特集!映画紀行
6歳のボクが暗黒面に堕ちるまで
May the 4th be with You!!!!
スターウォーズの日記念。
あの悲劇から月日も経ち、『マンダロリアン』を見たことで落ち着いたので、この機会にそろそろ『スターウォーズ』を語らねばなりません。私の心にいつも宿っていたフォース。その全貌をここに記す。
【エピソード4】スターウォーズとの出会い
同じ映画を観ても以前よりつまらなく感じるなんてこと多々あるでしょう。
その逆もしかり。
しかしスターウォーズはいつみても永久的に楽しめるし、当時の思い出が蘇ってくる大切な作品。
映画の枠を超え、共に生きてきた人生の一部。
私にとって大切な映画、特に洋画に没頭するきっかけにもなった偉大なる作品。
SWとの出会いはハッキリとは覚えていないが、おそらく5、6歳。
1999年7月10日に日本でエピソード1『ファントム・メナス』が公開した。
この作品は映画館で見ていないことは覚えている。
パンフレットは家にあるので、親は見に行ったのだろう。
思い返すと、『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)も私は見に行っていなく、流行に乗り遅れていた。
これもまた、親は映画館に出向いていた。
ちなみに母親が初めて映画館で見た映画はサム・ライミ監督の『死霊のはらわた』(1981)だという。
私のB級ホラー好きは遺伝によるものなのかもしれない。
親から子に、まるでスターウォーズのように。
話を戻すと、おそらくSWを初めて見たのは2000年の可能性が高い。
しかし私はエピソード1公開記念に発売されたペプシについてくるボトルキャップをいくつかいまだに持っている。
そのためどのタイミングでエピソード1を見たのかはよくわからない。
最初に見たのがエピソード1だったか、それともエピソード4だったかも記憶にない。
しかし当時4本しかなかったシリーズを繰り返し見ていたことは体が覚えている。
WOWOWで放送された時に、字幕と吹替版をそれぞれVHSに録画して保存していた。
それを擦り切れるほどに見ていた。
地上波で放送された時も欠かさず見ていた。
偶然にも小学生の頃の修学旅行の金曜ロードショーで、エピソード6が放送されていたので、風呂上りにみんなで見ていたのも懐かしい思い出。
ひたすら俳優陣の名前を知ったかぶって言う少年もいた。
よってトータル軽く各100回は見ていたに違いない。
他にハマっていたシリーズ映画といえば、『インディ・ジョーンズ』や、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『X-メン』、『ハリー・ポッター』、『マトリックス』など。
そして映画館で唯一すべて見ることのできたシリーズ作品は、『ロード・オブ・ザ・リング』。
私はSFに没頭していた少年だった。
幼少期の頃は邦画も日本のドラマも見ていたのだが、ある時から外国映画に病みつきになってしまった。
『木曜洋画劇場』と『日曜洋画劇場』の存在も大きかったが、
おそらく小学4年生のときに英語を学び始めたことが大いに関係していると思う。
きっかけは家族旅行でオーストラリアに行ったこと。
とある公園を訪れて、そこにはかなりの数のカンガルーが野放しになっていて、おっさんのように寝ているのもいたり、急にカンガルー同士が睨みあったかと思うと、片方が思いっきりパンチしたんですね。
物凄い鈍い音がして衝撃を受けたのを覚えている。
可愛いと思っていた動物の本来の野生の姿を目にしたわけです。
それは実際にその場所に行って自分の目で見て感じられること。
世界はこんなに自分の知らないことだらけなのかとワクワクが止まらなかった。
学びが止まらなかった。
それを機に、もっと自分の知らない世界を見たくて選んだのが外国映画を見ることだったのかな。
それが少年にとってお金もかからない最も手っ取り早い手段であった。
そんなSF少年は、授業中に不意に落とした消しゴムをフォースで取ろうと何度も試みた。
しかし私がフォースをつかえる唯一の瞬間は現在に至るまで…自動ドアを開ける瞬間のみ。
まだまだ修行が足りないと実感させられた。
発想することが大好きだった私は、大量に持っていたLEGOで毎日オリジナルの物語を創って遊んでいた。
『ロード・オブ・ザ・リング』に影響を受けた物語も多く、色んな種族の仲間を集めて敵を倒す中で、仲間の犠牲を伴いながらも最後は主人公とヒロインのキスシーンでエンディングを迎えるハリウッド映画のような展開。
また、友達との間でミニフィグの頭をもいで10個くらい繋げて、なぜか「アコム」、「プロミス」、「レイク」などの消費者金融会社の名前を連呼しながら、ミニフィグをジャンプさせる遊びが流行っていた。
