反抗期は痛い
レディ・バード
イーライ・ブッシュ
エヴリン・オニール
ローリー・メトカーフ
ティモシー・シャラメ
一言粗筋
ほのぼの感想あるいは解説
本作は監督のグレタ・ガーウィグの思春期時代を基に描かれている。
彼女の出身地であるカリフォルニア州サクラメントの田舎が舞台。
そして主人公同様にカトリック系の高校に通っていた。
劇中冒頭でジョーン・ディディオンのエッセイから一文が引用される。
カリフォルニアの快楽主義を語る人は、サクラメントのクリスマスを知らない。
サクラメントはカリフォルニアの州都なのだが、ロサンゼルスやサンフランシスコのようないつでも賑わう都会ではなく静かな保守的な町。
それゆえカトリックが多い。
そもそも“サクラメント”という語彙は、キリスト用において神の見えない恩寵を具体的に見える形で表す儀式のことである。
その一部として洗礼や聖体がある。
何もかもうまくいかない現実に嫌気が差してるため、西海岸から離れ、東海岸の大学進学を志望するレディバード。
州内だと学費が割引なので、そのことで母親と喧嘩になる。
喧嘩の末に走行中の車から飛び降りる。
若さとは恐ろしい。
どう育てていいか分からない。
「私のことはレディバードと呼んで」
彼女は母親にそう言う。
レディバードという名前の由来は語られない。
※詳しくは『魅惑の深海コーナー』にて解説。
彼女が別の名前で呼んでほしい理由は、自分で決めたわけではない、両親に与えられた名前だから嫌なのだ。
全部自分の思い通りにならないと気にくわないレディバード。
17歳ならわからなくもない。
自分が中心に世界は動いていると思い込んでいる痛さがこの時期にはある。
この映画はそんな痛い娘が学園生活を通して自分の痛さに気付き成長していく過程を描く。
中身が薄っぺらい人が自分の存在を大きく魅せたいというジレンマ。
痛いでしょ?
最後に両親に伝える言葉がすべて。
今まで見ていた物事が今では違うように見える。
それは物理的ではなく、自分の立場と精神が変化したから。
親元を離れてから両親の尊さを知る。
特にこの映画の場合、母親と娘の関係性に重きを置いている。
『レディ・バード』の原案時点でのタイトルは『Mothers and Daughters』であった。
この作品は言葉では伝えづらい彼らの心境を映像化したことにより心に響いた。
世に対する反抗なんて結局は自分で気付いて自分で直すしか道はない。
そこまでの寄り道がダサいのは承知。
いや、現在進行中の場合は気付いていない可能性が高い。
結果オーライですよ。あとあとその寄り道が笑えてくるのだから。この映画の通り。
レディ・バードの母親を演じたローリー・メトカーフは、『トイ・ストーリー』シリーズでアンディの母親役の声優を務めている。
これもポイントが高い。
奇妙ながら面白いニュースがある。
『レディ・バード』が米大手批評サイト『Rotten Tomatoes』で史上最も高く評価された作品になった。これまで『トイ・ストーリー2』が163レビューで100%という史上最高スコアをマークしていたが、11月3日に全米公開を迎えた本作は173レビューで100%を叩き出し、史上最高を更新した(数字は29日時点)。
レディ・バードはカトリックの高校に通っている。
しかし信仰はなく、反抗的な行動をとりまくる。
この行動の数々が面白い。
家計が苦しく3ドルの雑誌を買ってくれないので万引きする。
このスーパーでは兄が働いている。
といっても人種が違うので実の兄ではなく養子。
彼は一流大学を出ているのに失業してしまった。
その後、妹に「そんな見た目だから就職できないのよ」と言われる。
これは人種差別ではなく、彼の顔を見ると口の周りにピアス開けまくりじゃないか。
「あっ、これのせいで面接に落ちるのか」と気づかされたかのように口のピアスを触るのがクスっと笑える。
本作の舞台は2002年から2003年の1年間。
911が起こった2001年、そしてイラク戦争が勃発する2003年。
特にイスラム系の人々だが、あのテロにより見た目で差別される頻度が極端に増した時期。
失業の理由は明かされないが、裏には複雑な事情がありそうだ。
キリストの聖体の一部をお菓子のようにポリポリと食べながら、親友ジュリーとオナニーについて語り合う。
演劇部で出会ったダニーと恋仲に。
夜空の星を見つめながらいいムードに。
レディバードに「胸触っていいよ」と言われても、
「君を汚したくない」と彼は断る。
いや触るでしょ。
あぁそういうことだなこの男。
その後も問題行為を連発するレディバード。
平気でカンニングをする。
しまいには先生が保管している成績表を盗み出し捨てる始末。
