都市伝説紀行
~タイムワープを可能にした実在の人体実験~
ニューヨーク州はモントーク、2010年時点の人口は3,326人と小さな村でかつて起こった奇妙な実験とは何なのか。
モントーク・プロジェクト
『モントーク・プロジェクト』
もともとキャンプヒーローは、第2次大戦中にニューヨークへの敵の侵
基地に設置されているアンテナに見えるのはレーダー反射器で、人間の想念を電磁波に乗せて送信するのに使われていた。
なぜそのようなことをしていたのか、当時行われていた実験内容をこれから説明していこう。
1992年、当時このプロジェクトに参加していたプレストン・
アメリカ政府と軍によるこの実験は、タイムトラベル、
実験は1983年に終焉を迎えた。
しかし研究所では今も何か実験が行われているという噂が後を絶たない。
まずは“フィラデルフィア実験”について。
戦艦エルデリッジ号をレーダーに映らないようにする実験。
元フィラデルフィア実験の主任研究員アル・ビーレックが当時を回想する。
「1943年7月22日、フィラデルフィアの海軍基地で実験は行われました。当時は第2次大戦中でしたが、初期の目的は軍艦がレーダーに映らないようにすることでした。レーダーにさえ捕らえられなければ、軍艦は攻撃もされず敵に勝てます。ところが実験を開始した70秒後、驚くべきことに軍艦そのものが我々が見ている前で消えてしまったのです。」
実験船のエルデリッジ号には戦場に設置された4基のテスラコイルに向かって陸上から強力な磁力線を送り混み、軍艦をレーダーから見えなくしてしまおうとした。
実験を開始すると、レーダーから戦艦が消えたが、その直後になんと戦艦までもが消えてしまったという。
「エルデリッジ号はなんと400kmも離れたノーフォーク軍港にテレポートしてしまったのです。そして数分後にフィラデルフィアの港に姿を現しました。」
戻ってきた船内では恐ろしい光景が広まっていた。
コイルは少し火花を上げており、船上の将兵たちがいたるところで倒れていた。
奇怪なことに鋼鉄の壁に身体を埋め込まれていた者もいた。
わずかな生存者も発狂している人が多かった。
フィラデルフィア実験は中止に。この事件はトップシークレットとなった。
この実験から派生したプロジェクトがモントークで行われた。
アンテナのついている研究所の中には“アンプリトロン”と呼ばれるシステム全体の心臓部と、それと連動する機器類やコイルが設置されていた。
「モントークは地球という惑星が宇宙からエネルギーを取り込み放射している特殊な知念、つまりバミューダトライアングルのような別の次元と繋がった場所に設けられていました。したがって通常の電力に宇宙エネルギーが加わって、総電力が10の24乗ワットという途方もないパワーになっていました。実験では“モントークボーイ”と呼ばれる超能力者たちを集め、彼らのもつ超常的なイメージをこうした大電力で増幅しマインドコントロールに使いました。」とニコルズは述べる。
モントークボーイとは、(優れた人種として選ばれた)
研究所では被験者の超能力のエネルギーを高めるために、“
この椅子は、身体の周囲に現れる微弱な電磁波を測ることで人間の考えを読み取ってしまう機能をもっていた。
そして425~457ヘルツの極超短波をあてると人間のイメージを変えることができることを発見した。
さらにコンピュータに打ち込んだあるイメージをモントーク・ボーイの脳に送り込み、さらにそれを増幅してレーダー反射器から不特定多数の人々に送り込むことができるようになった。
モントーク・ボーイの超能力の実験において最も成果を上げた元NSA情報部員のダンカン・
「当時、私たちモントーク・ボーイは地下の暗い施設に閉じ込められ、まるで囚人のように朝から晩まで実験を続けさせられていました。」とキャメロンは述べる。
モントーク・ボーイ達は常に裸でいるように命じられていた。
そしてキャメロンは超能力を身につけた。
「私がある恐怖のイメージを映像として頭の中に浮かべると、それを増幅して戦場の敵兵の脳へ極超天周波に送り込みます。すると敵はその恐ろしいイメージが現実に起こっていることだと錯覚してしまうのです。」とキャメロン。
彼は瞬きをできないよう機械を取り付けられ、戦場で死ぬ人々や戦車がぶっ飛ぶ映像などを見せられ恐怖を植え付けられた。