その謎の遊びのせいでミニフィグの頭はゆるゆるになり、クルクル回転するようになってしまった。
のちのち一人遊びの最中にそのことに気づいた私は少しばかりへこんだ。
自分の過ちなのだが。
次にその友人と遊んだ日のこと。
いつものように首を繋げ始める友人。
乗り気じゃない私。
それでも面白い方に誘惑される私。
そして繋げ始める私。
だって一度緩くなったものはキツくはならないのだから〜。
子供の行動は謎だ。
『スターウォーズ』で初めて買ったLEGOはX-ウィングとアナキンのポッドレーサー。
2006年にザック・スナイダー監督の『300』が公開された。
予告で見た血みどろで戦うアクションの連続は大好物だったため、見に行きたかったのだが残念ながらR15指定。
そのため初めて見たのはゲオで借りた高校生の時。
見れない憤りを感じていた当時中学生の私は、学校で消しカスを小さく丸めて300体作り自分の机に並べていた。
授業中でも構わずに屈強なスパルタ軍を生産し続けた。
隣の席の女子も手伝ってくれたおかげもあり、無事に300体の出荷が完了。
ゴミ箱へと。
こんな少年だった。
そして『スターウォーズ』に出会ったことで、小学生の私には一つの夢が芽生えていた。
「いつか絶対にスターウォーズに出るんだ!」
【エピソード5】初めてのリアルタイム・ウォーズ
2002年7月13日、ついに映画館でスターウォーズを鑑賞できる時が来た。
『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』
この日をどれだけ待っていたか。
いま私は自分が生きる時代にスターウォーズを映画館で観れる喜びを感じております。
夏休みは関西の祖父母の家に遊びに行くのが恒例だったため、その先の映画館で兄と観た。
シリーズ史上最大のライトセーバーバトルの数々に大興奮。
帰省から戻り、スターウォーズ好きの友人と再会した際には飛び回るヨーダとキット・フィストーのニヤツキの話題で持ちきりだった。
映画史上初の全編デジタルで撮影された映画という革命的映画でもあるため、
当時子供ながらに、“これぞSFだ!”といわんばかりのCG映像に没入した。
私にとってはシリーズNo.1のアトラクション的体験型スターウォーズ。
この時期だったか単身赴任の父親のもとの遊びに行った時に、トイザらスでアナキンのライトセーバーを買ってもらった。
これは通常のものよりも太くていわゆる子供用おもちゃ。
ボタンを押したり、振ったりした時に音が鳴り、しまいにはマスター・ヨーダが喋りだしアドバイスをくれる。
まさにパダワンになった気分。
父と別れ、一人で飛行機に乗った時もそのライトセーバーを肌身離さず持っていた。
席についていると、私のライトセーバーを見てCAさんが「それはなに?」と訊いてきた。
極度の人見知りであった私は無視しました。
ジェダイは多くを語らない。
【エピソード6】最後のスターウォーズ
『スターウォーズ エピソード3/シスの復讐』は2005年7月9日に日本で公開した。
これは家族とともに地元の映画館で鑑賞した。
私にとってのプリクエル(エピソード1~3)の魅力は一言で表すとライトセーバーバトルの多さですね。
あれを見て興奮しない子供はいないでしょう。
内容は当然ながらエピソード4に繋げなければならないので、最後はどうなるかなんて誰しもが分かりきっている。
それでもアナキンとオビワンの死闘からのダース・ベイダー誕生のシーンは鳥肌が立った。
ついにこれで『スターウォーズ』が終わってしまうんだという儚さとともに、夕日を見上げるシーンで、いやここからが『スターウォーズ』の始まりじゃないか!とワクワクが止まらなかった。
このスターウォーズ公開期間に地元の美術館で『スターウォーズ展覧会』が開催された。
エピソード3を中心に今まで使用された衣装や小道具などがずっしり展示されていた。
ファンにとっては堪らない。
大人になったらスターウォーズに溢れる部屋に住みたいなぁ。
そんな夢を描きながら今に至るまでスターウォーズのフィギュアを集め続けている。
スターウォーズにいくら使ったんだろうか。
エピソード3公開時も多くのフィギュアが発売された。
6インチのアナキンのフィギュアが欲しかったため、映画を見に行った1週間後くらいに一人でトイザらスを訪れた。
そこにはスターウォーズコーナーが大々的に展開されており、足元から天井近くまで全種類の6インチフィギュアが壁にかかっていた。
そしてアナキン・スカイウォーカーが目に入った。
一番上に。
私には確実に届かない、いや大人でも脚立を使わないと届かない。
