フィリピン
マニラでサバイバルの旅
2018年12月13日(木)
1日目Part3
マニラの定番観光地イントラムロス
マニラでサバイバルの旅
2018年12月13日(木)
1日目Part3
マニラの定番観光地イントラムロス
夜が明けて、お腹も膨れ回復した私が次に向かったのはイントラムロス。
イントラムロスとは
16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根拠地とした城壁都市。周囲には城壁が形成され、かうてはスペイン人とメスチーソ(スペイン人との混血)のみが住むのを許されていた。当時は12の教会、大学、病院などがあったといわれるが、第2次世界大戦時、日本軍とアメリカ軍の戦闘でほとんど破壊されてしまった。現在は、サン・オウガスチン教会が当時の姿を残すのみになっている。
(引用:地球の歩き方)
8時57分
ホテルの最寄駅ペドロヒルからセントラルへ。
交通費:13ペソ(≒29円)
駅から少し歩いて『イントラムロス』。
ここを抜けるとトライシクル(自転車の隣に座るやつ)の呼びかけが凄い。
イントラムロス内をめぐるツアー付きである。
そしてなぜか“ランボルギーニ”と連呼してくる。
どうみても高級車には見えない。
かなりの暑さだが歩いて回りたい派なので、
サングラスをかけて客寄せコールは無視することに。
派手なピンク。
『マニラ大聖堂』
第2次世界大戦で破壊されたが、1954~1958年に再建された教会で、フィリピンで最も重要な教会とされている。この再建にあたっては、当時の神奈川県知事からの援助があったといわれる。
(引用:地球の歩き方)
なんで中に入らなかったのだろうか。
外観だけパシャリ。
官公庁の前にいたカレッサと呼ばれる馬車。
9時33分
『サンチャゴ要塞』到着。
入場料:75ペソ(≒167円)
営業時間:8時~21時
サンチャゴ要塞とは
かつての城壁都市の中で、ここが戦略上もっとも重要な場所としての役割を果たしていた。また、第2次世界大戦中日本軍が占領している間に、多くのフィリピン人が命を失った所でもある。彼らは水面下の地下牢に閉じ込められ、満潮時に水死させられた。
(引用:地球の歩き方)
穴があったので入ってみた。探索。
どなたのご飯?
フィリピンの英雄“ホセ・リサール”
処刑される前までここに住んでいた。
ここが牢屋ですね。
一時的に閉まっていると書かれていますが、入れる時があるのかな。
要塞の上からの眺め。
迷路のような要塞。
ここにもホセ・リサール。
そこそこいい天気。サンチャゴ要塞を後に、『サン・オウガスチン教会』へ。
『サン・オウガスチン教会』とは
1599~1606年に建てられた、フィリピン石造建築の中で最も古い教会のひとつ。そのどっしりとした建物は、1675年からの7回にわたる地震や第2次世界大戦の爆撃にも耐え、そのままの姿を残すことができた。
世界遺産に登録されている。
(引用:地球の歩き方)
こちらも外観だけパシャリ。
見ただけでも重みを感じる。
そこそこ歩いてリサール公園へ。
次回予告:偶然通りかかった国立博物館へ。