日月形をしていた」と述べた上で、「水を切って飛ぶ皿のようだった」と語ったが、新聞記者ビル・ベケットは聞き間違えたのか、あるいは恣意的に書き換えたか、記事には『空飛ぶ円盤』として報じた。こうして現代まで続く『UFO=空飛ぶ円盤』というイメージが生まれた。
アメリカ中西部に位置するロズウェルは、ニューメキシコ州アルバカーキ(『ブレイキング・バッド』の舞台)から南東400kmほどの地点に位置する小さな町。
1947年6月14日
農家ウィリアム・マック・ブラーゼルがフォスター牧場に散らばる物体を目撃。(牧場の位置は諸説あり)
7月2日
ダン・ウィルモット夫妻がロズウェルの北方上空で燃えるような物体が墜落していくのを目撃。
7月4日
ブラーゼルが牧場で散乱した物体を発見、そして一部回収(7月3日の説もある)。
7月6日
ブラーゼルがコロナへ行き、拾った物体のことを話す。叔父から“空飛ぶ円盤”が全米の話題になっていることを聞く。
7月7日
ブラーゼルはロズウェルに向かい、拾った物体のことを保安官ジョージ・ウィルコックスに話す。
7月8日
保安官の連絡を受けた航空隊情報部ジェシー・A・マーセル少佐らがフォスター牧場を訪れる。
マーセルはブラーゼルの発見した残骸および周辺に落ちていた物体を回収し、基地に持ち帰った。
その後、残骸はロズウェル基地を経て、テキサス州ダラスのフォート・ワース基地へと運ばれた。
ただし最終的にオハイオ州デイトンのライトフィールド基地の格納庫18番へと運ばれたという説がある。
同日午後
マーセルの報告を受けたロズウェル基地司令官ウィリアム・H・ブランチャード大佐は、RAAF(ロズウェル陸軍航空隊)情報部ウォルター・ハウト中尉に「RAAFが円盤を回収」と発表を出すよう指令を出し、『ロズウェル・デイリー・レコード』の記事として掲載された。これを受けたAP通信アルバカーキ支局員が取材に訪れ、事件は全米に伝えられた。
しかしその後、ロズウェル基地の司令官、ロジャー・レイミー准将がラジオに出演し、「円盤と呼ばれたものの正体は気象観測用の気球であった」と訂正報道を行う。
7月9日
レイミー准将の訂正報道が『ロズウェル・デイリー・レコード』に掲載され、
1947年のロズウェル事件は収束。
1日の中で一度は円盤と認めたにも関わらず、すぐに気球であったと訂正したことがどうも怪しすぎるため未だに疑問の声が多く残る事件だ。
1995年に英国の自称音楽プロデューサー、レイ・サンティリにより『異星人解剖フィルム』が発見され、世界のマスコミを通じて公開された。
映像に映る遺体は1947年7月ロズウェルに近いソコロに墜落した円盤から回収されたもので、フォート・ワース基地で解剖、撮影されたものであるとサンティリは主張した。
しかし2006年4月、英在住の特殊メイクアーティスト、ジョン・ハンフリーズが、サンティリに頼まれ異星人を製作したと認め、映像は捏造という形で幕を下ろした。
それでもサンティリはそのフィルムは彼が実際に目撃した映像のリメイクで、使われたものの5%は本物だと主張している。
本物の『異星人解剖フィルム』はどこかに存在するみたいだ。
2006年に公開された映画『宇宙人の解剖』はこの出来事を映画化したコメディで、1947年時の実際のフィルムを当時の関係者から受け取るも腐敗してしまったため、自分たちで“エイリアンの解剖フィルム”を制作して儲けるという内容であった。
そして劇中最後には当人の二人が登場する。
2011年の『宇宙人ポール』は、イギリス人のオタク二人がエリア51周辺のネバダ州を旅していると宇宙人に遭遇するという話。
これも少なからず“解剖フィルム”から影響を受けていそうだ。
ウォリアーズ(1979)
1979年2月9日全米公開
シーズン2第7話のカリーとパンクエルのチームが道端を歩くシーン。
ウォルター・ヒル監督が描いた不良抗争物語。
ちょっとしたことだが、こういうのも映画オタクの心をくすぶるのです!
マッドマックス・シリーズ(1979~)
1作目:1980年3月21日全米公開
2作目:1982年5月21日全米公開
ゲームセンターにあるディグダグをみんなでプレイする男子4人。
プレイ記録1位に記された名前は“MADMAX”。
1位の人はどんな人なんだろうと想像するのはアーケードゲームあるある。
きっとよほど強気な男なのだろう。
しかしその強気な子こそ転校生のマックスだった。
担任のクラーク先生が“マキシーヌ”と名前を紹介すると、マックスは嫌悪を感じながら、
“誰も私のことをマキシーヌなんて呼ばない、みんなマックスって呼ぶわ”と言い放つ。
きっとマッドマックスは兄のビリーの影響で観たのだろう。
仲の悪そうなマックスとビリーだが、彼女は彼から少なからず影響を受けているということがシーズン3を見ていくうちに感じられる。
そのことについては後述する。
シーズン2第2話で、ビリーがゴーストバスターズを猛スピードで撥ねようとするイカれた行動は、一作目の冒頭シーンのナイトライダーの暴走ではないか。
間一髪で危機を逃れ、直後にルーカスが発した言葉は“マッドマックス”。
ビリーにはメル・ギブソンから厳重注意を受けてもらいたい。
シーズン2第6話で、スティーブ、ダスティン 、ルーカス、マックスが戦いに備え廃棄されたバスを強化するシーンは、『マッドマックス2』でマックスが村人を守るため村の門を強化するシーンのオマージュ。
ザ・フォッグ(1980)
1980年2月8日全米公開
ジョン・カーペンター監督作。
100年前に殺された人々が怨霊となって霧と共に襲うホラー。
シーズン3第2話でビリーが霧の中から現れたドッペルゲンガーと会うシーンは、本作で霧の中から現れる殺人鬼のシーンのオマージュ。
『ミスト(2007)』にも似ている。
スティーヴン・キング原作、フランク・ダラボン監督のこの作品は突如霧に覆われた街を舞台に謎の生物に次々と襲われるホラー映画。
シーズン2第6話で研究所の連中がアップサイドダウンに潜入すると霧に覆われて何も見えなくなる。
そして次々に襲われていく。
その他にもマインド・フレイヤーの大きさや足の長さと本数が本作の巨大生物と似ている。
原作と映画版のラストは異なるのだが、原作者のキングが映画版のラストに度肝を抜かれ後悔したほどの救いようのない結末となっている。
シャイニング(1980)
1980年5月23日全米公開
壁を斧で叩き割るシーン。
そしてシーズン3第4話でのサウナ・テストでビリーがサウナのガラスドアを突き破って襲ってくるシーンは、
ジャック・ニコルソンの“Here’s Johnny!”シーンのオマージュのように思える。
ただしビリーの方が言動が荒い。
その後、第5話で先ほどよりも確実なオマージュが登場。
「I’m here for you, Nancy Drew.」
病院でナンシーを襲う寄生された上司ブルースが、ドアのガラスを突き破って鍵を開けて歩いてくるときにその一言を発した。
“Nancy Drew”については【シーズン3の奇妙な事柄を大解剖】コーナーで解説。
本作はジャック・ニコルソンよりも、奥様役のシェリー・デュヴァルの叫びまくる恐怖の顔がこの映画で最も怖い。
主演のシェリー・デュヴァルはキューブリック監督に撮影現場でいじめられていた。
スタッフにも彼女のことを褒めたりアドバイスを与えたりせず無視するように伝えていた。
それは彼女の演技に不満だったキューブリックが彼女自身を精神的に追い込んで演じるのではなく、“自然体”になってほしかったのが理由と思われる。
しかし何度も何度も同じシーンを繰り返し撮影させられたことで、彼女は心身の病から髪の毛が抜けてしまったほどだ。
シェリーによると、映画史に残る有名なシーン“Here’s Johnny!”は、計60枚のドアを使って3日に渡って撮影されたそう。
あの時の顔は『シャイニング』の現場に対しての恐怖と狂気から出た表情だ。
“最も多く1シーンを撮り直した映画”としてギネス世界記録に載っている127回撮影し直されたシーンは、“スキャットマンとダニーのキッチンでのシーン”。
シェリー以外にもこれだけ撮影し直されているなんて、しかもダニーは5歳の子供。
よくウェンディがジャックにバットを振るうシーンと混同されがちだが、ステディカム担当のギャレット・ブラウンと編集担当のゴードン・スタインスフォードが言うには、あのシーンは35~45回だそうだ…それでも多い!!
アルタード・ステーツ/未知への挑戦(1980)
1980年12月25日全米公開
生命の起源を調査するため自ら実験台となる主人公の身体が奇妙な変化してを見せていく。
この映画を機に、アイソレーションタンクの存在が一般にも知れ渡った。
本作の題材となったのは実際にこのタンクを用いて研究をしていたジョン・C・リリーである。
彼はアメリカ国立精神衛生研究所にて1954年に感覚遮断の研究にタンクを使用し、中に塩水を入れて人を浮かせていた。後々合法的にLSDやケタミンなどの幻覚剤を取り入れ始め研究を進めた。
現在ではリラクシング効果があるとしてアイソレーションタンクはスポーツ選手に多く使われている。
これはMKウルトラ実験を行っていたホーキンス研究所のモデルともいえる。
シーズン1第7話で、イレブンが子供用プールに溜めた塩水に浮かぶシーンは、
スピルバーグ監督がフィリップ・K・ディックの原作を映画化してトム・クルーズが主演を務めた、『マイノリティ・リポート』(2002)に登場する浴槽に浮かぶプリコグを思い起こす。
この3人は予知能力があるため殺人を防ぐ目的で利用されている。
彼らのおかげで2054年のワシントンDCの殺人発生率は0%になった。
実在のMKウルトラ計画
この項目と次で語る事は、『ストレンジャー・シングス』の背景にある実際にあった出来事として必ず知っておいたほうがいい重要な事柄である。
劇中でブレナー博士を中心にホーキンス研究所内で行っていた人体実験を、『MKウルトラ』と呼んでいたが、それは現実世界でかつてCIAが行なっていた国家プロジェクトである。
この事実が公表されたのは1975年。
第2次大戦の終焉はナチスを倒した連合国にとって喜ばしいものであったが、すぐさま冷戦へと突入した。
ホロコーストや戦争犯罪に関わったナチス親衛隊の幹部クラスの残党はよく南米に逃亡していたが、科学者の多くはアメリカと関わりをもった。
アメリカ政府とCIAは、何百人も生き残っている高度な技術をもつナチスの科学者から知識を搾取しようと考えた。
科学者たちはアメリカ社会に迎えられ、高い給料を貰い、高水準な生活環境を供給された。
いくつかの人々は、科学の貢献を祝して表彰盾や銅像までもが贈られた。
このプロジェクトは“ペーパークリップ作戦”と名付けられた。
これはCIAが彼らのプロフィール資料に目を通した時に、最も非道で悪意のあるナチスにクリップで目印を付けたことに由来する。
“ペーパークリップ作戦”の推進力は、高度なナチスの兵器のテクノロジーがソ連の手に渡るのを防ぐことだった。
およそ1,600人の科学者がこのプログラムに参加した。
彼らは生きた人体への化学実験や生物兵器実験のような、恐ろしい戦争犯罪に従事していたことで知られていたが、その少数は起訴されていた。
しかしCIAとアメリカ政府にそんなことは関係ない。
CIAが行うことになる実験の原型ともなる基盤を構築したのが以下の人物だ。
ナチスの科学者の1人、第3帝国全国保健指導者代理のクルト・ブローメは生物学武力行使プログラムに引き抜かれた。
“ガン研究”という名目のもと、ブローメは蚊やシラミのような昆虫に病気を拡散させる実験を実施していた。
彼はさらに腺ペストを兵器化して造り出したような飛行機から神経ガスと殺虫剤を落とすテストも行っていた。
ブローメと同僚のDr.フリッツ・ホフマンは、アーミー・ケミカル・コーポレーションで勤務し、大いに貢献した。
ベトナム戦争で多く使われ土地と人を荒廃させた、除草剤や枯葉剤とも呼ばれる“エージェント・オレンジ”を開発した。
さらにブローメの指示のもと、マインドコントロールや人格修正を行うために必要なLSDのような幻覚症状を引き起こす物質のテストを行った。
その実験は自白剤として使えるLSDを開発するために開始され、ドイツのような国々で死刑宣告されなかった人を使って頻繁に実施された。
この実験は“オペレーション・アーチチョーク”と名付けられ、後に悪名高き“MKウルトラ計画”と呼ばれる実験である。
1953年4月13日、CIA長官アレン・ダレスの命令のもと、シドニー・ゴッドリーブを中心に“MKウルトラ計画”が始まった。
1950年6月25日から1953年7月27日まで勃発した朝鮮戦争で、ソ連、中国、北朝鮮が米軍捕虜に行っていた洗脳技術に対抗すべく、洗脳薬物を開発することが目的であった。
実験はしばしば被験者の知識や同意なしに実施されていた。
冷戦時代は、ソ連のスパイ容疑のある人物に尋問するための完璧な自白剤を作ることを試みていた。
幻覚剤や麻痺、電気ショック療法などを含めたプログラムは150近くあった。
多くの実験はアメリカとカナダの大学や病院、刑務所内で実施された。
これらの実験の多くは1953年から1964年にかけて行われたが、どれくらいの人々が被験者になったかは定かでない。
化学と毒物のエキスパートであるシドニー・ゴッドリーブの指示のもと、CIAは実験にLSDを使い始めた。
彼はそれにより洗脳や心理的拷問をできると考えていた。
MKウルトラ計画の支援のもと、CIAはコロンビア大学やスタンフォード大学などその他の大学で薬物の効果を研究し始めた。
LSDの他に、MDMA(エクスタシー)、メスカリン、ヘロイン、バルビツール酸塩、メタンフェタミン、シロシビン(マジックマッシュルーム)なども使用した。
しかし一連のテストから、薬物を防諜活動に使用するには推測不可能だと判断した。
どのような人々が被験者になったのだろうか。
いくつかの被験者は、ボランティアとして学生がドラッグと引き換えに実験に参加した。
他には娼婦や受刑者、精神病患者など社会的弱者が何も詳しいことは知らされずに参加させられた。
ケンタッキー州にいる精神病患者の1人には、1日1回LSDを投与し、なんとそれを174日連続で行ったという。
このプロジェクトの早い段階でのボランティアの1人であったケン・キージーというスタンフォード大学に通う学生は、カルフォルニア州のメンローパーク退役軍人病院でLSDや他の幻覚剤を投与された。
そしてそこでの経験を基に書いた本が『カッコーの巣の上で』(1962)である。
ジャック・ニコルソン主演で1975年に映画化された名作だ。
知人に招かれ参加した彼は実験を終えた後、その体験をポジティブなものと捉え、以降彼はLSDを促進する活動を行なっている。
1973年に、“MKウルトラ”の大部分の記録が当時のCIA長官リチャード・ヘルムズの命令で抹消されてしまったため、完全に情報を得ることは現在に至るまで困難である。
しかし20,000ページにも及ぶ資料は管理ミスで残されていた。
1977年には『ニューヨーク・タイムズ』が“MKウルトラ計画”の全貌を明かし、それらを公に閲覧できるようになった。
アメリカ最高裁によると、
この計画は149のサブプロジェクトから構成され、最低でも44のアメリカのカレッジと大学、アメリカとカナダの14の病院と調剤会社を含む80の機関と185人の民間研究者の参加が判明した。
1995年3月15日には、過去に実際に被験者だった女性二人が諮問委員会で当時の様子を語った。
クラウディア・ミュレン(当時7歳)の証言の一部
1957年から1984年の間に私は政府のゲームの駒になりました。彼らの究極の目標は、マインドコントロールして完璧なスパイを創り出すことでした。化学物質、放射線、薬物、ヒプノシス、電気ショック、アイソレーションタンク、睡眠断絶、洗脳、言語、身体、感情、そして性的虐待などあらゆる方法が試されました。
自分の意に反し、人生の30年近くを搾取されました。そして私にされた唯一の説明は、“目的が手段を正当化する”というものでした。さらに、“共産主義と負かすための情熱と努力のもと、私は自国に仕えているのだ”とも言ってました。
彼らはその信条のもと、7歳の子供を被験者にして虐待し、私の苦しみを作り上げました。
L・ウィルソン・グリーン博士はCIAの一部であるエッジウッド化学・放射線研究所から5000万ドルを受け取っていると語っていました。
当時グリーン博士はチャールズ・ブラウン博士に対しこう語っていました。
“子供達を被験者に利用するのは実験対象として面白く、かつ安価だからだ”
博士たちも政府も低姿勢の被験者を求めていました。
そのため協力的な若い女性が求められました。
クリスティーナ・デニコラ(当時4歳)の証言
私は放射線、マインドコントロール、薬物投与実験の被験者でした。
私の実験を担当していたのはグリーン博士でした。
私の両親は1966年ごろ離婚していますが、
私の父ドナルド・リチャード・エブナーはグリーン博士と関わっていました。
私が被験者だったのは1966年から1976年の間です。
1970年、グリーン博士は私に放射能実験を行いました。
施術箇所は首、喉、そして胸でした。
1972年には胸のみになり、1975年には子宮が対象になりました。
実験の度にめまいと吐き気に襲われ、実際に嘔吐しました。
私の実験はアリゾナ州ツーソンで行われ、マインドコントロールと薬物投与が併用されました。
グリーン博士は1966年から1973年までの間、主にマインドコントロールの実験対象として私を扱っていました。
彼の目的は私の心を操作して、暗殺行為を行うスパイにさせるために訓練することでした。
最初の重要な記憶は1966年でのカンザスシティ大学におけるものです。
父のドン・エブナーは母の外出時に私を飛行機に乗せ、大学まで連れて行きました。
それから私がいたのは研究所のようなところで、他にも子供がいたように思います。
私は裸にされてテーブルの上に大の字になるように固定されました。
グリーン博士が持っていた電極を私の頭部を含んだ身体につけ、オーバーヘッドプロジェクターのようなものを使って、私の額につけられた赤い光が点滅している間、複数の異なるイメージを私の脳に焼き付けるのだと繰り返し言っていました。
実験が行われている間、グリーン博士は私の身体に電気ショックを与え、“より深く、深く、深く行くように”と言いました。
