映画紀行
NJ
ちょっと長いかなぁ
IT THE END
“それ”が見えたら、終わり。
原題
IT Chapter Two
公開
2019年
製作国
カナダ、アメリカ
監督
アンディ・ムスキエティ
『MAMA』(2013)
『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。』(2017)
出演
ジェシカ・チャステイン
ジェームズ・マカヴォイ
ビル・ヘイダー
ビル・スカルスガルド
脚本
ゲイリー・ドーベルマン
原作
スティーヴン・キング
編集
ジェイソン・バランタイン
音楽
ベンジャミン・ウォルフィッシュ
撮影
チェコ・バレス
27年ぶりの鬼ごっこ。
ほのぼの感想&解説
やはりPart2はいらないかなぁ。
大人はつまらない生き物ですよ。
1990年版も大人編はつまらない。
私が初めて子供編を見たのは小学生高学年の時。
友達の家に遊びにいった時に、友達が「これ見ようか。前後編あるけど前半だけ見ればいいよ。」と彼の家に保管されていた録画した子供編のVHSを鑑賞。
その後、大人編を見たのは高校3年生になってから。
トホホなラストに笑ってしまったが、自分の成長も伴ったおかげで映画により入り込めた。
ありがとう友人よ。
そんな思い入れのある作品が改めて映画化されるとあって期待と楽しみは相当であった。
Chapter1はかなり面白いどころか大傑作。
スティーヴン・キングの原作も読んでいますが、あちらは長い分登場人物だったり、デリーの歴史だったりがとても細かく記述されているので、子供時代、大人時代関係なく物語に入り込めます。
『IT Chapter2』は2時間49分と長尺なのですが、大人になって1作目と同じことをしているだけなので、『アメリカン・グラフィティ』(1973)のようにラストにその後登場人物がどうなったかを挿入して紹介する感じでもよかったかな。
ちなみに前作が2時間15分なので、合わせてなんと5時間4分。
「27年後、デリーで再び悪夢が現実となった。“それ”が帰ってきたのだ。一人デリーに残り過去に憑りつかれたマイクは27年前の“約束”のもと、ルーザーズ・クラブを招集。再びペニーワイズと戦うことになった彼らはそれぞれのトラウマと再び対峙し、苦難の末に打ち勝った。しかし全員がそうではなかった。過去に負けたスタンリーは自ら命を絶ち、エディは戦いの末に犠牲に。子供から大人になる。それはとてつもなく大きな変化であるが、変わらないものもある。それは友情だ。」
こんな感じで。
Chapter2で最もよかったのはラストのエピローグ!!
あれは泣きそうになった。
自分らしく生きる。それが自ら選択できるだけでどれだけ幸せなことか。
なのでChapter1の最後にそれをつけて、1作で完結にすればよかったんじゃないのかな。
小学生のクラスメイトと未だに繋がっている人はどれくらいいるだろうか。
会おうと思えば会える人、でも時が経ちすぎて躊躇う。
あの頃は週5日顔を合わせていたのに、今や彼らの名前さえ思い出せないこともある。
しかし試練を共にした友情は永遠に砕かれない。
再会すればあの頃の思い出が蘇る。
同じくスティーヴン・キング原作の『スタンド・バイ・ミー』(1986)のラストに小説家になった主人公ゴーディが言うセリフがしみじみと胸に刺さる。
「12歳の頃のような友人は二度とできないだろう」
スタンリーの自殺も薄っぺらい見せ方で残念。
“IT”と壁に血で書くクダリは当然あると思っていたのに。
そしてこのシーンを冒頭に持ってきていたら、観客はグッと掴まれて映画に惹き込まれたのではなかろうか。
エイドリアーン!のクダリはいらない。
ところでスティーヴン・キングの原作の映像化は、成功か失敗か極端で有名。
しかし面白いことに、『IT』の場合、前編は大傑作、後編はムムム?