私は極度の人見知り。
店員に話しかけられない。
アナキンを見つめる私。
落ちてこないか試した自分を覚えている。
自分のフォースの弱さに情けなくなった。
修行が足りん。
手に届く高さにあるキャラクター達は私の興味のない脇役ばかり。
全くこの世界はうまくできてやがる。
結局諦めて何も買わずに帰る。
ジェダイは人に助けを求めない。
【エピソード1】スターウォーズが私の心を掴んだ理由
私にとってのスターウォーズ最大の魅力は個性的なキャラクターが多すぎること。
パンフレットを見ると、劇中でわずかしか登場していないキャラクターにまで名前がついており、しっかりとした設定までも与えられている。
そして彼らを含めて、映画に出てこないキャラクターまでもがフィギュア化されている。
こんなにマーチャンダイズで大成功したオリジナル映画は『スターウォーズ』しかないだろう。
ビジネス面でもうまくできている。
私の好きなキャラはR2-D2とチューバッカとウィケットですかね。
ジャージャー・ビンクスも好きですよ。えっ?
プリクエルで熱狂した少年もいるので、旧作リアルタイム世代のおじさま達にはあんまり悪く言わないで欲しい。
でもわかります。
私が逆の立場だったら悪く言っているに違いない。
大人になってわかることもある。
それでも少年にとってはようやく“我々のスターウォーズ”がやってきたのです。
そりゃ16年待った人達とは見方が違いますよ。
スターウォーズの良さは新作が出る度に新しい客層が生まれ、世代も分かれていくからこそ意見の違いも出て面白いんですよ。
もはや映画の枠を超えております。
だからいつ好きになってもいいんです。
私の好きなキャラクターの話ですが、
R2は愛くるしさと、自分で何とかする行動力、そして生意気なところが好きなんですね。
ロボットなのに自我がしっかり形成されているのが魅力。
C-3POのツッコミで彼が生意気なのが分かるわけですから、漫才のうまいコンビですよね。
あの関係は素晴らしい。
次にチューバッカですが、せっかくなのでエピソード4でメダルをもらえなかった彼を受賞いたしましょう。
それでは私が選んだチューイにメダルを授与したい瞬間をどうぞ。
エピソード5よりべスピンにてバラバラにされたC-3POを組み立てるシーン
その前の焼却炉に入れられそうになっている3POを助けようとするも、そこで働いている小人たちが3POの頭をラグビーのようにパスし合って翻弄されるチューイも可愛い。
組み立てるシーンですが、悲しそうに唸りながら組み立ててるんですよ。
そんなに3POのこと好きだったんだと嬉しくなりましたね。
そして頭を逆にくっつけちゃって3POに怒られる。
「この毛むくじゃらのおバカさん!」
罵倒された瞬間に電源をオフにするチューイ。
萌え萌えキュンキュンポイント1億点です。
その後、ちゃっかり背中に乗せて運んでるんだからこれまた可愛い。
ヨーダを背負ったルークへのオマージュかしら。
それにしても、3POは最も“Bad Feeling”を味わっているキャラクターではなかろうか。
エピソード2では頭をもがれ、3で記憶を消され、5で全身バラバラにされ、9ではこじつけで再び記憶を消された。
しかし6ではイウォーク族に神として讃えられ“Good Feeling”なのであった。
エピソード7より相棒ハン・ソロが息子カイロ・レンに殺されてブチ切れるシーン
これはつらいシーンであった。
チューイはきっと幼少期のベンと一緒に遊んだに違いない。
そんな彼が長年の相棒であり、彼の父であるハンを殺したのだ。
チューイの心情を思うと居たたまれない。
だからこそエピソード9でベンは死ぬべきでなかった。
生きてチューイのもとに帰り、自分の過ちを泣いて懺悔するシーンが見たかった。
そんなベンをチューイは抱きしめるんです。
「大丈夫だよ」
ってベンの頭をポンポンして…もう考えるだけで目が潤んでしまいます。
最後だし、その一言だけ字幕をつけてあげてもいい。
そろそろ9本まとめてBlu-rayボックスが出る。
その際には、チューイが唸る全てのシーンに字幕が付いているかもしれない。
ディズニーさん、どうか『チューバッカ字幕監修版』を出してくださいな。
『スターウォーズ』はキャラクターだけではなく、他にも戦闘機、武器、惑星なども魅力的要素。
ミレニアム・ファルコン、スーパー・スター・デストロイヤーなんて名前思いつくの最高じゃないですか。
惑星だとタトゥイーン、オルデラン、ホス、エンドア。
それらによってどんどんスターウォーズワールドが広がり、想像の余地が無限大に広がるところも魅力。
しかしその余地が昨今狭まってきているわけです。
