透明になってからの方がいいひと
透明人間
『透明人間の告白』
ダナ・オルセン
ウィリアム・ゴールドマン
ダリル・ハンナ
サム・ニール
一行粗筋
ほのぼの感想あるいは解説
まずは「透明人間」を題材とした有名どころの映画を洗いざらいにしてみましょう。
初めて映画化されたのは1933年。
1897年にH・G・ウェルズが発表した同名小説(英:The Invisible Man)をユニバーサル・ピクチャーズが映画化したもの。
「透明人間」で最も重要な見どころといえば、やはり透明化を演出するにあたっての特殊効果。
透明なのに見えていると感じる瞬間を味わうことが、この題材の映画を観る醍醐味である。
日本では1954年に東宝が制作した『透明人間』という作品がありますが、まだ未見なので同じく東宝が制作し、1958年に公開された『美女と液体人間』についてお話ししましょう。
核実験により飛散した強い放射線を伴った灰を浴びた人間が液状化する現象が発生。
そして緑色のドロドロした液体になった人間が人間を襲う。
この作品では彼らの目的は描かれず、他にもいろいろ分からないことが多い。
最後はこのような博士の一言で締めくくられる。
「もし地球が死の灰に覆われて人類が全滅したとき、次に地球を支配するのは液体人間かもしれない」
まだ戦後10数年に公開された映画なのでそのまんまのメッセージなのですが、液体人間はどこか透明人間のようでもある。
液体は見ようと思えば見えますが、気付かなければ襲われてしまいます。
姿が見えないものに襲われる恐怖を描くのは「透明人間」では定番の展開ですし、映像化した時にスリリングで面白くなります。
2020年に公開された『透明人間』は、笑いどころはなく、主人公の女性をとにかく心理的に痛めつける立派なホラー映画であった。
彼女の身近な人々を傷つけていき、精神面を追いこむやっかいな存在。
一方で物理的に危害を及ぼしてくるこちらもやっかいな透明人間が、2000年に公開された『インビジブル』。
ケビン・ベーコン演じる科学者が自ら実験台となり透明化に成功。
透明後は性格が横暴になり、研究所のメンバーたちを次々に殺害。
とはいったものの、ケビン・ベーコンの場合、もともと悪そうな顔に見えるため、それが実験のせいなのかどうかは怪しいところ。
この「透明人間」でいいところは、ずばりエロ要素多め。
個人的にはこれは必須な要素だと思っています。
透明になって性欲が溢れ出さないのは人間としてどうかと思います!
その辺の人間らしさをベーコンは演じてくれています。
その続編『インビジブル2』はかなり前に見ましたが…
覚えてません!!
私の記憶が透明化されたか、作品自体が透明化したようです。
それでは、今回扱う1992年の『透明人間』はどういった部類になるのでしょうか。
ジョン・カーペンターが映画化した本作では、ビジネスマンが商談で訪れた会社で極秘裏に行われていた謎の実験の事故に巻き込まれてしまう。
避難命令が出るも、主人公だけ取り残されて放射能を浴びてしまい透明人間となる。
つまりは「液体人間」と似ている。
しかし徐々に従来の「透明人間」との違いが見えてくる。
なんと本作のビジネスマンはスーツを着たまま透明化したのだ。
裸のままでも透明化できるが、服を着ていられるというのは寒さ対策になり外を出歩くこともできるので当人にとっては有難い。
事故のあったビルも部分的に透明化するも、しばらくすると全て消えてしまった。
この描写、カーペンターの『フィラデルフィア・エクスペリメント』(1984)に似ている。
カーペンターは透明化に幻想を抱いていたのだろうか。
本編の話に戻すと、透明化した主人公の存在を目にした政府が彼を追う展開になる。
国家機密で彼を国際スパイに仕立て上げて利用しようとする目論見である。
“透明人間=国家機密エージェント”
冷戦時代から透明化実験を繰り返してきたアメリカのお決まり展開である。
本作の主人公には恋心を抱く女性がいる。
