キャストの
過去・現在・未来
と
製作秘話⇒
キャラクターとキャストの過去・現在・未来
マイケル・J・フォックス
そして1985年、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が誕生。
ここからの彼の大活躍は言うまでもない。
昨年で結婚30周年を迎えた妻のトレイシー・ポラン、そして29歳の長男と23歳の双子の娘、17歳の三女の4人の子供たちも、全員そろってイベントをサポート。
『バック・トゥ・ザ・フーチャー』製作秘話
エリック君はクビだ。ようこそマイケル。
ディズニーにとっては許すまじ映画。
ウォルト・ディズニー・スタジオでは、映画が近親相姦に関するものだという理由で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の映画化を却下していた。
1980年9月にゼメキスとゲイルがすべてを紙にまとめた時、アイディア構想の段階からうまく折り合っていたコロンビア・ピクチャーズに映画化のプレゼンを持ち込んだ。
しかし反応はまだまだ生ぬるく、スタジオは作品を話を修正しようとしたそう。スタジオ側はストーリーが甘ったるく上品すぎると考え、『ポーキーズ』のようなR指定のコメディーが大ヒットした時代にはそぐわないと思っていたよう。
こうして2人は結局、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をウォルト・ディズニー・スタジオに持ち込んだ。そこで最高幹部たちが彼らに告げた、
「君たちは正気かい? ここでこんな映画作れるわけないだろ。ここをどこだと思ってるんだ、ディズニーだよ。君たちは近親相姦の映画を売り込みにきたのか!子供が実の母親と車の中で…、なんておぞましいんだろう!」
確かに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本を書く上で最も壮大な挑戦の一つは、マーティーと母親の近親相姦の可能性について、わき筋を考えることであった。ゼメキスとゲイルは、自分自身を窮地に追い込んでいくのがはっきりと分かっていた。「できる限りやってみようと考えました」と、ゲイルは語っている。
「観客を窮地に追い込んでも、私たちは一線を越えませんでした。私たちは気づいたのです。“こんなの正しくない!”と言うのは、マーティーの母親本人であるべきだと…。彼女自身がハタと気づき、“なんだか変だわ。弟にキスしているような感じ”という場面がそれです。そして、彼女が比較に挙げた弟と彼女が何をしようとしたかは、誰も気にしないのではないか?と。そして私たちは言いました。 大丈夫です。観客は、マーティーと母親のことを信じるでしょう。なぜなら、彼らはそれが起きて欲しくないと望んでいるからです」と。
結局製作は、現在ルーカスフィルムの社長を務めるキャスリーン・ケネディとスピルバーグが、
1982年に設立したアンブリン・エンターテインメントでされた。
元々は1作で完結。しかし「To BE CONTINUED…」のせいで。
元々は第1作のみで完結するものとして製作されたが、1987年に本作がビデオソフト化された際に、ラストシーンに「TO BE CONTINUED…」という劇場公開時にはなかったテロップが入れられた。
このテロップの本意は、「マーティ達登場人物の人生の旅(冒険)はこれからも続く」という意味も含まれたジョークだったのだが、これを見た人たちによる続編製作希望の問い合わせが殺到したため急遽シリーズ化された。
マイケル・J・フォックスも、リリースされたビデオを初めて見た際にこのテロップを見て驚いた一人で、「エージェントに電話しようかと思った」と語っている。続編の製作が決まった際、当初は続編1作のみを製作する予定だった。しかし、監督のロバート・ゼメキスが共同脚本のボブ・ゲイルと構想を練るうちにいろいろといいアイデアが出てきたため、それを約2時間の枠に収めると内容が半減してしまうことから、さらに1作増やし続編2作になった。
2作目の終わりのテロップは『TO BE CONCLUDED』、つまり次で完結することを明言している。
そして3作目の予告が直後に始まる。
「これで満足してくれ!」ともとれる製作陣によるお腹いっぱいにならざるおえない過剰接待。
素晴らしい。
イライジャ・ウッドのほかにもあの人が出ていた!