各画像が繰り返し映されていく中、私は心の中深くに入っていき、グリーン博士がするように言ったことは全てするようになりました。彼は実験を始める前に私に薬物を注射したので、私の意識は朦朧としていきました。
実験が終わると、彼は別の注射をしました。
次に覚えていることは、私はアリゾナ州ツーソンで祖父母と一緒にいたことです。
4歳の時でした。
お分かりの通り、実験でグリーン博士はトラウマ、薬物、催眠後の暗示を利用していました。
トラウマはより利用され、私の精神を完全にコントロールしようとしました。
彼は私を放射能線実験の被験者にしましたが、放射線が各部位にどのような影響を及ぼすかを知る目的と、マインドコントロールによってさらなるトラウマを植え付け恐怖に陥れる目的の2つがありました。
その他の実験はアリゾナ州ツーソンの砂漠地帯のような何もないところで行われました。
ピッキングの方法や、秘密を守る術、そして写真のように正確に記憶する方法を教えられました。何度も心の中で数えることで情報を守秘するテクニックなども教わりました。
さらに彼は、私に子供の見た目をした人形を刺し殺したいと思わせるような実験をしていました。
厳しくトラウマを植え付けられた後、私は槍で人形を突き刺しました。
でも2度目は拒否しました。
グリーン博士は苦痛をもたらす術をたくさん利用しました。
しかし私は成長するにつれ抵抗しました。
彼は私をよくオフィスのそばにある檻に縛り付け監禁しました。
1972年から1976年の間に、彼と彼の助手が不注意により檻に鍵をせず離れることが時々ありました。
このような身体的自由があった時、私は常に彼のオフィスに忍び込みました。
そしてファイルを探し、CIAや軍の関係者宛に書かれたメモを見つけました。
ファイルには放射線、またはマインドコントロール実験のプロジェクト、サブプロジェクト、コードナンバーや実験名などが書かれていました。
本日、私が提出したあなた方のお手元の資料に記載されているのがそれです。
私は2回捕まり、非道なグリーン博士に電気ショックにかけられ、薬物を投与され、机に叩きつけられ、腹部と背中に強い電気ショックを与えられ、関節を脱臼させられました。
彼は睡眠のテクニックで私を狂わせ、自殺したいと思わせました。
私のこのような抵抗と非協力的な姿勢から、彼らは私を暗殺スパイにすることを諦めました。
その結果、1974年から1976年の最後の2年間、グリーン博士は様々なマインドコントロールテクニックを利用して、暗殺者にするため私に吹き込んだメッセージを反転させ、私が自己破壊と自殺をするよう向かうように仕向けました。
彼は私が死ぬことを望んでいました。
そして私は成人してから日々生き延びるために戦い抜いてきました。
今も生きているのは、神の御加護があったからだと信じています。
この恐ろしい実験は私の人生に深い影響を及ぼし、私は多重人格障害を引き起こしました。
グリーン博士の実験の目的の一つは、私の精神を可能な限り多くのパーツに分裂させ、完全に私をコントロールすることでした。
彼は失敗しました。
しかし何年もの間、私は今日に至るまで、身体的、精神的、感情的な苦痛を継続的に受けています。
私は12年間、継続的にセラピーを受けてきました。
2年半前に現在のセラピストに出会いました。
彼女はマインドコントロール実験について知識があり、この出会いによって私は本当の意味で前に進むことができ治療し始めたのです。
最後に覚えておいてほしいのは、ここで話したことはあくまで1966年から1976年の10年間に起こっていたことに過ぎないのです。
単なる放射線実験ではなく、マインドコントロールと薬物の投与実験が行われていました。
70年代後半までこのような実験が行われていたことには驚きだ。
そして研究所には他の子供もいたというのが、ホーキンス研究所と重なる。
まるで映画のような出来事だと思うかもしれないが、真実はその逆で、映画はこの事実をSFやホラーに導入しただけである。
『時計じかけのオレンジ』(1971)、『THX-1138』(1971)、『未来世紀ブラジル』(1985)、『スキャナーズ』(1981)、『ファイヤースターター』(1984)、『リベリオン』(2002)、『ボーン・アイデンティティ』(2002)、『ハンナ』(2011)、『ゲットアウト』(2017)など人体実験やマインドコントロールを扱った作品は多くあり、皮肉なことに成功を収めている。
また、映画『アルタード・ステーツ』のモデルになったジョン・C・リリー博士は1950年代に最初は脳神経活動をもとに実験を試みようとしていたが、上記の時代背景から脳神経に電極を通す研究がFBIなどの政府情報機関の洗脳に悪用される経緯があった。
1959年頃には神経学からのアプローチを断念して、イルカとのコミュニケーションを試みたり、アイソレーション・タンクや薬物を用いた研究に重点を移した。
『ストレンジャー・シングス』の舞台はインディアナ州の架空の町ホーキンスだが、企画段階ではニューヨーク州にあるモントークという村を舞台に撮影しようとしていた。
というのも、ダファー兄弟はタイトルを『モントーク』にしてパイロット版の原稿を作り、製作会社に売り込んでいた。
何故ここなのか。
それはこのモントークもかつて、奇妙な実験を行なっていた地下研究所があったからである。
しかし予算の都合上断念し、ジョージア州アトランタ周辺で撮影されたわけだ。
2010年時点の人口は3,326人と小さな村でかつて起こった奇妙な実験とは何なのか。
モントーク・プロジェクト
『モントーク・プロジェクト』
もともとキャンプヒーローは、第2次大戦中にニューヨークへの敵の侵
基地に設置されているアンテナに見えるのはレーダー反射器で、人間の想念を電磁波に乗せて送信するのに使われていた。
なぜそのようなことをしていたのか、当時行われていた実験内容をこれから説明していこう。
1992年、当時このプロジェクトに参加していたプレストン・
アメリカ政府と軍によるこの実験は、タイムトラベル、
実験は1983年に終焉を迎えた。
しかし研究所では今も何か実験が行われているという噂が後を絶たない。
まずは“フィラデルフィア実験”について。
戦艦エルデリッジ号をレーダーに映らないようにする実験。
元フィラデルフィア実験の主任研究員アル・ビーレックが当時を回想する。
「1943年7月22日、フィラデルフィアの海軍基地で実験は行われました。当時は第2次大戦中でしたが、初期の目的は軍艦がレーダーに映らないようにすることでした。レーダーにさえ捕らえられなければ、軍艦は攻撃もされず敵に勝てます。ところが実験を開始した70秒後、驚くべきことに軍艦そのものが我々が見ている前で消えてしまったのです。」
実験船のエルデリッジ号には戦場に設置された4基のテスラコイルに向かって陸上から強力な磁力線を送り混み、軍艦をレーダーから見えなくしてしまおうとした。
実験を開始すると、レーダーから戦艦が消えたが、その直後になんと戦艦までもが消えてしまったという。
「エルデリッジ号はなんと400kmも離れたノーフォーク軍港にテレポートしてしまったのです。そして数分後にフィラデルフィアの港に姿を現しました。」
戻ってきた船内では恐ろしい光景が広まっていた。
コイルは少し火花を上げており、船上の将兵たちがいたるところで倒れていた。
奇怪なことに鋼鉄の壁に身体を埋め込まれていた者もいた。
わずかな生存者も発狂している人が多かった。
フィラデルフィア実験は中止に。この事件はトップシークレットとなった。
この実験から派生したプロジェクトがモントークで行われた。
アンテナのついている研究所の中には“アンプリトロン”と呼ばれるシステム全体の心臓部と、それと連動する機器類やコイルが設置されていた。
「モントークは地球という惑星が宇宙からエネルギーを取り込み放射している特殊な知念、つまりバミューダトライアングルのような別の次元と繋がった場所に設けられていました。したがって通常の電力に宇宙エネルギーが加わって、総電力が10の24乗ワットという途方もないパワーになっていました。実験では“モントークボーイ”と呼ばれる超能力者たちを集め、彼らのもつ超常的なイメージをこうした大電力で増幅しマインドコントロールに使いました。」とニコルズは述べる。
モントークボーイとは、(優れた人種として選ばれた)
研究所では被験者の超能力のエネルギーを高めるために、“
この椅子は、身体の周囲に現れる微弱な電磁波を測ることで人間の考えを読み取ってしまう機能をもっていた。
そして425~457ヘルツの極超短波をあてると人間のイメージを変えることができることを発見した。
さらにコンピュータに打ち込んだあるイメージをモントーク・ボーイの脳に送り込み、さらにそれを増幅してレーダー反射器から不特定多数の人々に送り込むことができるようになった。
モントーク・ボーイの超能力の実験において最も成果を上げた元NSA情報部員のダンカン・
「当時、私たちモントーク・ボーイは地下の暗い施設に閉じ込められ、まるで囚人のように朝から晩まで実験を続けさせられていました。」とキャメロンは述べる。
モントーク・ボーイ達は常に裸でいるように命じられていた。
そしてキャメロンは超能力を身につけた。
「私がある恐怖のイメージを映像として頭の中に浮かべると、それを増幅して戦場の敵兵の脳へ極超天周波に送り込みます。すると敵はその恐ろしいイメージが現実に起こっていることだと錯覚してしまうのです。」とキャメロン。
彼は瞬きをできないよう機械を取り付けられ、戦場で死ぬ人々や戦車がぶっ飛ぶ映像などを見せられ恐怖を植え付けられた。
(映画『時計じかけのオレンジ(1971)』では、主人公がマインドコントロールされていく様が描かれている)
「この実験には宇宙人のテクノロジーが取り入れられていました。宇宙人の持つテレパシー能力を応用して作られたモントーク・チェアなどが一つの例です。彼らは軍との密約のもと来ているということでした。」とニコルズ。
その後、
この実験は“The Seeing Eye”と呼ばれていた。
キャメロンは髪の毛の房やその人にとって重要な物を与えられ、
次にキャメロンらが取り組んだのが“タイムトラベル”。
超能力を持つ被験者に極超短波をあて、コンピュータを通してある種のイメージを脳の中に送り込むと、被験者の頭の中にはバーチャルリアリティ、つまり架空の現実が浮かび上がった。
さらにそれが現実の世界に現れる。
その実験過程で被験者に過去や未来に行くことのできるタイムトンネルのイメージを送り込み、そのエネルギーを増幅し、時間と共振させていた。
すると時間と空間が歪み、実際にタイムトンネルができたという。
被験者がそこを通ってタイムトラベルできただけでなく、何人かの人々を過去や未来に送り込むことができたという。
最初はホームレスを捕まえてタイムトンネルに送り込んでいた。
時間旅行に備え、参加する男女に1週間準備期間を設けた。
もし戻ろうとするならば、
しかし無事に戻ってこれたものはほとんどいなかった。
ホームレスを送り出した後、
この“モントーク・ボーイズ・プログラム”の生存者によると、
男の子たちの多くは、“荒廃した都市”を調査して、彼ら
チームの生存者の1人である、アル・
“
しかしこれらはあくまで超能力を使える被験者のイメージの範囲内での過去と未来に過ぎない。
そして時には別の惑星にも行くことも可能であった。
ビーレックは火星に初めて行ったグループであったことも明かした。
ダンカン・キャメロンは火星の遠征チームとして火星にあるピラミッドの一つのトビラを開けたそう。
彼らはそこで見たものを“太陽防衛システム”
それにより太陽系への異星人の侵入を防いでいた。
映画『トータル・リコール』(1990)
モントーク空軍基地の中には宇宙人が住んでいたとされる家も残されている。
研究所には小さな宇宙人と大きな宇宙人がいたと、モントーク基地で直接実験に関わっていたフレデリック・クーパー博士の娘ヘルガ・モローが述べている。
小さな宇宙人は生物ロボットで奇妙に大きな頭と大きな黒い目、鼻や口は小さく髪の毛はなかったとされる。
「グレイと呼ばれる小さな宇宙人はアンドロイドのようで、人間型の宇宙人はゼータレティキュリーという星から来たということでした。彼らは私たちに超高度なテクノロジーを色々教えてくれました。」とニコルズ。
実際に科学者たちと働くのはグレイのほうだった。
宇宙人たちはモントーク・プロジェクトを裏で操る影の政府との契約でやってきていた。
「彼らとの共同作業で実験を続けるうちに、1943年のフィラデルフィア実験の時空間と、その40年後のモントーク基地とがタイムトンネルで繋がりっぱなしになってしまったのです。」とニコルズ。
1983年8月12日、キャメロンを使ってタイムトンネルの実験を続けているうちに突然40年前のフィラデルフィア実験と繋がってしまったという。
そして時間と時空を超えて、エルドブリッジ号が姿を現した。
2つの時間と空間はつながったまま切り離せなくなってしまった。
協議の結果、全システムを破壊してしまうことを決断した。
しかしあらゆるスイッチをオフにしてもシステムは作動し続けた。
予備電源のスイッチを切ると基地全体が停電したが、依然タイムトンネルは消えなかった。
停電しているにもかかわらず、全システムは作動したままだった。
やむおえずニコルズらはあらゆる回路を破壊していくと、心臓部のアンプリトンが停止した。
そして時間と空間が元に戻った。
こうして終焉したモントーク・プロジェクトに関わった人々は洗脳され記憶を消され散って行った。
アル・ビーレックも記憶を消されていたが、1984年公開のジョン・カーペンターが製作総指揮を務めた『
映画は“フィラデルフィア計画”を基に、エルドリッジ号に乗った水兵のデビッドとジムのタイムトラベルを描いた。
彼らは1984年のネバダ州にタイムスリップ。そこでは41年前の実験が繰り返されようとしていた。
その実験によりジムは消滅、そして時空間に巨大な裂け目が生じ、地球を異常気象が襲い壊滅の危機に。
果たしてジムは地球を救えるのかというのが大まかなあらすじ。
これを見たアルが自身もタイムスリップしていたことを思い出す。
2137年に6週間、2749年で2年間過ごしたという。
1927年に生まれたアル・ビーレックの最初の記憶はわずか生後9か月の時の家族のクリスマスパーティーで、不思議なことに会話も理解していたと語る。
しかし彼の本当の名はアル・ビーレックではなかったのだ。
彼曰くエドワード・キャメロンとして生まれたという。
そしてダンカン・キャメロンという弟がいたというのだ。
エドワードは1916年8月4日に生まれた。
彼はプリンストン大学でジョン・ヴォン・ニューマン博士に出会った。
そして1939年9月、博士はエドと弟ダンカンを“レインボー・プロジェクト”に雇い、海軍とともに働くことになった。
このプロジェクトは“フィラデルフィア実験”の政府側が使っていた正式名称だ。
博士は彼らに重力、時間、そして量子物理学を教え込んだ。
エドは、透明になる(見えなくなる)仕組みの理論を学ぶ必要があった。
このプロジェクトに参加している間に、エドはニコラ・テスラとアインシュタインに会う機会があったという。
そして20代半ばの頃、“フィラデルフィア実験”で兄弟は危険を察知し船上から飛び降りたが、1983年のモントーク研究所にタイムスリップしてしまったという。
そこで研究所の職員らは優秀なエドワードを利用して、彼の魂を生後まもない赤ちゃんに移植させる実験をした。
その赤ちゃんこそアル・ビーレックだった。
そして彼もまたタイムスリップ実験により1927年の過去から連れてこられた人物であった。
赤ちゃんのアルは1927年に、エドワード・キャメロンは1943年にそれぞれ元の場所に戻され、その後は元の世界で暮らした。
しかしエドの弟ダンカンだけは違った。
彼は自ら1983年に残り、研究所の被験者となった。
しかしこのことにより時間軸に歪みが生じ、彼の老化速度が加速して死んでしまった。
研究者らは1947年時のダンカンの父親の元へ行き、子供を作るよう交渉。
1951年に男の子が誕生し、1983年からダンカンの遺体を運び、男の子に彼の魂を取り除き植え付けた。
その子供が現在のダンカン・キャメロンとして“モントーク・ボーイ”になった人物。
一方1927年のアルは成長し、彼の魂が潜在しているため天才的頭脳を発揮する。
高校卒業前に高度な知識のいる電子工学の試験に合格した。唯一の合格者だったという。
そんな彼に目を付けた海軍が彼を雇う。
そしてそこで彼は地球外生命体や超能力操作についての真実を次々に告げられた。
ここからアルに“ストレンジャー・シングス”が起こり始める。
1956年、派遣先のハワイで、後に『スターウォーズ』で主演を務める当時5歳のマーク・ハミルと短い出会いを果たしたという。
マーク・ハミルの父親は海軍の軍人で転勤が多かった。
しかしマーク・ハミル本人がTwitterでそのことを尋ねられて、60年代後半までハワイに行ったことはないと否定している。(2018年10月18日投稿)
彼もまた気付かぬ間にX-Wingに乗りスーパーハイパースペース(ハイパースペースは光速移動機能しかないので“スーパー”を付け加えた)でタイムスリップしていたのかもしれない。
その後アルはカリフォルニア州に引越し、“モントーク・プロジェクト”に参加。
アメリカ西海岸から東海岸への移動は秘密の地下トンネルをテレポートで移動していたようだ。
そしてモントークではアルがエドワード・キャメロンだったころの弟である、ダンカン・キャメロンに出会った。
そしてアルは自分の持つ知識と経験でダンカンを利用しタイムワープを可能とした。
まさに『ターミネーター』の世界。
そう、監督の名前はジェームズ・キャメロンだ。
彼も“キャメロンの遺志”を継いでいる。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)に抜かれた世界興行収入1位を奪還すべく、
今もタイムスリップを繰り返しているかもしれない。
世界興収3位の『タイタニック』は1997年、世界興収2位『アバター』は2009年に公開された。
12年周期で記録を更新している。
もうおわかりだろうか。
彼の次の監督作品は2021年公開予定の『アバター2』。
誰しもが思う、“今更アバターなんて誰が見たいんだ!”
