『ウォールフラワー』(2012)~21世紀最高の青春映画~

ドラマ
出典:IMDb
映画を見れば誰かと共有して話したくなる。
しかし話す人がいない。
そんな映画愛好家は世界中に山ほどいることだろう。
私もその一人。
そこで私は独自の感想をネタバレ含んでただただ長々と述べる自己満駄話映画コーナーを創設した。
お役に立つ情報は一切なし!
しかし最後まで読めばきっとその映画を見たくなることでしょう。
さぁ集まれ映画好きよ!

今宵の映画は…
NJ
NJ

無限を感じましょう

出典:IMDb

ウォールフラワー

原題
The Perks of Being a Wallflower
公開
2012年
製作国
アメリカ
監督
スティーブン・チョボスキー
『ワンダー 君は太陽』(2017)
出演
ローガン・ラーマン
エマ・ワトソン
エズラ・ミラー
脚本
スティーブン・チョボスキー
『レント』(2005)
『美女と野獣』(2017)
『ワンダー 君は太陽』(2017)
原作
スティーブン・チョボスキー
編集
メアリー・ジョー・マーキー
『スター・トレック』(2009)
『スーパー8』(2011)
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2015)
音楽
マイケル・ブルック
『イントゥ・ザ・ワイルド』(2007)
『ザ・ファイター』(2010)
『ブルックリン』(2015)
撮影
アンドリュー・ダン
『ラブ・アゲイン』(2011)

一言粗筋

1人の高校生が仲間と出会い成長していくまでの話。

ほのぼの感想&解説

日本では2013年11月の冬に公開された本作。
当時大学生だった私はその日の授業を終え、友人と一緒に帰っていた。
映画好きなことを公言していたので映画の話題を振ってきた友人。

このあと映画観に行くん?

NJ
NJ

うん。

何観に行くん?

NJ
NJ

ウォールフラワー

どんなやつ?

NJ
NJ

エマ・ワトソンが出てるよ。

まじか!俺も一緒に行くわ。

NJ
NJ

いや、こなくていいから~。

ということで友人がついてくることに。

そして見終わった。

いい映画やった。ありがとう。一人では観に行かなかったと思うから。

私もこれ以来、毎年春と秋の時期に2回見ているほど人生に欠かせない1本になった。

なぜなら主人公のチャーリーに自分を投影させてしまうほどに、私の幼少期に似た経験を彼がしていたからだ。

原作は1999年に出版され、全米で200万部を超えるベストセラーとなり、多くの高校で必読の教材として授業で取り上げられ、世界18か国で刊行された。

さらに作者のスティーブ・チョボスキーにとって最初の小説であり、映画版の監督と脚本も務めている。

私も勿論読んでおります。

主人公の語り口調で進む形式はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を彷彿とさせるが、あちらよりも断然読み易い。

あちらはチャーリーと同世代のホールデンが、終始こじらせて社会への不平をぶちまけてややこしくしておいて、結局子供なんだなと感じるエンディングであった。

だからこそ、その後の彼が気になるのですが。

一方のチャーリーは素直で現実を受け入れる性格がゆえに、悩みや心配事が多いのだが、仲間との交流を経て乗り越え成長していく。

1987年、チョボスキーは17歳の時に初めて脚本を書き、ピッツバーグで開催された映画祭でゾンビの父ジョージ・A・ロメロ監督からサインをもらった。

そこにはサインとともに「恐怖心を忘れるな。1作目の脚本が映像化されることを願っている」と書かれていた。

1作目の脚本が映像化されることはなかったが、このサインは今でも彼のオフィスに飾られている。

そんな好みから『ウォールフラワー』の本編には、ロメロ監督『ゾンビ』(1978)特殊メイクを務めたトム・サヴィーニが出演している。

タランティーノの依頼で『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996)『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)などにカメオ出演したり、『クリープショー』(1982)『マチェーテ』(2010)といったB級チックな映画や、ホラー映画にカメオ出演することが基本の彼なので、本作のような青春ドラマに出ることがいかに異常事態かがわかる。