Part2でイライジャ・ウッドが出演しているのは有名だが、Part1にあの人が出ていたことをこの度初めて知りました。
そう『タイタニック(1997)』のビリー・ゼインが。
これが初出演映画。
映画を見るたびにいつも3Dメガネ野郎に気を取られていた。
赤い部分しか見えていないのに、立体になったような存在感を放つ3D野郎。
あっこの人、あの人だったのか!
1983年に映画『Suburbia』に出演して以来、数々の映画作品に出演してきたことでも知られる特別出演役者のベテランでもあるらしい。自分でも「あまりぱっとしない特別出演キャリア」と呼んでいる。Part2の撮影を行った時には『アップリフト・モジョ・パーティ・プラン』のクラブ・ツアーを各地でやっていた頃で、かなりの遠隔地から撮影に駆けつけなければならなかったとか。この撮影では2時間しか寝ていなくて、おかげで祖母に編んでもらったセーターを旅の途上でなくしてしまったのが唯一の思い出らしい。
主題歌担当の彼がセルフパロディ
序盤でマーティーが校内でバンドオーディションを受ける時の審査員の一人が、
本作の主題歌『パワー・オブ・ラブ』を歌っているヒューイ・ルイス。
拡声器を持って「もういい、音が大きすぎる」と言う審査員だ。
なおこのときの「音が大きすぎる」は、ヒューイ自身が『We Are the World』のレコーディング時に、プロデューサーから「声が大きすぎる」と注意を受けているメイキングビデオからのパロディである。
(出典:wikipedia)
クリストファー・ロイド
そして1985年『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の時には47歳。
2作目の1989年は51歳。
その後、1991年『アダムス・ファミリー』でフェスター役を演じ映画もヒット。
当時53歳。
近年では2010年にB級映画『ピラニア3D』にピラニア専門家?みたいな役でちょっとだけ出演してファンを喜ばしている。
ちなみに2012年の続編『ピラニア リターンズ』にもでている。
さらにちなむと、続編はかなり面白い映画なのでおすすめである。
(参照:Wikipedia)
ドクが語るBTTF成功秘話
Q:なぜドクの役を引き受けたのですか?A:えっと、私はただ彼がとても興味深かったんだ。発明家が大好きでね。調査、探査などを全体に広げ、E=MC²(特殊相対性理論)を考え出したアインシュタインのように幾つかの問題を解決する新しい理論を思いつく人々がね。未解決の問題を解くことや、解決法を探すことはいつも私の好奇心をそそるんだ。そしてドク・ブラウンはその良い例となるキャラクターだと確信していました。彼の活力と興奮とストーリーが大好きです。マーティーとの関係も大好きでした。Q:最初はドクの役を断っていたとお聞きしたことがありますが…。A:うん、そうだよ。私は人生の大部分を過ごしたニューヨークで(仕事の)オファーを受けていました。映画やテレビの仕事をできるかもしれないと思っていたから、LAにやってきたけれど、全くうまくいかなかった。そしてニューヨークでの仕事のオファーを受けました、それはコリーン・ドゥーハーストとともにオフ・ブロードウェイ(マンハッタンにある劇場での演劇)でハンス・クリスチャン・アンデルセンの演劇をする仕事でした、私のルーツはここにあると思い、これが私のすべきことだと決めました。しかし私はインデペンデント映画に出演していて、エージェントから連絡を受け、彼は私に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本を送ってきたよ。そしてざっと目を通したけれど、やはりニューヨークに戻り演劇をすることに決めました。それから私のエージェントは、監督のロバート・ゼメキスに会うだけでいいからLAに戻ってきてくれと説得されたよ。そして私は戻ってボブ(ロバートの愛称)・ゼメキスに会いました。そしてその続きは有名な話。彼は簡単に私を納得させました。彼のことがとても気に入ったよ、それでそうなったよ。Q:3部作の中でどれが一番好きですか?A:3作目が一番好きでしたよ、西部の話だったし、やっぱり西部はいつも私の興味をそそりますね。あとドクにロマンスがあるのがいいね。Q:たしかにそうですね。A:クララ。あの要素は面白かったね。それから蒸気機関車と馬に乗っての仕事も楽しかったよ。Q:マイケル・J・フォックスとは連絡をとっていますか?A:時々話しているよ。彼は凄いよね。つまり、パーキンソン病を患っていろいろするのが簡単ではないと思うよ。でも彼は本当に勇気があって、ユーモアも持っていて、素晴らしい人だよ。心配もとがあるにもかかわらず、やりたいことをやっているよね。だからそんな彼が大好きだよ。彼は素晴らしいスピリットと愛をもっています。称賛しかないね。(参照:The Morning Call)
