自己表現で苦しむ人と開花していく人の対比が残酷
ミッドナイトスワン
服部樹咲
田口トモロヲ
真飛聖
一言粗筋
ほのぼの感想あるいは解説
俳優としての草彅剛、これにて完熟ぽんず。
自然と彼女がそこにいた。
どこで役作りしたらこうなれるのか、俳優という職業の奥深さを感じた。
本人によると、実際にトランスジェンダーの方に会ったというが、それにしても細かい仕草に男を感じさせないため、すんなり受け入れられて見入ってしまった。
優しげな声もいい。
儚げな目もいい。
不器用ながらも繊細で、熱い情をもっている役と一体化している。
もっともっと演じている草彅剛が観たい。
『クソ野郎と美しき世界』(2018)を鑑賞したときにも思ったことなのですが、特に任侠ものをもっと観たい。
彼のドラマでは『任侠ヘルパー』(2009)が大好きでして、当時は毎週楽しみに観ていました。
怒れる草彅剛は観る者を圧倒し、釘付けにするほどに魅力的。
自己表現をして生きていくとはどういうことなのか。
それをしみじみ考えてしまう作品でした。
草彅剛演じる凪沙は、女性になりたいという願いを体現化するも、家族や世間には受け入れらず、精神的に孤立していく。
さらに、女性の身体になるということは身体的にも負担をかけることになり、願望を叶えるための道のりは遠い。
そんな自分らしく生きることで苦しむ人物。
一方、いとこの娘である服部樹咲演じる一果は、母親から暴力を受けて心を閉ざしていた。
それからバレエに出会ったことで自分の生きる道を見つける。
そして自信が芽生え、明るくなり、話すようになった。彼女はどんどん自己を開花させていく。
皮肉にもそこで出会った友達は親からの過剰な期待を押し付けられる中で、バレエだけは自分のやりたいことだったのに怪我により将来が絶たれ、彼女の生きる道を失い、自ら命を絶ってしまう。
それぞれの生きる道を無慈悲に描く。
といいつつなんだか笑ってしまいそうな自分がいた。
こう感じているのは自分だけなのだろうか。
時折コントのように見えるやりとりや描写があった。
もちろん一果が凪沙にバレエを教えるシーンは微笑ましくニコニコしてしまったのですが、そういった温かい部分ではないところにも希望が見えるように自分は捉えられたので、予想していたよりも暗い気分にはならなかった。
この映画、私の好きな“最後は海映画”なんですが、その海の場面でのやりとりもなんだかコントのように感じ、明るく観ていた。
暗い日常や、嫌な出来事にぶち当たっても、それを楽観的に見ることができれば希望を見いだせるのだなと、初めて自分の生き方を少しだけ誇らしく思えた。
やはり自分には考えすぎることはできない。
考えすぎない程度に楽観的に考える。
これが一番合っている。
こうでもしていかないと、生きる道を失い、希望の灯りも照らし続けてくれない。
自己表現に理解されなくても自分を隠す必要などない、“君は君だよ”…ですね。
凪沙の部屋に『らんま1/2』の漫画があり、一果も読んでいたが、女だろうが、男だろうが、周りの理解が無かろうが、性別に囚われずに無慈悲な言葉に足を引っ張られずに、コミカルに人生を歩める心の余裕が大事。
人によく見られようとか、自分はこうでなきゃダメなんじゃないのかとか、そんなもの考えて生きてたらシンドイ。
逃げたいときは逃げる、適当に人生を楽しもう。
批判し合うのではなく高め合える世の中がいいのだけれど、そんなことには到底ならないので、生きづらい世の中で生きるとしても、ただ前を向いて自分の生きる道だけは揺るぎなく歩み続けたい。
水川あさみの演技も迫力が凄かった。
『西遊記』かバラエティに出てる彼女しか知らなかったけれど、「えっ?こわっ…」とひいてしまうほどの恐怖を感じてしまった。
そして何よりオーディションを勝ち抜いて主役を得た服部樹咲ちゃんが素晴らしい。
感情を表に出せなく、もがいている時の表情が心を揺さぶる。
次第に笑顔が増えていき、人生を楽しんでいる姿が見て取れる変遷もよき。
闇の中にも希望はある。
そんな映画でした。
あと、ピアノのメロディがたまらないくらい美しい。
寝る前に聴きたい音楽。
とにかく、今の世の中に必要な作品。
しみじみ余韻に浸りたい。
コテコテのハニージンジャーソテー食べたい。