(映画『時計じかけのオレンジ(1971)』では、主人公がマインドコントロールされていく様が描かれている)
「この実験には宇宙人のテクノロジーが取り入れられていました。宇宙人の持つテレパシー能力を応用して作られたモントーク・チェアなどが一つの例です。彼らは軍との密約のもと来ているということでした。」とニコルズ。
その後、
この実験は“The Seeing Eye”と呼ばれていた。
キャメロンは髪の毛の房やその人にとって重要な物を与えられ、
次にキャメロンらが取り組んだのが“タイムトラベル”。
超能力を持つ被験者に極超短波をあて、コンピュータを通してある種のイメージを脳の中に送り込むと、被験者の頭の中にはバーチャルリアリティ、つまり架空の現実が浮かび上がった。
さらにそれが現実の世界に現れる。
その実験過程で被験者に過去や未来に行くことのできるタイムトンネルのイメージを送り込み、そのエネルギーを増幅し、時間と共振させていた。
すると時間と空間が歪み、実際にタイムトンネルができたという。
被験者がそこを通ってタイムトラベルできただけでなく、何人かの人々を過去や未来に送り込むことができたという。
最初はホームレスを捕まえてタイムトンネルに送り込んでいた。
時間旅行に備え、参加する男女に1週間準備期間を設けた。
もし戻ろうとするならば、
しかし無事に戻ってこれたものはほとんどいなかった。
ホームレスを送り出した後、
この“モントーク・ボーイズ・プログラム”の生存者によると、
男の子たちの多くは、“荒廃した都市”を調査して、彼ら
チームの生存者の1人である、アル・
“
しかしこれらはあくまで超能力を使える被験者のイメージの範囲内での過去と未来に過ぎない。
そして時には別の惑星にも行くことも可能であった。
ビーレックは火星に初めて行ったグループであったことも明かした。
ダンカン・キャメロンは火星の遠征チームとして火星にあるピラミッドの一つのトビラを開けたそう。
彼らはそこで見たものを“太陽防衛システム”
それにより太陽系への異星人の侵入を防いでいた。
映画『トータル・リコール』(1990)
モントーク空軍基地の中には宇宙人が住んでいたとされる家も残されている。
研究所には小さな宇宙人と大きな宇宙人がいたと、モントーク基地で直接実験に関わっていたフレデリック・クーパー博士の娘ヘルガ・モローが述べている。
小さな宇宙人は生物ロボットで奇妙に大きな頭と大きな黒い目、鼻や口は小さく髪の毛はなかったとされる。
「グレイと呼ばれる小さな宇宙人はアンドロイドのようで、人間型の宇宙人はゼータレティキュリーという星から来たということでした。彼らは私たちに超高度なテクノロジーを色々教えてくれました。」とニコルズ。
実際に科学者たちと働くのはグレイのほうだった。
宇宙人たちはモントーク・プロジェクトを裏で操る影の政府との契約でやってきていた。
「彼らとの共同作業で実験を続けるうちに、1943年のフィラデルフィア実験の時空間と、その40年後のモントーク基地とがタイムトンネルで繋がりっぱなしになってしまったのです。」とニコルズ。
1983年8月12日、キャメロンを使ってタイムトンネルの実験を続けているうちに突然40年前のフィラデルフィア実験と繋がってしまったという。
そして時間と時空を超えて、エルドブリッジ号が姿を現した。
2つの時間と空間はつながったまま切り離せなくなってしまった。
協議の結果、全システムを破壊してしまうことを決断した。
しかしあらゆるスイッチをオフにしてもシステムは作動し続けた。
予備電源のスイッチを切ると基地全体が停電したが、依然タイムトンネルは消えなかった。
停電しているにもかかわらず、全システムは作動したままだった。
やむおえずニコルズらはあらゆる回路を破壊していくと、心臓部のアンプリトンが停止した。
そして時間と空間が元に戻った。
こうして終焉したモントーク・プロジェクトに関わった人々は洗脳され記憶を消され散って行った。
アル・ビーレックも記憶を消されていたが、1984年公開のジョン・カーペンターが製作総指揮を務めた『
映画は“フィラデルフィア計画”を基に、エルドリッジ号に乗った水兵のデビッドとジムのタイムトラベルを描いた。
彼らは1984年のネバダ州にタイムスリップ。そこでは41年前の実験が繰り返されようとしていた。
その実験によりジムは消滅、そして時空間に巨大な裂け目が生じ、地球を異常気象が襲い壊滅の危機に。