例えばハン・ソロとチューイの出会いとか、こっちが勝手に想像してたものとかあるじゃないですか。
それを『ハン・ソロ』で描いたことによりそれが正史となってしまう。
新作が出るたびに自分の『妄想ウォーズ』が壊されていくんですよね。
でも新作は見たいんです。
これがやっかい。
納得できないものをすぐに批判してしまう。
熱狂的ファンは面倒くさい人間だ。
『スターウォーズ』は人生を狂わせる。
スターウォーズになると口が閉じないうるさい自分が嫌いです。
【エピソード2】青春映画としての『スターウォーズ』
「田舎で将来に悩む1人の若者が運命に導かれて銀河を救う」
一言で言えば1作目はこのように表せるでしょう。
将来どうしようかと思い悩んでる時期があったらとりあえず1作目の『スターウォーズ』を見てください。
仲間があなたを待ってます。
スターウォーズの特徴として、音楽がずっと鳴り続けているのもいいんですよね。
目でも耳でも楽しめるのが『スターウォーズ』。
これはルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(1973)の手法をそのまま引用してますね。
高校を卒業し、翌日からそれぞれの道を歩む若者たちの一夜を描いた群像劇。
若者がベトナム戦争に出兵する前の浮かれているアメリカが見られる。
ハリソン・フォードやロン・ハワードも出ていましたね。
『スターウォーズ』は文字通り戦争映画でもある。
人生では迷うこともあれば、悩むこともある。
でも進まないと道は切り開けない。
「人生はやるかやらないか、試すはない」
幼少期の私に当時の師匠がそう教えてくれた。
オリジナル3部作はルーク・スカイウォーカーの成長物語である。
自分勝手で無鉄砲な青二才が育ての親と突然別れることになり、偏屈なおじさんから自分のルーツを知らされ、新たな仲間と出会い、お姫様を救うことになり、戦争を経験し、銀河を一度救うが逆襲に遭い、心身ともにボロボロになり、父との確執に悩みながらも最後は自分自身の力で運命を変えていく。
一つの作品としてとても気持ちよく終わっているではないか。
これがオリジナル3部作の力。
一人の人生を自分に当てはめて見ることは、スターウォーズというより映画の根本的な楽しみ方である。
登場人物の誰かに共感できた時、その場に自分が存在しているような感覚に陥る。
だから映画を見たくなる。一体化を求めて。
自分に何か新しい影響を与えてくれる映画が今でもあちこちに散らばっている。
それに出会うには映画を見るしかない。
『スターウォーズ』は見る側のその時々の心情と状況によって見え方が変わるからいつでも見てしまう。
ありがとうスターウォーズ。
【エピソード3】体験型スターウォーズ
私が一番ハマったスターウォーズのゲームといえば『ローグ・スコードロンⅢ』。
2003年にゲームキューブから発売された空中戦メインの傑作ゲームだ。
小学生高学年の時に友達も持っており、互いの家で協力プレイをして何時間と楽しんでいた。
その中でも第2デス・スターを破壊するミッション『モー』の難易度が他とは比べ物にならないくらい高かった。
最後の背後から追いかけてくる炎から逃げるのがかなり難しくて、一瞬でも炎に触れたら即死亡。
仲間の内どちらかが死んだらそこでゲームオーバー。
イライラしてクリアするまでに1ヶ月はかかったのではかろうか。
さらにこのゲームにはなんとあの『帝国の逆襲のアーケード・ゲーム』がボーナスとして入っていてプレイできたのだ。
そういえばディズニーランドにスターツアーズというアトラクションがある。
幼少期に千葉に住んでたこともあり、ディズニーランドには月1から2の頻度で通っていた。
その度に私はスターツアーズに必ず行っていた。
しかし親はあのアトラクションの楽しさがわからないので飽き飽きしていた。
そのため一人スターツアーズ。
USJに『ターミネーター2』の続編が見れる3Dアトラクションがあるが、あれも一人で行ってこいとよく言われた。
何度でも体感したい。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のようになくならないことを願います。
【エピソード7】スターウォーズ熱が覚醒
2012年10月、突如ルーカスフィルムがディズニーに買収され、2015年から2年ごとに新作が3本製作されることが発表された。
死ねなくなった。
発狂するほど興奮した。
ついにエピソード7が見れる。
私が長年常に構想してきたエピソード7。
エピソード3が終わってからいつの間にやら長年待つ側になっていた。
2014年11月6日にサブタイトルが発表された。
『The Forth Awakens』
誰のフォースが覚醒するんだ!
