『SF超人ヘラクレス』(1970)~俺はヘラクレスだから大丈夫~

映画を見れば誰かと共有して話したくなる。
しかし話す人がいない。
そんな映画愛好家は世界中に山ほどいることだろう。
私もその一人。
そこで私は独自の感想をネタバレ含んでただただ長々と述べる自己満駄話映画コーナーを創設した。
お役に立つ情報は一切なし!
しかし最後まで読めばきっとその映画を見たくなることでしょう。
さぁ集まれ映画好きよ!

今宵の映画は…
NJ
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シュワちゃんの映画界デビュー作であります

SF超人ヘラクレス

原題
Hercules in New York
公開
1970年
製作国
アメリカ合衆国
製作
オーブリー・ウィスバーグ
監督
アーサー・アラン・シーデルマン
出演
アーノルド・シュワルツェネッガー
アーノルド・スタング
『おかしなおかしなおかしな世界』(1963)
脚本
オーブリー・ウィスバーグ
『遊星Xから来た男』(1951)
編集
ドナルド・フィナモーレ
音楽
ジョン・バラモス
撮影
レオ・レボウイッツ
『熱い賭け』(1974)
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一言粗筋

神の子ヘラクレスが下界でニューヨーカーになる

ほのぼの感想あるいは解説

記念すべき22歳アーノルド・シュワルツェネッガー初出演にして初主演映画。

といっても出演時の名前はアーノルド・ストロング

“Schwarzenegger”なんて当時の誰にも発音できませんからね。

そして本作で相棒を演じたコメディアンのアーノルド・スタングとも語呂合わせがいいのでね。

アーノルドの意図せぬ不幸は他にもあり、公開当時、アーノルドのオーストリア英語訛りがキツすぎたために、彼の声は全編吹き替えされてしまった。

後にDVDが発売された時にしっかりとアーノルドの声が使われたという。

ところで本作では全体を通してイタリア映画のような軽快な音楽が流れる。

その音楽をバックに筋肉隆々のシュワちゃんが映るものだから、感覚がおかしくなりますね。

アーノルドの最高なところって自信満々なところなんです。

詳しくは魅惑の深海コーナーで書いていますが、彼は映画デビュー以前にボディビル界で大成功しているわけです。

だから、英語が上手く話せなくたって、脚本があまり理解できなくたって彼には構わない。

自分の肉体を見せつけ、主演として映画に出ているという事実だけがあればいい。

小さいことでも何かを成し遂げたらやっぱり自信がつきますよね。

自信がある人は一緒にいて楽しいし、こちらもやる気が出てくる。

負の方向に引っ張られそうな人はシュワちゃんの映画を見るといい。

批評家に馬鹿にされようが、エンターテインメントとして観客を楽しませている。

アーノルド・シュワルツェネッガー、あなたは幼少期の私に映画の楽しみ方を教えてくれました。

本当にありがとう。

そしてこれからもよろしくお願いします。

父ゼウスに反対されながらも下界に舞い降りたいヘラクレス。

なんじゃこの天国。つまんなそう。

絶対地獄の方が楽しい。

下界に舞い降りる途中のヘラクレス。

飛行機に挨拶。

初めての下界なので浮かれてますね。

舞い降りた先はニューヨーク。

乗っておいてタクシー運転手が金を払え払えうるさいのでひっくり返してやったぜ!

