ミッキー・マウスに欺かれたクマ、ウィニー・ザ・プー

都市伝説紀行

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ミッキー・マウスに欺かれたクマ
ウィニー・ザ・プー
『くまのプーさん』は、1926年A. A. ミルンが発表したイギリスの児童小説である。
『くまのプーさん』の起源や、作者のA. A. ミルンと息子クリストファー・ロビン・ミルンについては、2017年に公開されたイギリス映画『グッバイ・クリストファー・ロビン』を見てもらいたい。

1926年時の挿絵はE. H. シェパードが描いているが、この時のプーは服を着ていない。

それでは、いったい彼はいつからトレードマークの赤い服を着たのだろうか。

『くまのプーさん』が初めてカラーで登場したのは1932年のこと。

遡ること2年前の1930年に、ステファン・スレシンジャーが北米で商品化する権利を獲得した。

もともと北米における“プー産業”は、1931年11月までに年間5,000万ドルを売り上げる一大事業であった。

しかしシェパードの絵を使用するライセンスを所持していなかったため、スレシンジャー自身がキャラクターを描いた。

そして1932年に発売された、フランチャイズに基づいた音楽が収録された『RCA Victor レコード』赤い服を着たプーさんが初登場した。

レコードにデザインされたプーさんを見る限り、クリストファー・ロビンから赤い服を譲り受けたように見える。

さらに1933年に発売されたボードゲームでも、赤い服を着たプーさんが使われた。

しかし前年と比べると、この1年で服が縮んでいるではないか。

何があったのか。

一方、ディズニーを代表するキャラクターであるミッキーマウス初カラー作品は、1935年2月23日に公開された『ミッキーの大演奏会』である。

赤い服を着ているではないか。

ちなみに初登場は、1928年11月18日に公開された『蒸気船ウィリー』

モノクロなので、何色のパンツを着用しているかは不明。

本作でのミッキーは終始態度が大柄なのだが、後半は酷さを増す。

猫を振り回し、カモメのお腹を押し潰し、母親の乳を飲んでいる数匹の子豚の尻尾を引っ張り、牛の口を開け、歯を叩きまくるという暴虐の数々を繰り返すのだ。

最後は自分のことを嘲笑う鳥にジャガイモを投げつけて海に突き落とし、それを見て爆笑して幕を閉じる。

そしてあまりの酷さからディズニー側がビデオソフト化する際に、カットしたシーンがある。

問題のシーンは乳を吸う子豚が出てくるシーンである。

実際には子豚の尻尾を引っ張った後に、母豚を重量挙げの如く持ち上げ、子豚を振り落とした。

その際に、1匹だけ振り落とされなかった子豚を蹴り上げて落とした。

そして母豚を仰向けにし、お尻を引いては押しながら、6つの乳首を1つずつ押して演奏を始めたのだ。

それを子豚たちが無表情で眺めているというハラスメントの塊のシーン。

今でこそ改心したミッキーマウスだが、彼にも若気の至りの時期はあったようだ。

映像として残っているのだから逃げられない。

この頃のミッキーが、こういった異常行動を起こすネズミだということを覚えていてもらいたい。

世間ではこういった噂が広まっている。

ミッキーが裸のプーさんを思いやって自分の服を切って差し上げたと。

そもそもミッキーはいつ赤い服を手に入れた。

1935年2月23日に公開された『ミッキーの大演奏会』の時点で着用しており、1933年1月21日公開の『The Max Doctor』まではモノクロかつ下着のみ。

1935年に赤い服を手にした翌年に公開された初のカラー短編となる『Thru the Mirror』では、すでに赤い下着を履いている。

つまり1933年1月21日から1935年2月23日の間に、ミッキーは赤い服を手に入れている。

一方のプーさんは、1932年クリストファー・ロビンから赤い服を譲り受け、翌年1933年にはその服が縮んでいた。

そう、縮んだのではなく、彼は1933年ミッキーマウスに出会っているのだ。

そして親友クリストファー・ロビンからの教えを学んだプーは、偶然100エーカーの森で出会った下着姿で寒そうにしているミッキーマウスに自分の赤い服を切って渡した。

しかも躊躇わずに上を残し、下半身をさらけだしたのだ。

彼には思いやりの心しかないことがわかる出来事だ。

しかしディズニーのエースに都合がよくなるよう、その優しき心と真実はディズニーによって捻じ曲げられた。

以下は2017年7月18日BBCの記事を参照している。
インターネット上で中国の最高幹部たちは、様々なあだなで呼ばれている。
クマのプーさんもそのひとつだ。
丸っこくてふっくらして愛らしいプーさんの外見が、習近平国家主席に似ているとソーシャルメディアで評判になったため、検閲当局はプーさんの名前や画像の投稿をブロックしている。