肝心の出演シーンはというと、チャーリーとパトリックが初めて出会う技術の授業で、それを担当している先生だ。

特殊メイクもしていない濃い顔立ちでセリフもしっかりあるため、印象に残っている人も多いかもしれない。

話を戻すと、チョボスキーが『ウォールフラワー』の脚本を書き始めたのは南カリフォルニア大学在学中の時。

それから卒業後数年かかって完成させた。

「これは、とても個人的な理由から書いた。私生活で辛い時期を過ごしていて、自分自身のために答えが必要だった」

そんな個人的な小説がベストセラーになり世界中の若者の心を掴んだ。

誰しもが経験する不安と楽しさが入り混じる複雑な学生時代だからこそ共感を生む。

小説の大成功により映画化のオファーがいくつも届いたが、チョボスキーは全て断り、他の脚本に携わっていた。

「小説執筆中から映像のイメージは浮かんでいたが、小説に誠実な脚本を書く準備が整うまで、自分の腕を磨いていた」

「ファンからの何百という手紙やメールを受け取ってわかったのは、たくさんの子供たちが大きな孤独と闘っていることだ。死にたいと思っていた子供たちが、僕の小説を読んで生きることを選んだ。そう考えると、自分の責任を感じずにはいられない。」

私も幼少期に孤独を感じることはあった。

父親の転勤により、幼稚園はそれぞれ1年ずつ別の県を転々とした。

関西から関東に移った。

元々、(今の自分からは信じられないほどに)私は極度の人見知りだった。

ようやく出来た友達とは1年後にお別れ。

それを繰り返し人間関係を築くのが億劫になった。

幼稚園年長の時、同じマンションとその周辺に住む友達と仲良くなり、そのまま小学校に入学。

このまま友情が永遠に続くと思っていた。

しかし再び転校をすることに。

その時に仲の良かった男女6人とは小学6年の時まで年賀状のやりとりをしていたが、さすがに中学になるとお互いに連絡は途絶えた。

そもそも共に過ごした2年近くよりも、会っていない年数が大いに超えてしまったので書く内容がない。

それでも記憶からは消えないくらいあの時の私たちは毎日のように遊んでいた。

今でも思い出せる当時の光景。

数年前になんとなくFacebookで当時の友人の名前を検索してみたことがあった。

都合がいいことに男友達は全員珍しい苗字のため、ヒットすればその人に違いない。

1人だけヒットした。

詳細も彼と一致した。

顔があまり変わっていなくなんか嬉しかった。

迷わずメッセージを送った。

「もちろん覚えてるよ」と返信が来た。

いつか会おうと再会を誓った。

今では彼はエンターテインメント界で活躍している。

舞台は違えど、負けていられない。

未来でそんなやりとりをできるとは思ってもいない幼き私は、4度目の転校を経験する。

北の大地に。

クラスの関係が確立される運動会というビッグイベントが終わったあとの小学1年生。

言い換えれば絆が深まる運動会が終わり、各グループがそれなりに出来上がったクラスに突如ぶち込まれるのだ。

人見知りにも関わらず、初日に体育館のステージ上に祀られ全校生徒の前で挨拶。

これは何の罰なんだ。

大勢に見られ、自分の存在感が際立つ時間を過ごすのが最も嫌いであった。

ステージ上で泣いた。

幸いなことに壇上に共にいた兄が代わりに挨拶してくれた。

そのため小学1年生の記憶はあまりない。

こんな学園生活早く終わってしまえと思っていた。

チャーリーのように授業中に手を挙げたことは一度もなかった。

しかしながら、不思議なことに周りが積極的に話しかけてきてくれたことは覚えている。

一番最初に仲良くなった友人とは未だに交流がある。

彼曰く、「可哀想に見えたから話しかけた」らしい。

もういい歳だからそろそろ面と向かって感謝を述べたい。

彼は私が自身では得ることのないジャンルの知識をもっていた。

だからこそ魅力を感じていたのだろう。

小学校はパラダイスだった。

この時期にいろいろ経験できてよかったと今では思える。

私は基本チョロいので、好意を示されるとすぐに好きになってしまう。

しかしかなりの消極的な性格から、小学校2年から6年の間に、好きな人に告白されても、2人同時にラブレターをもらっても、好きな人が彼女の母親に私を紹介しだしても、バレンタインに自宅ドア前にチョコレートを置かれても、全て華麗にかわしていた。

