所詮は他人事
ヘザース/ベロニカの熱い日
一言粗筋
ほのぼの感想あるいは解説
「俺が全員殺すのは誰にも愛されないからだ」
「いろんなタイプの人間が一緒に暮らせるのは天国だけだ」
「人々はこの高校の廃墟を見て言うさ。この高校の自滅は社会のせいじゃない、高校自体が歪んだ社会だった!」
彼は学校に爆弾を仕掛けるも実際には爆破する気はなかった。
そこまでの勇気はなかったのだ。
学園内に蔓延る上辺だけの関係を破壊することに快感を得て、終いには自分に爆弾を仕掛けて自殺。
それにしても『トゥルー・ロマンス』(1993)や本作の頃のクリスチャン・スレーターは美しくミステリアスである。
あえて美男子をキャスティングしたのだろうか。
観客を悪の魅力に導くために。
彼の綺麗な容姿からは、誰にも彼の抱える悩みを解るはずがない。
しかしただイカれているわけではなく、彼は自分のことを客観的に冷静に見ていて、学校に集う若者に対しても本心を見抜いて判断を下している。
意外にも心に余裕があるのだ。だからこそ彼に身近な怖さを感じる。
高校は肉体的にも精神的にも自己形成が確立されつつある時期なため、自分をよく見せようと必死な者、誰かに合わせて生きている者、居場所が無くて消えたい者、そういった様々な人間が混同し、関係性が複雑化している。
その中にサイコが投入される映画なので見どころはいっぱいである。
主人公は学園を牛耳る嫌な3人組ヘザース(苗字がヘザー)にこき使われるベロニカ(ウィノナ・ライダー)。
そんな3人に対してベロニカは正直「死ねばいいのに」と思っている。
嫌いなやつがいれば殺してしまえばいいという考えなのがスレーター演じるサイコなJD。
ベロニカができないことをJDが迷わずに行動に移す。
つまりは彼女が死を願う相手を彼が始末する。
といってもベロニカも協力していくことになるのだが。
ベロニカを演じるウィノナ・ライダーは、本作のような学校の状況を自身の経験から理解している。
彼女はヒッピー家庭に育ち、学校では集団生活に馴染めずイジメの標的にされていた。
髪を黒く染めてショートヘアにして出席した中学校の入学式では、ゲイの男の子に間違えられて、ジョックス(スポーツマンなイケイケ、スクールカーストの上位にいる者)たちに袋叩きに遭い2週間も入院したという。(参照:映画秘宝ex 仰天カルトムービー100)
ベロニカは頭脳明晰で、人の字をそっくり真似て書くことのできる才能をもっている。
ここはあくまでも映画的能力だと思っていただきたい。
そして彼女が死んでほしい相手の遺書を書き、自殺に見せかける。
美男美女のお気楽学園ラブコメディを想像して観ると、あまりにもサクサク人が殺されていく予想外のダークな展開に唖然することでしょう。
そして自殺のあとには生徒らが参列して葬式が行われるのだが、この時に彼らの心の声が聴こえる。
「死ぬには勿体ないくらいのいい女だったのになぁ。」
「私はあなたが大嫌いだった。死んでくれて嬉しい。」
などなど、見せかけの追悼を行い、本心は真逆という偽善者集団。
とはいっても彼らにとってヘザーは嫌なやつ代表。
そう思うことは自然。誰しもがもつ純粋悪。
自殺した者は翌日には「あの人は本当にいい人だった」と讃えられる。
生前には憎んでいたくせに。内心は喜んでいるのに。
そしてJDが言うように、嫌な奴は死んでから人気者になるという皮肉な展開。
ヘザーの次にアメフト部の嫌な二人組を始末。
ゲイに見せかけて二人で死んだことにする。
葬式では片方の父親がゲイでも愛してるよと嘆く。
それを見たJDは「どうせ生前にゲイだと分かったらめちゃくちゃキレるくせに」と言ってベロニカと笑い合う。
この二人は次第に愛し合うことになるが、どんどん行動がエスカレートするJDに対してベロニカは躊躇し始める。
この二人の関係性は何か違和感がある。
同一人物なのでは?と感じる。
つまりベロニカの二面性、悪の考えをもつ方をJDというサイコパスな男で実体化しているのではないか。
それを止めようとするベロニカ。
終いには狂ったJDが彼女を自殺に見せかけ殺そうとする。
JDの姿は暴走するベロニカの感情にもとれる。
ベロニカは空虚な学園での人間関係に嫌気が差していた。
そんな時に突如彼女の前に彼が現れた。
彼らは鏡越しの関係なのだ。
そういう視点で見た時に学校のマークもひっかかる。
“W”の左右対称に首輪のついた獰猛そうな犬(飼い犬)。
飼いならせそうにない。
一見解り合えたから愛し合ったように見えるが、実は互いのことを何も知らないまま展開が進んでいき、彼の行動を見ていくことでベロニカの愛は憎悪に変わっていく。
ベロニカがJDを利用して殺人を行わせているように見えて、裏を返せばJDがベロニカを利用して大勢を殺そうとしているようにも見える。
その証拠隠滅としてベロニカを殺そうとした。
それでダークサイドの自分の心が満たされて勝利となるのだから。