しかし逆に考えると、前作から12年も経っているのに制作するくらいの自信と気合に満ちた作品だ。
これは幾度とタイムスリップして失敗を繰り返し、計算尽くされた完全なる必勝法が完成した証だ。
ここでアルが語ったダンカンとの時空旅行で訪れた2137年と2749年の未来の様子を垣間見てみよう。
2137年の未来
医療システムは振動と光を使った治療であった。
テレビで放送されているのは教育番組とニュース番組のみ。
2025年までに地球が様々な地理的変化を引き起こしたことを知った。
アメリカとヨーロッパの内陸部と海岸線が大胆に変化していた。
水位が上昇し、フロリダ州は細長くなってしまった。
ジョージア州アトランタは海からたった3マイルの高さになった。
ミシシッピ州は運河の島になった。
5大湖は1つの広い川になった。
アメリカのインフラは崩壊。
アメリカとカナダはもはや国として存在しない。
緩い地元の軍法が存在。
中央政府は消滅。
地球の磁極が変わり始めたが、その時系列では、人工構造の極が磁極の反転と崩壊を防ぐため創られた。
世界人口は3億人に減少。
アメリカの人口は5000万人前後。
政府は放射能ダメージを減少するテクノロジーをもっている。
2749年の未来
巨大で透明な浮遊都市があり、地球のどこにでも移動が可能。
人工知能コンピュータシステムがすべてを運営していた。
政府はない。
システムはテレパシーで連絡し合っていた。
社会システムは完璧な社会主義。
ダンカン・キャメロンは実験の間に、なんとモンスターを出現したこともあったという。
度重なる実験によりトラウマを植え付けられたダンカンの心は疲弊し乱れた。
そんなある時、実験最中に彼の邪悪なイメージが反映されてしまい…
ダンカンが「今だ」と言い放つと、彼の潜在意識から創り上げられた“ビッグフット”のように毛深く大きいモンスターが、地下研究所ではなく、地上の基地のあちこちに度々現れた。
目撃者も多くいるが、それぞれ違うモンスターのビジュアルを証言した。
そのビッグフットは見つけたものなら誰でも喰い、目に入った物は全て破壊した。
彼らはそのモンスターを“ジュニア”と呼んだ。
まるでデモゴルゴンのようだ。
きっとそれぞれのもつトラウマや邪念が独自のモンスターの形態を生み出したのだろう。
“モントーク・プロジェクト”は終焉後も奇妙な噂が後を絶たない。
「1962年、突然父の上司から電話があり、父が死んだと告げられました。これまで父は病気一つしたことがなく、この日も病院に健康診断を受けに行っただけでした。」
そう述べるのは、モントーク基地で直接実験に関わっていたフレデリック・クーパー博士の娘ヘルガ・モロー。
葬儀に参加したヘルガをCIAのエージェントのような怪しい人らが遠くに立っているのを見た。
依然彼女の父クーパー博士は、“私は近くにいなくなるが、死ぬわけじゃない”という奇妙な言葉を残していたのを思い出した。
「もっと不思議だったのは、棺桶の中の父を見た時でした。父は毛深かったのに、手の甲には全く毛が生えていなく、父とは違う感じでした。顔もまるで蝋人形のようでした。父の遺骨は生まれ故郷の東ドイツに埋葬されたはずでした。」
しかしヘルガがお墓を訪れた時、確かにあるはずの墓がどこにもなかったのだ。
「(1992年に)役所に行って父が残したものがないかと尋ねたら、父が作成した1978年から1980年までの公文書がでてきました。父の死後16年以上も経って書かれたものです。しかも父の直筆のサインが書かれていました。私は父が今でもどこかで生きているのではないかと思うんです。」
博士は本当に死んだのだろうか。
この流れは完全にウィルと一致する。
死体はゴム人形で偽装され葬式が行われた。
そしてシーズン1第1話の研究所で職員が走って逃げている冒頭のシーンの日付を覚えているだろうか。
1983年11月6日だ。
“モントーク・プロジェクト”の終焉が1983年8月12日。
わずか3か月後。
そして一度閉じた“裏世界”と“現実世界”を繋ぐ“ゲート”を開けてしまったのは、イレブン。
現在このエリアはキャンプヒーロー州立公園として観光地になっており、当時の研究所として使用されていたコンピュータ・センターと呼ばれる建物などもすべて残ったままだが、立ち入り禁止となっている。警備が立っている場所もある。
なお、先にお伝えした通り、もともと『ストレンジャー・シングス』は企画段階では『モントーク』というタイトルだった。
舞台はキャンプヒーローの基地がアメリカ政府に閉鎖される数ヶ月前の1980年の秋。
そこでウィルが行方不明になるのであった…。
インディ・ジョーンズ・シリーズ(1981~)
1作目:1981年6月12日全米公開
2作目:1984年5月23日全米公開
3作目:1989年5月24日全米公開
シーズン2第6話で夜中にジョナサンとナンシーが互いの部屋のベッドでモジモジして結局二人とも一緒に寝るシーンは、
『魔宮の伝説』(1984)のインディーとウィリーの同様のシーンのオマージュだが、インディの場合は他のやつの胸を揉んだ。
シーズン3第1話の冒頭、ソ連軍がゲートを開けようとした際にビームが暴発して燃え尽きてしまった場面は、
『レイダース/失われたアーク』の終盤で、ナチスが聖櫃を開けた際に精霊によって雷撃で焼き殺された場面のオマージュ。
シーズン3第6話でソ連に背中合わせで縛られるスティーブとロビンは、
『レイダース/失われたアーク』と『最後の聖戦』でそれぞれ縛られた場面を彷彿とさせる。
シーズン3第8話、マレーがソ連軍と交渉中にあたふたしていると、ホッパーがサブマシンガンをぶっ放すシーンは、『レイダース/失われた聖櫃』のムチを使うと見せかけて銃で敵を撃つシーンのオマージュ。
『スカーフェイス』(1983)のアル・パチーノに見えなくもない。
死霊のはらわた(1981)
1981年10月15日全米公開
ジョナサンの部屋に貼られているポスター。
サム・ライミ監督が描いた『死霊のはらわた』といえば低予算にもかかわらず、派手なスプラッター要素があり、主人公アシュとゾンビとの愉快な戦いが見どころである。
60年代後半から70年代はオカルト文化が社会現象となった。
その火付け役となった映画は『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)、『エクソシスト』(1973)、『オーメン』(1976)の3本。
“悪魔”がテーマになったこれらは、世間に大きな衝撃と恐怖を与えた。
今もこの3本に影響を受けている映画は山ほどあるが、ブームというのは時代の変化によって終焉を迎えるのは当然だ。
そして80年代には“スプラッター”や“スラッシャー”と呼ばれる血みどろな残酷描写を伴った映画が若者に受けた。
一言でいえば前年に公開された『13日の金曜日』(1980)以降アメリカホラー映画の定番ストーリーとなる、
“夏にキャンプに来た高校生たちが血みどろに次々と殺されていく映画”
キャビンの地下室にあったラテン語の書物を読んだら墓地から死者が蘇ってしまいパニック。
そう、地下で何かが起こったり何者かが現れる点では研究所とアップサイドダウンに通ずるものがある。
デモゴルゴンは本作と違い、ジョークの通じないモンスターだが。
シーズン2第5話でホッパーがアップサイドダウンに入り、蔓に絡まりつかれるシーンは本作でも存在する。
しかし『死霊のはらわた』の場合すべて笑いにもってくので、ホッパーとは違い蔓によからぬことをされるという笑劇シーンになっている。
シーズン2第4話でイレブンがキャビンの地下に入るとそこにはホッパーが隠していた彼女の母親に関する資料があった。
地下室にある書物から重要な展開に発展するのは本作も同じ。
視覚面でいえばシーズン3に登場する寄生されたドリス・ドリスコルおばさんの異様な言動は
本作の“死霊”に準ずる。
アメリカ人にとっての地下室
アメリカ映画やドラマで登場することの多い地下室。
なぜ地下室が当たり前のようにあるのか。
もちろんホラー演出には使いやすい空間だが、現実的な理由としては、
暖房装置を設置するためである。
地下から伸びた大きな暖房のチューブをつたって家全体を暖めることが可能となるのだ。
『ホームアローン』(1990)のケビンが住む地域は、
冬になると降雪は少ないが極寒となるシカゴが舞台。
そのため劇中でも地下室に大きな暖房が登場する。
こやつはホラー演出もしているので中々優秀な設備だ。
ケビンには「シャーラーップ。」と呆れられストーブさんは黙り込んでしまうが。
暖房装置を設置するため地下室を作っているのは北部の話で南部は違う。
そもそも南部には地下室のない家が多い。
それは南部の土が湿っているため、第1に地下室を作るために土壌を掘るのが極めて難しく、第2にその空間を乾いたままに保つのが困難であるといえる。
特にフロリダ州は50州の中で最も最高地点が低い海抜105mにある州。
そんな海に浮かんでいる州が穴を掘って地下室を作るなんて愚かなことなので、地下室のある家は存在しない。
しかしフロリダ州はアメリカで最もハリケーンの直撃率が高いのにも関わらず、シェルターとなるはずの地下室がないのだ。
そのため大変な被害が毎度出てしまう。
ドラマの舞台となるホーキンスがあるとされるインディアナ州は、中西部に位置し、夏は暖かく冬は冷え込む気候で、竜巻も発生しやすい州となっている。
ドラマの中でキッズの遊び場となっている地下室も緊急時はシェルターに代わるのだ。
南部ではないが、フロリダと違い西海岸のカリフォルニア州には地下室のある家は60年代に多く見られたそう。
しかし現代ではそのような家に住む人々は裕福層のみである。
カリフォルニアの一軒家は高いので。
E.T.(1982)
1982年6月11日全米公開
本作はこのドラマにかなりの影響を与えている。
まずはシーズン1第1話でボーイズ4人がダンジョンズ&ドラゴンをしているが、
これはそのまま本作でも行われている。
主人公エリオットの兄とその友達合わせて4人でD&Dをしている。
仲間に入れてよというエリオットに対して兄はピザの配達受け取ってきたらなとパシる。
一方のストシンではマイクの家の地下室で4人でD&Dを遊び終えた後に帰ろうとしていた中、ダスティンがデリバリーピザを手に取り、「この残りいらない?」と聞く。
いらないと断られたのでダスティンはナンシーの部屋へ行くが、バーバラと電話中でドアを閉められる。
なおこれはオマージュとは関係ない。
外の物置から物音がしたので、エリオットが物置にボールを投げたら返ってきてパニックになり家に逃げ込むシーンは、ウィルがデモゴルゴンから逃げて物置に入るシーンに影響を与えているが、残念ながらデモゴルゴンはE.T.のように友好的ではなかった。
E.T.が草むらで発見されライトで照らされるシーンは、
エルとキッズたちとの初対面のシーン。
エリオットの兄は最初は嫌な奴だったが、E.T.との出会いから弟との接し方も変わりいい奴になっていく。
これはスティーブにも通ずる。
シーズン2でマインド・フレイヤーに憑りつかれたウィルは、E.T.とエリオットが表裏一体となってしまうのと同様に、どちらか片方が苦しめられるともう片方も苦しみを感じる。
E.Tが酔っぱらうとエリオットも酔っぱらう。
シーズン1第4話、マイクが体調の悪いフリをするのはエリオットも同じことをしている。
エルを追ってきた研究所の連中から自転車で逃げるシーン。
これは本作ではあの名シーンに向かうまでのフリだ。
このシーズン1は1983年が舞台なので、前年に公開された『E.T.』のことが彼らの頭にもよぎったに違いない。
ひょっとしたら僕らも飛べるんじゃないのか!
しかし残念、飛んだのは車でした。
ドリュー・バリモア演じるエリオットの妹がお人形遊び感覚で仮装させたE.T.ですが、
エルはマイクらが通う学校に潜入するために変装。
外部から来た者が衣装チェンジをして別の姿になるという点では、
『E.T.』を彷彿とさせるシーンの一つ。
ただ女装のE.T.を見たとき、エリオットは嫌悪を示すのだが、エルを見た時のマイクは可愛さに思わず見惚れてしまうところが対になっている。
第2話でマイクがエルを部屋のクローゼットに隠すのも同じく。
シーズン2においても『E.T.』要素がある。
ずっと幼少期を研究所で過ごしたため教育を受けていなく、言葉をあまり知らない。
シーズン1第2話、エルは“友達”という言葉がわからず、マイク、ルーカス、ダスティンが定義を教える。
シーズン2第2話ではホッパーがエルに“妥協”という言葉を使うもわからない。
「今日の単語にしよう」と提案するホッパー。
E.T.もテレビを観て言葉を学んでいた。
結果覚えた言葉は“Be Good.(良い子でいてね)”だけ。
エルの口癖は“Friends don’t lie(友達は嘘をつかない)”と“Promise(約束)”。
エルも立場的には“Extra-Terrestrial(地球外生物)”かもしれない。
ハロウィンにエルもトリックオアトリートがしたいということで、
目だけくり抜いた自作の布を着てホッパーにアピール。
エルがきっと『E.T.』を観て学んだ術であろう。
シーズン1第3話では、息子ウィルを探すジョイスが部屋の壁にアルファベットをペンキで書き、クリスマス用の電飾をつける。アップサイドダウンにいるウィルはその電飾の光を灯しながら母親と会話する。
そして母にどこにいるか聞かれたウィルはこう答える。
「RIGHT HERE(ここにいる)」
これは『E.T.』でエリオットとの別れ際にE.T.が指を光らせながら言った一言のオマージュ。
「I’LL BE RIGHT HERE」
シーズン3第5話、マイクとルーカスが自動販売機でお菓子を買おうとした時、“Reese’s Pieces”という名前のキャンディが映るが、エルが能力で商品をごそっと落っことし、その後マイクが選んだのは定番チョコレートの“M&Ms”。
マイクが喧嘩中のエルに仲直りを試みて、「君の種族はチョコ好き?」と言ってあげるシーンは、エリオットがE.T.にあげるシーンのオマージュ。
もちろん彼とE.T.は喧嘩などしていない。
人間同士と、人間と異星人とのそれぞれ交流の違いが出ていて面白い。
いや、人間と異星人は殺し合いを頻繁にしてきたか。
『マーズ・アタック!』(1996)や、『インデペンデンス・デイ』(1996)などが思い当たる。
地球人のお菓子と未知の生物のかかわりは深い。
シーズン2のダスティンとダートにも通じる。
自動販売機でもともとマイクが買おうとしていたキットカットのラベルに“Kit Kat Kash”と記載されているのが見えるが、あれは実際に80年代のアメリカであったキャンペーンで、バーの中にKa$hステッカーが封入された銀色のアルミの包み紙を見つけたら、そこに書かれた金額がもらえるというもの。
当選者らには最大2万5千ドルを含む計15万ドル分がいくらかに配分され贈られた。
1000人には50ドルが当たるようにはなっていたという。
80年代とデリバリーピザ
宅配ピザは1960年にドミノ・ピザが始めたシステム。
当時は“30分以内に配達できなければ無料”という宣伝で人気を博したが、
これは後に配達人の死亡事故が起きたため消滅。
日本では1985年に東京にオープンしたドミノ・ピザが初の宅配ピザのお店となる。
当時の日本人は『E.T.』(1982)で描かれた宅配ピザの存在にはさぞかし驚き憧れたことだろう。
ポルターガイスト(1982)
1982年6月4日全米公開
娘を連れ戻すため母親がロープをつけて冥界に入るシーンと、シーズン1第4話で研究員が命綱をつけてアップサイドダウンのゲートに入るシーンが重なる。
後者はあちらの世界の生物の餌食に。
テレビの砂嵐や電球が急に光り始めたりするドラマで起こるポルターガイスト現象は全て『ポルターガイスト』のポルターガイストをポルターガイストしていると思っていイストレンジャーシングス。
さらにシーズン1第1話では過去の回想シーンで本作の映画チケットをジョイスがウィルに渡しているのだ。
その後、あの映画の主人公のような体験をしてジョイスはどう感じたのだろうか。
唯一本作で好きな“顔の皮膚を剥ぎ取るシーン”。
やっぱり特殊メイクはいいですね。
呪われた映画
『悪魔のいけにえ』(1974)のトビー・フーパー監督作、スピルバーグ脚本、製作のこの映画は全く怖くないのにその裏の世界、つまり現実世界で起こったことが怖すぎる映画として有名。
映画関係者4名が亡くなっている。
最初の犠牲者は、フリーリング家の長女を演じたドミニク・ダン。
1982年11月4日、彼女は22歳で亡くなった。
別れた彼氏に殺されたのだ。
当時交際していたのは、シェフの職に就いていた26歳のジョン・トーマス・スウィーニー。
しかし彼の暴力が原因で別れることに。
その後も度々彼女の家に現れた。
別れてから数週間後の10月30日、彼女は共演者のデヴィッド・パッカーという俳優と、彼女のウェストハリウッドにある家でミニドラマシリーズ『V』のリハーサルを行っていた。
彼女はスウィーニーが家を訪れてきたので外で話してくると出て行った。
家の中にいたパッカーは、外から平手打ちの音と2回の叫び声、そして重い音が聞こえたという。
すぐに警察に電話したが、彼女の家がある場所は管轄外と言われて断られてしまう。
それから友人に電話し、もし彼女が死んでいたらジョン・スウィーニーが犯人であると彼に伝えた。
一方外では、家の前の車道でスウィーニーが彼女の首を絞めて意識を失わせていた。
外に出たパッカーは膝をついたスウィーニーを発見。
パッカーに警察を呼ぶよう指示される。
警察が到着すると、彼は自分がドミニク殺し、その後自殺しようとしたことを明かした。
病院に運ばれたドミニクは昏睡状態から覚めず5日後に死亡。
スウィーニーは6年半の有罪判決を受けるも1986年9月に3年の刑期を過ごした時に仮釈放され、再びシェフとして働き始めた。
それを許せないドミニクの遺族が探偵を雇い徹底調査の結果、彼の居所を掴みシェフをクビにさせた。
そうした行為を受け、現在スウィーニーは名前を変えて今もどこかで暮らしている。
二人目の犠牲者は『ポルターガイスト2』(1986年5月23日全米公開)で、牧師ヘンリー・ケイン役を演じたジュリアン・ベック。
彼は1983年に胃ガンを申告され、1985年9月14日に60歳で亡くなった。
3作目にも同役は登場するが、彼の死により別の俳優が演じている。
三人目の犠牲者は『ポルターガイスト2』で祈祷師のテイラー役を務めたウィル・サンプソン。
心臓と肺の手術後に腎臓に合併症を起こし1987年6月3日に53歳で亡くなった。
ジャック・ニコルソン主演『カッコーの巣の上で』(1975)では、ラストに“脱獄”する印象的なネイティヴ・アメリカンの“チーフ”を演じた。
最後の犠牲者はシリーズ3作でキャロル役を務めたヘザー・オルーク。
1988年2月1日、腸閉塞、感染症ショックによる心停止で死去。
わずか12歳であった。
彼女は腸疾患であるクローン病にかかり、3作目の撮影中も薬物療法中で撮影終盤に亡くなった。
『ポルターガイスト3/少女の霊に捧ぐ』(1988年6月10日全米公開)のエンドロール後で、
“この映画をヘザー・オルークに捧ぐ‘75年生‘88年没”と追悼の意を表している。
ビデオドローム(1983)
1983年2月4日全米公開
デヴィッド・クローネンバーグが監督、リック・ベイカー(『狼男アメリカン』)が特殊メイクを務めビジュアル面で衝撃的な印象を残した本作は、
拷問や殺人などが記録されたいわゆる“スナッフフィルム”に夢中になった主人公がその魅力に取りつかれていく奇妙な物語。
本作での特殊効果は、シーズン1第2話でジョイスの家の壁が膨張してくるシーンなどに影響を与えた。
ウォー・ゲーム(1983)
1983年6月3日全米公開
ハッキングが得意な高校生が偶然アクセスしたのは核戦略プログラムだった。
冷戦時代を描いたSF作品。
ホーキンスに『The Palace Arcade』というゲームセンターがあるが、
本作には『20 Palace Arcade』という似た名前のゲームセンターが登場する。
ここで主演のマシュー・ブロデリックが『ギャラガ』をプレイしている。
初体験/リッジモンドハイ(1983)
1983年8月13日全米公開
脚本は『あの頃ペニー・レインと』(2000)や『ザ・エージェント』(1996)のキャメロン・ウロウ。
ロサンゼルスの高校生のはちゃめちゃ生活を描いたエロコメディ。
後に有名になる俳優が多く出演している。
我らのニコラス・ケイジのデビュー作でもある。
本作でフォレスト・ウィテカーの乗っている車は、ドラマでビリーが乗っている車と同じで“1979年式シボレーカマロ”。
しかしショーン・ペンに壊されてしまう。
フィービー・ケイツとスージー
1963年7月16日生まれ、現在56歳。
『パラダイス』(1982)で17歳の時にデビュー。
劇中ではヌードを披露。
この作品は『青い珊瑚礁』(1980)に似ていて、この主演のブルック・シールズとは人気を二分した。
ケイツは『パラダイス』で主題歌も務めた。
昭和のアイドル感がある。
その後、『初体験/リッジモンドハイ』(1982)でもヌードを披露し人気は絶頂に。
ヌードを見たいからって画像検索するんじゃないよ。
映画あってのヌード!
