【香港】~モヤモヤ奇界遺産探しの旅~ 1日目 PART3:アジア1の悪の巣窟『九龍城』の今

香港~モヤモヤ奇界遺産探しの旅~

2018年12月11日(火)

香港
~モヤモヤ奇界遺産探しの旅~
1日目 PART3
アジア1の悪の巣窟『九龍城』の今
旅の概要
香港には奇妙でモヤモヤした物が多く存在すると聞いていた。
それらを写真に収め、独自の“奇界遺産”に追加することを目的とする。
奇界遺産とは、写真家の佐藤健寿さんが制作した世界の奇妙な光景が載った写真集である。
まずは『九龍城』とは何なのか説明しましょう。
もともとは宋代に外敵の防衛を目的に造られた砦がここにあった。
1898年にイギリスの租借地となった際、この城砦のみ租借地から除外されたが、結局は中国側の力も及ばずどちらの管轄でもない法律の適用されない無法地帯となった。
その後、日本統治時代に、日本軍が空港拡張の資材とするために砦の城壁は取り壊された。
戦後、大陸を逃れ押し寄せた人々がここに住み着き巨大な集合住宅を形成した。
『九龍城砦』という名でこの住宅群は総称され、「無法地帯」「悪の巣窟」といったうわさが飛び交う場所として知られていたが、1993年に住民は退去され取り壊しとなった。
そして1996年九龍寨城として市民に開放された。
引用:地球の歩き方(2018~19)
当時の暮らし
約28万㎡の土地に3万3000人もの人が暮らしていた。
これは東京ドームの面積のおよそ半分である。
法律の適用されない場所のため、犯罪が蔓延っていた。
1950年~60年の実態がこちら。
賭博場 27件
アヘン窟 19ヵ所
ヘロイン窟 17ヵ所
売春宿 30軒以上
酒の密輸入業者 3軒
麻薬製造工場 4軒
引用:テレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」
2017年12月25日放送回“伝説の無法地帯、香港・九龍城にただ「物件が安い」という理由で住んでいた日本人”

③1980年代後半にカナダ人写真家グレッグ・ジラード(Greg Girard)氏が潜入。

高く積み上げられた建物内には日がほとんど差し込まなかった。

四六時中夜のようだったと語る。

九龍城砦で最も製造されていたのは魚肉団子

気になるのが衛生面。

ジラード氏は言う。

「健康状態や安全性を管理するためのルールがなく、工場をまともに機能させるのは非常に困難だった。」

ただ1つルールがあった。

14階建て以上の高さにしてはならないということだった。

これは近くの空港から離発着の際にトラブルになるからである。

そんな九龍城の現在を調査しに行ってきました。

14時34分
『万仏寺』を後に、『九龍寨城公園』に向かう。
ショッピングモール『Homesquare』に入ってみる。
特に何もないので駅に向かう。

14時53分
沙田駅から樂冨駅に向かう。
交通費:9HKD(≒135円)

やっぱり電車が通っている地域って便利だよね。
電車が来た。
14時59分
九龍塘駅(きゅうりゅうとうえき)で乗り換え。
15時10分
樂冨駅(らくふえき)に到着。
木々が生い茂る。
これは…!?
モヤモヤ。
『ディズニーへの脅迫状』
公園が見えてきた。
どうやら『カーペンターロードパーク』という公園。
九龍寨城公園はこの奥にあります。
15時10分
『九龍寨城公園』到着。
わずか20数年前に、ここにあんな巣窟が存在したとは感じられませんね。
今では飛行機がはるか上空で飛んでいます。
近くには圧のあるマンションが建っていて少し当時の面影が。
別の方向にはわんさかマンションが。
1994年に発掘された南門と東門の土台部分。
「九龍寨城」「南門」と刻まれた石の門標。
大砲がありました。
当時の暮らしを描いた壁画。
ジオラマ。
慣れない部外者が一度入ったら、二度と出られないと言われていた。
歴史を感ずる。
趣がある。
出口には当時の壁らしきものが。
この旅路を通して思ったこと。
映像で見るだけでは気が済まない。
実際にその場に足を運んで自分の目で見たい。
改めてその価値と意義がわかりました。
これだから旅はやめられません。
香港モヤモヤ奇界遺産No.2『九龍寨城公園』をカメラに収めることに成功。
【次回予告】チョンキンマンションでインドカレーを食べたい

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