終盤まで彼の殺人の動機は語られないがため、ただのサイコパスに見えてしまうが、最後に内面を知ることになり、どこにでもいる孤独に悩む若者に変わる。
それはベロニカの悩みでもある。
彼女は学校を爆破しようとしたJDに銃をぶっ放す。
挑発して立てた中指に。
それによりベロニカからもう一人の自分である危険なJDの感情との決別がなされた。
そんなようなことが読み取れる象徴のようなシーン。
JDには他にも奇妙な描写がある。
父親との会話である。
JDが父親になりきり「息子よ、帰ったのか」と言い、逆に父親が息子になりきり「パパ、この娘を紹介するよ」と言う謎の“親子ごっこ”をしているのだ。日常的に。
これがどういうことなのかは明らかにはならない。
しかし母親が自殺したことがJDの口から明らかになる。
そして母のことが大好きだったことも。
原因は分からないが、7回も転校しているそうだから色々と彼の抱える問題は根深そうだ。
何も知らずに見た目だけでは判断出来ない。
父親は建物を爆破して取り壊しを行う業者に務めている。
その映像が保存されたVHSをリビングで観ているのだ。
父親の表情も笑っているようで笑っていないため終始違和感が拭えないシーン。
実は父親が爆破しようとしたビルの中に、母親が爆破2分前に自ら入って死んだのである。
つまりは父と息子は同じトラウマを抱えて生きている。
“親子ごっこ”は彼らの絆と消えることのない傷を表しているのかもしれない。
それに続いてベロニカの両親も奇妙である。
表情に欠けて、娘に関心があるようで無関心にもとれる。
言っていることが支離滅裂。会話の受け答えがおかしい。
描写がポップなため、ところどころ妙に明るいのだが、それとは逆に怖いことが平然と起きているという、まさに人間の感情変化の浮き沈みを日常的に、そして思春期で心が揺れる学園を舞台に映像化している怖い映画である。
JD、ベロニカ関係なく、自分の意思で自殺しようとする者たちも劇中には登場するのだから。
自ら死のうとしている者たちは間に何か挟むわけでもなく淡々とその行為が現実的に描かれる。
逆に死を望まず嫌がらせをする側の者たちには、彼らの意思を無視して死が与えられる。
数年ぶりに本作を観たけれど、前回は純粋にイカれたクールな映画に感じていたが、今現在はこの映画を深く理解できている。
見返すって大事なことですね。
最後のベロニカの一連の行動から、遠回りはしたが、誰にも合わせず自分らしさを出して自分の意思に従って生きることを決めた彼女の姿勢が受け取れる。
自殺しようとした(学園の中では地味なため、自殺を試みて注目を浴びようとしたとまで言われる)マーサに駆け寄って遊びに誘ってハッピーエンド。
一言教訓
明日自慢できるトリビア
①JDがヘザーを自殺に見せるため、彼女の所有物であるモービー・ディックの『白鯨』の“meaningful(有意義な)”というパッセージにアンダーラインを引いて準備していたが、もともとは“J.D.”サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』にする予定だったが、彼の許可が取れず、映画の内容には直接“意味をもたない”『白鯨』になってしまった経緯がある。また、JDという名前は50年代に異端児役で時代を築いたジェームズ・ディーン要素も含んでいる。
②クリスチャン・スレーターは役作りでジャック・ニコルソンから大いに影響を受けたと述べている。そのため彼はニコルソンに本作を観てもらうように依頼の手紙を書いたが、残念ながら返信はなかったとのこと。
③ヘザー・マクナマラ役には当初17歳の“ヘザー”・グラハムにオファーしていたが、映画のテーマの暗さににより彼女の両親が断わった。
④ブラッド・ピットはJD役のオーデションを受けていたが、“あまりにもナイス”すぎるので断られたとのこと。ちなみに『インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア』(1994)で二人はヴァンパイアとインアビュアーで共演している。また、ピットは『テルマ&ルイーズ』(1991)にてJDという名前の役で出演している。
⑤クリスチャン・スレーターとウィノナ・ライダーは本作の撮影とプロモーションの間に交際していた。
⑥ウィノナ・ライダーのエージェントは彼女に「キャリアが終わってしまう」と述べ、本作に出演しないよう懇願した。
⑦ベロニカ役をジェニファー・コネリーに依頼したが、断られている。
⑧高校を舞台にした映画の中でも最も議論を呼ぶ作品の一つになっているが、公開当時は“自殺を面白いものにさせている”という中傷があった。残念なことに今やアメリカの学校内での銃撃事件は連続して起こっている。
⑨“ヘザー”という名前は劇中で90回言われている。
⑩脚本のダニエル・ウォーターズは当初監督にスタンリー・キューブリックを想定していた。3時間の長編で。