リー・トンプソン
1961年5月31日生まれ。
2019年1月現在57歳。
主人公マーティ・マクフライの母親ロレインを演じ、
映画の大ヒットによりアイドル的人気に。
こちらは1985年のロレイン。
1985年、リー・トンプソンは24歳。マイケル・J・フォックスと同い年。
特殊メイクを施さないときのトンプソンは映画では1955年の時。
ロレインの年齢は高校生なのでマーティと同じく18歳と推測。
30年後は48歳。顔に疲労感が漂っていて実年齢よりも老けて見える。
こちらが48歳の時のリー・トンプソン。
若々しい。
1作目でマーティが過去を変え、
終盤で1985年に戻った時の姿がこちら。
お金と生活に余裕があると容姿も中身も人は変わる。
こちらは『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part2』でビフが過去を書き換えたため、
マーティとドクが違う時間軸の1985年に戻ってしまった際の変わり果てた母ロレイン。
ビフに整形を強要されたため別人に。
2015年、78歳のロレイン。
ゴージャス。
1983年、『ジョーズ3D』でデビュー。
主演のデニス・クエイドとはこの作品を機に婚約をした。
しかし3年後に解消。
ちなみにこの時期の映画界では第2次3Dブームが起きていたため、
同時期に公開された『13日の金曜日PART3(1982)』も3Dで公開された。
3Dといっても赤青メガネをかけてみるタイプ。
【第2次3D映画ブームについて】
80年代になるとアメリカの家庭にケーブルTVが普及。
そして一気に増えた放送時間とチャンネルを埋めるために、
続々と古い映画が放送された。
そんな1980年にLAのSelecTVというケーブル局が、
『雨に濡れた欲情(1953)』(リタ・ヘイワース主演)という3D映画を、
視聴者に赤青メガネを配布して放送した事により話題になる。
そこでハリウッドは流行に乗っかり1981年~84年にかけ3D映画を大量生産。
しかし上記のような中身のない続編映画や低予算映画が多かったためヒットせず自滅。
(引用:映画.com)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されたのは1985年。
3Dブームが終わってからのこと。
【第1次3D映画ブームについて】
1950年頃からアメリカではテレビが家庭に急速に普及し始めたことにより、
映画館へ足を運ぶ人が減少。
そこでハリウッドのスタジオは対策の一つとして立体映画を選ぶ
1953年には「恐怖の街」「肉の蝋人形」「タイコンデロガの砦」など、
世界中で長編35本・短編51本。
54年は「謎のモルグ街」「フランス航路」など、
長編22本・短編5本の立体映画が制作された。
しかし、55年になると長編3本・短編1本と一気に減少し、
ブームは急速に終焉を向かえてしまった。
(引用:映画.com)
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart2』では未来の2015年が舞台だが、
その際に印象的な『JAWS 19』のジョーズが3Dとなってマーティーを襲うシーン。
ちなみに目を凝らすと監督の名前がマックス・スピルバーグと書かれている。
これはスピルバーグが前妻エイミー・アーヴィングとの間に
1985年に誕生した実の息子の名前。
『マッド・マックス』が名の由来であるといわれている。
アーヴィングとは1989年に離婚。
スピルバーグは彼女に1億ドル(≒125億円)を払うことに。
彼らの離婚は2007年時点で史上3番目に高額なセレブ離婚とされている。
1位はマイケル・ジョーダンとファニータ夫人の190億円超え。(SmaSTATION!!調べ)
なおマックスの親権は共有している。
ちなみに実際の2015年には、ユニバーサル・ピクチャーズ・ホーム・エンターテインメントが『ジョーズ19』の予告を公開している。
『007』シリーズのようになっていますね。
1955年から2015年の間の60年を経ても、
未来ではまだ3D映画が公開されているのかと
1989年公開当時に観客は思ったでしょうが、
ここで実際の2015年に公開された映画を振り返ってみよう。
2015年公開3D映画
『PAN~ネバーランド、夢のはじまり~』『エベレスト 3D』
『ピクセル』『ミュータント・タートルズ』『ジュピター』
『ミニオンズ』『ワイルドスピード/SKY MISSION』
『マッドマックス』『ジュラシック・ワールド』
『スターウォーズ/フォースの覚醒』
こんなにあるのか!!
