好奇心が罪となる
小さな悪の華
ジャンヌ・グーピル
クロード・ジャーメイン
一言粗筋
ほのぼの感想あるいは解説
フランス映画なのにフランスで上映禁止となった問題作。
本作は実際にニュージーランドで起きた事件を基に映画化されている。
以下、Wikipediaより参照。
1954年6月22日に当時15歳の親友同士、ジュリエットとポーリーンが、ポーリーンの母親オノラ・リーパーを殺害。
2人は自分たちが創作したファンタジー小説の世界に耽り、性的な関係を持つまでに至った。
このことを知った2人の両親は恐慌を来たし、特に名門大学の学長として世間体にこだわるジュリエットの父ヘンリーは2人を引き離すため、娘を南アフリカへ移住させるという強硬な手段に訴えようとした。
しかしポーリーンの母オノラがこの計画の急先鋒だと勝手に思い込んだ2人は、それを防ぐために殺人を計画。
オノラとクライストチャーチのヴィクトリア・パークへ行く途中、装飾石をわざと落としてオノラに拾わせ、かがんだオノラをレンガで撲殺した。
2人は一度の殴打で死ぬと思っていたが、実際には20回以上殴った。
事故死に偽装しようとしたものの、事故死というには不自然すぎる状況や、素人目にも明らかな稚拙な偽装工作から警察は2人を追及したところ、犯行を自供したため逮捕された。
クライストチャーチで裁判を受けたジュリエットとポーリーンは、1954年8月29日に有罪判決を下される。
当時のニュージーランドの法律では死刑判決を下される年齢に満たなかったため、「女王陛下のお許しがあるまで」拘留されることになり、実際には法務大臣の自由裁量で裁かれることが決定した。
2人には無期懲役の判決が出たが、二度と2人で会わないことを条件に5年後に仮釈放された。
この出来事はニュージーランド出身のピーター・ジャクソンが『乙女の祈り』というタイトルで1994年に映画化している。
ポーリーン役をメラニー・リンスキー、ジュリエット役をケイト・ウィンスレットが演じている。
驚くべきことにジュリエットは1979年以来、アン・ペリーという名前に改名し、ミステリー作家として活躍している。
事件当時、発見された日記には2人が浸っていた空想の物語のほかに母親の殺害計画もつづられていた。
この展開、そしてこの『小さな悪の華』というタイトルから思い浮かべるのは押見修造の漫画『惡の華』。
この漫画の3巻には、「執筆当時に映画は観ていなかったが、映画評論家の町山智浩氏の解説に影響を受けまくった」と書かれている。
まさにこの映画のラストが漫画にも描かれている。
映画では罪の意識から女の子二人が自分たちにオイルをかけてから火をつけて自殺する。
漫画でも中盤に似たような展開が描かれている。
映画を観てから読むとさらに奥が深くなる。
映画の中の彼女らは寄宿学校で暮らしている厳格なキリスト教。
しかしあらゆることに興味が惹かれるのがこの年頃。
夜中にひっそりと屋根裏にあったという詩集を読む。
作者は不明だが、おそらくボードレールの『悪の華』のような性的な詩集。
それに影響を受けた彼女らは悪魔崇拝の儀式を執り行いサタンに忠誠を誓う。
ここからあらゆる悪に手を染めていく。
修道士同士が禁断の恋をしているのを覗き、神父に告げ口する。
他にも庭師が飼っている小鳥を絞め殺す。
そこら辺の男を誘惑して、眠る本能を剥き出しにして弄ぶ。
演じた女の子二人は1971年当時20歳前後だが、大人の男に激しく襲われて胸や局部を見せびらかしている。
そりゃ問題になるに決まっている。
フランス映画はいつの時代も攻めすぎ。
妻と二人の子供がいる紳士に見える男も、彼女たちの誘惑には負ける。
そして性欲に狂う男を彼女たちは殺してしまう。
子供は悪いことをしてこそ、これはしてはいけない事なんだと自覚する。
しかし悪にハマると自身を破滅に導いていってしまう。
人は自分の中に眠る“悪”を剥き出しにした時、もう後戻りはできないのかもしれない。
自らを嘘で固めて、見せかけだけの関係に疲弊した人間は本作のような映画がじんわりと染みる。