そして翌日の授業で、先生が成績表が消えたので自己申告をお願いする。
親友のジュリーは謙虚にAマイナスと伝えたが、君はAだよと持ち上げられた。
一方、レディバードは自信満々にBと伝える。
君はBに近かったが、Cプラスと言われる。
しかし彼女の熱意に負け、Bにしてしまう。
彼女の自己顕示欲の強さがわかる。
彼氏がいながらレディ・バードは同じ高校に通う男前のカイルが気になる。
今を時めくティモシー・シャラメが演じているのだが、キザな役柄だ。
口数は少ないが、バンドを組んで顔の良いイケた奴だ。
一方で、彼氏がゲイだと判明。やはり。
ところで彼を演じているのは今注目株のルーカス・ヘッジズ。
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016)、『スリー・ビルボード』(2017)、『ベン・イズ・バック』(2018)と毎年話題作に出演中。
悲しむレディ・バードは嫌気が差し、カイルと知り合いのクラスで一番イケてる女子ジェナに声を掛ける。
ダニーのいる演劇も辞め、親友のジュリーとも距離を置く。
豪邸であるダニーの祖母の家を自分の家として住所をジェナに教える。
どんどん架空の自分を創り上げてしまう痛い子だ。
さっそくお風呂でカイルの写真を見ながらオナニーをする思春期真っ盛りのレディ・バード。
彼女はカイルに初体験を捧げる。
それを聞いたカイルも「初めてだ」とハッキリ言ったのに、
事を済ませると「えっ?そんなこと言ってない」と言い張る。
「言ったじゃないの!」と自棄になるレディ・バード。
経験人数を訊くと「6人かな?記録してないし覚えてないよ」とカイル。
初体験をこんな奴に捧げたことを後悔。
そしてさらなる怒りが。
「なんで初めてで私が上なのよ!」
たしかに初めての初めてで騎乗位はありえない。
青春映画で中々みかけないリアルなベッド演出だ。
そして数秒でイッたカイル。
いや、やっぱりコイツ初めてだろ!
イケてるキャラを演じようとクールぶってやがる。
学校で隠せてもベッドでは隠せない。
それでも初めてで騎乗位をする試みは可愛らしい。
カイルが本当はどうなのかはわからないが、なぜ男は見栄を張って経験人数を多めに言うのだろうか。
それより10代で6人以上とするより勉強しろよ!
と思いはしたが、カイルくん初登場のシーンや他でも読書してるんだよなぁ。
アメリカのなんらかの歴史の本。
それにタバコは吸うんだけれど、手巻きオンリーで、既製品やグローブは体に有害だから吸わないんだとさ。
カトリックの高校には父親がその方が喜ぶから通ってるんだとさ。
この子が一番うまいこと高校生活歩んでそう。
それでもレディ・バードはベッドでカイルをプロムに誘う。
もう好きでもないが、格好いいカイルとプロムに行くことで自分も良く見られるので、彼と行くことにしたのかな。
プロムのドレスを買いに行く。
試着をしても、全く褒めてくれない母親。
「ピンク過ぎ」とむしろケチをつけてくる。
「なんで素直に褒めてくれないの?褒められたいのに」と憤るレディ・バード。
母親は何かと口を出したいのはどこの家庭も同じ。
自分の選んだドレスを着て準備万端。
家で待機。
外からクラクションの音が聞こえた。
ウキウキするレディ・バード。
この時お父さんが「クラクションで男の車に乗るな」と言う。
その通りだ。扉をノックしやがれ。
車にはカイルの他にジェナとその彼氏が乗っていた。
車を走らせながら、カイルは「プロムなんかやめて、アイツん家のパーティー行こうぜ」と提案。
ラジオでかかる曲に対して「嫌いな曲だわーダッセー」と態度が悪い。
レディ・バードはここで初めて自分の意志を示す。
「私はこの曲が好き。プロムにも行くわ!ジュリーの家の前で降ろして。」
「ジュリーって誰?」と同じクラスメイトの名前も知らないジェナ。
「私の親友よ」
これまで人に合わせてイケてるグループの一員として本性を隠していた彼女が成長した瞬間を目にする。
カイルなんか捨ててしまえ。ジェナなんかと関わるな。
これより前に、レディ・バードと演劇部のメンバー3人が車に乗っているシーンがあったが、みんな共通の趣味があるため歌って楽しそうに盛り上がっていた。
この2つの対照的なシーンを見ると、大人になったら合わない人は避けられるけれど、学園生活ではそうはいかないなと。
そして思い出すのは楽しかった方。
ジュリーと仲直りをして無事にプロムに行けましたとさ。
しかし別の問題が発生。
母親に東海岸の大学に補欠で受かったことを内緒にしてたことがバレて無視される。
18歳になった日にコンビニでたばことエロ本を購入。
初めて大人の権力を行使する行動がこれかい!