2014年習主席と日本の安倍晋三首相が握手した時の写真は、ソーシャルメディアではたちまちプーさんとロバのイーヨーの握手に置き換えられた。

2015年9月の戦争勝利記念日の軍事パレードで習主席が、リムジンの屋根から頭を出して閲兵すると、車から頭を出したプーさんのおもちゃの写真も間もなくオンラインに登場した。
中国の検閲は、国家指導者をからかう内容を許さないというだけではない。この世界中で愛される児童文学のキャラクターが、国家主席のオンライン代名詞になってしまうのを防ぎたいのだ。
また、2018年に公開された『プーと大人になった僕』は中国では公開禁止となった。
そもそもプーさんと中国の攻防は2013年に始まっている。
ソーシャルメディアのユーザーが習主席バラク・オバマ元大統領が対談した際の写真を、プーさんティガーに置き換えたのだ。
そこから似ていると話題になり広まってしまった。
しかしながら、こうしてBBCやCNNなど世界で名のあるメディアに広められているのは皮肉だ。
そして中国といえば上海にディズニーランドがある。
意外なことにそこではプーさんが優雅に過ごしている。
参照:VOX
しかしながら、この一連の騒動を絶好のネタだと判断したアメリカの人気アニメ『サウスパーク』は、中国共産党をいじり、風刺した内容である第299話(シーズン23第2話)を2019年10月2日に放送した。
タイトルは『Band in China』(中国のバンド)
これは『Banned in China』と発音が同じである。
“中国で禁止された”という意味を込めて、検閲にひっかからないようにうまく隠した設定の気の利いたタイトルだ。
案の定、このエピソードを検閲した中国政府は、『サウスパーク』の国内放送およびファンサイトの閲覧を全面的に禁止した。
その内容がこちらだ。

スタンの父ランディは、中国に大麻を輸出するというビジネスを家族に明かす。

さっそく商品のマリファナをスーツケースに詰め、中国へ向かうランディであったが、その飛行機の中にはGoogleNBAのビジネスマンディズニー映画のキャラクター達が同様の目的で乗り合わせていた。

一行は無事中国に到着するも、大麻は中国で厳しく取り締まられているため、ランディはすぐに逮捕されてしまう。

ランディが送られた刑務所は劣悪であり、略式処刑や強制労働、拷問、中国共産党の洗脳などが展開される。

また、彼は同じく刑務所に収監されていたくまのプーさんピグレットを発見する。

2人は誰かにプーさんが習近平総書記に似ていると揶揄された為、政府の機嫌を損ねていた。

ランディの裁判が始まると、彼は劣悪な囚人の扱いなど、中国政府を公然と批判する。

これを知ったミッキーマウスは、ランディ他、映画キャラクター達を立ち並ばせ、こうした行動は中国展開に支障がでると激怒する。

しかし、ランディは脅迫に屈してビジネスをするべきではないと主張し、ミッキーと共に習近平総書記に直談判する。

マリファナが認められるわけもなく拒絶され、不貞腐れる2人であったが、そこでミッキープーさんを何とかすれば問題はすべて解決すると言う。

それに賛同したランディは、蜂蜜でプーさんをおびき寄せると血塗れになりながらワイヤーで絞殺する。

結果的にランディのマリファナ・ビジネスは中国で合法となり、彼は大金を積んだトラックと共に帰宅したのであった。

(参照:Wikipedia)

プーさんは置いといて、ピグレット完全なるトバッチリじゃないか!

プーさんは収監されていても納得できる点がいくつかあるので致し方ない。

『くまのプーさん』「ちいさなぼうけん」というエピソードでは、森の中でクリストファー・ロビンを探していたプーが、次第にお腹が減ってしまい、ハチミツの禁断症状が出る。