【第3次3D映画ブームについて】
きっかけはもちろんこの作品
『アバター』
映像の革命児ジェームズ・キャメロン監督により創られ
2009年に公開された作品。
世界歴代映画興行収入第1位になったため3Dブームに3度目の灯がともる。
これを機にどしどし3D映画が製作されたが2019年現在、
そのブームは終わっていると感じる。
今のところは3D映画に頼らずとも近年は大ヒット作が多いので(ディズニー配給ばかりだが)、
しばらく3Dブームはおとずれないのではなかろうか。
そういえば4DXやMX4Dとやらがあるが、あれはそのうちなくなるだろう。
私は『スターウォーズ/フォースの覚醒』で初体験したが、
煙で画面が見えなくなるわ、煙のオイニーが気になるわ、
座席が揺れる効果も最初は楽しいがすぐに飽きてむしろ蹴られている気分になり不快。
何より鑑賞料が高い。3000円近くしましたっけ?
一緒に見た友人も残念な思いをしていた。
クレーマーになったのでリー・トンプソンに話を戻します。
1983年のデビュー作『ジョーズ3D』が7月22日に公開され、
つづいて10月21日に公開されたトム・クルーズ主演作『栄光の彼方に』で
トムの恋人役を演じる。そして驚くことにこの作品でセミヌードになるのだ。
そんなに必用のないトムとのラブシーンで。
ちなみにトム・クルーズといえば劇中で裸になるシーンが多いが、
この作品ではなんと冒頭から脱いでいるのだ。
そんな脱ぎ脱ぎ映画。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ以降の1990年中頃からは、
テレビドラマに出ることが多くなり映画は日本未公開作品が多い。
今現在は監督業に精を出している。
私生活では、違うパラドックスのマーティ・マクフライことエリック・ストルツ主演の
『恋しくて(1989)』の監督ハワード・ドゥイッチと結婚。彼との間に2人の娘がいる。
ここで面白いのはトンプソンもこの作品に出演していることだ。
1985年に自分がクビになった作品が世界的大ヒットを収め続編も公開される1989年に、
一度は共演していたトンプソンと再共演した際にはきっと気まずかったに違いない。
リートンプソンと娘たち
その後2016年には『ダーティ・グランパ』、『エブリバディ・ウォンツ・サム』に出演。
2017年には長女のマデリーンと次女ゾーイが共演、そして母リーが監督した
『The Year of Spectacular Men』が公開。
ロレインが語るバック・トゥ・ザ・フューチャー
Q:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のお気に入りの思い出を教えてください。A:当時デニス・クエイドと婚約していて、映画が公開されて2か月後に映画館に行ったの。そしたら、満席で私たちは全編を立ち見したの。みんな大熱狂していたの!私は…オーマイガー。これは凄いことになってるわ。と思ったわ。
Q:3作の中で一番お気に入りはどれですか。
A:もちろん1作目のオリジナルよ。
Qセットから小道具や衣装など持って帰ったものはありましたか。
A:3週間前に行ったプロモーションでピンクのドレスを着用したの。それはいまだに持っているわ。
Q:それがまだ着れて幸運だね!
