『ジョーカー』(2019)~危険な映画~

ドラマ
出典:Pixabay
映画を見れば誰かと共有して話したくなる。
しかし話す人がいない。
そんな映画愛好家は世界中に山ほどいることだろう。
私もその一人。
そこで私は独自の感想をネタバレ含んでただただ長々と述べる自己満駄話映画コーナーを創設した。
お役に立つ情報は一切なし!
しかし最後まで読めばきっとその映画を見たくなることでしょう。
さぁ集まれ映画好きよ!

今宵の映画は…
NJ
NJ

こんなに悪に魅了されるなんて

ジョーカー

原題
Joker
公開
2019年
製作国
アメリカ
カナダ
監督
トッド・フィリップス
『ロード・トリップ』(2000)
『ハングオーバーシリーズ』(2009, 2011, 2013)
『デュー・デート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~』(2010)
出演
ホアキン・フェニックス
『8mm』(1999)
『サイン』(2002)
ロバート・デ・ニーロ
『ダーティ・グランパ』(2016)
ザジー・ビーツ
『デッドプール2』(2018)
脚本
トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー
『8Mile』(2002)
『ザ・ファイター』(2010)
編集
ジェフ・グロス
『プロジェクトX』(2012)
音楽
ヒドゥル・グドナドッティル
『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(2018)
『チェルノブイリ』(2019)
撮影
ローレンス・シャー
『ハングオーバーシリーズ』
『宇宙人ポール』(2011)
『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』(2012)
笑ってみてたら笑えなくなった現実を今こそ笑いたくなる話。

ほのぼの感想&解説

とんでもない作品でしたね。
まさに21世紀のタクシードライバー。

あっホアキン・フェニックスが2017年に主演していた『ビューティフル・デイ』も同じくそう謳われていたなぁ。

『ジョーカー』にはそんな『タクシードライバー』(1976)を彷彿とさせるシーンが随所にある。
鏡の前でアーサーが髪を染めて行動に備える様子はそのまんまトラヴィス。
裏切られた同僚を殺害して白い顔に返り血を浴びる美しい姿は、終盤の売春宿を襲うトラヴィスのような狂気を感じる。
そして次期大統領候補を射殺しようとした彼だが、アーサーは後のバットマンのブルース・ウェインの父トーマス・ウェイン市長候補に憤慨する。
彼の母親がかつてウェイン邸で働いていた際に、トーマスとよからぬ関係になり、その間にできた子供が自分だと確信したアーサーは、トーマスに直接接触するが、自身が養子だということを知らされ、病院で盗んだ診断書で母親が隠した事実の数々を知る。
自分が信じて愛してきた唯一の存在である母。
そんな母を殺したことで完全に悪に堕ちる。
アーサーはコメディアンを目指し、ロバート・デ・ニーロ演じる大物司会者マーレイのトークショーへの出演を夢見る。
この要素は『キング・オブ・コメディ』(1982)のデニーロを連想させる。
マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演『タクシードライバー』、そして『キング・オブ・コメディ』の2本が『ジョーカー』の肝となる。
そんなデニーロをジョーカーが射殺するのだ。
“俺こそが社会に制裁を加える現代のトラヴィスであり、そして喜劇の王なのだ”と言わんばかりに感情が激高する本作の重要なシーン。

まさに…

“どん底で終わるより、一夜の王でありたい”

