ウォルト・ディズニーは本当に冷凍保存されているのか

都市伝説紀行
冷凍保存されているといったのは誰なのか
この噂を広めたのは誰なのだろうか。
ウォルトの死後に書かれた2つの自伝がある。
1986年Leonard Mosely氏による『Disney’s World』と、
1993年Marc Eliot氏『Hollywood’s Dark Prince』である。
これら2つの作品がディズニーの冷凍保存への関心を述べているが、彼らの疑わしい本性や引用の欠陥により大いに信憑性に欠けていた。
つまりただの推測にすぎなかった。
そして他にも要因がある。
ウォルトの亡くなった時期に、冷凍保存というものがアメリカ人の間で話題になり始めていた。
『Ici Paris』という雑誌が1969年にその噂を実際に掲載。
元々はアニメーターたちの間で楽しまれていたプライベートなジョークだったのだが、なぜか公に広まったようだ。
さらに確実な情報がこちら。
カリフォルニア・クライオニクス団体(The California Cryogenics Society)の代表、
ボブ・ネルソン氏1972年『Los Angeless Times』のインタビューで当時のことを詳しく語っている。
「真実は、ウォルトはチャンスを逃したんだ。彼は決して書くことにより明記していなかった(冷凍保存に関する同意書へのサイン)。そして彼が亡くなった時、彼の家族は冷凍保存させないようにしました。彼らはウォルトを火葬しました。私は個人的に彼の遺灰を見たことがあります。それはForest Lawn(前述の墓地)にあります。(彼の死から)2週間後に、我々は初めて男性を冷凍しました。もしディズニーが最初だったなら、それは世界中でトップニュースになり、冷凍保存術は間違いなく刺激を与えたでしょうね。でも仕方ありません。
「我々はウォルト・ディズニー・スタジオから連絡を受けた。我々にどのくらいの人々が冷凍保存されているのか、そしてどんな施設なのか、医療スタッフはどんな人なのかなど尋ねてきました。彼(ウォルト)はとても才気あふれる人物で、全ての情報を調べていました。」
ウォルト本人がスタッフに調査を依頼していたのだろう。
ここからわかる確実なことは、彼は冷凍保存について高い関心があったということだ。
だからこそ噂が偽りである確率は高いが、本人が希望していたことからも同意書さえあれば彼が冷凍保存されていた可能性は非常に高かったといえる。
そしてやはり冷凍保存されて未来で蘇るビジョンの方が、彼が創りだした『ディズニー』という世界観にはふさわしい。
いまなおエンターテイメント界を席巻しているからこそ、この噂を信じたくなるのは当然だ。
最期の言葉は『カート・ラッセル』
カート・ラッセルとはハリウッドを代表する日本でもいまだに人気のある俳優である。
代表作は、『遊星からの物体X』『ニューヨーク1997』『エグゼクティブ・ディシジョン』『バック・ドラフト』
1963年エルヴィス・プレスリー主演の『ヤング・ヤング・パレード』でデビューするもクレジットはされなかった。
ちなみに1979年には、テレビ映画でジョン・カーペンター監督と初タッグになる『ザ・シンガー(原題:Elvis)』で主演のエルヴィス役を演じ、エミー賞の主演男優賞にノミネートされている。
さすが本人を見ているだけある。
そして『ヤング・ヤング・パレード』の時、エルヴィスは27歳だったが、本作でのラッセルも27歳である。
奇妙な一致である。
12歳で子役としてキャリアをスタートさせたラッセルは、
その後ディズニースタジオと10年間の大型契約をして多くのディズニー映画に出演した。
当時のラッセルはウォルトとの仲が良かった。
ウォルトが亡くなったとき、彼はまだ10代だった。
数年前のインタビューではこのように答えている。
「ウォルトが亡くなってから数年後に私のもとへ彼の秘書がやってきた。そして彼女がウォルトが何か書いた紙切れを指し示し言った、『あなたはそれが何の事だかわかりますか?』そしてわたしは言った、『わかりません。』彼女は続けて言った、『彼はあなたの名前を書いたの。それが彼が書いた最期の言葉よ。』私は言ったよ、『まいったな。それが何に繋がるのかわからないや。』
ラッセルはウォルトとの思い出をこう語っている。
「私たちは個人的に付き合いがありました。昼食時間には時々卓球をやったこともあった。彼はセットにやってくることもありました。スタジオが製作した映画を見に行ったり、私が見たいかどうかも聞いてきました。彼は私をあちこちに連れて行き、ディズニーの他の部門に紹介してくれました。そして、彼らがキャラクターなどを書いている段階につくるオリジナル写真の束をくれました。」
「とても多くの繋がりが彼との間にはありました。彼は私の祖父を思い起こさせたよ。祖父はクリエイティブで多少開発もしている人でした、そして二人の振る舞いは似ていなくもなかったからね。」
これらのエピソードから、カート・ラッセルがいかにウォルトのお気に入りだったかがわかる。

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