周りが大量のハチミツに変化し、プーはハチミツにまみれてテンションが上がり、思わず“ハチミツの歌”を歌ってしまう。

その妄想の中での彼の服装はハチの恰好に変わるのだが、これは囚人服にも見える。

言い換えれば、ハチミツ中毒の重度患者として精神病棟に入れられ、隔離部屋で禁断症状が出たものと捉えられる。

プーさんのお尻にはぬいぐるみの証として縫い目があるが、実際は何かしらの手術の痕かもしれない。

原作でもおバカキャラとして描かれるプー

ハチミツのスペルを“Hunny”(正しくはHoney)と誤って書いているとされているが、

これは間違っていない。

見ている側の思い込みである。

“Hunny”という名のハチミツが原料のドラッグの可能性が高い。

彼が住む家には元々サンダースという人物が住んでいた。

彼は“Hunny”を製造中に、その匂いに誘われて家の中に入ってきたクマに襲われて亡くなったという。

100エーカーの森に残る都市伝説だ。

実際にはミッキーマウスサンダースの名を装い、当時茶色かったプーを誘き寄せたというのが、現在最も有力な説である。

クマをハチミツドラッグ漬けにして、マインドコントロールを図ったのだ。

これもウォルト・ディズニーの計画の一部だ。

児童小説にするため著者のミルンはこの件をカットした。

この異様な世界観が子供だけに留まらず大人をも惹きつけ、今もなお愛されているのだろう。

ミッキーマウスはそれが気に入らないのだ。

彼は世界で一番の人気者でいたいのだから。

ここで改めてプーさんに注目してみよう。

プーさん黄色の身体赤い服は、中国の国旗と同じ色合いではないか。

中国の国旗の赤色は革命を、黄色は光明を表している。

大きな星は中国共産党の指導力を、4つの小さい星は労働者農民小資産階級・愛国的資本家知識人の4つの階級を表している。

こんなにも長年、中国を身体で表現しているのにもかかわらず、プーさんは何故こんな扱いを受けるのか。

先述の通り、身体が黄色くなったのはミッキーマウスの戦略で、プーハチミツ漬けにしたことによるものだ。

それでは“赤い服”はというと…

これもまたミッキーマウスだ。

1933年に、プーから赤い服を譲り受けたにもかかわらず、さも自分が譲ったかのように印象操作を行った。

今やミッキーは、その創り上げた真実に従うべく赤い下着を履いている。

もはや真実は闇の中に葬られてしまった。

ミッキーがそのようなことをした本当の理由は、今の中国の厳格な検閲体制を予知していたからだ。

当時、プーは自分の赤い服ミッキーに譲ろうとした。

しかし当時の100エーカーの森は異常気象で吹雪いていたという。

ミッキープーの親切心を断るも、さすがに裸は寒かったので、半分だけ切って下さいと言った。

今やミッキーはシーズンごとに様々な衣装にチェンジする。

まさにキラキラした国民的アイドルのような存在だ。

長い下積み時代のおかげである。

一方のプーは、寒くても暑くても必ず赤い服だけを身につけ、個性とキャラクター性で勝負し、自分のイメージを確立した、いわばリアクション芸人だ。

そしてミルンに生み出されてからあっという間に人気者となった。

ミッキーの真の狙いはプー共産主義のスパイに仕立て上げることだった。

中国に市場を広げるためだった。

それから約80年後、ついにそれが実現した。

2005年9月12日香港2016年6月16日には上海ディズニーランドが開園した。

話を遡ると、世界規模でマーケットを拡張したかったウォルト・ディズニーが、マウスに人工知能を植え付け、マインドコントロールをすることに成功した。

そして彼をミッキーマウスと名付け、スパイとして磨き上げた。

その当時ディズニー色に染められるキャラクターを探していたため、彼をアメリカからイギリスに派遣したのだ。

そこで1930年時点で名を馳せており、子供に絶対的な人気を得ていた能天気でおとぼけな騙しやすい茶色いクマの存在を知り、利用したのだ。

生みの親であるウォルト・ディズニーの絶対的命令には逆らえない。 

というのは全て嘘で、本当はミッキーのただの個人的な嫉妬だった。

グッズの売上でプーが上回ったことが悔しかったのだ。

ウォルト・ディズニー・カンパニーは、1961年『くまのプーさん』映像化権商標使用権の権利を獲得した。

そして1998年には、ついにプーさんのグッズの売上はミッキーマウスを超えてしまった。

2019年『TITLEMAX』というサイトでキャラクター関連グッズの世界売上ランキングが発表された。

1位921億(≒10兆円)『ポケットモンスター』2位800億ドル(≒8.6兆円)『ハローキティ』ということにも驚きだが、なんと3位750億ドル(≒8兆円)くまのプーさんがランクイン。

4位706億ドル(≒7.6兆円)ミッキーマウス5位656億ドル(≒約7兆円)『スターウォーズ』が続く。

これからも末永く愛され、ディズニーを代表するネズミクマでありますように。

以上、私の妄想を絡めた物語でした。

ディズニー大好きです。

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