1972年に、『Walla Walla Islanders』でプレー。
1973年に、『El Paso Sun Kings』に移籍。
それにしてもメガネ野球選手をみると古田を思い出す。
このチームでカートにとって悲劇が起こる。
ダブルプレーを防ごうと相手ランナーが思い切りセカンドに突っ込んできたのだ。
そして投げる時に使う右肩の腱板を損傷してしまった。
その後チームに戻ることはなかったが別のチームにやってきた。
それこそが父がオーナーを務める『ポートランド・マーべリックス』。
チームでは指名打者を務めたが、結局怪我が影響して野球から遠ざかり俳優業に専念した。
それにしても幸せな人生だ。
父が野球選手で俳優でもあったからこそ同じ道を歩めたに違いない。
うらやましい。
野球が駄目でも俳優がある。
だって彼の後ろには父ではなく、ウォルト・ディズニーがいるのだから。
ウォルトとカートの関係に話を戻そう。
ウォルトはラッセルのキャリアにアドバイスをすることも非常に好きだったみたいだ。
ウォルトは早い段階で、ラッセルにとって野球は彼のためにならないと思ってると伝えていた。
ラッセルは語る。
「私は彼と過ごせてとても快適だったよ、そんで素晴らしい時間を過ごせた、関係もね、それはとても重要だった。ウォルトは私に言ったよ。野球は君がキャリアとしてやめるものではなかったのだろう。私は君がこの業界のことをもっと見たいのではないかと思っている。だから私は君がこの業界で長いキャリアを築くと思っているんだ。そう言われたことが私に強く影響を与えました。」
ラッセルは怪我をしてから野球を辞め再び俳優になった、
そしてディズニーの長いキャリアを築くという予言は実現した。
2017年には、パートナーのゴールディ・ホーンとともに『ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイム』に名前が刻まれた。
ウォルト・ディズニーにとって、カート・ラッセルは孫のような存在だったのだろう。