唯一応えられたのは小2か小3の時だったかのクリスマス。

クラスで一番綺麗な女の子にクリスマスパーティーに誘われた。

彼女が通う英会話教室の催し物だ。

先生に1人だけ友達を連れてきてくださいと言われたらしく、私が誘われた。

好意を持たれたのは嬉しいが、こっちは恋愛感情は全くないので、そのパーティーの最中はもどかしく早く帰りたかった。

その子がクリスマスプレゼントで、中々しっかりめの素材で出来たウサギのクリップを2つくれた。

不思議なことに、20年以上経った今でもいまだにそれを持っている。

頂いたものは捨てられません。

ラブレターはもらった当日に捨てました。

親に見られたくないので。

すみません。

女の子より男友達と遊びたかった私は、小4か小5の時にその子を含めた女子集団との遊びの約束を適当な理由をつけ当日すっぽかし、男友達と遊んでいた。

しかし爪が甘く、私たちは近場で遊んでたようで、彼女たちにそれを見られ、翌日学校で冷たい視線で見られた。

その日の朝、先生がクラスに入ってきた瞬間に、女子集団は昨日のことを言いつけ、私に謝罪を求める騒動にまで発展した。

結局、集団の代表としてその子に謝ることになった。

そんなこんなで好意と憎悪は表裏一体なんだと子供ながらに学びました。

女子は怖いよ。

特にその子は中々性格がキツかった。

後に中学でも同じクラスになるのだが。

といったようにそのクリスマスパーティーを除き、本当は素直に応えたいのに、周りの反応を気にしたり、恥ずかしさから全てのチャンスを自ら捨ててしまった。

中学の時までそんな感じだった。

毎度新たな恋愛感情が芽生えても、誰にも伝えずに自分だけの胸に沈めこんだ。

女子はなんでこんなにも積極的な生き物なのだろうか。

低学年の時、母親にしつこく言われたこともあり、ホワイトデーのお返しで手作りクッキーを自転車にまたがり、各家に送り届けたことは当時の自分に逆らった行為なのでよく覚えている。

小学4年の時だったか、パトリックのようなやつ(高身長で雰囲気も似ているがゲイではない)が転校してきた。(小学6年の時には共に陶芸学部に入っていたので、このシ-ンは何だか懐かしい光景)