『キング・オブ・コメディ』チャップリン『ライムライト』(1952)にも通ずる。

過去に名声を得たが、現在は落ちぶれてしまった道化師の最後の生き様を描いた作品。

悲劇の中にも喜劇が見られる作品。

人を楽します人がその舞台裏で明るい人だとは限りませんもんね。

『パッチ・アダムス』(1998)で道化師を演じていたロビン・ウィリアムズが、

『バットマン』(1989)『ダークナイト』(2008)のジョーカー役に立候補していたことを考えるとなんだか複雑な感情になる。

チャップリンは『モダンタイムス』(1936)以降、共産主義の危険人物と見なされアメリカ政府の赤狩りの対象となった。

そして『ライムライト』がアメリカでの最後の作品となり、彼はアメリカを追放されイギリスに戻らざる終えなくなった。

『ジョーカー』では『モダンタイムス』が上映されていたが、この作品はサイレントで彼のコミカルな動きだけで笑いを取る。

いつ見ても爆笑してしまう私も大好きな作品。

しかしチャップリンはトーキー映画『独裁者』(1940)の最後の演説で映画を超えて自身の考えを、いわゆる政治的発言を行った。

非情な現実に訴えかけた。

チャップリンの他にもサイレント映画のスター、バスター・キートンハロルド・ロイドらは言葉を介さず行動だけで笑いを生みだせることを証明した。

言葉というのは複雑で賛同だけでなく、批判も受ける。

言葉は人を惹きつけることもできるし、突き離すこともでき、恨みを買うこともある。

劇中では、富裕層が声の聞こえないサイレント映画『モダンタイムス』を見て優雅に笑っている。

本作はチャップリンが資本主義に反対し、技術の機械化に疑問を投げかけた作品であることを忘れて、または知らずに鑑賞しているのも皮肉だ。

とは思ったけれど、それを知っていてチャップリンを笑っているのか!

裏の裏ってやつ!

憎たらしい富裕層め!

純粋に映画を楽しんでいたらごめんなさーい!

ピエロは喋らずに滑稽な動きで笑いを取る。

アーサーはそんなピエロからマレーのショーで現実世界への不平を述べて、銃をぶっ放し危険人物になる。

まさにチャップリンのよう。

劇中のチャップリンは機械工場でのボルト回しという単純作業のせいで気が狂ってしまう。

資本主義は企業同士の競合を生み、商品の過剰生産、そして過剰消費社会を作り出す。

なのでこの劇場ではロメロの『ゾンビ』(1978)が上映されていても面白かった。

ショッピングモールに大量に集まっちゃったゾンビを描いた作品ですね。

ゾンビになってもショッピングモールに来ちゃうんですよ。お買い物上手ですね。

まぁチャップリン抜きでこの映画のジョーカーのキャラクターは作れなかったでしょう。

個人的にトウモロコシ歯磨きの場面がお気に入り(笑)

よく昔の映画で名作と言われるものを見て、なんでこれが名作?と疑問に思う作品もあるけれど、チャップリンの作品は全て面白い。

遠目で見れば喜劇の彼の映画も、身近で見れば悲劇になる。

アーサーも近くで見ると泣いてるんですよ。(鏡で顔を見るシーンにてアイラインメイクが落ちて涙のように流れている)

人間に置き換えると、人間同士って近くで接してこそ良し悪しが分かり合えるんですね。

噂や人から聞いた話、見た目で判断してはならない。

そして人には優しく接する。

そうでなければジョーカーのような冷酷な人間が生まれてしまう。

生まれるっていっても生まれた時点で悪の要素を持つ人間なんかいない。

ダミアンは別として。

冷酷な社会がジョーカーという悪の化身を創り上げてしまったのだ。

デマか真実か分からないメディアに翻弄される今の世界は本当に気をつけて情報収集をしなければいけない。

富裕層とは逆に外では声を上げて貧困層による暴動が起きている。

ジョーカーの言葉と行動により市民の怒りが頂点に達してしまった。

富裕層にとっては他人の声などどうでもいいのだ。

しかし抑えようとすれば反発を生む。

香港10月5日に制定された覆面禁止法がいい例だ。

素顔をさらせば捕まりやすくなるのは明らか。

これに対し香港市民は今まで通りマスクをしてデモに参加。

6日には暴動が勃発してから最大規模の数万人での行進が起こった。

今の香港がゴッサムシティに見えて仕方ない。

去年は香港にも行ったし、香港映画も大好きなので早くおさまっていただきたい。

非常に危険な方向に突き進んでしまっている。

終盤のゴッサムシティでの状況は、今の時代は声を潜めて生きる必要はない、個人個人の考えを率直に述べて、最低限の自分たちの自由と権利を保障するため行動すべきだと現実世界の我々に対して扇動しているかのようにも感じられた。