そして予告が公開された。
冒頭のフィンを見て、誰?あらやだ汗かきすぎ!
カイロレンのライトセーバーを見て大興奮。
そしてレイが可愛い。
12月18日18時30分
無事に初回のチケットを命がけで取った。
ここでの映画館体験は一生ものだった。
映画館はコスプレイヤーもいて熱気が凄かった。
いざ上映が始まると拍手喝采。
ハン・ソロとチューイの初登場シーンで拍手と雄叫び。
劇場は外国人も多かった。
レイアとハンの再会に場内吐息が漏れる。
ハン・ソロが死に悲鳴が聞こえる。
レイがフォースでライトセイバーを引き寄せて構えた時に興奮の声。
クライマックスにルークが出てきてみんな発狂。
エンドロール終了後には止まぬ拍手。
これが映画の力か。
そしてこれがスターウォーズ。
人種も年齢も世代も性別も超えて愛される。
スターウォーズを見ている間は地球に平和が訪れる。
銀河にフォースのバランスをもたらすのはスターウォーズなのかもしれない。
あれほど興奮した映画館体験は後にも先にもなかったが、エピソード8と9によってあの7の存在価値も低くなってしまったのが切ない。
当時、3日連続でチケットを取ったが、2日目まで興奮が止まず色々調べ物をして夜更かししてしまったので、3日目は起きれず行きませんでした。
正直起きる気がなかったのです。
ジェダイは平常心こそが武器。
【エピソード8】ディズニーは暗黒面
「すごくすごく近い今現在、とても身近なディズニーという組織の中で」
このようにオープニングを改変してはいかがでしょうか。
いやぁエピソード8は映画館で初日に見た時には最高の気分だったんですよ。
2回目も。
映画館マジックって怖いですね。
いま冷静に見ると、必要ないシーンが半分ほどあるかな。
ルーク直接助けに行けよ!
ディズニーは何もかも破壊していく暗黒面。
もう多くは語りたくありません。
【エピソード9】スターウォーズって何だろう
2019年12月12日23時52分、ミッション(仕事)を終え最寄駅に着いた。
基地(自宅)に帰る時間はない。
惑星ホスのような極寒の中、
外でコックピット(携帯)を操作することは難しいだろう。
そのため、私は暖かい駅内のジェダイテンプル(個室トイレ)に籠って待機した。
オビワンばりの隠居生活だ。
ミッション(仕事)の休憩中に何度も何度もエンドア(映画館)の森(HP)から木の実(チケット)をとる訓練をした。
思えば、2015年『フォースの覚醒』の時も、2017年『最後のジェダイ』の時もこの試練に打ち勝った。
私のフォースは強い。
ミディクロリアンが多いようだ…。
あんなもんでフォースの強さを決めるんじゃねー!!
何だよ細胞の多さとか、遺伝子で決まるとか。
『ガタカ』の世界じゃねーか!!
フォースは誰にでも宿っているんじゃないのか!