1984年には『グレムリン』に出演。
1989年に俳優のケビン・クラインと結婚し、現在二人の子供がいる。
長男のオーウェン・クラインは『イカとクジラ』(2005)に出演し、ジェシー・アイゼンバーグ演じる兄の弟を演じた。
肝心のスージーだが、ダスティンの言う通り、どことなく雰囲気がフィービー・ケイツに似ている。
クリスティーン(1983)
1983年12月9日全米公開
感情を持った車(クライスラーの58年型プリムス・フューリー)が暴走してしまいには持ち主の心まで乗っ取ってしまうというホラー映画。
スティーヴン・キング原作をジョン・カーペンターが映画化。
当初カーペンターはユニバーサル製作の『炎の少女チャーリー』の準備をしていたが、『遊星からの物体X』の興行が失敗したことによりキャンセルとなった。
その時期に話がきたのは同じキング原作であった。
車はミニチュアを使わず、壊れた車が自己修復していくシーンはトリックで、へこんでゆく車を逆回転で撮影している。
シーズン3第8話でナンシー達の乗る車に衝突してこようとしたビリー。
その前のビリーの車のフロントライトが光る演出は本作からのオマージュだ。
ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(1984)
1984年3月30日全米公開
反発しながらも惹かれあうジョイスとホッパーの関係性は、ロバート・ゼメキス監督作『ロマンシング・ストーン 秘宝の宝』(1984)の主人公ジャックとジョーンに似ている。
エルム街の悪夢(1984)
1984年11月9日全米公開
まずは、『エルム街の悪夢』の主人公の女子高生の名前はナンシー。
そしてシーズン1の最初のスティーブのファッションが、
本作がデビュー作となるジョニー・デップとそっくり。
また、スティーブは習慣的に彼女の2階の部屋の窓から面会を試みていたが、もちろんそれも本作からの引用である。
天井からフレディが襲って来ようとするシーンが、シーズン1第2話でデモゴルゴンが壁からジョイスを襲って来ようとするシーンに似ている。
デモゴルゴンといえば熱に弱い。
ドラマの中でも火炙りになることが多い。
まずシーズン1第1話の始めにキッズ4人が、
マイクの家の地下室でD&D(ダンジョンズ&ドラゴン)をしているシーンに注目してほしい。
絶体絶命のピンチで、賢者ウィルがデモゴルゴンに対して奥義“ファイヤーボール”を使う。
そして見事勝利を収める。(のちに不正があったことをマイクに伝えている。)
これは伏線となっていてシーズン1の最終話で回収される。
ジョナサンとナンシーがデモゴルゴンに戦いを挑むシーンだ。
彼らは部屋にガソリンをまき奴に火をつける。
“ファイヤーボール”だ。
これも立派な『エルム街の悪夢』のオマージュ。
本作の殺人鬼フレディは児童虐殺の罪で起訴されるも証拠不足で無罪。
子を殺され怒り狂った両親らが、彼の家を燃やし中にいたフレディは焼死。
それが彼にとってトラウマになり火が弱点となる。
また『ストレンジャー・シングス』でデモゴルゴンをアップサイドダウンから表の世界に連れ込む描写があるが、あれは『エルム街の悪夢』でも実践済みだ。
『エルム街の悪夢』は敵の倒し方を教えてくれる重要な要素を含むオマージュである。
ゴーストバスターズ(1984)
1984年6月8日全米公開
シーズン2第2話のエンディング曲にまるまる流れるという嬉しいサービス付。
ちなみにマイク役のフィン・ウルフハードは2020年公開予定の『ゴーストバスターズ』の新作の主演が決まった。
まだどのような役柄になるかは公表されていない。
監督もストシンのキャストを使う気はなかったそうだが、
ウィノナとドラキュラの関係
1992年、ウィノナ・ライダーは映画『ドラキュラ』に出演。
これまで何度も映像化されてきたブラム・ストーカーの原作をフランシス・フォード・コッポラが映画化した作品で、ドラキュラ役にゲイリー・オールドマン、ジョナサン役にキアヌ・リーヴスといった豪華な布陣だ。
これまでウィノナは『ルーカスの初恋メモリー』(1986)でデビューして以来、『ビートルジュース』(1988)、『ヘザーズ/ベロニカの熱い日』(1989)、『シザーハンズ』(1990)など青春系や若者向きな映画に出演し、いわゆる“アイドル的人気”を誇っていた。
そんな彼女が演技派として方向転換したきっかけとなる作品が本作だ。
翌年1993年の『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』ではゴールデングローブ助演女優賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートを果たす。
シーズン2第2話のハロウィンではボブがドラキュラに仮装している。
彼がモデルとしているのは、1931年のユニバーサル・スタジオ製作の方のドラキュラと思われる。
本作のベラ・ルゴシ扮するドラキュラは未だにクラシカルなアイコンだ。
そんな本物のドラキュラ(ゲイリー・オールドマン)とダンスしたことのあるウィノナが、優しいボブ扮するドラキュラとダンスするのは何だかニヤついてしまうセルフパロディシーンなのである。
『ハロウィン』(1978)がもたらした恐怖
1978年10月25日全米公開
シーズン2でマックスがマイケル・マイヤーズの仮装をしている。
シーズン3の病院のシーンは『ハロウィン2』(1981)からの影響だと思われる。
ナンシーとジョナサンのフレイ済上司のトムとブルースが怪力をふるって襲ってくる。
ハロウィンがもたらした恐怖とは何なのか。
1963年のハロウィンに6歳の少年が姉を刺殺。
理由は不明。
精神病院にいれられてから15年後に病院から逃走し殺戮を繰り返す。
監督のジョン・カーペンターは恐怖についてこう述べている。
“恐怖とは、眼に見えないものから生まれる”
殺人鬼マイケルの感情は見えない。
これはもちろんマスクを被っているからというのもあるが、マイケルの視点から怯える者の顔を捉えた撮影方法も相まっている。
襲いかかるタイミングとじらしもバッチリだ。
そして毎年ハロウィンにしか現れないというのもプレミア感がある。
“アメリカ三大ホラー映画”の他二名、ジェイソン君やフレディ殿が回を重ねるごとにやりすぎに走る中、マイケル坊やはいつまでも自己流を貫くのであった。
80年代アメリカで人気のハロウィン仮装
ハロウィンの仮装を見れば、国ごとのその当時の流行や歴史、文化などの背景が見えてきます。
1980年代のアメリカの子供達はどのような仮装をしてハロウィンを楽しんでいたのでしょうか。
10点ご紹介。
①アルフ
1986年から1990年までアメリカで放送されたテレビドラマ。
日本でも1989年よりNHKで放送され、所ジョージがアルフの声優を務めていた。
ロサンゼルスを舞台に、墜落してきた宇宙人アルフと人間の一家との暮らしを描き、SF映画のオマージュなどもあり子供達に人気を博した。
②キャベツ畑人形
1980年代のアメリカで最も人気で流行ったおもちゃの一つ。
当時の女の子はみんな持っていたことでしょう。
『炎の少女チャーリー』(1984)では、チャーリーが研究所で用意された部屋の中のベッドにこの人形が置いてある。
1978年にゼイヴィア・ロバーツ氏が発明して、1982年に玩具メーカーのコレコ社がライセンスを買い取り、1983年に発売。
1984年には2000万体もの人形が売れ大ヒットとなる。
1986年には前述の『アルフ』のトーキングドールを販売。
しかしキャベツ畑人形の人気が衰退していくと同時に財政悪化。
1988年に破産。
1989年にコレコの製品権利を大手玩具メーカーのハズブロ社が買収。
③フレディ・クルーガー
もちろんこの方も人気。
1984年に公開されたウェス・アンダーソン監督の『エルム街の悪夢』の悪役。
映画を観ていない人でも存在は知っていたほどだ。
④パックマン
最もシンプルで中毒性のあるアーケードゲームがランクイン。
このゲームを見ると子供時代を思い出す人も多いだろう。
もちろん80年代のゲーム特集も記載しているので後ほどご覧あれ。
⑤バービー
男の子にはあまり縁のないバービー人形。
『トイ・ストーリー』のイメージが強い。
マテル社から発売された女の子向け人形は1959年と歴史が長い。
当時はアメリカのみで販売はされていたが、製造は日本。
精巧な作りで瞬く間に大ヒットし世界に広まる。
1980年にはアフリカ系とヒスパニック系のバービーが誕生。
今までも白人以外の人種の人形は出ていたが、全てバービーの友達という扱いで販売されていた。
シーズン2第6話でルーカスの妹エリカが持っているのはバービーの方だ。
そんなバービー人形に革命が起きたのは1984年。
“We Girls Can Do Anything!(私たち女の子は何だってできるもん!)”キャンペーンが発足。
ビジネスウーマンから仕事終わりにすぐにケンとデートに行けるように衣装を簡単に変えられる“Day to Night Barbie”が販売される。
バービーは誕生以来、様々なキャリアを歩んでいる。
80年代に彼女が就いた職業は、小学生の先生、女優、エアロビインストラクター(エアロビは80年代米を語るに重要な要素となるので別途特集有り)、米軍士官、ロックスター(1981年のMTV発足の影響、こちらも別途特集有り)、ユニセフ親善大使などなど。
⑥ケアベア
もともとは1981年に、アメリカン・グリーティングズ社から販売されたグリーティングカードに書かれていたバリエーションのあるクマのイラスト。
1983年にはこのイラストがテディベアとなり販売。
その後80年代半ば以降に映画やアニメが何本も公開されたことで人気を博した。
シーズン2第7話でもカリ(008)率いる犯罪組織メンバーの巨漢の男が着けていたマスクがこれだ。
⑦ジェイソン
1980年に公開された『13日の金曜日』は、“ゾンビの父”ことジョージ・A・ロメロが監督を務めた『ゾンビ』(1978)で、特殊メイクを担当したトム・サヴィーニが本作の特殊メイクも担当し、当時はまだ新鮮だったスプラッター描写が若者を恐怖の渦に陥れた。
しかしジェイソン君がホッケーマスクをつけて登場するのは意外と3作目以降。
2作目から本格的にジェイソン君の殺戮が開始するが、その時はまだ目をくり抜いた布袋を被っていただけ。
3作目は1982年に公開。
1作目はジェイソン君のお母さんがキャンプに来た若者たちを惨殺していく。
しかし彼は1作目の最後にサプライズ登場している。
⑧スーパーマン
1978年に映画『スーパーマン』がアメリカで年間興行収入ランキング1位に輝く。
リチャード・ドナー監督がロマンスとアクションの見せ場のバランスの妙を演出し、スーパーマン役のクリストファー・リーヴとロイス・レーン役のマーゴ・キダーのハマり役のおかげも相まって、観客は映画にのめり込み全員がスーパーマンを求めた。
子供にとって憧れのヒーローになれるのはハロウィンだけだ。
⑨スターウォーズ
『スターウォーズ』は本格的にマーチャンダイズ市場に手をつけた初めての映画だ。
それまでにも『猿の惑星』のお面や『007シリーズ』のスパイグッズなど少しばかりはあった。
しかし『スターウォーズ』の勢いは異常だった。いや現在も。
劇中に1秒映るかどうかのキャラクターまでもがフィギュア化された。
映画に登場しないキャラだって名前が付けられている。
それに“スターウォーズ”と書かれていれば何だって買うオタクたちが群がり売れるわけだ。
公開から毎年ハロウィンには、あらゆるスターウォーズキャラクターに仮装した子供たちの姿が見られる。
あれだけのキャラクター数がいたらお気に入りもできるのは当然のことだから、ルーカスは本当に商売上手だ。
⑩マイケル・ジャクソン
ちなみにこの変身シーンも、シーズン3第4話でビリーが完全体へと進化を遂げるシーンに取り入れられている。
グレムリン(1984)
1984年6月8日全米公開
シーズン3第1話で、ダスティンがサマーキャンプで発明した物のうちの一つの“The Slammer”と呼んでいた電動ハンマーは、本作の主人公の発明家である父親の発明品の一つと似ている。
シーズン2でダスティンが出会ったデモゴルゴンの幼虫。
未知の生物に愛着を持って育てる映画といえば『グレムリン』。
ファービーのような可愛らしいギズモという名のグレムリンという生物に出会った青年が、大切に育てようとするもグレムリンの特性にあたふたさせられるお話。
水に触れれば背中から醜いグレムリンが生まれて悪さをする。
ダートも最初は可愛げがあったが、早々と立派なデモゴルゴンになってしまい逃亡。
ちなみに水槽に入ったダートを学校でクラーク先生に見せるシーンは、『パラサイト』(1998)のオマージュである。
主人公が拾った寄生虫を理科室で先生に見せる。
この水に入れたら増えたというのは『グレムリン』のようだが、先生が触れたから増えたのかもしれない。
話を戻し、後にダスティンとダートは再会したが、そこで“ヌガー”がキーとなる。
このヌガーは幼虫時代に餌としてあげていたもの。
ダートの場合、0時を過ぎてお菓子を食べると凶暴化するグレムリンとは違い、再会した時にダスティンがヌガーを差し出すと美味しそうに食べ穏やかに去っていった。
ナイスなオマージュ。
シーズン2第2話、4人はゴーストバスターズの仮装をしてトリックオアトリートしているのに、
かわいい害虫駆除業者さんに間違われる。
そしてそのおばちゃんがくれたお菓子があのヌガーだ。
3人はそれが好きではないだと言うのに対し、
ダスティンだけは好きなお菓子トップ3に入ると述べる。
“3 Musketeers”と書かれたパッケージ。
“三銃士”という意味だ。
そこからダルタニアンを引用してダスティンは“ダート”とあだ名で呼ぶ。
このヌガーは『グレムリン』にも登場する。
スニッカーズやM&Mを生み出したマース社が製造したこのヌガーは、1932年に誕生と歴史は長い。
アメリカ製のチョコレート菓子は全てあまぁぁぁぁ~いが、私は大好きだ。
ちなみに本作のヒロインはシーズン3でキーとなるフィービー・ケイツ。
シーズン3でダスティンには彼女に似ているスージーという恋人ができるが、未知の生物にも優しいダスティンだからこそ好かれたのだろう。
もしダスティンではなく、ルーカスがダートの第一発見者だったらすぐに殺していたに違いない。
このことは『ストレンジャー・シングス 大解剖』でルーカス役のケイレブがそう推測している。
ちなみにシーズン2にてダートが校内で脱走した際に、『グレムリン』で使用された音楽が流れる。
ダートとアルフ
ダスティン家で飼っている猫のミュースを食べてしまったダート。
未知の生物が猫を食べるといえば『アルフ』。
ハロウィンの仮装の項目でも説明済の当時人気のあったコメディ番組だ。
アルフの好物は猫。
アルフは地球に不時着しそのままタナー家に住んでいる。
地球に来てからは猫をほぼ食べていないという。
そんなタナー家では猫のラッキーが飼われている。
アルフは彼を隙あらば食べようとするのだ。
アルフは5人×2週間分の食糧を40分足らずで完食するくらいの大食い。
しかし次第にアルフとラッキーの間で信頼関係が生まれてお馴染みの掛け合いとなる。
そんなある日、ラッキーが天に召された。
第85話『グルメか友情か』
タナー家のみんなはラッキーのためにお葬式をあげて遺体を庭に埋葬します。アルフはラッキーの棺に金属の鈴を入れて、金属探知機でラッキーの遺体を探そうとしますがウィリー(タナー家の主)に阻止されます。
ラッキーが死んでしまって落ち込むブライアン(長男)のために、ウィリーは別のペットを飼おうとします。そのとき新聞でペットの里親募集の広告が出ていることを知ったアルフは、電話して仔猫を何匹も集めました。
しかしいざ食べようとすると食べられません。仔猫を見たことが無かったアルフはその可愛さに参ってしまったのです。ウィリー達はアルフが集めた猫達の里親を探します。アルフは猫のことが好きになったので他所にやらないで、と懇願しますが過去のいきさつから信じてもらえません。
そして猫も最後の一匹になりました。それはグレーの仔猫でアルフが一番気に入っている猫でした。リンの友達が猫を引き取りにきたとき、アルフは猫は自分が食べてしまったと嘘をついて逃れます。しかし嘘がばれてしまったので、改めてウィリーに猫を飼わせてくれと懇願します。アルフの真剣な様子にウィリーは猫を飼うことを認めるのでした。
フリッパーと名付けられた猫ですが、アルフはまだときどき猫を見てると血が騒ぐことがあるので、ブライアンの部屋で飼われることになりました。
出典:masatsu file
ダファー兄弟がアルフ要素として取り入れたのかはわからないが、ダートにも感情があることは劇中でもわかる。
これらは外国人同士が、互いの言語がわかならくても身振り手振りや表情、行動を通じて理解し合って信頼関係を築いていく過程に似ている。
そういった意味では我々もモンスターと変わらない。
80年代アメリカで人気のお菓子
シーズン2第2話でエルがテレビを見ているとオレオのCMが映る。
オレオは現在までにアメリカで最も売れているクッキーだ。
当時の子供達はどんなお菓子を食べていたのだろうか。
いくつか代表的なものをご紹介しましょう。
チーズボールズ
1981年に発売。
ビッグリーグチュー
細く刻まれた風船ガム。
ウォルト・ディズニーの意志を継いだカート・ラッセルの父ビング・カッセル(俳優)が、オーナーを務めたポートランド・マーヴェリックスに所属する投手ロブ・ネルソンと、当時バットボーイを務めていたトッド・フィールドが彼の家のキッチンで最初に開発したという。
1970年代に野球選手の間で流行っていた噛みタバコに代わるものとして、元ヤンキースの選手で、マーヴェリックスではネルソンと同僚だったジム・バウトンが売り込んだこともあり売れた。
1980年5月の発売以来、8億袋も売れている。
ちなみにバウトンは一度引退してからマーヴェリックスに現役復帰するまでの間に俳優活動をしており、『ロング・グッドバイ』(1973)に出演している。
スーパープレッツェル
6つの大きなプレッツェルが入っている。
ナーズキャンディ(Nerds)
1983年に発売され、1985年にはNCWAによって“キャンディ・オブ・ザ・イヤー”に選ばれる。