果たしてジムは地球を救えるのかというのが大まかなあらすじ。
これを見たアルが自身もタイムスリップしていたことを思い出す。
2137年に6週間、2749年で2年間過ごしたという。
1927年に生まれたアル・ビーレックの最初の記憶はわずか生後9か月の時の家族のクリスマスパーティーで、不思議なことに会話も理解していたと語る。
しかし彼の本当の名はアル・ビーレックではなかったのだ。
彼曰くエドワード・キャメロンとして生まれたという。
そしてダンカン・キャメロンという弟がいたというのだ。
エドワードは1916年8月4日に生まれた。
彼はプリンストン大学でジョン・ヴォン・ニューマン博士に出会った。
そして1939年9月、博士はエドと弟ダンカンを“レインボー・プロジェクト”に雇い、海軍とともに働くことになった。
このプロジェクトは“フィラデルフィア実験”の政府側が使っていた正式名称だ。
博士は彼らに重力、時間、そして量子物理学を教え込んだ。
エドは、透明になる(見えなくなる)仕組みの理論を学ぶ必要があった。
このプロジェクトに参加している間に、エドはニコラ・テスラとアインシュタインに会う機会があったという。
そして20代半ばの頃、“フィラデルフィア実験”で兄弟は危険を察知し船上から飛び降りたが、1983年のモントーク研究所にタイムスリップしてしまったという。
そこで研究所の職員らは優秀なエドワードを利用して、彼の魂を生後まもない赤ちゃんに移植させる実験をした。
その赤ちゃんこそアル・ビーレックだった。
そして彼もまたタイムスリップ実験により1927年の過去から連れてこられた人物であった。
赤ちゃんのアルは1927年に、エドワード・キャメロンは1943年にそれぞれ元の場所に戻され、その後は元の世界で暮らした。
しかしエドの弟ダンカンだけは違った。
彼は自ら1983年に残り、研究所の被験者となった。
しかしこのことにより時間軸に歪みが生じ、彼の老化速度が加速して死んでしまった。
研究者らは1947年時のダンカンの父親の元へ行き、子供を作るよう交渉。
1951年に男の子が誕生し、1983年からダンカンの遺体を運び、男の子に彼の魂を取り除き植え付けた。
その子供が現在のダンカン・キャメロンとして“モントーク・ボーイ”になった人物。
一方1927年のアルは成長し、彼の魂が潜在しているため天才的頭脳を発揮する。
高校卒業前に高度な知識のいる電子工学の試験に合格した。唯一の合格者だったという。
そんな彼に目を付けた海軍が彼を雇う。
そしてそこで彼は地球外生命体や超能力操作についての真実を次々に告げられた。
ここからアルに“ストレンジャー・シングス”が起こり始める。
1956年、派遣先のハワイで、後に『スターウォーズ』で主演を務める当時5歳のマーク・ハミルと短い出会いを果たしたという。
マーク・ハミルの父親は海軍の軍人で転勤が多かった。
しかしマーク・ハミル本人がTwitterでそのことを尋ねられて、60年代後半までハワイに行ったことはないと否定している。(2018年10月18日投稿)
彼もまた気付かぬ間にX-Wingに乗りスーパーハイパースペース(ハイパースペースは光速移動機能しかないので“スーパー”を付け加えた)でタイムスリップしていたのかもしれない。
その後アルはカリフォルニア州に引越し、“モントーク・プロジェクト”に参加。
アメリカ西海岸から東海岸への移動は秘密の地下トンネルをテレポートで移動していたようだ。
そしてモントークではアルがエドワード・キャメロンだったころの弟である、ダンカン・キャメロンに出会った。
そしてアルは自分の持つ知識と経験でダンカンを利用しタイムワープを可能とした。
まさに『ターミネーター』の世界。
そう、監督の名前はジェームズ・キャメロンだ。
彼も“キャメロンの遺志”を継いでいる。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)に抜かれた世界興行収入1位を奪還すべく、
今もタイムスリップを繰り返しているかもしれない。
世界興収3位の『タイタニック』は1997年、世界興収2位『アバター』は2009年に公開された。
12年周期で記録を更新している。
もうおわかりだろうか。
彼の次の監督作品は2021年公開予定の『アバター2』。
誰しもが思う、“今更アバターなんて誰が見たいんだ!”