すまない、フォースが乱れたようだ。
そして0時ちょうど。
「チケット大戦の始まりじゃ。」
サーバーはすぐにクラッシュ。
一度この画面を閉じてくださいの指示。
5度目でようやく繋がった。
すでに席は半分黒く塗りつぶされていた。
迫るダークサイド、消えゆくライトサイド。
私は適当に選んだ真ん中の列および席を2つ追撃した。
次の画面で個人情報を入力し、片手に準備していたクレジットカードを読み取る。
意外とスムーズなので心配になるが、購入完了。
即メールは届いたが、それでも本当にとれていたのか心配。
この時0時3分。
1分後に映画館HPを見ると全て暗黒面に堕ちていた。
映画通のマスターにも頼んではいたが、彼は撃墜された。
前作でボロボロになったのにもかかわらず、ここまで必死にさせるスターウォーズ。
もう私は一生スターウォーズと共に生きていく。
12月19日前夜祭
ついにこの時が来た。
予告もなく、18時30分になると、
レイ役デイジー・リドリーとフィン役ジョン・ボイエガがスクリーンに登場し挨拶。
いよいよ最後だ。
意外にも平常心であった私は、今から起こることに身を任せて軽い気持ちで楽しもうと思っていた。
しかしそうはならないのがスターウォーズ。
そんなエピソード9の率直な感想。
いいところもあった。
レイアのジェダイ姿。
ハン・ソロが出てきて際には泣きそうになりました。
カイロ・レンのキャラクターは本当に好きだ。
新3部作をカイロ・レン3部作として見たら悪くないかもしれない。
それにしても演じるアダム・ドライバーの善と悪の狭間で揺れ動く心情を描いた演技は最高である。
純真な瞳が何とも言えない。
応援したくなる。
しかし物足りないという思いの方が強い。
テンポは良かった、悪い意味で。
2時間22分ではとてもじゃないが描き切れない。
3時間でも足りない。
『最後のジェダイ』が陳腐なシーンが多すぎたので、本作が良かったと錯覚してしまうが、スターウォーズへの愛の足りなさを感じる。
8作目もJ・J・ビンクスが脚本を書いていればまだ統一性があったのに。
なぜ3作全体を見通して脚本を書かなかったのか。
特にエピソード8とエピソード9で目立ったのが、結局これ意味ないよね?という展開が多すぎる点。
エピソード7で置き土産にされた疑問点が面白いくらいに放置で、解決しないままシリーズが終わってしまった。
そんなことありですか。
この3部作から見ている側が得るものってなんなのだろうか。
あの頃、私を熱くさせてくれたスターウォーズがもうそこにはなかった。
うん、ジョージ・ルーカスが創るべきだったんだ。
ルーカスが考えたエピソード6以降の世界を見て見たかった。
プリクエルは批判されることが多いが、彼は新しい試みをいくつも見せてくれた。
旧作のオマージュが見たくて新作を見にいっているわけではない。
それはエピソード7で十分に楽しませてもらったのだから次からはねぇ。
ディズニーが製作した決定的証拠がエピソード9にはあった。
レイとベンのキスシーンである。
なぜあそこでキスをする。
顔があまりに近いから心配であった。
それ以上近づくな。
その距離は危険だ。
チュッ。
おいおい。
レイはいつからディズニープリンセスになったんだ。
あまりにも衝撃的で、あのキスが起爆装置で銀河が破壊されて終わるのかと思ってしまった。
そんな恋愛関係になる出来事はあったか?
あっ思い当たる点がいくつかあった。
エピソード8で急にフォースで通じ合ったとき、
ベンが裸だった。
そしてレイが言った一言。
「タイミングが最悪ね。服くらい着れないの?」
エピソード9でも意味深なセリフがある。
「俺の部屋にいる」
レイがベイダーのマスクのある部屋にいることを悟ったベンの一言だ。
何このツンデレ感のある付き合うまでには至らない男女。
今回の荒れ狂う海でのライトセーバー戦にもその片鱗が見られた。
互いに倒す気がなかったに違いない。
レイはベンを殺してもシスの力で復活させられる。
実際にそうした。
それにしても二人とも弱すぎやしないか。
アナキンとオビワンはとんでもない強さだったんだなぁ。
アナキンは戦闘能力が高かったからこそダークサイドに堕ちた時に怖さが増す。
この先スターウォーズの映画がつくられるのなら、エピソード9以降の話は特に興味がないので、エピソード1以前のジェダイ全盛期の物語が見たい。
文句ばっかりですが、大好きなイウォークの扱いも雑。
劇中でエンドアを出してきたということは、これからイウォークが出ますよという振りである。
しかし勿体ぶっているのか一向に出てこない。
全ての戦いを終えてから、突如画面を2匹のクマちゃんが覆った。
思わずにニヤけてしまったが、そういうことではない。
着ぐるみではなく、なんかCGでテカテカだし、目が大きいし、私の知っているのと違うんだよ。
そしてなぜエンドアに2匹しかいないんだ。
ウィケットは出さなきゃダメでしょ。
それともあれはウィケットなのか?