舐めるより噛み砕いて食べるタイプのキャンディ。
フレーバーはストロベリー、グレープ、チェリー、メロン、アップルなど多種多様。
現在はフェラーラ・キャンディ・カンパニーから販売されている。
80年代アメリカで人気の飲み物
次に飲み物をご紹介。
時代背景が浮き彫りになるので興味深いです。
Hi-C エクトクーラー
1986年9月に放送開始した『ザ・リアル・ゴーストバスターズ』という映画版を基にしたアニメシリーズとのコラボ商品。
Squeezit
1980年代半ばに発売。
絞ってチューチュー吸うタイプのドリンク。
クリスタルライト
1982年に発売されたが、1985年のエアロビブームとともに女優のリンダ・エヴァンスが出演したCMが放送され話題を呼び、ワークアウトをする女性の間でヒットした。
1986年には1967年から1973年までエルヴィスの妻だったプリシラ・プレスリーが空手と柔道をしているCM。
1987年にはラクエル・ウェルチがCM出演。
ダイエットコーラ
1982年にコカコーラ社が発売。
80年代アメリカで人気のシリアル
劇中にもいくつか登場するシリアル。
当時のポップカルチャーに乗っかって商品化したものが多々存在。
パッケージを見るだけで買いたくなる不思議な商品。
私も幼少期から好きでよく朝食のお供をしてもらってました。
留学先のアメリカでもホームステイさせていただいたところの毎日の朝食でした。
小さいパックの1人用牛乳を用意してくださってました。
ナーズシリアル
1985年から1986年まで販売。
上記のお菓子と同じ味で2種類が別々に1箱に入っている。
パックマンシリアル
1980年にゲームセンターに並んだアーケードゲーム『パックマン』の大流行を受け、シリアルとして1983年から1988年まで販売された。
Mr.T シリアル
1984年に発売されたこの商品はシーズン3第7話の食料品店でも売られていた。
パッケージにデザインされているMr.Tのことについて軽く説明しよう。
彼は元々ニューヨークでボディガードの仕事をしていた。
その時に1度だけスティーブ・マックィーン、ダイアナ・ロス、そしてモハメド・アリのボディガードを務め、アリからの紹介で『ロッキー3』(1982年5月28日全米公開)へ出演し、スタローンと一戦交えた。
その後1983年1月23日から1987年3月8日まで放送されたテレビドラマ、『特攻野郎Aチーム』のボスコ・アルバート軍曹役で人気者に。
1985年には、WWEのレッスルマニアにプロレスラーとして出演。
なおMr.Tシリアルは“Tの字”を型取ったシリアルである。
Honey Smacks
ケロッグが1953年に発売した商品で、1980年代に名称を“Sugar Smack”から現在のものに変更。
シーズン3第2話でホッパーが食べていたもの。
ラッキーチャーム・シリアル
1964年にゼネラル・ミルズが発売し、現在も売られている歴史あるシリアル。
シーズン3第6話でヘザーの家に置かれていたこのシリアルをエルが手に取り、虹の絵柄を見て母を思い出す。
グレムリン・シリアル
この商品は1984年に公開された『グレムリン』とコラボしてラルストン社から発売された。
また、映画が公開終了となるまで期間限定で発売されていた。
11種類あるステッカーのうち1つがランダムで封入されている。
シーズン3第7話、食料品店で売られているジップロックにはグレムリンのステッカーが同封されている。
こちらも映画に合わせて期間限定で実際に当時販売されたものだ。
任天堂シリアルシステム
日本では“ファミコン”としてお馴染みのゲーム機だが、アメリカをはじめとする海外ではハードディスクは変更せず見た目と名前が変化して流通していた。
その名も“Nintendo Entertainment System(NES)”。
“Entertainment”の部分を“Cereal”に変えたというのが名前の由来。
1988年から1989年まで販売されていた。
パッケージにはNESで当時絶大な人気を誇った『スーパーマリオブラザーズ』と『ゼルダの伝説』のゲーム画面がデザインされている。
その2つのシリアルが1箱の中に別々の包装で入っている。
『スーパーマリオブラザーズ』はマリオ、キノコ、クリボー(英語名:Goomba)、ノコノコ(英語名:Koopa Troopa)、クッパ(英語名:Bowser/Koopa)の形をしたフルーティーな味となっている。
一方、『ゼルダの伝説』は、リンク、ハート、鍵、ブーメラン、盾を模ったベリー味となっている。
現在この商品は1箱100$以上でオークションに出品されていることもあるくらいにプレミア価値がついている。
E.T.シリアル
ピーナッツバター&チョコレート味の“E”と“T”を模ったシリアル。
1984年から1986年まで販売。
ゴーストバスターズ・シリアル
1985年から1990年まで販売。
“O”を模ったフルーツ味のシリアルとマッシュマロでできたゴーストで構成。
バービー・ブレックファスト・シリアル
1989年に発売。
ハート、星、車、“B”を模ったフルーツ味のシリアル。
バットマン・シリアル
1989年に映画に合わせて発売。
C3POシリアル
ケロッグが1984年から1986年まで販売。
プラスティック反乱軍ロケット、スターウォーズ・ステッカー、トレーディングカード、箱の後ろに登場人物の顔が書かれていて切り取ってマスクとして使えるやつなどが一緒になっていた。
何故“3”ではなく“8の字”なのかはCMを見た限り惑星がぶつかってくっついちゃったという謎の発想。(中に入っていたアンソニー・ダニエルズも当時プロデューサーに不満を言っている:自伝「わたしはC-3PO」にて)
そして3POの使い方を間違っているような。
彼にはR2をプロデュースする側に立ってもらいたい。
スターウォーズになるとうるさくなる癖をやめなければ…。
キャベツ畑人形シリアル
1985年に発売。
80年代アメリカを代表するおもちゃ“キャベツ畑人形”のシリアル。
Circus Fun シリアル
1986年発売。
カラフルで形も楽しいまるでサーカスなシリアル。
CMも楽しそうだ。
私ならこれを買う。
G.I.ジョー・アクション・スターズ・シリアル
1985年から1990年まで販売。
元々は1964年におもちゃとして発売されたG.I.ジョーシリーズ。
1985年にアニメシリーズの放送が開始した。
ドンキーコング・シリアル
1982年から1989年まで販売。
1981年にアーケードゲームとして登場してから、あの『パックマン』をトップの座から引きずり落とした。
樽の形をしたシリアル。
若き勇者たち(1984)
1984年8月10日全米公開
ある日コロラド州にある(架空の町の)カリュメットという小さな町にソ連、キューバ、ニカラグアの共産圏連合軍が攻め込んできて、アメリカが反撃、そしてカナダと中国が宣戦。
町に住む若者たちは武器を手に取り戦いに参加。
しかし核戦争にまで発展するという最悪の事態になってしまう。
このストーリーはシーズン3を彷彿とさせるだろう。
小さな架空の町ホーキンスに侵攻してきているソ連。
それに立ち向かう若者たち。
ターミネーター(1984)
1984年10月26日全米公開
本作の設定は、レーガン政権の対ソ連への対策で核戦争の危機が高まっていた1982年当時の状況を背景にしている。
核戦争から防衛するため、北米防空司令部はサイバーダイン・システム社が開発した全自動防空ネットワーク“スカイネット”を採用するが、これは先述のレーガンによる“スターウォーズ計画”と重なる。
シーズン2第2話でイレブンが家でテレビを見ているシーン。
チャンネル選びの中、『ターミネーター』の予告が映るのだが残念ながら変えられてしまう。
彼女が見入ったのはその後のチャンネルで放映されていたソープオペラ。
シーズン2は1984年が舞台。
『ターミネーター』の公開日は1984年10月26日。
シーズン2第1話が10月28日の出来事だ。
もちろんホーク・シアターでも上映中だ。
そしてシーズン3に登場するソ連軍の兵士がもろターミネーター問題。
重量感のある歩き方と笑顔を見せることのない真顔面。
T-800のアーノルド感もあり、T-1000のロバート・パトリック感もある1人T2だ。
硬い表情と鋭い眼差しで周りを見渡す様は意識しすぎである。
顔が傷だらけになっていくところなど最終話の戦いも彷彿とさせる。
しかし“I’ll be back”を言わせないところ、絶妙な加減がわかってる!
それにしてもマシンガンぶっ放す姿がそっくりだ。
そしてターミネーターとアーノルドのもつ“B級感”を上手いこと調理している。
ホッパーはあれでいいんだ…。もちろん帰ってきてほしいが、帰ってきてはいけないキャラだ。
彼の死はシーズン4で大きな意味を持つに違いない。
ちなみにアーノルド・シュワルツェネッガー氏は、
『レッドブル』(1988)でソ連からアメリカにやって来た刑事を演じたことがある。
そんなのも踏まえてのソレンネーターだったのかもしれない。
ちなみにこの映画もまたシュワの変顔と顔芸を楽しむ映画である。
ターミネーター以外全てそうといっても過言ではない。
彼は筋肉と金と変顔でハリウッドを生き抜いてきた…
一番変顔を楽しめるのは『トータル・リコール』(1990)。
鼻からキャンディ…。
ジェームズ・キャメロンが描く“闘う女像”
『ストレンジャー・シングス』で強い女性といえばジョイス、ナンシー、マックス、そして
イレブン。
男はポンコツが多いのがこのドラマの特徴でもある。
近年では“Me too運動”もあり、自立した女性が映画描かれることがとても多くなってきた。
『スターウォーズ』の新3部作では頼りがいのあるレイが主人公になったように。
しかしそんな時代の流れとは関係なしに昔からそれを描き続けてきた人物がいる。
ジェームズ・キャメロンだ。
キャメロンの映画にはたくましく肝の座った男勝りな女性がよく登場する。
ここからは映画評論家の町山智浩氏の著書『<映画の見方>がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』を参照していく。
『エイリアン2』(1986)では主人公リプリーが救出した孤児を守るためエイリアンに立ち向かう“母親”、『ターミネーター2』(1991)のサラ・コナーも息子を守る“強い母”、『アビス』(1989)の主人公夫婦の夫はブルーカラーで“妻はエリートでインテリ”、『トゥルーライズ』(1994)のヘレン・タスカーも夫のシュワルツェネッガーに負けじと“フィジカル的に強い”、『タイタニック』(1997)のローズは枠にハマった身分社会を嫌い“自立しようとする女性”、『アバター』(2009)にはシガニー・ウィーヴァー、ミシェル・ロドリゲス、ゾーイ・サルダナなど“強さを象徴する女優”が出演している。
彼が何故ここまで強い女性を描くのか。
それは彼自身の女性経験に影響されていると考えられる。
彼の最初の本気の恋は高校のクラスメイトのシャロン・ウィリアムズ。
キャメロンはカリフォルニアの大学に進学し、すぐに同棲を始めた。
彼は憧れの映画学校に行けるほど裕福ではなかったため、手に職をつけるため大学ではエンジニアリングを専攻した。
彼を学業に専念させるため、シャロンは“ビッグボーイ”でウェイトレスをして働いた。
これが『ターミネーター』のサラ・コナー像に影響を与えていそうだ。
サラが勤めるファミレス“ビッグ・ボブズ・バンズ”は“ビッグボーイ”から来ている。
絵を描くことが好きなキャメロンは、よくシャロンをモデルにデッサンを描いたという。
ヌードを描くことも多く、このことは『タイタニック』で絵描きを夢見る貧しい青年ジャックがローズのポートレイトを描くシーンにそのまま引用されている。
劇中でのローズの絵もキャメロン自身が描いている。
そんなキャメロンは数学ができず大学を中退した。
生活のためにスクールバスの整備会社に勤めた。
この時期に『ターミネーター』の元になるストーリーを書いてたという。
そして映画監督になる決意をして仕事を辞めた。
シャロンは彼を支援するため、昼間のレストランの他に夜も勤めて生活を支えた。
一方のキャメロンは、ジョージ・ルーカスも通った南カリフォルニア大学の図書館に、車を持っていないため毎日バスで2時間かけ通って、映画制作の技術が書かれた本ばかりを読み漁った。
1977年に公開された『スターウォーズ』が大ヒットしたことにより、誰もがSFで儲けようとしていたため、キャメロンも『ゼノン・ジェネシス』というタイトルのSF映画の企画書を書き、地元の歯医者から出資を集めた。
集まった額はわずか2万ドル。
超低予算で12分の映画を作った。
内容は男女が殺人ロボットから逃げるというもので、これも『ターミネーター』の原型である。
1977年、キャメロンはシャロンと結婚。
その後“B級映画の帝王”ことロジャー・コーマンが経営する独立映画会社ニューワールド・ピクチャーズで特撮部門を担当することになった。
そこで2番目の妻となるゲイル・アン・ハードに出会う。
半魚人が裸の女性を襲うやらしい映画『モンスター・パニック』(1980)のアシスタント・プロデューサーを務めていたが、現場がやらしくて見ていられなくなってセットから抜け出したところミニチュアを作っていたキャメロンに出会った。
いつか自分たちの映画を作るという夢に意気投合し、コーマンのスタジオがあるヴェニス・ビーチにアパートを借り、そこに寝泊まりすることが多くなった。
そしてついに待ちに待った監督第1作目は『殺人魚フライングキラー』(1981)。
後に『グレムリン』を生み出すジョー・ダンテ監督の『ピラニア』(1978)の続編。
しかしこの作品のプリプロダクションは終わっており、キャメロンは現場で演出をするだけだった。
脚本もクリーチャーも何もかも最低だったという。
しかも彼が撮影したフィルムをプロデューサーが勝手に編集を加えてしまい原型がなくなった。
キャメロンはいまだにこの映画を自分の作品だとは思っていなく最悪の経験と思っている。
そして『ターミネーター』の脚本を書き上げ、その権利を監督を自分が務めるという条件のもとゲイル・アン・ハードにたった1ドルで譲ってしまった。
『ターミネーター』の脚本はいくつもの映画会社から映画化の声が掛かったが、どこもキャメロンに監督を務めさせようとしなかったため、彼は全て断った。
唯一、ヘムデイル社だけがキャメロン監督、ゲイル・アン・ハード製作という条件を呑んだ。さらにオライオン映画も出資してくれることになった。
『ターミネーター』の評判のおかげで、キャメロンのもとにはシナリオの依頼が殺到した。
金が欲しかったキャメロンは中でも高額だった『ランボー』(1982)と『エイリアン』(1979)の続編の脚本を引き受けた。
『ターミネーター』の撮影に入る1984年、キャメロンは彼をずっと待ち続けたシャロンと離婚した。
彼は全ての責任は自分にあり、どんな償いもすると言ったが、シャロンは断り、形式的にたった1200ドルだけ受け取った。
『エイリアン2』は彼自身が監督を務めたが、『ランボー2』はスタローンが脚本を自分で書き換えてしまったので、監督は引き受けなかった。
『ターミネーター』が公開されると、批評も一般評価も大好評でアメリカだけで製作費の6倍を超える3700万ドルを稼いだ。
そしてキャメロンとゲイル・アン・ハードは結婚し、二人ですぐに『エイリアン2』の撮影に入った。
しかしその後『アビス』を最後に1989年離婚。
『ターミネーター』の全権利を彼女に残した。
同年、キャメロンは監督のキャスリン・ビグローと結婚。
3度目の結婚である。
『ブルースチール』(1990)の撮影現場をのぞいた時に、182センチの身長と男勝りに演出をこなし銃やメカが好きなビグローに一目惚れした。
しかしそんな結婚生活も2年しか続かなかった。
離婚時に彼はビグローに時価1億円の豪邸を譲った。
この後、キャメロンは元妻ゲイル・アン・ハードのプロデュースで『ターミネーター2』の制作にとりかかった。
サラ・コナー役のリンダ・ハミルトンは前作には比べにならないほどに鍛え上げられタフな女性へと変貌を遂げた。
まるでリプリーになったように、そしてリンダ・ハミルトンはキャスリン・ビグローのように。
撮影中にキャメロンはハミルトンと同棲を始め、1993年には娘が誕生したが、お互い過去の離婚経験(キャメロン3回、ハミルトン1回)から籍は入れなかった。
そして1997年莫大な名声を手に取り“世界の王”となった『タイタニック』が公開。
またしても彼は撮影中に恋に落ちた。
老いたローズの孫娘役を演じたスージー・エイミスである。
これまた強そうな女性だ。
ここまで趣味が変わらないとは分かり易すぎる男だ。
リンダ・ハミルトンはそんな二人の関係を知って正式な結婚に迫り、1997年7月に入籍したが、翌年12月に離婚。
カリフォルニア州法では離婚時に財産を等分しなければならないため、『タイタニック』で得た収益200億円相当のうち、100億円をハミルトンが受け取った。
2000年にキャメロンはスージー・エイミスと結婚し3児をもうけた。
5度目の結婚である。
2009年の『アバター』は、シガニー・ウィーバー演じる科学者、ミシェル・ロドリゲス演じる元海兵隊、そしてゾーイ・サルダナ演じる青いプリンセスネイティリなど“強い女性のパラダイス”だ。
キャメロンは『アバター』でキャスリン・ビグロー監督作『ハート・ロッカー』とアカデミー作品賞と監督賞を争った。
そして女性初のオスカー受賞監督になった元妻を祝福した。
キャメロン製作のもとリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーが帰ってくる『ターミネーター:ニュー・フェイト』は今年の11月公開だ。
ベスト・キッド(1984)
1984年6月22日全米公開
シーズン3でエルの部屋でエルが雑誌を読んでいるとラルフ・マッチオの写真を目にする。
マックスが横から“かっこいいでしょ?”とカラテ・キッドの少年であることを教える。
現在57歳のラルフ・マッチオは残念ながら『ベスト・キッド』以降はあまり俳優活動に恵まれなかった。
そして2018年、まさかの続編が公開した。
『コブラ会』というタイトルで2シーズンがYoutubeにて配信されている。