トム・ハンクス主演の『スプラッシュ』で人魚を演じたダリル・ハンナである。
ラブコメ展開も挟みつつ決してエロは挟まない。
主人公に化粧をして、目はどうにもできないのでゴーグルをつけてディナーに出向く。
透明化を打ち明けられたダリル・ハンナがこう言う。
「着替えを覗いたりもできるね」
主人公は冷静に「そんなことはしないさ」と本当にする気の無さが伝わってくる面持ち。
とにかく彼女のことしか頭にない。
『サタデー・ナイト・ライブ』出身のチェビー・チェイスとは思えない真面目っぷり。
透明化する前のビジネスマン時代の方が傲慢で嫌なやつ感があった。
透明化して良識を得る素敵な映画。
従来の透明人間といえば孤独と共存するしかないイメージですが、本作では政府の追っ手に打ち勝ち、さらに理解者を得て共に生きていくというラストに落ち着く。
透明化すると、娯楽面での快感は増すとは思いますが、それと並行して不便さがついて回る。
自分の存在が急に世界から消えるのである。
本作の主人公は序盤は葛藤しつつも、最終的には透明化を個性として受け止め、それを自分らしさに繋げて生きていく決心をする。
一人の人間が自分のいない世界(劇中では友人らが自分のことを話す場面で本音を耳にする)を見ることで、これまでの自分を見つめ直して、心から信用してくれる人(ダリル・ハンナ)を大切にするという人としての原点回帰がみられる。
まるで『素晴らしき哉、人生』であり、『クリスマス・キャロル』。
本作も同様に年末に観たい映画の1本かもしれない。
最後に、本作の面白いと感じた要素は透明人間のビジュアル面での描写と、時おり透明状態であるものの、映画的に面白くするためにチェビー・チェイスの姿が見えるようになっている点です。
見る、見られる、見られていないという視点の捉え方が引き起こす面白さ。
上記の展開を99分にうまくまとめているので見やすい1本でした。
一言教訓
明日自慢できるトリビア
①もともとは『ゴーストバスターズ』のアイヴァン・ライトマンが監督を務める予定だったが、撮影中に主役のチェビー・チェイスと何度も口論になり、スタジオ側に自分かチェイスかを選ぶよう迫ったところ、スタジオはチェイスを選んだ。
②スタジオ側はカーペンターが自由に撮ることを許さなかった。カーペンターはチェビー・チェイスを「監督にとって最悪の悪夢」であり、「監督することをほぼ不可能にする」といったような表現をしている。ヒロインのダリル・ハンナに関しても同様だと言及している。チェイスは撮影に常々文句を言い、特殊メイクをされるのを嫌い、スケジュールを差し置いて頻繁にメイクをとってしまい、撮影時間を狂わせてしまったという。あるとき、チェイスが撮影中盤で勝手にメイクを剥がした時には、カーペンターがクリップボードを膝で半分に折ってしまうほどに憤ってしまった。
③本作はカーペンターが1990年代に初めて撮った作品であり、『ゴーストハンターズ』(1986)以来のメジャースタジオ作品である。彼は製作陣からの口出しを嫌っているためにできるだけ避けていた。『パラダイム』(1987)と『ゼイリブ』(1988)は自主映画である。
久々に大手と仕事をして上記のことになるのだから不運である。
④脚本のウィリアム・ゴールドマンは、本作の脚本をいくつか書いたが、全て断られた。彼はシンプルなコメディとして書き上げたが、製作陣は“透明化の孤独”を描くことをより好んだ。最終的に彼はプロジェクトを離れたが、クレジットはされている。しかしゴールドマンは本作を絶対に観ることはないと主張しているため、彼の脚本がどのくらい取り入れられているかは分からない。
⑤ジョン・カーペンターは自ら作曲することでも有名だが、本作はシャーリー・ウォーカーという女性が務めた。このサウンドトラックは全てのオーケストラスコアを彼女が作曲しており、それを女性が一人で行うことはメジャーなハリウッド映画スタジオでは初めてのことであった。