ジョーカーがトークショーに出演した際に、完全にジョーカーに心を支配されていた私は彼を支持していた。

「殺せ!殺せ!早く殺せ!!」とトークショーでの殺戮を見たい自分がいた。
マーレイを撃ち殺した瞬間、自分の中に潜む悪がクスクス笑いながら外に出ようとしていた。
映画を見てこんなにも虚構と現実の区別がつかなくなったことはなかった。
本当に危険な映画だ。
危うく映画館を出た後にコンビニでチロルチョコ(1個)を盗むところだった。
私の中のライトサイドがそれを止めた。
そう、ヴェルタース・オリジナルのCMが頭によぎったのだ。
“私のおじいさんがくれた初めてのキャンディー、
それはヴェルタースオリジナルで私は4歳でした。
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいキャンディーを貰える私は
きっと特別な存在なのだと感じました 。
今では私がおじいさん、孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。”
誰しも特別な存在であることを思い出し、そのおかげで純粋さを取り戻した。
痛々しいくらいに敗北感を味わい、精神がボロボロになっていくアーサーの姿を見ると応援せざる負えない。
それにしても今年は貧困層が富裕層に憤慨する年である。
といっても、もちろんただ金持ちに嫉妬してるのではなく、米国内の社会システムに不満を溜め込んでいるのだ。
ジョーダン・ピール監督のホラー映画『Us』(2019)、本国では昨年公開だが『ホテル・ムンバイ』(2018)は、2008年にインドのムンバイで起きた同時多発テロを描き、そのテロリストは欧米の富裕層の抹殺を目的としていた。
2008年の出来事をこのタイミングで映画化するのも意味がある。
トランプ政権で米国内の貧困層と移民の立場はますます悪化するばかり。
『ダークナイト・ライジング』の時のように、『ジョーカー』に感化されて銃乱射事件が起きなければいいけれど。
『タクシードライバー』のトラヴィスに影響を受けて、ジョディ・フォスターのストーカー事件が起きたことは有名ですね。
犯人のジョン・ヒンクリーはジョディのために当時のロナルド・レーガン大統領を銃撃して暗殺未遂も起こした。
ジョーカーの見習うべきところは常に笑っているところ。
暗い時こそ、暗い世の中の時こそ、ハハハと笑えればいいじゃないか。
笑いは人種の壁を超える平和をもたらす鍵。
その一方で憎しみや怒りは団結を生むが争いをもたらす。
アーサーがバスの中で子供を笑わせている、無邪気に笑う子供はピュアの象徴。
一方、ブルース・ウェインは一切笑わない。
アーサーに口の中に指を入れられ口角をあげられるが、怯えて逃げることもない。
バスの中の子供はウェインに比べると裕福ではなさそうに見える。
一方ボンボンのブルースは無表情。
バスの中の坊やはアーサーの相手をすると母親が止めていたが、それとは対に、知らないおじさんに変なことされてもブルースの側には家族どころか誰もいない。
後から警備は来るが。
アーサーと同じく孤独である。
アーサーを見下している感じもするし、理解しているようにも見える。
アーサーとブルースの間にある柵が鏡の役割をしているようにも思える。
そして見たまんま壁でもある。
貧困層のアーサーが裕福層の家に不法侵入できないようにした壁のように感じる。
まさに、トランプがメキシコとの間に築いた壁のように。
しかし、アーサーはトーマス・ウェインに会うために劇場に不法侵入した。
まるでメキシコから国境を越えてアメリカに不法入国する移民のように。
それにしてもブルースはこの時から闇を抱えて生きているのかな、とあまりの感情表現のなさにひっかかるシーンであった。
やはりバットマンは悪と紙一重。
まぁもはや我々にはバットマンなど必要ない。
見たいのはジョーカーの生き様。
悪いがブルース坊や、引っ込んでくれ。
生まれた環境だけではなく、どう生きていくかで人格は形成されていく。
バスの子は笑っている瞬間は幸せを感じているに違いない。
そしてアーサーも笑わせることに幸せを感じていたに違いない。
お母さんが注意するまでのあの間だけが、この映画で唯一の平和を感じる場面。
あそこ以外全部ジョーカーの妄想だったってことにしときましょうよ。
あそこを含めて全てが妄想だとそれこそただの悲劇になってしまう。
そうしないことで、この映画は悲劇が見方によっては喜劇にもなることを証明している。
つまり善悪も同じことが言える。
それをどの立場からどの視点で見るかで変わる。
だからこそ危険な映画。
悲しい映画ですよほんと。
つくづく『ジョーカー』は視聴者側がどこで笑うかを試されているかのような作品だなと思った。
そしてそこからその人自身に眠る闇が垣間見れる。
この映画を語る時、どこで笑ったかを言い合うと非常に興味深いかもしれない。
今の世の中、ジョーカーのように笑うしかない社会情勢。
世界はどうなっていくのだろうか。
やはり80年代が最も幸せな時代だったのかもしれない。
『ストレンジャー・シングス』の大ヒット以降、本当に80年代を描く映画が多くなりましたね。
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明日自慢できるトリビア