しかし逆に考えると、前作から12年も経っているのに制作するくらいの自信と気合に満ちた作品だ。
これは幾度とタイムスリップして失敗を繰り返し、計算尽くされた完全なる必勝法が完成した証だ。
ここでアルが語ったダンカンとの時空旅行で訪れた2137年と2749年の未来の様子を垣間見てみよう。
2137年の未来
医療システムは振動と光を使った治療であった。
テレビで放送されているのは教育番組とニュース番組のみ。
2025年までに地球が様々な地理的変化を引き起こしたことを知った。
アメリカとヨーロッパの内陸部と海岸線が大胆に変化していた。
水位が上昇し、フロリダ州は細長くなってしまった。
ジョージア州アトランタは海からたった3マイルの高さになった。
ミシシッピ州は運河の島になった。
5大湖は1つの広い川になった。
アメリカのインフラは崩壊。
アメリカとカナダはもはや国として存在しない。
緩い地元の軍法が存在。
中央政府は消滅。
地球の磁極が変わり始めたが、その時系列では、人工構造の極が磁極の反転と崩壊を防ぐため創られた。
世界人口は3億人に減少。
アメリカの人口は5000万人前後。
政府は放射能ダメージを減少するテクノロジーをもっている。
2749年の未来
巨大で透明な浮遊都市があり、地球のどこにでも移動が可能。
人工知能コンピュータシステムがすべてを運営していた。
政府はない。
システムはテレパシーで連絡し合っていた。
社会システムは完璧な社会主義。
ダンカン・キャメロンは実験の間に、なんとモンスターを出現したこともあったという。
度重なる実験によりトラウマを植え付けられたダンカンの心は疲弊し乱れた。
そんなある時、実験最中に彼の邪悪なイメージが反映されてしまい…
ダンカンが「今だ」と言い放つと、彼の潜在意識から創り上げられた“ビッグフット”のように毛深く大きいモンスターが、地下研究所ではなく、地上の基地のあちこちに度々現れた。
目撃者も多くいるが、それぞれ違うモンスターのビジュアルを証言した。
そのビッグフットは見つけたものなら誰でも喰い、目に入った物は全て破壊した。
彼らはそのモンスターを“ジュニア”と呼んだ。
きっとそれぞれのもつトラウマや邪念が独自のモンスターの形態を生み出したのだろう。
“モントーク・プロジェクト”は終焉後も奇妙な噂が後を絶たない。
「1962年、突然父の上司から電話があり、父が死んだと告げられました。これまで父は病気一つしたことがなく、この日も病院に健康診断を受けに行っただけでした。」
そう述べるのは、モントーク基地で直接実験に関わっていたフレデリック・クーパー博士の娘ヘルガ・モロー。
葬儀に参加したヘルガをCIAのエージェントのような怪しい人らが遠くに立っているのを見た。
依然彼女の父クーパー博士は、“私は近くにいなくなるが、死ぬわけじゃない”という奇妙な言葉を残していたのを思い出した。
「もっと不思議だったのは、棺桶の中の父を見た時でした。父は毛深かったのに、手の甲には全く毛が生えていなく、父とは違う感じでした。顔もまるで蝋人形のようでした。父の遺骨は生まれ故郷の東ドイツに埋葬されたはずでした。」
しかしヘルガがお墓を訪れた時、確かにあるはずの墓がどこにもなかったのだ。
「(1992年に)役所に行って父が残したものがないかと尋ねたら、父が作成した1978年から1980年までの公文書がでてきました。父の死後16年以上も経って書かれたものです。しかも父の直筆のサインが書かれていました。私は父が今でもどこかで生きているのではないかと思うんです。」
博士は本当に死んだのだろうか。
“モントーク・プロジェクト”は1983年8月12日に終焉を迎えた。
現在このエリアはキャンプヒーロー州立公園として観光地になっており、当時の研究所として使用されていたコンピュータ・センターと呼ばれる建物などもすべて残ったままだが、立ち入り禁止となっている。警備が立っている場所もある。