幻のDUNE、失敗したDUNE、これからのDUNE

都市伝説紀行

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幻のDUNE、失敗したDUNE、これからのDUNE
映画ファンの間では有名な幻の『DUNE』の存在。
フランク・ハーバートが著し、第1作目が1965年に発売された。
以降シリーズ化されたが、彼が1986年に亡くなったため1985年に発売された6作目で完結している。
それ以降も構想はあったという。
そんな大人気SF小説のあらすじは、「砂に覆われ巨大な虫が支配する荒涼の惑星アラキス、通称デューン(砂の惑星)を舞台に、宇宙を支配する力を持つメランジと呼ばれる香辛料を巡る争いである。」
1974年に製作が始まったアレハンドロ・ホドロフスキー監督作。
スタッフとキャストも決まり、セットを組み始めようとした時だった。
中止。

ここでは2013年に公開されたドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』を参照しながら『DUNE』の歴史を振り返る。

本作を見てまず思うのが、ホドロフスキーがユーモアに溢れたとてもチャーミングな人間だということ。
ぶっとんだ彼の言動に自然と笑ってしまう。
赤裸々に楽しそうに話す彼は最高だ。
ホドロフスキー自身、完成していたらドラッグのような高揚感を味わえていたに違いないと断言する。
かつてただの娯楽ジャンルで一部の人しか見ないとされていたSF映画を大ヒットに導き、映画史までも変えてしまった1977年公開の『スターウォーズ』
しかしこれが『DUNE』だとしたら、『スターウォーズ』も違う映画になっていたかもしれない。
ホドロフスキーは『スターウォーズ』の数年前に、あの壮大さを超えるものを創ろうとしていた。
1973年『ホーリー・マウンテン』をヨーロッパで大ヒットさせたホドロフスキーは、
1974年『DUNE』の映画化を決意した。
プロデューサーのミシェル・セドゥから連絡があり、ホドロフスキーに新作の制作を提案した。
何でも好きなものを作っていいと自由を与えられたホドロフスキーはこう答えた。
『DUNE』を作りたい。
しかしながら意外にも彼は原作を読んだことがなかったのだ。
むしろ『ドン・キホーテ』『ハムレット』でもいいと思っていたというが、友人が褒め称えていたから『DUNE』と答えた。
しかしテリー・ギリアム1998年に製作を開始して、様々な不運により撮影中止となってしまい、ようやく新たに撮り直して2018年20年がかりで公開することができた『ドン・キホーテ』のことを考えると、ホドロフスキーはどの選択肢でも頓挫していたのではないかと思えてしまう。
ちなみにこの製作トラブルを追ったメイキング映像も、2002年に公開されたドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で見ることができる。
トラブル内容が波乱すぎて同情せざるを得ないのだが、最高に笑えるので併せて鑑賞していただきたい。
後々災難に遭うとは思ってもいないホドロフスキーは、セドゥからフランスに呼ばれた。
彼はさっそく脚本執筆に取り掛かったが、原作を読んでもさっぱりわからなかったという。
文学作品を映像化するのは難しいため、自分なりの解釈で全く別の世界観を創造することにした。
映画を作る時は原作から自由になるべきであるというのが彼の考え。
そうして完成した脚本を基に、次はスタッフを探した。
この仲間集めがもはや映画史に残る物語。

ジャン・ジロー“メビウス”(1938-2012)

絵コンテを担当する者。

彼が書いた西部劇漫画『ブルーベリー』を読んでホドロフスキーの心は掴まれた。

インターネットもない時代、彼は自力でメビウスを探すしかなかった。

どのように探したのだろうか。

ホドロフスキーが自身のエージェントに会いに行った時だった。

そこに彼がいたのだ。

ホドロフスキーは莫大の仕事量をあまりの早さでこなすメビウスに感心した。

彼の要望を伝えると、その要望通りにすぐに書き上げた。

ダクラス・トランブル

ホドロフスキーは特殊効果担当を探しにLAに向かった。

1968年公開の『2001年宇宙の旅』で特殊効果を務めて功績を残していた一流の人物だ。

この話をしている最中に飼い猫がホドロフスキーのもとに構ってほしくて鳴きながらやってくるのだが、その猫ちゃんを優しく膝に乗っけてあげるホドロフスキーお爺ちゃんが可愛いこと。