彼はすぐにクラスで一番陽気なやつとなった。

一方の私は存在感をできるだけ消したいので、彼は自分の正反対を行く人物だ。

接点がなかったが、親同士が先に仲良くなり、なんと私の通う塾にやってきた。

個別のため今まで1体1だった。

そりゃ喋らざるを得ない環境。

学校外の塾で喋りまくり、意気投合した私は彼のぶっ飛んだ言動の数々に感化されてしまった。

彼とも未だに交流がある。

私を変えてくれた二人の友人と私には共通点があった。

SFやアクション、ホラー映画が好きで、『スターウォーズ』が好きなこと。

そして高学年になった私は、日々見た目で判断される自分のイメージを壊したい衝動に襲われていた。

小さい頃にチヤホヤされた人は確実に良くも悪くも捻くれて育つ。

基本人を信用していない。

言われたことの裏を読みがち。

表情と喋り方、目の動きから真の感情を妄想しがち。

それゆえ捻くれ者は突発的集中力が尋常じゃない。

そんな自分のイメージを覆すためにとった行動が、女子のパンツとおっぱいを覗こうとするという変態的なものであった。

気付けば中々やんちゃな小学生になってしまった。

覗けたかどうかはどうでもいい。

ちなみに小学6年生の時に両想いだった女の子は、サムのようにショートカットでボーイッシュだった。

『ウォールフラワー』には私の過去をフラッシュバックさせる要素が大いに詰まっていて驚きだ。

そんなこんなで友達との交流や恋愛経験から、私は次第に人見知りが薄れていき変わっていったのだ。

転校が多く心を閉ざしていたが、今では父親や祖母と過ごせたことにも感謝しているし、各地を転々としたことで様々な人たちに出会えた。

そこで出会った人々が私を変え、積極性自信が身につき、私自身が変わっていった。

変わらないものもあり、それは楽観自由である。

自分を変えるため土地を変えようとする人がいるかもしれないが、結局は自分が変わらなければならない。

チャーリーを見ているとあの頃の私を思い出す。

壁の隅で根付き、芽が出て、生涯そこで終えようと思っていたのに、いつの間にか注目され、周りに育てられ、想定外の騒がしい中で咲くことになったが、やっぱり自分らしさを消すことはできず、必要な時以外は壁に寄って暮らす。

自分らしく生きられるほど楽しい人生はない。金はなくとも。

当時なりたくないと思っていた大人になっていない今の自分に安堵を感じる。

チャーリーは姉の彼氏が作ったミックステープを聴いて、自分もオリジナルのテープを作ってサムに渡す。

私もこれに影響を受け10曲を厳選し、付き合っていた彼女に1枚のCDを贈ったことがある。

好きな人には自分が好きなものを共有して好きになってほしい。

チョボスキーは音楽使いについてこう語る。

「若いころを振り返ると、聴いていた音楽がよみがえってくる。音楽は自分を特徴づけ、友達との絆になるんだ

たしかに過去を振り返ると、当時触れていたエンターテインメントとともに思い出が蘇る。

好きな音楽や映画は自分がどう形成されているかの意思表明である。

劇中での音楽は彼の過去を振り返るサウンドトラックでまとめている。

「デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの『Come On Eileen』やXTCの『Dear God』は映画に欲しかった。最も必要不可欠だったのは、The Smithの『Asleep』。僕の人生のある1年間を特徴づける曲なんだ」

『Asleep』孤独寂しさが溢れ出す暗い曲である。

Sing me to sleep
歌って眠らせて
Sing me to sleep
歌って眠らせて
I’m tired and I
疲れてしまった
I want to go to bed
ベッドで眠りたいんだ

Sing me to sleep
歌って眠らせて
Sing me to sleep
歌って眠らせて
And then leave me alone
その後は私を放っておいて
Don’t try to wake me in the morning
朝になっても起こさないで
‘Cause I will be gone
なぜならこの世からいなくなってしまうから
Don’t feel bad for me
気の毒に思わないで
I want you to know
君に知っておいて欲しい
Deep in the cell of my heart I will feel so glad to go
私が心からこの世を去りたい気持ちになっている事を

Sing me to sleep
歌って眠らせて
Sing me to sleep
歌って眠らせて
I don’t want to wake up On my own anymore
ひとりぼっちでもう目を覚ましたくない

音楽スーパーバイザーのアレクサンドラ・パットサヴァスも自分のアイディアを出し、チョボスキーはなじみのない曲を勧められたという。

「あの時代に対する彼女の思い入れは強くて、僕は知らなかったけれど、これからずっと愛せるような曲を紹介してくれた。僕にとってサウンドトラックは時代を反映するミックステープであり、作品のトーンを決めるものなんだ。この映画の音楽を本当に誇りに感じているよ」

サムが以前トンネルを走行中にラジオでかかった曲が誰の歌かわかったと言い、クライマックスで再びデヴィッド・ボウイ『Heroes』がかかる。

“We are infinite”

無限を感じながら、3人がトンネルを通って広大なピッツバーグの街を眺める橋へと車を走らせる場面である。

この原作でも映画でも最も重要なシーンは、チョボスキーにとっても撮影するのは夢だったようだ。

「辛い経験をしながらも、彼らは未来の可能性が無限だと感じている。あのシーンは僕らが無敵であることの証なんだ。僕たちの人生は良くなるしかない。上昇するしかないんだ」