そのためだけにもう1回見る気も起きない。(見ましたが!)
オリジナル3部作の興奮ポイントは、登場人物なり戦闘機や兵器なりが実際にその場にあるように思え、今にも触れそうな没入感を生むリアリティである。
マペットやミニチュアだから出る質感と可愛さ。
エピソード5のヨーダの「ワシのじゃ!ワシのじゃ!」は名シーンですよ。
エピソード6のコマ撮りのAT-STやAT-AT最高じゃないですか。
それとは対に新3部作の戦闘機や兵器は印象に残らない。
とりあえずこれやっとけば旧作ファンが喜ぶんでしょっていうのが多すぎる。
ウェッジの登場もしかり。
初見の『フォースの覚醒』はそれで満足だったが、あれも4回以上見ると飽きてしまう。
1〜6は100回見たって飽きないし、新たな発見が毎回あるんです。
新鮮なワクワクがあるんです。
7〜9は新しい物語なんだから、4〜6に捉われずにこれでもかってくらいに新しいキャラクターたちの冒険が見たかった。
エピソード9は全てにおいてあっさりしすぎ。
8からの軌道修正もしないといけないので忙しいのは分かるけれど、
7の伏線も回収できてなければ、
中盤から展開が早すぎて一つ一つのシーンに緊張感がなく次々過ぎ去っていく。
なんだかとりあえずエンディングに向かわせるための作業感が出てしまっている。
見たいものは中途半端にされ、見たくないものが印象的に残るように見せつけられる。
レイとフィンがこんなに薄っぺらいキャラクターになるとは思わなかった。
ポーもなぜか急にキャラ変してハン・ソロ的役割を担わされている。
これ、42年に及ぶシリーズの完結篇ですよね?
最後なんだから4時間あってもいいから満足感に浸れるものが見たかった。
新3部作が作られた意義を味わいたかった。
これではただのディズニーの商業映画。
『スターウォーズ』はそうなってはいけない。
突然出てきたレイの両親の扱いは雑だし、どっちかがパルパティーンの子供なわけだけどそれも判明しないし、そもそもパルパティーンの奥さん誰ですか!
奴のことだからそこら中にいてもおかしくない。
アナキンもパルパティーンの孫なのかもしれない。
この世はパルパティーンで出来ている。
レイ・パルパティーン…
そんなパスタみたいな料理注文してませんけども?
それにしても新3部作は魅力のないキャラクターが多い。
ファズマとローズとデルトロはもうこの際忘れましょう。
マズカナタさんも忘れたいが一つ物申したい。
エピソード9でチューバッカにメダルを渡すシーン。
なんであなたがあげるんだよ。
キャリー・フィッシャーが亡くなったから願い叶わずなのかもしれないけれど、
レイアがチューイの首にかけてあげるシーンを見たかった。
それが不可能ならそれこそウェッジの出番だ(苦笑)
結局マズカナタは何者なんだ。
エピソード5でべスピンで落としたルークのライトセーバーは結局どこで拾ったんだ問題。
「その答えはまた今度」ってエピソード7で言ってたくせに。
こんなに文句言いつつ、最終日にもう1度見に行きました。
これがファンの使命。
見納め。
『スターウォーズ』を見て眠くなる日が来るとは思いもしませんでした。
悲しかった。
ご都合主義の陳腐な映画。
私にとっての『スターウォーズ』はエピソード1〜6です。
はい。
スターウォーズって何だろう。
もう疲れたよ。
このショックは大きかったけれど、『マンダロリアン』見たら再びスターウォーズ熱が再熱!
もう時代はマンダロリアン!
これぞスターウォーズ!!!
やっぱりスターウォーズって最高だよ!!!!
これからも新作を楽しみに待ちます。
こうして言っていることがころころ変わるが、もう開き直ろう。
踊らされるのも悪くない。