話を戻すと、ホドロフスキーとトランブルはウマが合わなかった。

以下がホドロフスキーの下した判断だ。

「彼は高い技術を持っているが精神的な深みがない」

「予言書となる映画を作るのにふさわしくない」

「魂の戦士ではない者とは映画を作れない

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ダン・オバノン(1946-2009)

ハリウッドの通りを歩いている時に偶然見た『ダーク・スター』(1974)ダン・オバノンの存在を知る。

ジョン・カーペンターが監督を務め、オバノンは主演、共同脚本、そして特殊効果を務めていた。

あくまで“芸術が先で技術は後でいい”というのがホドロフスキーの考え。

それに沿って彼を選んだ。

スタッフが決まった後は、いよいよキャスティング

最初の俳優は主人公ポールの父親のレト侯爵役。

デヴィッド・キャラダイン

選んだ理由は、健康のため1日1粒飲もうと思って持参していた500グラムのビタミンEを彼が全て飲み干したから。

ピンク・フロイド

それぞれの惑星の音楽が欲しかったホドロフスキーはピンク・フロイドに依頼した。

しかし挨拶をしても、メンバーの4人はハンバーガーに夢中になり黙っていたという。

それに頭にきたホドロフスキーはその場で怒り狂った。

「人類の歴史で最も重要な映画の音楽だ」

「世界を変える映画だ」

「ビッグマックなんか食べやがって」

するとメンバーは話し始めたという。

その後はすべてうまくいった。

ブロンティス・ホドロフスキー

主人公のポールには自身の息子を選んだ。

『エル・トポ』(1970)にも出演した彼は、12歳になっていた。

「戦士になる準備をしろ」

「精神を解放しろ」

そう告げられた息子はスタント・コーディネーターのジャン・ピエール・ヴィニョーのもとで、2年に及ぶ空手と日本柔術などのトレーニングに励んだ。

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クリス・フォス

宇宙船担当。

初対面でホドロフスキーに勝手に自分のバッグを開けられたせいで第一印象は最悪だったという。

彼に『ホーリー・マウンテン』(1973)を見せられたことにより、彼の不思議な魅力に惹かれて参加することになった。

フォスは原作も脚本も読まずに、ホドロフスキーの言葉を基に描いた。

彼の熱量だけで十分だった。

サルバドール・ダリ(1904-1989)

ホドロフスキーはどうしても皇帝を彼に演じてほしかった。

偶然ニューヨークのセントレジス・ホテルでダリに会ったという。

本人が偶然というのだから偶然だ。

タロットカードの本を読んでいたホドロフスキーが、“吊られた男”の絵が描かれたページを破って、そこに“一緒に映画を作りたい”と書いたら、ダリはその誘い方を気に入ってくれた。