当初、エマ・ワトソンはスタンドで撮影することになっていたが、自分でやると決意し、チョボスキーを説き伏せた。

彼女は、時速100kmでトンネルを疾走するピックアップトラックの荷台の上で、ロープ1本を体につない打だけの状態で立ち上がった。

エマはその時のことをこう語っている。

「両手をあげたら、気持ちが昂って泣き出してしまったわ。あれは間違いなく、私の人生で最高の瞬間のひとつだったわ」

ローガン・ラーマンも同じく自分で演じることにこだわった。

「トンネルを抜けると街の明かりが見えた。あんな経験はしたことがない。その素晴らしさは言葉では表現できないよ」

今回の映画制作をチョボスキーが振り返る。

「クランクアップ前日は、経験豊富なベテランスタッフでさえ泣いていた。エズラは泣き腫らした目で、大声をあげていた。それを僕は遠巻きに見ていた。あの夜、あの場所にいた人はみな、あの感動を忘れないと思う。小説を書いた時、基本的に僕は部屋の中にひとりきりだった。一方、映画は数百人が関わって作った。ファンも含め、関わった全員と一緒にこの映画を分かち合うことができて本当に誇らしく思う。僕が力の限り描いた小説を、最も誇り高く再構築した作品、それがこの映画なんだ」

劇中で、サムとパトリックはチャーリーに、「何を書くか迷ったら私たちのことを書けばいい」と言った。

私は今あいつらのことを書いている。

書くつもりはなかった。

過去を笑って振り返られるということは、今の自分に少なからず誇りを持てている証なのかな。

手を挙げられなかった少年が、大学では前の席に座り積極的に発言していた。

今では自分の想いや愛を、直接言葉で伝えることもできる。

あの時踏ん張ったから、逃げなかったから、今の自分がいる。

チャンスを一度逃したら、次は掴めばいい。

物事に飽きたら、新しい何かを見つければいい。

これはどれも自分から行動しなければならない。

悩める若者がいるのなら、映画を見るなり音楽を聴くなり本を読むなりすればいい。

きっと同じ悩みを持つ人物がどこかに必ずいる。

落ち着いたら1人で旅にでも出るといい。

どこかで君を感動させる何かが、そして君を受け入れてくれる人が待っている。

そしたら君はもう人生の傍観者ではない。

人生の参加者である。

それが今の私だ。

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明日自慢できるトリビア

撮影期間の間、エズラ・ミラーがドラムローガン・ラーマンがギターエマ・ワトソンがボーカルを担当したバンド“オクトパス・ジャム”を結成して、ゲストアーティストを招きつつコンサートの真似事をしていた。
撮影のほとんどはチョボスキーが育ったピッツバーグ郊外のピーターズ・タウンシップや、ベセル・パーク、ドーモント、アッパー・セント・クレアなどで行われた。

ミル・グローヴ高校のシーンは、ピーターズ・タウンシップ高校で撮影された。

ヘレン叔母さんと幼いチャーリーがストリートにいるシーンの場所からわずか10mほどの距離にチョボスキーが育った家がある。

『ロッキー・ホラー・ショー』公演のシーンは、伝統あるドーモント・ハリウッド・シアターで撮影された。

この撮影は非常に盛り上がったとチョボスキーが振り返っている。

「観客席は『ロッキー・ホラー・ショー』ファンでいっぱいだった。エズラ・ミラーやエマ・ワトソンは撮影中、ずっと浮かれていたよ。エズラをステージから引きずり降ろさなくてはならなかったほどだ。だって彼はフランクン・フルター博士をあまりにも夢中になって演じていたからね!あの2日間の撮影は最高だったよ。」

一言教訓

過去があるから前に進める。
参照サイト: IMDb https://www.imdb.com/,
『ウォールフラワー』Blu-ray特典プロダクションノート

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