これがたまらない。Chapter2はこれでいいんだと同時に、映像化は難しいなと再認識。
原作では登場人物のバックグラウンドが細かく描かれているので疑問点も特にない。
しかしそれを映像化するのには3時間でも足りない。
だからこそ中途半端になってしまうので、それなら逆にもっとそぎ落としてよかったのに。
一貫性がなく、継ぎ接ぎした雑な展開が気になってしまった。
これなら90年版の時と同じことを繰り返しているだけ。
本作では、作家であるビル・デンブロウの小説のラストが気に入らないと度々言われていた。
ビルが少年時代に乗っていた自転車を売った質屋に入ると、その店主を演じている俳優はスティーヴン・キング本人であった。
彼はよく自身の映像化作品にカメオ出演している。
スタン・リーのように。
キングもまた、ビルの小説のラストが気に入らないと言う。
キューブリック監督の『シャイニング』(1980)は映画全体が気に入らなく、『ミスト』(2007)は自分の書いたラストより映画の方が良かったと認めている。
90年版のラストはキング自身も気に入ってなかったのだろう。
しかしあの作品の良さはティム・カリー扮するペニーワイズの顔面力と、子供たちの絆を描いた青春物語であった。
映画には映画の良さがあり、小説には小説の良さがある。
その違いが大いに出るのがキングの良さであり楽しめる要素。
私はこれからChapter1は何度も見るだろうが、Chapter2はエピローグだけでいいかな。
90年版でトホホだったペニーワイズの最終形態も、今回は顔だけペニーワイズではあったが、それほど変わりなくやっちゃってたのが残念でした。
オリジナリティを出してほしかった。
あっリッチーが白目になる演出はゾッとした!
間がなさ過ぎてビックらこきました。
急に『スキャナーズ』(1981)始まったかと思った。
劇中最後に映る映画館の看板。
上映されている映画は『エルム街の悪夢』(1984)
ペニーワイズが忘れたころにまた帰ってきそうな予感をさせるナイスチョイス。
明日自慢できるトリビア
①劇中でスティーヴン・キングがオーナーを演じていた質屋の店名は「CBQ241」だったが、あれはキング原作の映画『クリスティーン』(1983)の車のナンバープレートと同じ。
②大人リッチー役のビル・ヘイダーは、子供リッチー役のフィン・ウルフハードに推されたことにより出演した。
③90年版で子供ベン役を演じたブランドン・クレインは、Chapter2で大人ベンがビデオ通話をしている際の会議室の中にいる役員としてカメオ出演している。
④ルーザーズ・クラブの子供たちのシーンは前作の際に撮られたものではなく、本作に合わせて撮り直しているため劇中では前作と同時期なのに容姿が少し成長してしまっている。
子供リッチー役のフィン・ウルフハードは、『ストレンジャー・シングス』シーズン3と並行して撮影している。
魅惑の深海コーナー
本作のラストは『ストレンジャー・シングス』のシーズン3のラストそのままではないか。
1人が書いた手紙に書かれていることが、登場人物全員に突き刺さる展開。
子供時代のリッチー役のフィン・ウルフハードは、『ストレンジャー・シングス』のマイクと同じ子役であることも大きな要因。
いやぁ青春って切ないなぁ。
人間って不思議だなぁ。
青春といえば、青春映画にありがちなのが、崖や高いところから水の中に飛び込みがちなところ。
なぜ飛び込むのか。
これは若いころの怖いもの知らずなところを映像で表現しているのだろう。
大人になると、水面に当たった時の衝撃や、水深が気になったり、不安要素が邪魔をして挑戦するのも躊躇ってしまう。
大人になるということなんて遠い未来に感じていたあの頃は、不透明なものには何の恐怖も感じなかった。
むしろスリルを味わい楽しむために飛び込むのだ。
時間が無限に感じており、自分は無敵だと過信していたあの頃。
しかし大人になると安定した生活を求める。
守るべきものができ、1人自由にフラフラしている暇さえない。
そもそも仕事が忙しくてプライベートがない。
現実逃避している場合ではないのかもしれない。
『IT』の良さってそこなんです。
初心に帰れる、童心に帰れる。そして今の自分を見つめ直せる。
ペニーワイズは童心を忘れさせないために恐怖を与えてくれるんです。
そして勝つには友が必要なのです。
生きているからこそ感じられる恐怖。
同じ日常を繰り返し、刺激のない日々になってしまった大人はいませんか?
みんなたまには飛び込もう!
若いころのディカプリオは高いところから飛びがち。
『バスケットボール・ダイアリーズ』(1995)では一時の楽しみのためにダイブ。
『ザ・ビーチ』(2000)では伝説のビーチ発見後にテンションあがってダイブ。
『ギルバート・グレイプ』(1993)では飛び込みはしなかったが、高いところに登りがちであった。
木からは飛び降りて兄貴のジョニー・デップを脅かしていたなぁ。
大学に進学せず自転車レースに没頭する田舎の若者4人を描いた『ヤング・ゼネレーション』(1979)も湖に飛び込む。
『シング・ストリート』(2016)ではミュージック・ビデオを撮影中に海に飛び込む。
そのあとにファーストキスをするロマンチックなシーン。
そして今回のChapter2でも最後に飛び込む。
しかし子供ではなく、大人。
前作では子供の時に飛び込んでいた。
これがたまらない。
『IT』だからこそ。
最高のエピローグ!
一言教訓
最後に頼れるのは友情。