A:いいえ!冗談でしょ?昔は痩せていたわ。子供ができたら肋骨が広がるのよ。私は2回だから、昔とはサイズは変わったわ。
Q:マイケル・J・フォックスとは連絡を取ってますか。
A:全然、でもキャストは大好きよ。クローディア(マーティの恋人ジェニファー役)にはよく会うの。クリス・ロイド(ドク役)にはあちこちで会うの。
Q:クレイジーなファンの話とかありますか。
A:オーイェア!女性に「お尻にサインしてもらえますか。」と言われたのでしたの。そしたら1時間後に彼女がやってきて、なんとサインをかたどってタトゥーをいれていたの。信じられる??
悪名高き『ハワード・ザ・ダック』に続編?
Q:ハワード・ザ・ダックがMCUにカメオ出演していますが、あなたが今後加わることはあるのでしょうか。
A:わぁお。いいですね。正直に言うと、実はマーベルに『ハワード・ザ・ダック』の新作を提案しに行くつもりなの。3週間くらいでね。私はリメイクの監督をしたいの。夢は大きくなきゃ、でしょ?
(参照:INQUISITR)
クリスピン・グローヴァー
BTTFの続編には絶対に出たくなかった。
そのためもちろん3作目に出てくることはなく、『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3』でマーティの玄祖父(祖父の祖父)のシェイマス役はマイケル・J・フォックスが演じている。
妻役はリー・トンプソンが演じているので通常ならジョージ・マクフライ役のクリスピン・グローヴァーが演じて欲しかった役どころだ。
彼の映画キャリアについて簡潔に話そう。
1993年にジョニー・デップ主演の『ギルバート・グレイプ』に出演。
1995年、同じくジョニー主演の『デッドマン』。
2000年、2003年に『チャーリーズ・エンジェル』1作目と続編に出演。
2007年にはロバート・ゼメキス監督の『ベオウルフ』に出演。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で裁判沙汰になってから22年、仲直りしたのですね(笑)
ただ古典の原作とは違い、役柄がマザコン男かつ化け物といったところからゼメキスの仕返しが感じられますね。
2010年、3度目のジョニー・デップとの共演になる『アリス・イン・ワンダーランド』ではハートのジャックを演じた。
日本との関係
2008年にカナザワ映画祭に登場。
監督業もしている彼は、「ビッグ・スライドショウ」という方式(自身の小説作品を朗読しながらのスライド映写、映画上映、Q&A、本へのサイン会、という構成)で世界各地にて巡業方式で上映している。
2016年にも同映画祭のため来日を果たしている。
といったようにジョージ・マクフライ同様に、今は自分の好きな作品を創って生きているようです。
トーマス・F・ウィルソン
1985年のビフ。
先述の登場人物と同じく推測すると、この時48歳。
ビフが書き換えた別の時間軸の1985年のリッチなビフ。
完全なるトランプ。
トーマス・F・ウィルソンが語る1作目制作時
「細くて病弱な子供だったから、子供時代は押されてボコボコに殴られていたよ。俺の身体がみんなよりも大きく成長するとイジメは止んだ。彼らがどのように活動するかとてもよく知っていたし、怯える人々を手に入れる喜びも知っていたよ。」
「俺はエリック・ストルツがマイケルに代わることに賛成していた。特殊メイクを伴っての何日にも及ぶ撮影期間には疲れ果てていたし、撮影セットでの時間はとてつもない疲労だったけれども、一生懸命に仕事をしたし、最大限にやれることはやった。だから結果が伴って嬉しかったよ。」
(出典:The Hollywood Reporter)