何と洒落たエピソード。

しかし『DUNE』のことを何も知らないダリはとんでもない要求をいくつもしてきたという。

「ヘリコプターを用意してくれ」

「燃えるキリンを用意してくれ」→絵コンテにも残っている

「ハリウッドで一番ギャラの高い俳優にしてくれ」

「撮影1時間につき10万ドルをくれ」

それは無理なお願いだが、ホドロフスキーはどうしても彼を欲していた。

そこでプロデューサーのセドゥは映画に映っている時間で払うことにした。

ホドロフスキーはダリの出演時間を「長くて5分、たぶん3分」と答えた。

こうしてダリは出演1分につき10万ドルを手にすることになった。

H・R・ギーガー

ダリから紹介されたこの男は、のちに『エイリアン』(1979)を創造する偉大なるアーティストだ。

しかしこの時はまだ映画での仕事経験がなく、ホドロフスキーが誘い込んだ。

彼らの出会いは、ハルコンネンの惑星の音楽を依頼した『マグマ』というバンドのライブだ。

ミック・ジャガー

ホドロフスキーはどのようにこのロックスターに接触すればいいか悩んだ。

パリのパーティーに招待された時のことだった。

これまた彼はそこにいたパターンだ。

大きな部屋の向こうにミック・ジャガーがいた。

目が合った。

すると彼は人混みをかき分け、ホドロフスキーに近づいて来た。

「私の映画に出てくれないか?」

「いいよ」

フェイド・ラウサ役での出演が決まった。

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ウド・キア

アンディ・ウォーホールが企画製作した『悪魔のはらわた』(1973)でフランケンシュタイン博士を演じ、『処女の生血』(1974)では吸血鬼を演じた。

有名人の集まるアンディ・ウォーホールのファクトリーで彼の作品に多く出演するキアに出会った。

交渉するとすぐに『DUNE』への出演が決まった。

メンタート・ピーター役である。

オーソン・ウェルズ

ハルネンコン男爵

監督デビュー作にして映画史上最高の名作として評される『市民ケーン』(1941)や、『第三の男』(1949)など多くの作品で俳優としても活躍している超大物である。

しかし当時の彼には悪評が立っていた。

食べたり飲んだりが過ぎるという。

そして映画も食べてしまうと。

それでも憧れのウェルズに出演してもらいたかった。

そんな美食家のウェルズに接触すべく、パリで彼が通う店を秘書に調べさせた。

ホドロフスキーがそこに行くと、ウェルズがいた。

ワインを6本空けて食事をしていた。

ホドロフスキーはシェフに彼の一番好きなワインを訊き、彼のテーブルに持って行かせた。

そうして交渉する機会を設けた。

もう映画に出たくはないというウェルズに提案をした。

「出てもらえたら、出演料とは別に個々のシェフを雇います。そうすれば毎日美味しい料理が食べられます。」

こうして出演が決まった。

『DUNE』の総製作費は1500万ドル

しかし映画を完成させるためにはあと500万ドルが必要だった。

そこで映画会社に出資を求めた。

ウォルト・ディズニー・ピクチャーズには企画は素晴らしいが、うちでは映画化は出来ないと当然ながら断られた。

他の映画会社にも哲学的な宗教的な映画はヒットしないと判断されてしまう。

もちろん最大の原因は監督がホドロフスキーであること。

『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』を作った人には支援できない。

彼は当時のハリウッドのSF映画に対する考えをこう語っている。

「SF映画とは『2001年宇宙の旅』か、低予算のB級映画のどちらか」

本編の長さにもダメ出しをされた。

劇場公開用に1時間半にしろと言われたが、そんな短さでは描けない。

「私は12時間の映画を作る、いや20時間だ」

これは今なら海外ドラマで当たり前の長さだ。

当時はホドロフスキーの意味不明とされる長編映画など、観客は誰も見ないと判断されてしまった。

金なんかの為に自分の信念を変えて映画の内容まで変えることはできなかった。

「映画は心だ。精神も。無限の力も。大きな志も。そういう映画を作りたかっただけなんだ」

結局セットを作り始めようとなった時に制作は中止となった。

ホドロフスキーの息子で主人公を演じるはずだったブロンティスは現在このように振り返る。

「本当に本当にがっかりした。もし作られていたら夢に見た人生を得られただろう。今と違う人生を歩んでいたはずだ。

こうして中止の決まった製作陣のもとに、プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスの娘がやってきて、企画を奪ってデヴィッド・リンチに渡した。

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1984年デヴィッド・リンチが監督を務めた『DUNE』が公開された。