“コブラ会”とは『ベスト・キッド』に登場する架空の空手団体である。
シーズン2第2話、ティナの家で開催されたハロウィンパーティーにて、シーズン1の時のスティーブのマブダチであった(スティーブがジョナサンにボコボコにされた後に不仲になる)クラスメイトがコブラ会の仮装をしている。なお現在彼はスティーブをバスケで負かしたビリーを慕っている。
そして肝心のコブラ会のストーリーだが、34年前に空手大会決勝でラルフ・マッチオ演じる主人公ダニエルに敗北したジョニーが本作の主人公。
その後酒におぼれた彼が、とあることをきっかけに空手道場“コブラ会”を再び設立することに。
この『コブラ会』にはなんと、ラルフ・マッチオと当時のジョニー役のウィリアム・ザブカが同役で出演しているのだ。
ダニエルはカーディーラーの経営者になっている。
劇中のルーカスの服装に注目だ。
漢字が書かれたTシャツを着ている。
そしていつものハチマキ。
わかりやすいぐらいにカラテ・キッドに憧れている。
彼は何かとすぐに憧れる“ワナビー(wannabe)”なのかもしれない。
この言葉は“want to be”の略で元々は80年代にマドンナに憧れた人々のことを指していた。
1985年5月に発売された『Time誌』でマドンナを特集したライターのジョン・スカウ氏が用いた言葉であり人気となった。
その後は1996年にイギリスの女性アイドルグループ“スパイス・ガールズ”がデビューシングルとして発表した『ワナビー』によって世界中にこの言葉が浸透した。
刑事ジョン・ブック 目撃者(1985)
1985年2月8日全米公開
ハリソン・フォード演じる刑事が殺人事件の犯人を目撃したアーミッシュの子供と出会う。
アーミッシュの生活様式や文化を初めて忠実に再現した映画としても興味深い作品。
シーズン1でマイクの部屋にあった集合写真の中に写るウィルをイレブンが指さすシーンは、
本作で殺人事件の“目撃者”であるアーミッシュの子供が新聞記事の犯人を指差すシーンのオマージュである。
バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)
1985年7月3日全米公開
まずはシーズン1のウィルの恰好がマーティ・マクフライだ。
下はジーンズに上は赤のダウンベスト。
1作目でマーティが1955年にタイムトラベルした時に、母方の祖父に救命胴衣だと思われるシーンがある。
ウィルが着ていることからも1980年代ではごく普通のファッション。
ヘビーだぜ。
他にファッションでいうと、1作目でマーティが使用していたスケートボードはマックスのものと同じく“Madrid Skateboards”。
マーティとマックスの共通点
1960年代後半ジェリー・マドリッド氏が、南カリフォルニアの波がサーフィンをするには十分ではなかった時期に、両親のガレージでスケートボードを作り始めた。
いくつかの開発を経た後に80年代になると、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で主人公マーティ・マクフライが乗っていた“Madrid×Valterra Skateboard”を含むいくつかのコラボシリーズをプロデュースした。
Vansにとっては初めての共同ブランドスケートシューズになる“Vans×Madrid Fly Shoe”も発売している。
他にもマーティとマックスが背負っているリュックはEastpak社製のもので全く同じである。
1984年の時点でマックスはマーティを先取りをしているのだが、彼女は映画を見て奇妙に感じなかったのだろうか。
シーズン3でマックスだけ『死霊のえじき』を却下して本作を見に行ってたら尚更面白かったなぁ。
シーズン1第1話でマイクの父親が故障したテレビを直しているシーンは、
(ちなみにテレビに映っているドラマは、1982年9月26日から1986年8月8日まで放送された『ナイトライダー』)
1955年にマーティの祖父がテレビを修理しているシーンのオマージュ。
しかし違いは数少ない出番中に直せなかった方がマイクの父ちゃん。
楽ちんチェアに座っているから修理の知識はなさそうだ。
ちなみにマイクの家のテレビは、ダスティンの家の物よりも10倍大きい22インチ型の三菱製テレビ。
ダスティン…2インチ!?
次にシーズン2に登場するボブのビデオカメラが、
本作でマーティが使っていたドクのものと全く同じだ。
使い方を教えるところまで真似してある。
このビデオカメラはJVC(日本ビクター)のGR-C1という1984年3月に発売された最新機種。
安心の日本製だ。
アメリカでの公開日は独立記念日の前日、1985年7月3日。
シーズン3配信日は7月4日ということからも、劇中で本作が何かしらのカタチで登場することは予想していたからこそ尚更上がるテンション。
シーズン3第1話、寝坊したナンシーとジョナサンが急いで支度をするとき、ジョナサンがズボンを履こうとしたらコケてフェードアウトするシーンは、1955年にタイムスリップしたマーティが車に撥ねられ意識を失い、若いころの母親の部屋で目を覚ますと下着姿だったため、慌ててズボンを履こうとしたらコケてフェードアウトするシーンのオマージュ。
シーズン3第1話、スターコート・モールができたことにより、ダウンタウンの店に人が来なくなったため抗議デモのお知らせをしているチラシは、本作で時計台の寄付を呼びかけるチラシと重なる。
シーズン3第2話、
ミセス・ドリスコルの家にある目の動く猫の時計は、本作冒頭に映るドクの家の大量にある時計の中の一つと同じく、
1932年に発売されて以来愛され続けている“The Kit-Cat Clock”。
シーズン3第4話、スターコートモールの倉庫の潜入に成功したダスティン、スティーブ、ロビン、エリカの4人。
倉庫の中にある中華料理屋“Imperial Panda”の店名とロゴが記載された段ボールを空けると金属製の容器が入っていた。
その容器を開けるときのプシューって音と緑色の物質が入った入れ物の取り出し方が、
本作でのドクがプルトニウムを取り出すシーンと同じ。
シーズン3第5話、マレー・バウマンが自宅を訪れたホッパー、ジョイス、アレクセイを迎え入れると、金属探知機のような謎の機械でアレクセイを調べ出す、次にホッパーに向けたところで彼が話し始めてしまったので、それを遮り「質問はするな」というシーンは、1955年のドクの家を訪れた際のマーティに対しての言動と同じ。
シーズン3で本作が上映されている中、映写室でダスティンがトランシーバーでやりとりをしている姿はまさに、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2』でスポーツ年鑑をビフから取り戻そうとしている最中のドクとマーティだ。
エアロビ全盛期
1作目で学校に遅刻しそうなマーティが車を利用してスゲボーに乗っている途中、エアロビ教室が目に入り、ピチピチの衣装を着た女性たちに思わず手を振ってしまうシーンがある。
一方シーズン3第3話でスティーブとダスティンが、ソ連のスパイだと思ったサングラスをかけている男を監視していると、キョロキョロと怪しげな行動をしつつエアロビ教室に入り始めた。
サングラスを外し服を脱ぎ、いざレッスンスタート!
スティーブとダスティンも夢中になる。
そう、80年代は空前のエアロビブームだったのだ。
その火付け役になったのが女優のジェーン・ファンダ。
1981年に発表した『Jane Fonda’s Workout Book』がベストセラーに。
翌年1982年に前述の本を基にビデオ化したエクササイズビデオ『Workout』もベストセラーに。
初心者向けの30分のクラスと、応用編の60分のセッションが収録されている。
運動ブームには、我らがアーノルド・シュワルツェネッガー氏の影響も多々あるだろう。
『鋼鉄の男 パンピング・アイアン』(1977)で世界中にボディビルの存在を知らしめ、彼がトレーニングしていたゴールドジムも知名度を上げ、一般市民は彼のような身体になりたいかは別として運動に目覚めたに違いない。
『ストレンジャー・シングス』を見れば当時のアメリカ文化が面白いほどにわかる。
マーティ・マクフライが釘付けになってしまうくらいのエアロビの絵的な面での魅力といえば、やはりレオタードだ。
『パーフェクト』(1985)というジョン・トラボルタ演じるジャーナリストと、ジェイミー・リー・カーティス演じるエアロビインストラクターとの交流を描いた映画内でのジェイミーリーの恰好を見てほしい。
ジェイミーリーといえばジョン・カーペンター監督作『ハロウィン』(1978)で主演を演じていた。
これは監督自身が明言していることだが、殺人鬼マイケル・マイヤーズの武器のナイフは男性シンボルのメタファーである。そのナイフを女性に刺すとはそういうことだ。
しかしマイケルさん、ジェイミーリーがいくらセクシーだからといって、劇中ではあなたの実の妹でしょ。
レオタードの良さは上はボディの形がわかり(もはや透けている)、下はギリギリの範囲を極めたピチピチの衣装は男を魅惑する…
まさに“魅惑の深海パーティー・マクフライ”だ。
映画にエアロビシーンが登場するのはただの監督の自己満だろう。
しかしそのシーンが華やかになるのことは保障されている。
みんな『ダーティ・ダンシング』(1987)なんかより、
『フラッシュダンス』(1983)の方が好きなはずだ。
どちらも内容は置いといて…。
80年代とはアーノルドの肉体美とエアロビのレオタードが席巻していた時代として置き換えられるかもしれない。
そんなアーノルドとジェイミー・リー・カーティスの2人が夫妻役で共演した映画が『トゥルーライズ』(1994)。
監督はジェームズ・キャメロン。
『タイタニック』(1997)といい、『アバター』(2009)といい儲け方がわかってますなキャメロンさん。
死霊のえじき(1985)
アメリカでの公開日は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じく1985年7月3日。
“ゾンビの父”ジョージ・A・ロメロが描いた『死霊のえじき(原題:Day of the Dead)』は、『ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)』(1978)と『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)とあわせて“ゾンビ3部作”といわれている。
この3作に内容的繋がりは特にない。
キッズが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に行くと見せかけて本作を観に行ったのはさすが。
前作の『ゾンビ』が大ヒットしただけに今作の話題性が兼ねあってのことだとは思う。
“ゾンビボーイ”のウィルにとっては思い入れが深そうだ。
ショッピングモールの役割
ジョージ・A・ロメロが監督を務め1978年に公開された『ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)』では、ショッピングモールを舞台にゾンビとの戦いが描かれた。
この作品は当時最大のアメリカのショッピングモールでペンシルベニア州ピッツバーグ東部にある“モンローヴィル・モール”で撮影された。
1969年に開業し今現在も営業中だ。
アメリカでは70年代に大型ショッピングモールが次々と増えていった。
ショッピングモールといえば、みんな特に用がなくても買うものがなくても来てしまうところだ。
とりあえずショッピングモールに行けばそこから目的が生まれることもあるほど何でもある場所。
なぜショッピング・モールなのか。
それは何でも揃いプロット上面白くなるというだけではない。
ゾンビは生前の微かな記憶をもとに行動しているという。
シーズン3を見た人なら、市長がショッピングモールを導入して、そのせいで昔からの店を持つ市民たちが人が来ないため抗議のデモを行なっていたのを覚えているだろう。ジョイスの店にホッパー以外の人が来ただろうか。
そんな商業主義の塊の場所にゾンビ化して腐っても本能で行ってしまう。
腐った脳でも覚えているのだ。
あの頃の楽しい日々を…。
我々は生きていてもゾンビと変わらないのだ。
ゾンビが蔓延ろうと構いやしねぇ。
生き残りを懸けて食料や武器を求めてあそこに行くのだ。
そして時には人間同士で殺し合いをする。
もはやゾンビの生活の方が“楽”しいのかもしれない。
ロメロが描く『ゾンビ』は、そのような過剰消費社会に疑問を投げかけた作品でもある。
しかし、私はゾンビになってもショッピングモールに行くだろう。
それはただただロメロへの敬意を込めてだ。
グーニーズ(1985)
1985年6月7日全米公開
まず、本作の主演がこのドラマにはキャスティングされているのだ。
そうボブを演じたショーン・アスティン。
名前を聞いたことなくても『ロード・オブ・ザ・リング』のサムといえばお判りだろうか。
フロドはウィルに似てるなぁ。
シーズン2第8話、ボブはホーキンス中学放送部の設立者であったことがマイクの口から語られる。つまりクラーク先生の師匠である。
シーズン2で勇姿の末に命を落とした彼ですが、この時の勇敢さと行動力はショーン・アスティンが主演した『トイ・ソルジャー』(1991)の役柄と被る。
高校を占拠したテロリストに高校生たちが立ち向かうお話。
シーズン2第1話で、ジョナサンとウィルが“デビッド・ボウイとケニー・ロジャースどちらが好きか”を語り合い、ジョナサンが「そんなの決まっている。」と言う。
ウィルが「ケニー・ロジャースが好きな人もいるよ」と言った瞬間に、
絶妙なタイミングでそれを聞きつけたボブが「ケニー・ロジャース好きだよ」と割り込んでくる。
ケニー・ロジャースとはアメリカで最も有名なカントリー歌手の1人。
1967年に“ファースト・エディション”というバンドを結成し、1976年にソロに転向後ヒット曲を連発した。
首位を獲得したシングルは30枚にも及ぶ。
代表曲は『Lucille』(1977)、『Lady』(1980)など。
『We Are the World』(1985)にも参加している。
現在81歳。
そしてその会話の後『ミスター・マム』(1983)のVHSをウィルの部屋で見つけ、
みんなそろってリビングで鑑賞。
『ミスター・マム』とはどんな映画なのか。
1983年8月19日全米公開
残念ながらまだ未鑑賞のため、あらすじを引用させていただく。
突然一時解雇を言い渡された夫は、広告代理店に採用された妻に代わり家庭の面倒を全てみる事になった。二人の子供に振り回されながら主夫として頑張る主人公の健闘ぶりが笑いをさそうホーム・コメディ。
主演はティム・バートン監督の『バットマン』(1989)と『バットマン・リターンズ』(1992)の2作でバットマンを演じたり、『ビートルジュース』(1988)でビートルジュースを演じ、ウィノナ・ライダーとも共演しているマイケル・キートンだ。
ちなみにシーズン3第2話でジョイスがクラーク先生の家に行った時に、磁気の実験をして電流を流すスイッチをオンにしたあと『ビートルジュース』の墓地のフィギュアが少しだけ映る。
さすがに“here lies BETELGEUCE”の文字は小さくて見えないが形はわかる。
そんなウィノナがマイケル・キートンの作品を見ているなんてと笑えるシーンなのだ。
どうやらこの『ミスター・マム』にもハロウィンシーンが出てくるようだ。
頭だけE.T.の仮装をしている人も登場する。
一家の母ちゃんは『E.T.』の母ちゃんとかなり似た猫の仮装をしている。
母は猫になりたがるものなのか。
もちろんダスティンのママも猫。
この人の場合、自分をセクシーに見せたい前者二人とは違い(推測)、
ただの猫好きだ(確信)。
ハロウィンなのにホラー映画は見ないボブ。
退屈そうなバイヤーズ一家と大笑いしながら見るボブ。
脱線したが他に『グーニーズ』要素では、ボブがホーキンスの地図に詳しく、謎解きをするのは完全に本作の宝探しを彷彿とさせる。
その後のアップサイドダウンに入り、スティーブとキッズらが地図を見ながら進む下りもオマージュ。
劇中のステフとアンディの関係は、ナンシーとバーバラの関係と同様でかつそれぞれの容姿と性格も似ている。
ちなみにアンディ役のケリー・グリーンは『ルーカスの初恋メモリー』(1986)で主演を務め、本作がデビューとなるウィノナ・ライダーと共演している。
『グーニーズ』は『スタンド・バイ・ミー』を冒険活劇に変えたような映画である。
『スタンド・バイ・ミー』は少年たちが死体探しの旅に出かける、
一方の『グーニーズ』は海賊の宝探しの旅。
『グーニーズ』のステフ役マーサ・プリンプトンは、『スタンド・バイ・ミー』のリヴァー・フェニックスと『モスキート・コースト』(1986)と『旅立ちの時』(1988)での共演をきっかけに交際していた。
チャンクが冷凍庫からアイスクリームを取り出し大量に腕に抱えるシーンも、シーズン1でダスティンとルーカスが学校の食材保管冷蔵庫からチョコプリンを盗むシーンでオマージュされている。
ダスティンは他にもシーズン1でいじめっ子にナイフを突きつけられ人質になる場面があるが、あれはチャンクも経験済みだ。
シーズン3第1話でいくつか発明品をサマーキャンプから持って帰ってくるが、
本作で発明が得意といえば“データ”のあだ名を持つリッキーだ。
ダスティンはチャンクからデータに昇格?したのだ。
ストシンの主要人物にはまだ“アジア人”がいないのでシーズン4ではぜひともキャスティングされてほしい。
シーズン2からスティーブは『グーニーズ』でいうジョシュ・ブローリン演じるマイキーの兄ブランド的立ち位置だ。
同じ柄の赤いバンダナも使用している。
両者ともに子供の面倒見がいい。
エクスプローラーズ(1985)
1985年7月12日全米公開
シーズン3でロビン役のマヤ・ホークはイーサン・ホークとユマ・サーマンの娘だが、
本作の主人公を演じているのはまだ子役時代のイーサン・ホーク。
そして共演は『スタンド・バイ・ミー』のリヴァー・フェニックス。
お馴染みのトランシーバーのシーンは本作からの影響。
トランシーバーはどこのメーカー?