「俺はヘラクレス」

偶然立ち寄った大学のグラウンドで陸上競技が行われていた。

学生に対し、「俺はギリシャのオリンピックで指導したからな」と挑戦状を叩きつけるヘラクレス。

いざ実践。

円盤投げ、やり投げ、走り幅跳び、全て人間とは思えない記録を見せる、いや見せたらしい。

というのも、ヘラクレスが実際に投げたり跳んだりするシーンは見せず、着地のみしか映らないのでどうも信用ならない。

それを見ていた大学教授がヘラクレスをスカウトする。

家に招かれたヘラクレスはたちまち教授の娘に惹かれる。

娘とデート。

街中に貼られていた映画のヘラクレスのポスターをみて「俺はこんなヒョロヒョロじゃねー」とご機嫌斜めな本物のヘラクレス。

公道で脱ぎ出す変態ヘラクレス。

動物園から脱走したヒグマと素手で闘うヘラクレス。

勿論勝者はヘラクレス。

このことが新聞記事になり一躍有名人。

そんなヘラクレスにマフィアが目をつけ、彼はウェイトリフティングで金を稼ぐことになった。

最初は良かったが、天から見兼ねた何者かの仕業によって力を奪われるヘラクレス。

そのため持ち上げられない。

といっても340kgまでは軽々上げる。

454kgになると持ち上げられなかった。

なのでどうも能力が奪われたという説得力がない。

あと、持ち上げられなかった時の悔しがり方が下手すぎて哀しい。

ちなみにこの映画公開の10年前の1960年、アーノルド自身13歳の時に重量挙げを経験している。

それからジムに通い始め、肉体を鍛えることに夢中になった14歳のアーノルドの夢は「ボディビルダーとして大成すること」であった。

毎日トレーニングをする中、その合間には映画館に出かけたという。

そこではスティーヴ・リーズスや、ジョニー・ワイズミュラーといったボディビル上がりの俳優たちがヘラクレスターザンを演じていた。

こうしたスターたちに憧れ、彼も頂点を目指した。

マフィアに裏切ったと思われたヘラクレスは追われる身に。

馬車を盗んでニューヨークを駆け抜けるヘラクレス。

馬車を追いかける持ち主ホットドッグスタンドの店員さん

どういう関係かと申しますと、馬車の持ち主が休憩中にホットドッグを買っていたんですね。

ホットドッグを受け取った時に、ヘラクレスが馬車を盗んだので彼は慌てて追いかけ始めました。

その後をなぜホットドッグの店員が追いかけているのかというと、彼は最後にオニオンをのせそびれたんです。

買い手がソーセージの挟まったパンのみを持って行ってしまった。

トングにオニオンを挟んで必死に彼を追いかける店員。

結局セントラルパークまで走り、なんとか買い手に追いつき笑顔でオニオンをホットドッグにのせる。

なんだこのどうでもいいギャグ。

といいつつ好きなシーンの一つ。

映画館で上映されている映画は『イージーライダー』(1969)

アメリカンシネマを代表する作品で、この時代のアメリカを変えた映画の一つでもありますね。

しかしここで注目なのは、この映画館の前を通り過ぎる馬車に乗ったアーノルド

いわずとも、アーノルドは80年代にアメリカ映画界を盛り上げ、アクションスターとして一時代を築いた男。

もちろんそれまでも筋肉界を極めた功績がある。

新しいアメリカが到来した70年代から、今に繋がる原型となる数々のポップカルチャーが生まれた80年代へと時は変わる。

デニス・ホッパーからアーノルド・シュワルツェネッガーへ。

今ではこのシーンが奇妙な魅力を持つ。

明日自慢できるトリビア

アーノルド・シュワルツェネッガーのエージェントはこの役を得るために、「彼は“舞台”での経験が何年もあるんです」と、さも演技経験歴が長いかのように言ったが、当時のアーノルドは当然ながらボディビルとしての“舞台”経験しかなかった。
参照サイト: IMDb 

一言教訓

何かと「俺はヘラクレスといえば人生やっていける

魅惑の深海コーナー

アーノルドが映画界デビューするまで
1965年、アーノルドは18歳でオーストリア陸軍に入隊した。
1年間の兵役義務の間にもボディビルを優先させており、基地を抜け出し出場した大会、ミスター・ヨーロッパ・コンテストではジュニア部門で優勝を飾った。
除隊後に、彼は数々のタイトルを獲得した。
1966年にはロンドンに渡り、ミスター・ユニバース大会のアマチュア部門に出場するも、2位に終わった。
翌年1967年にはついに同タイトルを獲得
以降1968年からは、同大会のプロフェッショナル部門で3連覇を果たすまでの実力者となった。
1968年10月アーノルドはついにアメリカに渡る。
彼を招いた人物とは、1935年『マッスル&フィットネス』誌を創刊したジョー・ウィダーである。
また彼はIFBB(国際ボディビル協会)を設立し、国際大会ミスター・オリンピアを主催するなど、アメリカのボディビル界を牽引してきた人物であった。
そんな彼にロサンゼルスに招かれたアーノルドは、ベニスビーチのジムでトレーニングに励み、1969年に初めてミスター・オリンピア大会に出場した。
その年は敗れるものの、翌年には初優勝を果たした。
当時23歳、史上最年少での優勝であった。
そして『SF超人ヘラクレス』に。
アーノルドはジョー・ウィダーのコネで映画の仕事を得た。
週給は1,000ドルであったという。今の彼では考えられない額だ。
私は2014年にベニスビーチにあるアーノルドの聖地『マッスルビーチ』を訪れた。
そこでは未来のアーノルドが肉体美を輝かせていた。
最初からスターの人なんていないのだ。
誰しもが努力の中の努力をし続け、その蓄積が目もくらむ輝きとなる。
参照:てらさわホーク著‐シュワルツェネッガー主義

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