「今日で18歳になったから、こんなもの買えちゃうの」と満足気に店員に伝えるレディ・バード。
すっかり正直な子になった。
外でタバコを吸いながらエロ本を立ち読みする。
このシーンが監督のグレタ・ガーウィグは一番のお気に入りだという。
そんな中、母とわだかまりが残ったまま引越しの時期がやってくる。
娘を空港まで送る母。
冷たくお別れ。
車を走らせ帰るも後悔の涙が止まらない。
空港に引き返すものの娘はすでに旅立っていた。
レディ・バードの荷物の中に父親がひっそりと忍び込ませたくちゃくちゃの手紙が入っていた。
母からのものだ。
ゴミ箱から拾ったそう。
そこには母からの愛が綴られていた。
場面は変わり、新しい出会い。
男は彼女に名前を訊く。
「クリスティン」
出身を訊く。
「サクラメント」
鳴り響く音楽で声が上手く通らなかった。
「サンフランスコ」
都会出身だと嘘をついた。
平凡なヒット曲ばかりで音楽の趣味が悪いと言われる。
「でもヒットしたのよ、文句ある?」
飲みすぎて吐いて病院に運ばれる。
目が覚めると、他のベッドには眼帯をする男の子とその母親がいた。
とらぶった時に側に人がいることの心強さ。
あの時泣いていた彼女を黙ってなだめてくれた母親の存在。
病院を出て歩き始め、教会に入り2階から讃美歌を聞く。
もがいていたあの時代の自分を違う視点から見るために。
あの頃は周りを見る余裕なんてなく、自分のことで一杯一杯だった。
それに無駄に過剰な自信があった。
だが今は違う。
レディバードは卒業だ。
彼女は両親に電話をする。
同じ場所にずっと住んでいる人もいれば、そうでない人もいる。
生まれた時から同じ場所に住んでいる人にとっては故郷という概念は存在しない。
レディ・バードであり、グレタ・ガーウィグはサクラメントという田舎で、自分の興味のないことを押し付けられ、自由に過ごせない生活を送っていた。
ここでいうそれは大袈裟なもので、学生にとっては当然の状況。
守られていることは安全に生活できる場があるということで、感謝しなければならない。
それでも悲劇の被害者かのように過度に縛り付けられていると思い込んでしまい、自由やら夢やら語ってしまうのが若さ。
彼女は育った地を離れたことで彼女にとっての故郷が生まれた。
今ではその故郷があってこそ、今の自分がいると理解したから映画化したのだろう。
若者は童貞を捨て、家族と離れた時にこそ自分を見つめ直し意識が変わる。
明日自慢できるトリビア
一言教訓
魅惑の深海コーナー
レディ・バードの由来
レディバードの英語の意味は“てんとう虫”。
1674年、オックスフォード英語辞典が“ladybird”の単語を初めて掲載した。
その定義は、アメリカ人が一般的に“ladybug”と呼んでいる小さいカブトムシ。
“ladybird”はイギリスとアメリカの一部に広がったカラフルなカブトムシを表すのに使われていた。
それ以前から“ladybird”という単語は存在していた。
シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』(1597)に登場している。
“What Lamb, what Ladie bird / … Wher’s this girle?”
この時の“ladybird”にてんとう虫の意味はなく、“ふしだらな女性”という意味で使われている。
そのためシェイクスピアが創った語彙である。
彼は英語圏の人々が現在日常で使っている1,700もの語彙を生み出している。
(参照:Shakespeare Birthplace Trust)
“ladybird”でよく知られているのは、第36代アメリカ合衆国大統領リンドン・B・ジョンソンの妻であるレディ・バード・ジョンソン。
1912年に生誕した際、一人の看護師が彼女の両親に、「彼女は貴婦人の鳥(lady bird)のように可愛らしいですね」と伝えたことが由来だそう。
しかし、『レディ・バード』の監督グレタ・ガーウィグは、レディ・バード・ジョンソンからインスピレーションは受けていないと述べている。
「全てのシーンを書いて、それをどのように一つまとめればいいか正確にわからなかったの。壁にぶち当たった気分で、全てを脇に置いて、一番最初のページを書きました。“なぜ私をレディ・バードと呼んでくれないの?呼ぶって約束したじゃん!”という台詞を書いてたわ。だからそのアイディアがどこから来たかわからないの。」
実際には、ガーウィグは一度読んだ18世紀半ばの童謡『マザーグース』から取ったことに後に気がついたそう。
Ladybird, ladybird, fly away home,
Your house is on fire,
Your children shall burn!
同じような影響を受けてタイトルをつけられた映画がある。
1994年に公開されたケン・ローチ監督の『レディバード・レディバード』だ。
英語でてんとう虫は、“ladybird”の他に“ladybug”や“ladybeetle”といった言い方ができる。
共通して残る“lady”にはどういった意義が含まれているのだろうか。
これは聖母マリアを表している。
そしてマリアは宗教画の中で赤い服を着ていることが多いので、斑点のある赤い服を纏っているようなてんとう虫は“lady”と名付けられた。
赤色は“神の慈愛”を示しているといわれている。
劇中のレディ・バードは毛先を赤色に染めている。
母親に依存している大人になりきれない彼女の状況を髪色で表現しているのかもしれない。
そして両親に電話をした後、美容室に行って地毛に戻したかもしれない。
つまりヴァージンを喪失し、母親の元を離れたことで、クリスティンを纏っていた“lady”のベールは剥がれ、“bird”となって自由に羽ばたいていく予感をさせている。