ドラマの中で度々キッズが使うトランシーバーについて調べよう。
まず呼称だが、英語圏で“トランシーバー”と言うと、定置式の双方向無線機を含んでしまうため、いわゆる片手式のそれのことは“Walkie-talkie(ウォーキートーキー)”と呼ぶ。
コードレッド!コードレッド!
劇中のものは“ラジオシャック(ボブが働いていた家電販売店)”で売られていた“Realistic”という独自ブランドで“TRC-214”という商品。
しかしシーズン1の1983年当時に“ラジオシャックのカタログ”には載っていなく、シーズン3の1985年からリストに載っている。
エリカに口うるさく指摘されそうな案件だ。
コマンドー(1985)/ランボー(1982)
コマンドー:1985年10月4日全米公開
ランボー:1985年10月22日全米公開
シーズン1でルーカスがハチマキを巻いて武器を装備するシーンは、本作でアーノルド・シュワルツェネッガー演じるメイトリックス大佐が、娘を救いに行くために気合を入れて準備をするシーンのオマージュに見える。
ちなみにハチマキを巻くアイディアはルーカス役のケイレブ自身のものだ。
双眼鏡もしっかり装備していて感心だ。
シーズン1第3話にてルーカスの装備品が紹介されるシーンがある。
「ベトナム戦争の時の双眼鏡とアーミーナイフ、ハンマーに迷彩バンダナ、それからリスト・ロケット(パチンコと違い肘まで固定できる)」
ハチマキを巻いて獲物を狙う姿はシルヴェスター・スタローン演じるランボーを思い起こさせるじゃないか。
銃も弓矢も使えないため武器がパチンコなところがまたいいんだなぁ。
イカしてるぜルーカス!なんてできる子なんだ!
ちなみにメイトリックス大佐は劇中で87人殺害している。
対するランボーも87人を殺害。といってもこれは4作目のみの話で、彼の場合シリーズ4作合わせると累計は211人にも及ぶ。そして5作目の公開を今年控えているため記録は伸びそうだ。
まさに大量破壊兵器。
しかし映画史上最も人を殺しているキャラクターはなんとキアヌ・リーヴス演じるジョン・ウィック。
377人も殺してやがる。罪深い。
詳しくは先月の6月号『はじけろ筋肉!飛び散れ汗!エクスペンダブルズオーディション』を見てくれ。
アーノルドとシルヴェスターのハイブリッドであるルーカスは、
シーズン4ではきっとエル以外で一番戦闘力があがっているに違いない。
むしろ鍛え抜かれた筋肉を見せびらかしてるくらいの勢いを期待している。
実はその片鱗をすでにシーズン3で見せていた。
第4話では、暴れ出すビリーにリストロケットで攻撃した。
そして第7話ではデモゴルゴンの触覚を斧で切り落とした。
さらわれそうになったイレブンを必死にみんなで引っ張っている中、ナンシーがショットガンをぶっ放す中、ルーカスは吹っ飛ばされたジョナサンが使っていた斧を手に取り、何度も何度も振り下ろしたのだ!
ルーカスは本当にたくましくなった。
シーズン3最終話のファイヤーウォークスのアイディアも彼のモノじゃないか。
こりゃ来シーズンから戦略と実践面でのさらなる活躍を期待せずにはいられない。
マンハッタン・プロジェクト(1986)
1986年6月13日全米公開
第2次大戦中にアメリカ、イギリス、カナダがナチスに対抗して、科学者と技術者を総動員で原子爆弾の製造にあて、実際に広島と長崎に原爆を投下するまでの“マンハッタン計画”を背景に、
ホーキンス研究所が表向きではエネルギー開発を行っていることにして、実際は人体実験をしていたように、本作のニューヨーク州イサカに位置する研究所も医療企業と偽り、実際はより洗練されたプルトニウムを製造するための研究を行なっていた。
スタンド・バイ・ミー(1986)
1986年8月22日全米公開
スティーヴン・キング原作の『The Body(死体)』はシーズン1第4話のタイトルになっている。
シーズン1第3話にて、行方不明のウィルを探しに行ったマイク、ルーカス、ダスティン、エルがウィルの死体(偽造)を見つけて悲しみに包まれてエンディングを迎える。
一方で『スタンド・バイ・ミー』では、死体を探す目的を最初からもって少年たちは旅に出る。そこの違いはあるものの最終的には死体を目にするのは同じである。
少年たちが線路を歩く映画といえばこれしかない。
そして歩けば友情が深まり絆となる。
スティーブとダスティンがいい例だ。
ウィルとジョナサンの関係は
本作の主人公ゴーディと彼の兄との関係に重なり、
ウィルとマイクの関係は
ゴーディと彼の親友クリスとの関係と重なる。
ザ・ゲート(1987)
1987年5月15日全米公開
家の庭で拾った大きめな石を割ってしまった。
すると庭にできていた穴から悪魔が次々と召喚され、少年たちを生贄にしようと襲ってくるという物語。
ゲートが開きモンスターが出てくるのはアップサイドダウンと全く同じ仕組みだ。
本作で特撮を務めたのは、『ゴーストバスターズ』のR・W・クック。
そして特殊メイクは『狼男アメリカン』でリック・ベイカーと(クレジットはないが)共同したC・リアドン。
ミッドナイト・ラン(1988)
1988年6月11日全米公開
ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッドナイ・ラン』(1988)はデニーロ演じる賞金稼ぎの元警官が、運悪く賞金首になってしまった心優しい会計士を、ニューヨークで捕まえてロサンゼルスに届けようとするのだが、飛行機で彼が恐怖症によりパニックを起こしたため降ろされてしまう。
そこからアメリカ横断の旅がはじまるのであった。
その間に喧嘩を何度もするのだが、次第に理解しあって友情が芽生えるというバディロードムービー。
まさにホッパー、アレクセイ、マレーの関係性に通づる。
ダファー兄弟も影響を受けたことを認めている。
ダイ・ハード(1988)
1988年7月15日全米公開
本作はシーズン3でオマージュがみられる。
エリカのダクトを通る場面。
ホッパーとソ連ターミネーターとの戦いで本作のセリフが引用されている。
銃を突き付けられた敵の「お前には撃てない。警察にはルールがあるからな。」というセリフ。
ネイティヴではない外国人が話す英語発音という点も似ている。
ゼイリブ(1988)
1988年11月4日全米公開
ジョン・カーペンター監督の1980年代の消費主義社会に疑問を投げかけた作品。
人間に擬態したエイリアンが見えるサングラスを手に入れた主人公が、彼らに支配されつつある人類を救うべく立ち上がる。
裕福そうにみえる人ばかりがエイリアンというのも皮肉だ。
この作品からのオマージュは、シーズン1第6話での路地でジョナサンとスティーブが殴りあう場面、そしてシーズン2最終話でビリーとスティーブが殴り合う場面。
最初の一発かわすのは本作からの影響で、その後のビリーがスティーブをボコボコにする様は『ファイト・クラブ』(1999)のエドワード・ノートンのファイトクラブでのファイトシーン。
ヘザース/ベロニカの熱い日(1989)
1989年3月31日全米公開
シーズン3第3話
ビリーが最初に寄生した同僚プール監視員のヘザー。
名前を“ヘザー”にした時点で目を見張って彼女の行動をみなければならない。
なぜならかつてヘザーという名前の女子3人組を恨んだ女性がいたのだから。
そう、ジョイス、ウィノナ・ライダー!
彼女が1988年に主演した『ヘザース/ベロニカの熱い日』では、“ヘザー”という同じ名前を持つイケてると勘違いしている3人の女子にこき使われるベロニカ役を演じた。
ある日、クリスチャン・スレイター演じるJDという男が転校生でやってきてからすべてが変わる。
スクールカーストの上位層に位置するチアリーダーやアメフト部員が支配する学園生活に彼女はうんざりしていた。
JDに「ヘザースなんか殺したい」と言うと、彼はこう答えた。
「じゃあ殺しちゃえば?」
そしてまず殺したのは“ヘザース”の中でもリーダー的な存在の奴。
前日のパーティーで飲みすぎて二日酔いで学校を休んだ“ヘザー”のところに見舞いという形で出向き、二日酔いに効く薬と嘘をつき洗剤を飲ませて殺害。
そしてイラつく生徒らを次々に殺していくサイコパスなJD。
ドラマでもビリーが最初に寄生したのは“ヘザー”。
憎たらしいことにこちらのヘザーは次々と仲間を増やしていった。
シーズン3第5話、キッズとナンシーとジョナサンらがトムとヘザーの家に行くと、化学物質の入った容器が散らかっていた。
これは明らかに上記からのオマージュ。
その他のオマージュ
年代関係なく影響を受けていると思われる映画の数々や劇中に出てくる映画やアニメをご紹介。
フランケンシュタイン(1931)
ユニバーサル・スタジオが製作した本作は、88年も前の映画だが今見ても全く見劣らない。
それほどにボリス・カーロフ演じる怪物のビジュアルと表情が強烈なインパクトを残している。
シーズン2第2話で、ハロウィンの日にエルがホッパーの帰りを待ちながらテレビを見ている。
画面に映っているのは本作で最も有名なシーン。
フランケンシュタインの研究所から逃げ出した怪物が外を彷徨っていると、
小さな女の子がお花を摘んでいた。
偶然そこにやってきた彼を見つめ、女の子は一緒に遊びに誘う。
お花を川に投げて楽しそうにしている女の子を見て、怪物はその行動が楽しいものだと認識して女の子を川に投げ入れてしまう。
そのまま女の子は溺れて死んでしまい、
怪物がパニックになるという胸が痛くなるシーンだ。
エルはこのシーンの最初を見ている時に、
ホッパーからのモールス信号の音がリビングから聞こえたため移動する。
そのため女の子が死ぬシーンは見ていないのだ。
彼女が見なくてよかった。
なぜならホッパーが夜は一緒に映画を見て過ごすと約束したのに帰ってくる気配がなく、気分は暗くなっているからだ。
もしもこのホッパーのような大男が、エルのように小さな女の子を投げて殺してしまうシーンなんか見てしまったら状況が状況だけに傷つくに違いない。
楽しそうに見える純粋な女の子、こんな生活をしていたかったに違いない。
そして自分は女の子の方ではない、怪物の方なんだと考え込んでしまっただろう。
まさに計算されたシーンである。
ちなみに今年配信されたばかりのNetflix製作の短編映画『フランケンシュタインの怪物の怪物(原題:Frankenstein’s Monster’s Monster, Frankenstein)』(2019)でデヴィッド・ハーバーはフランケンシュタインの怪物になりきるおじさんの役を務めている。
役者一家に生まれた俳優デヴィッド・ハーバーが、亡き父が試みて失敗した名作文学のテレビ演劇の映像を発見。その真意を探るうち、衝撃的な家族の秘密にたどり着く。
(引用:Netflix)
トワイライト・ゾーン(1959)
1959年から1964年まで放送されたSFテレビドラマ。
日本でいう1話完結の『世にも奇妙な物語』と思っていただければ結構。
タモさんの役割をロッド・サーリングが務めている。
1983年には『トワイライトゾーン/超次元の体験』として4話から成る映画版が公開された。
プロローグと第1話『偏見の恐怖』をジョン・ランディスが監督。
第2話『真夜中の遊戯』をスティーヴン・スピルバーグが監督。
第3話『こどもの世界』をロブ・ボッティンが監督。
第4話『2万フィートの戦慄』をジョージ・ミラーが監督。
そしてエピローグをジョー・ダンテが監督するという豪華な布陣。
第1話以外はテレビドラマで放送されたエピソードのリメイク。
『ストレンジャー・シングス』シーズン1第2話のタイトル『The Weirdo on Maple Street』は、ドラマ版にあるエピソード『The Monsters are due on Maple Street』を参照している。
内容は“エイリアンが小さな町を支配する”というもの。
ちなみに他には『Little Girl Lost』というエピソードが、映画『ポルターガイスト』に影響を与えている。
夫婦が他の次元に囚われた娘を探そうとする話。
欲望(1966)
シーズン1第2話で、ジョナサンがスティーブの家にいるナンシーやバーバラを盗撮したシーンは、本作の主人公のカメラマンが公園にいたカップルを盗撮するシーンのオマージュ。
また、その後に現像した写真が撮られた側に渡るところや、その写真に“何か”が写っており、そこから不可解な出来事に巻き込まれていく点なども同様。
この映画に影響を受けて作られたのがブライアン・デ・パルマ監督の『ミッドナイト・クロス』(1981年7月21日全米公開)。
ジョン・トラボルタが演じる音響効果マンが、低予算映画に使う効果音を撮りに川のほとりに来ていたら偶然自動車事故を目撃する。
中にいた男女を救出して病院に運ぶも、この一件を黙っとくよう謎の人物から忠告を受ける。
録音していた音声には銃声が入っており、偶然にも同じ場所にいたカメラマンが撮影した写真を手にすると、そこから隠された真実を探し始める。
そして同じくブライアン・デ・パルマの『ボディダブル』(1984)も双眼鏡を使い美女の覗き見を繰り返した主人公が不可解な事件に巻き込まれていく話。
ヒッチコックの『裏窓』(1954)と『めまい』(1958)に影響を受けて制作した背景がある。
ジョナサンもナンシーの下着姿を覗いて盗撮していた。
ブラインドカーテンをしっかり閉じずに側で裸になるのは禁物。
ちなみに、『欲望』の“盗撮”を“盗聴”に置き換えた映画はフランシス・フォード・コッポラ監督の『カンバセーション…盗聴…』(1974)である。
IT(1990)
突然子供が行方不明になるお話。
シーズン2第3話、車中でボブがウィルに恐怖に立ち向かう方法を伝授するシーン。
前述のとおり、製作のマット・ダファー氏の小さいころのトラウマを元にしている。
それプラス、ボブがその経験を話しているときのピエロのモノマネに注目だ。
字幕ではピエロと訳されているが、彼はピエロのことを“Mr. Baldo”と言っている。
この名前は特に『IT』には関係はない。
実際にその人の名前だったのだろう。
しかしそのあとが奇妙だ。
ボブがウィルよりも幼かったときの体験談。
観覧車を待っているとき、白手袋のデカい手が肩をたたいた。
振り返ると怖いピエロがいた。
ボブがその時のピエロの声を真似する。
「Hey kiddo, would you like a balloon?(坊や、風船は欲しいかい?)」
この声は本作でのペニーワイズの話し方にそっくりだ。
ショーン・アスティンの芸達者ぶりが伺える。
それから毎晩夢に出てきたというピエロ。
ボブの親の家はメイン州にあるということをシーズン2第2話でボブが明かす。
メイン州と聞いてピンとくる“オタク”どもは多いはずだ。
そう、スティーヴン・キング原作の舞台の多くが、
メイン州の架空の街デリーとキャッスルロックの二つ。
詳しくはスティーブン・キングの項目で後述する。
『IT』はデリーが舞台。
しかし、ボブはホーキンス中学と高校に通っていた。
ホーキンスはインディアナ州でメイン州から離れている。
辻褄を合わせるには、祖父母の家がデリーにあり、夏休みだけ遊びに行っていたと考えればいい。
その時に遊園地に行ったのだ。
なぜ現在両親がメイン州にいるのかも予想でしかないが、
どちらかの祖父母を介護するため引っ越したのだろう。
ペニーワイズは27年周期でデリーに現れては子供たちを殺していく。
原作は、前半の少年期が1958年、後半の成熟期が1985年が舞台。
『ストレンジャー・シングス』では子供たちの年齢は明らかになっているが、
大人が不明のためそこから逆算できない。
わかっていることはジョイス、ホッパー、ボブは高校の同級生。
大体30代後半から40代前半と言われている。
シーズン2は1984年が舞台。
仮にボブが現在35歳ならば、1958年の時は1949年生まれなので9歳となる。
ウィルは13歳。
ジョイスが22歳の時に産んだ子になるがありえなくはない。
ウィルよりも幼かったときというヒントをもとに逆算するとこれくらいが妥当か。
つまり9歳の時にペニーワイズに出会い、彼は恐怖に打ち勝った。
『IT』の後半が1985年が舞台なのでシーズン2の翌年だ。
シーズン3までボブが生きていたら、もしかするとペニーワイズとの共演が見れたかもしれない。
まぁボブの“恐怖に勝った”というのが嘘でなければの話だが。
さらにいうとマイク役のフィン・ウルフハードが2017年公開のリメイク版にリッチー役で出演しているため、
ヴィジュアル上ややこしくなるのでその展開はないでしょう。
他のオマージュは、
シーズン1第3話でホッパーと助手が図書館でホーキンス研究所の過去について調べるシーンは、本作でデリーの過去を調べていたルーザーズクラブと重なる。
シーズン1第8話では、
エルのバックアップもあり、ルーカスがリストロケットでデモゴルゴンに放った石が銃弾のように力を増しヒットした。
これは本作も同様に終盤でベバリーが放った石が、ペニーワイズが擬態した(今見るとデモゴルゴン感のある)モンスターを突き破るシーンのオマージュ。
実在凶悪殺人鬼ジョン・ゲイシー
よく『IT』のペニーワイズの元になった人物と言われることが多いが、原作者のスティーヴン・キングがそのことについて言及したことはないが、やはり重ね合わせて考えてしまう。
ただ劇中のペニーワイズよりもジョン・ゲイシーの方が断然凶悪であることは間違いない。