主人公ポールをリンチの秘蔵っ子、カイル・マクラクランが演じ、ミック・ジャガーが演じる予定だったフェイド・ラウサ役を同じくロックスターのスティングが演じた。

ホドロフスキーは自分が完成させることのできなかった作品を、

他の監督が創り上げたことが悔しくてたまらなかった。

そしてデヴィッド・リンチなら確実に成功させるに違いないと確信していた。

そのため見る気はなかったが、息子に言われた一言で見に行くことに決めた。

「本物の戦士なら観に行くべきだ」

映画館に足を運ぶと、やはり最初は悔しさから泣いてしまったという。

しかし次第に元気が出てそれは笑みに変わっていった。

「こりゃ大失敗だ」

嬉しそうに正直に語るホドロフスキー。

たしかにリンチ版『DUNE』は特殊効果も雑であり、ストーリーも没入感させるほどの魅力がなくテンポも悪い。

『スターウォーズ』とは程遠いクオリティだ。

先日、そんなデヴィッド・リンチ『DUNE』について語った。

リンチはザ・ハリウッド・レポーターにこう語っている。

『デューン』には全く興味がないんだ。私にとっては苦悩だったから。失敗作であり、ファイナルカットをしていないからね」

「この物語については何億回も話したよ」

作りたかった映画ではない

「気に入っているところもあるけれど、私にとっては全体的に失敗だった」

またリメイク版(2020年公開予定)を鑑賞するかどうか聞かれると

「全く興味がないと言ったはずだ」

とリンチは答えた。

(引用:Yahoo!ニュース)

それとは逆にホドロフスキーが創ろうとした幻の『DUNE』の功績は大きく、後世の映画に引き継がれた。

『DUNE』の絵コンテと比較しながら、影響を与えた映画のシーンが映し出される。

『スター・ウォーズ』(1977)『フラッシュ・ゴードン』(1980)『マスターズ 超空の覇者』(1987)『ブレードランナー』『レイダース』(1981)『コンタクト』(1997)『マトリックス』(2001)『プロメテウス』(2012)

たしかに『スターウォーズ』タトゥイーン砂漠『DUNE』を彷彿とさせる。

ジョージ・ルーカスは製作段階で多くの本を読んだそうだが、その中に『DUNE』も入っていたという。

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さらにダン・オバノンリドリー・スコット監督の『エイリアン』(1979)脚本原案を務め、エイリアンの造形H・R・ギーガーが務めた。

そしてメビウスフォスも関わった。

他にもダン・オバノン『スターウォーズ』(1977)特殊効果『ゾンゲリア』(1981)『トータル・リコール』(1990)脚本、そして『バタリアン』(1985)では監督と脚本を務めている。

幻の『DUNE』の仲間たちは次々にハリウッドで活躍し始めた。

こうして見てみると、ホドロフスキーの『DUNE』は完成しなくてよかったのかもしれない。

しかし完成していたら今の映画史がすべて変わっていた可能性もある。

直接的でなくとも、映画を作る人々の人生を左右したこの作品には大きな“映画の力”があったといえる。

そして今、新たなる『DUNE』が誕生しようとしている。

今年の12月18日に全米で公開予定だ。

監督は『プリズナーズ』(2013)『メッセージ』(2016)『ブレードランナー2049』(2017)ドゥニ・ヴィルヌーヴだ。

主人公ポール役はティモシー・シャラメ

他のキャストも豪華で、レベッカ・ファーガソン、ゼンデイヤ、オスカー・アイザック、ジョシュ・ブローリン、ステラン・スカルスガルド、デイヴ・バウティスタ、ジェイソン・モモア、シャーロット・ランプリング、ハビエル・バルデムらが名を連ねている。

ちなみに日本の『DUNE』といえば、村上ショージ兄さんであるが、彼のあのギャグは、小さい時に近所で畑仕事をしているおじさんが鼻水を垂らしていたそうで、それをみた彼がおじさんの鼻水を指摘したところ、そのおじさんはティッシュを持っていなかったので指で片方の鼻を塞ぎ、勢いよく鼻水を『DUNE』と噴射したことから発想を得ているという。(参照:2018年10月23日配信カジサックのYoutubeにて本人が語る)

残念ながら、本家『DUNE』とは一切関係がなかった。

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