こんな映画の中に入るのは嫌だ
ファイナル・ガールズ
惨劇のシナリオ
ジョシュア・ジョン・ミラー
ほのぼの感想&解説
『13日の金曜日』(1980)を彷彿とさせるというより、そのまんまのノリで始まる。
ジェイソンが登場する際の出囃子、「キキキ、マママ」に似たものも使われている。
勢いがよく、これは当たり映画だなぁとわくわく。
この冒頭の場面はかつてヒットし、今ではカルト的人気を博すホラー映画『血まみれのキャンプ場』の予告だったのだ。
そして時が過ぎ、その作品に脇役で出演した女優が今では1児の母になっていた。
どうやら現在はパッとせず、他の作品のオーディションにも落ちまくり。
いわゆるコミコンでゲストで招待される“あのカルト映画に出演した女優”のような立場である。
オーディションを終え、娘を乗せて帰宅する途中で衝突事故に遭い、母親は帰らぬ人に。
それから3年後、ホラー映画好きの友人に、
『血まみれのキャンプ場』をはじめとするスプラッター映画祭に招待された娘さん。
どことなく『スクリーム』(1996)のような展開になっていく。
映画館にやってきた娘と友人たち。
満席で賑わう映画館。
偶然にも転がった酒に落っこちた吸い殻が煙火し、館内は火の渦に。
なんとか逃げ出そうと、スクリーンを偶然落ちていたノコギリで切り裂き外に出ようとしたら…
そこは『血みどろのキャンプ場』の映画の中であった。
往年の映画でもよくある展開だが、面白さは保障されている。
『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)や、『カラー・オブ・ハート』(1998)などである。
『カイロの紫のバラ』(1985)のような、映画の中の人物が現実の世界に飛び出してくる映画もあった。
一方、自分たちの良く知るホラー映画の中に入った娘たちには、“いつもの展開”が起こる。
見慣れた登場人物と会話。
その展開に乗らずに無視しても、同じ展開が繰り返されて先には進めない。
つまり、『13日の金曜日』でジェイソン君を倒さないとエンディングは迎えられないということ。
注意が必要なのは、ホラーの掟を避けながら生き残ることである。
そしてここでこの映画の面白要素が加わる。
当然ながら娘の母親が登場する。
しかし演じているわけではなく、あくまで映画の登場人物であるため容姿が母親なだけである。
そんな母が演じる学生は脇役なため、どのように殺されるかまで知っている。
それはまた、生き残る人物と倒し方も知っているということである。
私も時に思う。
映画を見すぎているため、そのような展開が自分の人生に襲いかかってきたとしてもうまく対処できるだろうと。
しかしそんなに映画も現実のように甘くはない。
彼らの知る『血みどろのキャンプ場』も次々とプロットが崩れていく。
それにしても、仲間の一人であるこの困り顔の男性、
『ストレンジャー・シングス』のダスティンに雰囲気が似ている。
ここからとったのかダファー兄弟。
抜かりないな。
ようやくジェイソンならぬビリー君が登場する。
このマスク、『ジェイソンX 13日の金曜日』(2001)のジェイソン君に似ているなぁ。
ジェイソンは溺れて死んだが、ビリー君は少年期にサマーキャンプでいじめられ、個室トイレに爆竹を投げ込まれ全身やけどを負った。
それによって、夏に浮かれてキャンプにやってきた男女を憎み、殺戮を繰り返すのであった。
ホラー映画の掟について再び触れると、最後に生き残るのは処女である。
先に言うと、タイトルの『The Final Girls』とは、主人公の娘と彼女の記憶に残る母親の二人の女性のことなのだ。
ビリー君に恨まれる性欲に狂った若者たち(特に男)には彼を成仏させることはできないのだ。
火が苦手なビリー君が、火を浴びて2階からジャンプしてくる時にスローモーションになり、
そのまま1分ほど追いかけっこになるのだが、それが中々格好いい演出で気持ちが昂ぶる。
お母ちゃんを救いたいが、死ぬ運命は変えられない。
結局最後は「処女をナメんなよ!」と言い放って娘がビリー君を首ちょんぱ。
そしてその瞬間、映画の世界にエンドロールが流れ、それを眺める娘と(負傷したが地味に生き残った優しい)男友達。
エンドロールが終わると、タイムスリップのような次元の歪みが周りを覆う。
目が覚めると病院に。
目の前には死んだはずの友人たち。
なんと平和なエンディング。
と思ったら、
“キキキ、マママ”
病院の窓ガラスをぶち破って入ってきたのはやはり待ってましたビリー君!!
『血みどろのキャンプ場 Part2』とテロップが出て本当のエンディングへ。
大切な人に再会でき、自分の好きなホラー映画の中に入れる映画体験を味わえるお得なセットにご満悦。