ジョン・ゲイシーはイリノイ州クック郡で33人もの若者男性を殺害したアメリカ人シリアルキラーであり強姦者である。
彼は29人の遺体を自宅の床下に埋め、他の4人はデイ・プレインズ川の近くに破棄していた。
彼はピエロのメイクと恰好をして子供たちのパーティーに出向く、『Jolly Joker』というクラブ会員としてシカゴエリアを担当していた。
“ポゴ”という名前でピエロ活動を行っており、そのため事件後は“キラークラウン”としてよく語られている。
1942年3月17日イリノイ州シカゴにジョン・ウェイン・ゲイシーは誕生した。
名前の由来は父親が強くたくましい男になるように、西部劇に多く出演した伝説のハリウッドスター“ジョン・ウェイン”から引用し名付けた。
ゲイシーは子供時代に父親から虐待を受けていた。
そして自身のホモセクシャリティについて悩んでいた。
1964年に22歳でマリリンという女性と結婚。
1968年、26歳の時に青年会議所会員の息子である15歳のドナルド・ヴァリューズ少年への性的虐待の罪で逮捕され服役、そして離婚。
逮捕以前には、就職していた大手靴販売店でエリアマネージャーに昇進したり、加入していた青年会議所でも優秀な成績を残し第一部長に就任、そして妻の父親が所有するKFCの3店舗のマネージャーを兼任するなど躍進ぶりもあり、刑務所内でも模範囚となり10年の懲役刑を受けたにも関わらず、1970年の夏には出所した。
しかしその半年後、再び少年に対する性的暴行容疑で逮捕される。
2人の少年が彼のレイプ容疑を告発したが、彼らが裁判に出廷しなかったためゲイシーは不起訴になり、1970年代半ばまでに彼の殺戮が繰り返されることになる。
釈放後は軽食堂でコックをして稼いだ。
その後、建築業に目をつけビジネスを開始。
そしてキャロルという女性と結婚し、彼女の連れ子2人と暮らした。
休みの日には“ポゴ”に扮して福祉施設を訪れボランティア活動をしていた。
さらに地元の民主党党員になり、パーティー会場では当時の大統領夫人ロザリン・カーターと握手している写真も残されている。
そして1978年12月11日、15歳のロバート・ピーストが行方不明になり警察が調査。
母親が彼を最後に目撃したのは彼がアルバイトしていたドラッグストアだった。
息子を迎えにきたが、ゲイシーが経営している建築請負業者のところに彼から誘いがあり、これから話しがあるため向かってしまったという。
10日後、警察はイリノイ州ノースウッドパークにあるゲイシーの家を捜索し、殺人などの犯罪を含む多くの証拠を発見した。
彼の最初の殺人は1972年1月2日、16歳のティモシー・マッコイ。
家に誘い込み殺したという。
彼の家の床下から発見された遺体のうち、8人は身元が分からないほどに腐敗していた。
1978年12月に逮捕され、1980年5月12日の裁判では21回の終身刑と2回の死刑を宣告された。
そして1994年5月10日、薬物注射による死刑が執行された。
彼が獄中で描いた絵は現在高値で取引されている。
ジョニー・デップがその一つを所有していることは有名である。
ワシントンDCにある『Crime Museum』には、ゲイシーの“ポゴ”の衣装やペイントセットが展示されている。
ジュラシックパーク(1993)
シーズン3でジョナサンが運転する車に乗り、みんなで逃走している最中の後部ガラスから見えるドシドシと音を立て追いかけてくるマインド・フレイヤーは完全にT-レックスではないか。
その前のショッピングモール内でキッズたちがマインド・フレイヤーから隠れている姿も、
本作のキッズらが隠れている様子と一緒だ。
ちなみに本作の子役のジョゼフ・マゼロは、『激流』(1994)、『マイ・フレンド・フォーエバー』(1995)、『サイモン・バーチ』(1998)などを経て、2018年公開の大ヒット作『ボヘミアン・ラプソディ』では“Queen”のベーシスト、ジョン・ディーコンを演じていた。
私が何を言いたいかというと、もしもこの先“BON JOVI”の伝記映画が制作されるのなら、ギターのリッチー・サンボラをマイク役のフィン・ウルフハードにぜひとも演じてもらいたい。
さらにシーズン2でボブが研究所の電力を復旧させる場面も本作でローラ・ダーンがその役目を担っていた。
しかしボブは残念ながらあの世行き。
レオン(1994)
シーズン2からのエルとホッパーの関係性が本作のマチルダとレオンの関係と重なる。
エル役のミリー・ボビー・ブラウンと、マチルダ役のナタリー・ポートマンが似ているのも偶然ではないのだろう。
フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)
シーズン3第6話でソ連軍に捕まり拷問を受けるスティーブ。
彼がその時言ったこと。
“人生はいろいろ起こるけど、アイスクリームだ。ソ連で食べるかわからないけれど、とにかくバタースコッチ戦艦は試さなきゃ。”
“Shit happens, life goes on. And, uh… ice—ice cream. USS Butterscotch, I mean, you gotta try it.”
これは『フォレスト・ガンプ』(1994)の冒頭の名台詞を思い起こす。
“人生はチョコレート箱。何を手に取るかはわからない。”
“Life is like a box of chocolate. You never know what you’re gonna get.”
これはフォレストが母親に言われていた言葉。
スティーブの場合、ボコボコにされているので何を言っているのか意味不明だが、いやこれも哲学的観点で考えれば意味深か。頭が回らないので私は考えるのをやめておこう。
約9年も先駆けてガンプの名言を言っていたとはスティーブも中々鋭い。
シーズン4では大学に通っているといいなぁ。
スティーブ!RUN!!スティーブ!!!
ヒート(1995)
ソ連のスパイだと思ってダスティンとスティーブが後をつけていたらただのエアロビ・ガイだった男性。
サングラスをかけてカバン背負ってブロンドの長髪といえば、
『ヒート』(1995)のヴァル・キルマーが演じる強盗団のメンバーの一人だ。
ダファー兄弟はマイケル・マン監督も好きだから引用しようとしていると2016年の時に言っていた。
ついにシーズン3で満を持して登場したのがあのシーン(笑)
トイ・ストーリー・シリーズ(1998~)
シーズン2第1話、マイクがお母さんに“ヤードセール”におもちゃを2箱分出すよう詰め寄られる。
ヤードセールといえば『トイ・ストーリー2』(1999)でアンディのお母さんも自宅の庭で開いていた個人で行うフリーマーケットのことだ。
マイクは2個ならいいけれど、あとは思い入れがあって捨てられないという。
まさに『トイ・ストーリー3』(2010)のお母さんにおもちゃの行先の選択を強いられるアンディだ。
この時、マイクのお父さん、Mr.ウィーラーが余計な一言を言う。
“プラスチックの塊だ”
おい!お主は子供の頃おもちゃで遊ばなかったのかい?
しかしこれが大人。
我々も振り返ってみて昔遊んだおもちゃが今どこにあるかなど知る由もない。
マイクはあの伝説のゲーム機“アタリ”も過去に売りに出したという。
姉ナンシーのお金を盗んだ罰として。
そしてコヴァルスキーさんに悪態をついたり、
作文の盗作や、トイレの落書き…など次々に母親から暴露されるこれまでのマイクの悪行。
シーズン3最終話でも、ウィルの引越しのためおもちゃを整頓する場面がある。
人生において、おもちゃとの別れは何かしらの成長に繋がり、新たな出会いが生じる可能性もあるのでマイクよ、ポジティブに考えたまえ。
見てのとおり、マイクはシーズン3ではエルという女体にしか興味のない男になってしまった。
マトリックス(1999)
シーズン2第2話でイレブンが、アップサイドダウンからネバネバした穴を通り膜を突き破って表側の学校に出てくるシーンは、本作のネオの誕生の瞬間のオマージュ。
ハリー・ポッター・シリーズ(2001〜2011)
ドラマの中で描写として本作を感じる瞬間は、マイクとトロイ(同級生の嫌な奴)の関係がハリーとマルフォイを連想させる。
トロイの側近にいるガタイのいい奴はゴイル感がある。
シーズン2以降彼らが出てこないのが少し残念。
単純に主役陣の子供たちの成長を見届けるシリーズという意味で、
ハリー・ポッターと同じ気持ちだ。
10年もの間、子役達の顔ぶれが変わらなかったことがまず凄い。
不祥事や犯罪などの問題を起こす子供含めキャストも誰一人いなかった。
こんな優秀な長期に渡る映画シリーズはハリー・ポッターだけであろう。
と思ったら、調べてみたらマルフォイの側近のもう一人の方のクラップ役の俳優が捕まっていて降板していた。
そういえば『死の秘宝』から見たことのない変な奴に代わっていたなぁ。
まぁクラップは抜きとして。
『ストレンジャー・シングス』も2016年に始まり、現在2019年と早くも3年が経過した。
あと7年でシーズン5まで描かれるだろうか。
彼らの成長を親の目線で見守りたいと思う。
シーズン1であんなに可愛らしかったキッズが、シーズン3であんなに大きくなっちゃって!
頼むからみんな良い子に育っておくれ。
お金の管理は大人になるまで両親に任せるんだよ。
自分がいくら稼いでるとかシーズンごとにギャラがいくらアップしたとかのニュースよくないよ。
今や簡単にネットやSNSで見れてしまう時代だから本人らも目にしているに違いない。
米ハリウッド・レポーターによると、シーズン1の時の主演の子役のギャラは1話2万ドルだったそう。
そしてシーズン3には1話あたり25万ドルまで上がったそう。
しかしイレブン役のミリー・ボビー・ブラウンのギャラは不明とのこと。
エルママ:「あなたお仕事頑張ってるから今月のお小遣いは2万円ね。」
エル「パパ?ママ?私の貯金2億あるのよ。ネットで検索して見積もったらそのくらい軽くあったわ。そのお金どこにあるの?」
エルパパ「そんなにあるわけないだろ。父さんの年収の何倍もあるじゃないか。2万円でも多いよ、お前の年なら。」
エル「パパ?ママ?ペアレンツ!ドント!ライッ!!」
鼻血たらり。
指輪物語シリーズ
ホビットの冒険:1937年9月21日出版
指輪物語:1954年7月29日出版
映像化不可能とされた原作が映画化されたのは2001年。
これほど完璧な3部作は未だにないだろう。
原作の“ホビットの冒険”と“指輪物語”は4人のキッズも大好きだ。
D&Dにハマっている時点でいうまでもない。
シーズン1第1話でホッパーから取り調べを受けている最中のこと。
ウィルが昨日どこを通って帰ったかを聞かれて、“闇の森”と答える。
ルーカスが『指輪物語』と言うのに対し、ダスティンは『ホビット』と答える。
正解は『ホビット』でダスティンが1ポイント獲得。
“闇の森”とは、ビルボと13人のドワーフが通り抜けようとした森である。
この森の東側には灰色エルフの王であるスランドゥイル(レゴラスの父)や多くのエルフが住んでおり、ビルボらは森で遭難して彼らに捕まってしまう。
“闇の森”の名前の由来は、日光が差さないくらいに木々が濃密に生い茂り、夜になると木の根元では目の前で手を振っても見えないほどの暗闇になることから。
ウィルが一人で自転車に乗って通っていた道も不気味なくらいに真っ暗であった。
ホッパーの取り調べ後のシーンで、ジョイスがウィルのいるバイヤーズ城に入る時に“ラダガスト”という合言葉を言う。
“ラダガスト”は『指輪物語』の登場人物の魔法使い。
非常に変わり者で中つ国の鳥獣への愛が強く、森に住み着いている。
同じ魔法使いのサルマンには嫌われており、ガンダルフとはいい関係を築いている。
なお『ロード・オブ・ザ・リング』には登場せず、『ホビット 思いがけない冒険』で登場している。
合言葉が“ラダガスト”の理由は、森の中にある家という共通点からであろう。
アップサイドダウンの静寂さと幻想な感じが指輪をはめた時の状態と似ている。
また、ウィル演じるノア・シュナップはイライジャ・ウッドにも似ているせいもあって、
シーズン2第2話でトリックオアトリート中に、
彼が急にアップサイドダウンに入り込んでしまうシーンはそれにしかみえない。
シーズン1最終話、アップサイドダウンから戻り病院に運ばれたウィルが目を覚まし、マイク、ルーカス、ダスティンはじめみんなと再会するシーンは、
まるで『王の帰還』の終盤で指輪を無事に捨て、裂け谷の床で目を覚ましたフロドの元へ旅の仲間が再び集結するシーンを思い起こさせるではないか。
それにしてもボブ!サム!ショーン・アスティン!!あなたは本当にいい役者!
サムがいなかったらフロドは何回死んでた??
シーズン3第3話、マインド・フレイヤーに憑りつかれたビリーに、エルがゲートを閉じているシーズン2の映像がフラッシュバックして、
アップになるビリーの目と、燃え上がるような赤い閃光を放つフラッシュバック映像が交互に連射して重なる。
これは『ロード・オブ・ザ・リング』の“冥王サウロンの目”が指輪の魔力を感じた瞬間に似ている。
サイン(2002)
M・ナイト・シャマラン監督、メル・ギブソン主演のこのエイリアン映画は、テレビで放送されるような“衝撃映像100連発”と思っていただければ結構。
シャマラン要素が垣間見れるのはシーズン1の第1話でウィルが一人で自転車で帰っている時にデモゴルゴンに遭遇する瞬間だ。
“見てはいけないものがカメラに映っちゃった感”を、数秒のカットで効果音付きで見せつけ、あからさまに驚かせてくるいい意味でダサい手法はシャマラニストの大好物だ。
ダファー兄弟のキャリアを導いたのはシャマラン監督。
きっと恩師に捧げたオマージュだったのだろう。
宇宙戦争(2005)
2005年6月29日全米公開
シーズン3最終話で、ショッピングモール内でマインド・フレイヤーから隠れる場面がオマージュになっている。
チェンジリング(2008)
クリント・イーストウッド監督が、1920年代のロサンゼルスで実際に起きた“ゴードン・ノースコット事件”を描き、アンジェリーナ・ジョリーが主演を務めた。
ある日、9歳の我が子が行方不明になり、ロサンゼルス市警が5か月後に発見し、連れてこられた我が子は別人になっていた。
文字通り別人で、そのことを母が警察に訴えると、彼らは彼女を精神病院に強制入院させてしまう。
しかしゴードン・ノースコットが捕まり、彼女の息子を殺したことを告白したことにより退院が認められた。
彼が言うには、20人ほどを殺害したそうだ。
“ジョン・ゲイシー”のように少年を強姦して殺害し埋めた。
彼もまた、死刑が執行された。
そして連れてこられた子供が何者なのかを含めて、警察のずさんな捜査と腐敗が明らかになった事件でもあった。
味方が少ないながら息子のために不正と闘う母はジョイスと重なる。
そして息子(ウィル)が消え、違う子(イレブン)が現れた点も同様だ。
腐敗はしていないものの、ホッパー以外役に立たない警察の捜査も似ている。
SUPER8/スーパーエイト(2011)
製作にスピルバーグ、監督はJ・J・エイブラムス。
スピルバーグとスティーヴン・キングの要素を融合させた映画を撮りたかったんだなと思わせるJJらしさ溢れる作品。
シーズン2でのバスの中に隠れているキッズらがデモドッグの突進に襲われるシーンは本作のオマージュ。
素晴らしき哉映画人生を送るJJ
1966年6月27日に生まれた現在53歳のJ・J・エイブラムスの映画人生はいいとこ取りだ。
ハリソン・フォード主演『心の旅』(1991)では脚本を務め、日本でも大ヒットした『アルマゲドン』(1998)でも共同だが脚本を務めている。
彼の知名度をあげた作品といえばテレビドラマ『LOST』(2004-2010)。
製作総指揮、監督、脚本、音楽を務めた。
その後は『ミッションインポッシブル3』(2006)、『スター・トレック』(2009)、そして『スターウォーズ/フォースの覚醒』(2015)。2大SF作品と人気シリーズ作品の監督を務め、映画界のトップに君臨した。
『SUPER8』は、スピルバーグが製作し、共にストーリーを創り上げた作品だ。
『未知との遭遇』、『E.T.』のオマージュもたっぷり含んだ、まさに映画版『ストレンジャー・シングス』。
そんなJJにとって自分の過ごした青春時代が濃厚に描かれた『ストレンジャー・シングス』は、さぞかし羨ましかったに違いない。
アンダー・ザ・スキン(2013)
スカーレット・ヨハンソンが地球外生物を演じ、セクシー全開で男どもを捕食していく物語。
彼女は男を闇へと誘うのだが、その真っ暗な空間が、イレブンが能力を使って他者を覗き見する際の空間の描写に引用されている。
インターステラー(2014)
シーズン3第6話、アレクセイがストローとハンバーガーの包み紙で、現実世界をアップサイドダウンを表現し、ゲートを開くことで世界を繋げようとしているソ連の陰謀を説明するシーンは、『インターステラー』(2014)のマシュー・マコノヒー演じる主人公が違う次元に行くことのできるワームホールについてクルーから説明を受けているシーンのオマージュ。
ちなみにシーズン1第5話でクラーク先生はすでに先取りしてキッズに説明済みだ。
さすがとしか言いようがない。
ソ連はゲートを開きアップサイドダウンを制圧することで、世界のどこへでも移動可能と考えたのだろう。
そうなれば世界侵略も可能だ。