ジョーカーが髪を緑に染めるシーンで、体に塗料がついている様子とホアキンの顔の濃さから、ハルクに見えるなぁと思ったら、過去にホアキン・フェニックスは『アベンジャーズ』(2012)ハルク役を断っていた経緯があった。
ハルクに似合いそうだなぁ。
ちなみにドクター・ストレンジ役も断っている。
さらにちなむと、ヒース・レジャーはサム・ライミ版のスパイダーマン役を断っている。
11月号の映画秘宝のインタビューに書かれてあったが、ホアキンはマーベル映画を見るのは好きだが、単純に“善”“悪”を区別して描いた作品に自分が出るとなると違うらしい。
現実はそんな単純ではないから。と語っていた。
それをジョーカーという人気悪役キャラクターを使って描けば商業的にも成功する。
そんなトッド・フィリップス監督とホアキンの策略が、映画史に残る危険な大傑作を生み出した。

魅惑の深海コーナー

今回のジョーカーのメイクは実在の連続殺人鬼ジョン・ゲイシーを参考にされている。
そんなゲイシーをご紹介。

よく『IT』のペニーワイズの元になった人物と言われることが多いが、原作者のスティーヴン・キングがそのことについて言及したことはないが、やはり重ね合わせて考えてしまう。

ただ劇中のペニーワイズよりもジョン・ゲイシーの方が断然凶悪であることは間違いない。

ジョン・ゲイシーはイリノイ州クック郡で33人もの若者男性を殺害したアメリカ人シリアルキラーであり強姦者である。

彼は29人の遺体を自宅の床下に埋め、他の4人はデイ・プレインズ川の近くに破棄していた。

彼はピエロのメイクと恰好をして子供たちのパーティーに出向く『Jolly Joker』というクラブ会員としてシカゴエリアを担当していた。

“ポゴ”という名前でピエロ活動を行っており、そのため事件後は“キラークラウン”としてよく語られている。

1942年3月17日イリノイ州シカゴにジョン・ウェイン・ゲイシーは誕生した。

名前の由来は父親が強くたくましい男になるように、西部劇に多く出演した伝説のハリウッドスター“ジョン・ウェイン”から引用し名付けた。

ゲイシーは子供時代に父親から虐待を受けていた。

そして自身のホモセクシャリティについて悩んでいた。

1964年に22歳でマリリンという女性と結婚。

1968年、26歳の時に青年会議所会員の息子である15歳のドナルド・ヴァリューズ少年への性的虐待の罪で逮捕され服役、そして離婚。

逮捕以前には、就職していた大手靴販売店でエリアマネージャーに昇進したり、加入していた青年会議所でも優秀な成績を残し第一部長に就任、そして妻の父親が所有するKFCの3店舗のマネージャーを兼任するなど躍進ぶりもあり、刑務所内でも模範囚となり10年の懲役刑を受けたにも関わらず、1970年の夏には出所した。

しかしその半年後、再び少年に対する性的暴行容疑で逮捕される。

2人の少年が彼のレイプ容疑を告発したが、彼らが裁判に出廷しなかったためゲイシーは不起訴になり、1970年代半ばまでに彼の殺戮が繰り返されることになる。

釈放後は軽食堂でコックをして稼いだ。

その後、建築業に目をつけビジネスを開始。

そしてキャロルという女性と結婚し、彼女の連れ子2人と暮らした。

休みの日には“ポゴ”に扮して福祉施設を訪れボランティア活動をしていた。

さらに地元の民主党党員になり、パーティー会場では当時の大統領夫人ロザリン・カーターと握手している写真も残されている。

そして1978年12月11日、15歳のロバート・ピーストが行方不明になり警察が調査。

母親が彼を最後に目撃したのは彼がアルバイトしていたドラッグストアだった。

息子を迎えにきたが、ゲイシーが経営している建築請負業者のところに彼から誘いがあり、これから話しがあるため向かってしまったという。

10日後、警察はイリノイ州ノースウッドパークにあるゲイシーの家を捜索し、殺人などの犯罪を含む多くの証拠を発見した。

彼の最初の殺人は1972年1月2日、16歳のティモシー・マッコイ。

家に誘い込み殺したという。

彼の家の床下から発見された遺体のうち、8人は身元が分からないほどに腐敗していた。

1978年12月に逮捕され、1980年5月12日の裁判では21回の終身刑と2回の死刑を宣告された。

そして1994年5月10日、薬物注射による死刑が執行された。

彼が獄中で描いたは現在高値で取引されている。

ジョニー・デップがその一つを所有していることは有名である。

ワシントンDCにある『Crime Museum』には、ゲイシーの“ポゴ”の衣装ペイントセットが展示されている。

一言教訓

喜劇は主観、悲劇は客観。
参照サイト: IMDb

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